センター街で初めて出会った彼女はガムをいつも噛んでいた。フーセンガムでもチューイングガムでもなんでも「ガム」というものを常に口に入れていないと落ち着かないと言っていた。歯を磨いた後も歯磨きガムを口に入れていた。特に好んでいたのはフーセンガムで、漫画のキャラクターのようにまん丸のガムフーセンを作るのが上手だった。一度飴玉をあげたら喜んでいたけれど、すぐにバリバリとかみ砕いてしまった。それ以来飴玉はあげていない。
彼女の口にガムが入っていないのは食事の時と、別のモノを咥えているときだけだ。いつも口が動いているけれど、舌遣いはそれほどうまくない。日焼けした肌を蛍光色のチューブトップと茶色く痛んだ髪の毛が隠している。報酬は現金よりもスーパーで買えるフーセンガムひと箱のほうが喜んだ。いろんな意味で守ってあげたくなる子だった。
なぜそれほどまでにガムにこだわるのか聞いたことがあった。「なんでだろうね。気が付いたら中毒みたいになってた。好きであることに理由なんていらないと思うけど」とはぐらかされた。ガムが噛めないから学校には行かなくなったとも言っていた。ガムのために学校を辞め、ガムのために体を売るのであれば彼女がガムなのかガムが彼女なのかさっぱりわからない。それでも彼女は僕のことを好いてくれていたみたいだし、ガムの次に愛していたと思う。そのことに関しては今となっては申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
僕は当時、表向きは「夜の街に繰り出す孤独な少女を取材する社会派ルポライター」なんてカッコつけた肩書で街を歩いていた。「親うぜー」「だりぃ」と言う彼女たちを見つけてはファミレスでパフェを奢った後に一晩話を聞くという名目で家に連れ込んだりホテルに連れて行ったりということをしばらく続けていた。もちろん何事もなく返すわけがない。それに「そういうこと」を嫌がる子には一切手出しをしなかった。
むしろ彼女たちは自分の方から望んで「そういうこと」をしたがった。「何人とヤれるか」という「逆100人斬り」をステータスにしている子が多かった時代だ。いろいろと「記事のため社会のため」と言い訳はしていたけれど、セックスの価値と個人の価値を混同している彼女たちを食い物にするのもひとつの目的だったと今ならば言える。若かったからという言い訳をするつもりではないが、やっぱり最低な男だった。
ガムの彼女の話に戻る。彼女とは一晩限りの付き合いではなかった。しばしば連絡を取り合い、どこそこのゲーセンだとかカラオケだとかで何度も遊んだ。ガムさえあげれば機嫌がよくなる女なんて珍しいし、何より簡単に落とせたことが男としての自負に繋がっていた。ルポライターの名目として彼女たちをこの夜の街から救いたいと言っていたけれど、そんな僕のほうが夜の街に飲まれていた。
当時、彼女がよく歌っていたでたらめな歌を記録した動画が残っていた。モザイクがかかったような画質の荒いムービーであるけれど、これが彼女が確かに「存在」していたひとつの記録である。
チョコレート色の夢にまみれて
綿菓子の形した妄想に包まれる
ボンボンさげて歩いてる
あの子の肌は 傷だらけ
キャンディ舐めて しょっぱくて
和三盆のゼリーをひとくち
次から次へ チェリーの感想
払い戻しはラッキーセブン
オレンジジュースのひと時に
はじける炭酸 四散して
今日も私は 見ないふり
ボンボンさげてる あの子のことは
彼女と縁を切ろうと思ったのは、まったくの気まぐれだった。単に「飽きた」という感情と「これ以上踏み込まれたら厄介だ」という面倒くささが臨界点に達したからという情けない自分勝手なものだ。それほどまでに彼女は僕に入れあげていた。他の女の子と遊べなくなるし、僕のために高校を卒業しようとかいう話をしていた。彼女に関して言えば、そんな真剣な話は求めていなかった。
