あのにますトライバル

君の気持ちは君の中でだけ育てていけ。

『金魚姫』 ~第0回短編小説の集い宣伝~

 

「赤いべべ着た、かわいい金魚」

 少女はそこまでしか歌詞を知らない。祖母が昔よく歌っていた歌だった。少女は「赤いべべ」という言葉の響きが好きで覚えていたけれど、「べべ」が何なのかはよくわからなかった。

 

 少女は「おとめ」という名前が昔から気に入らなかった。家で育てている地元の特産の果物の品種ということと、国語教師の父が「由緒ある物語に出てくるから」という理由で付けられた名前に対して「重い」という感想しか持てなかったのだ。

 

「オトちゃんの名前はやっぱりかっこいいと思うよ」

「おばあちゃんになってもオトメ、なんて嫌だよ」

「でも未歌って名前も平凡で嫌だよ」

「いいじゃん、ミカちゃんは一発で名前を呼んでもらえて」

 

 未歌は少女の幼馴染だった。気が付いたら一緒に育っていたから、彼女がいない日々が考えられない。少女の日常は中学と学校の往復だけで、特にすることはなかった。中学になってからバスで学校まで通うようになったが、部活動で遅くなる時はよく母親か未歌の家の人に車で迎えに来てもらっていた。田んぼや畑はその辺に広がっていたが、その向こう側に何があるかなんて少女は考えたこともなかったし、考える必要もなかった。

 

「進路希望調査出した?」

「うん。一応」

 

 未歌は面倒くさそうに制服の赤いスカーフをはずし、指でいじりはじめた。何となく地元の高校に進学して地元の短大に進んで、そしてお婿さんをもらって家の農園を手伝いながら暮らしていく。そんな母と同じ人生を少女はぼんやりと考えていた。部活動を引退してから「将来の自己実現」なんて急に言われても、将来についてなんて少女はいつまで寝る前に未歌とLINEで繋がっているのだろうかということくらいしか思い描けなかった。

 

「そういえばザキさん、カワイ君と別れたって」

「へぇ」

 

 未歌はそういう話が好きだ。誰々が付き合って、誰それは振られたなどという話を聞いてきては相関図を作って楽しんでいる。全校生徒が百人に満たない中学校ではそのうち組み合わせが尽きるのではないかと少女は不安に思ったときもあった。そもそも少女には「そういう話」を楽しむ気持ちが育っていない。男性アイドルや漫画のキャラクターなどを「かっこいい」と思うことはあっても、同級生に対してどうのこうのという気持ちはなく、「男なんて子供ね」と真剣に思うところのほうが大きかった。

 

「じゃあ、また明日ね」

「うん、また明日」

 

 バス停から未歌と別れてから一人で歩く道が、少女は嫌いだった。ずーっとこのままでいればいいのに、何のとりえもない私だから、何事も起こらず静かに暮らしていきたいというのが少女にとっての「とりあえずの将来の自己実現」だった。

 

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 稲刈りの終わった田に冷たい風が吹くころ、未歌が風邪をひいた。「受験生として自覚がない」など親や先生に言われても体調不良は仕方がない。午後から雨がしょぼしょぼと降るその日、少女は学校からバス停まで折り畳みの傘をさして一人で歩いていた。いつもであれば未歌が一緒にいるのだが、今日は隣がやけに淋しい。バスがやってくるまで待っている時間もとても長い。

 

 そのとき、バス停に傘を差さないで走って来た人物があった。少女の知らない人だった。未歌と一緒であれば特に気にしないのだろうけど、雨が降っているのに傘を持たずに、既にずぶ濡れの男は不審と言うより、とても不憫に思われた。

 

「あの、よかったら入りますか?」

 

 勇気を出して少女はずぶ濡れの人物に傘を半分差し出した。少女より随分と背の高い男の人だったので、少し背伸びをする形になった。

 

「いいよ、君が濡れちゃうでしょ」

 

 ずぶ濡れの人物は少女の方を向くと、丁寧に折り畳み傘を少女に全部かかるように押し戻した。

 

「でも、風邪とか引きませんか?」

「心配ありがとう」

 

 それから二人は何となく言葉を交わし始めた。男は東京の大学に通っている伊吹と名乗り、就活も卒論もひと段落したので故郷に帰ってきているのだそうだ。久しぶりに懐かしい街を歩いていた時に急に雨が降ってきて、傘を持たずに外出したことを後悔していたところだったそうだ。少女にとって、初めて触れ合う年上の男性だった。

 

「オトメちゃん? かわいい名前だね」

「あ、ありがとうございます」

 

 それから伊吹がバスを降りるまで、2人はたわいのないことを取り留めなく話した。それだけで少女はドラマの世界の人物になった気分だった。伊吹の話す東京の話や仕事の話など、全てがテレビの向こう側の出来事だと思っていたのだ。そのテレビの向こうからやってきた人と、時を同じくしていることがまるで想像できなかったのだ。

 

 それまで少女は人並みに生きて人並みに死んでいくのだろうとしか思っていなかった。その「人並み」すら自分の母親のような生き方というぼんやりとしたもので、何がピンで何がキリかもよくわかっていない。「失業率」も「オヤジ狩り」も「行列のできるラーメン屋」も「合コン」も、言葉だけ