決定的な場面は、蒸し暑い夜にエアコンの効きすぎたファミレスでいつものようにたわいのない話をしていたときのことだった。
「あたし、ガムやめてみようと思う」
僕はすぐその場でパフェを注文した。アイスクリームが嫌いだと言っていた彼女への当てつけと少々の意地悪だ。すぐに運ばれてきたカラフルなパフェを前に、彼女は戸惑っていた。
「ガムを辞めるなら、パフェくらい食えるだろ」
彼女はキレイな色のパフェを目の前にして、じっと黙っていた。
「だって、かわいそうじゃないですか」
僕は彼女の言っている意味が分からなかった。
「アイスは溶けちゃうからかわいそうじゃないですか」
彼女はめそめそ泣き始めた。生まれて初めて、直接の悪意なく女を泣かせてしまった。彼女は僕の意地悪に泣いているのではなかった。運ばれてきたパフェに対して泣いていた。全く意味がわからない。
「アイスは溶けるから早く食べないといけないんだよ」
諭すように言うと、ますます彼女の目から涙があふれていた。
「だからかわいそうなんじゃないですか。すぐ消えちゃうなんて」
ぼろぼろと涙をこぼしながら彼女は溶けかかったパフェを口にした。つめたい、と言ってまた泣いた。パフェを食べ終わると大急ぎでフーセンガムを取り出すと口の中に放り込んでいた。その光景を見て、もう二度と彼女に会わないだろうと僕は思っていた。ファミレスを出て別れたそのすぐ後に携帯電話を取り出すと彼女の番号を着信拒否に設定し、メールアドレスも消去した。
もう随分と昔の話だから、今更彼女と連絡を取る方法もないしその後を知る術はない。ただ、アイスクリームを前にして泣きじゃくっていた彼女がガムに執着していた気持ちが今になってなんとなくわかってきた。彼女は「そこになくなる」ものが嫌いだったんだろう。いつまでも形を変えても残っていてくれるものが好きだった。だから口の中に寂しさを紛らわすものを入れていた。まるで乳児が母親の乳房の代わりにおしゃぶりを欲しがるようなものだった。
それからしばらくして僕は夜の街を取材することをやめた。あそこには僕の考えていた心の闇なんて言うものはないってわかったからだ。色とりどりの砂糖でコーティングした欲望は、ひとたび口にしてしまえば誰かの噛んだ後の味の抜けたガムのようなものだ。ただただ「寂しい」ということを忘れるために人々は「夜の街」と口にする。味が抜けてしまっても、「寂しさ」を口から出すことを恐れて延々と噛み続けている。そんな循環があるだけだった。闇ですらない、ただのゴミみたいな感情をみんなありがたがっているだけだ。
彼女の様子を残したいくつかの動画は本当に荒くて彼女の顔がよく見えない。それでもはっきりとわかるまん丸のガムフーセンには、彼女の「寂しさ」がどこまで詰まっていたのだろう。彼女はベタベタになった銀紙と一緒に「寂しさ」を捨てることは出来たのだろうか。僕が彼女を路上に吐き捨てたみたいに。
ー 了 ー
そんなわけで今回の「短編小説の集い宣伝」が出来ました。
【第4回】短編小説の集いのお知らせと募集要項 - 短編小説の集い「のべらっくす」
テーマは「お菓子」ということですが以前の穏やかな作品よりも多少過激な表現がしたいという思いがあり以前から書いてみたかったテーマを含めてこちらに落としておくことしました。まるで論理性がないようで一貫している話が好きです。途中に出てくるでたらめな歌は数年前に書きかけでPCの中に眠っていた4行詩です。ここに供養しておきます。
ちなみに1月26日正午現在、まだ応募作品が一点も届いていません。みんな飽きちゃったかな……? いや、そんなことはない! アクセスアップしようとか動機が不純でもなんでもいいので、そこの皆さん、小説書いてみてはいかがでしょうか?
【以前の短編小説の集い宣伝作品】
ハロウィンナイトに寄せて『ちいさな黒猫さん』 ~第1回短編小説の集い宣伝~ - 無要の葉
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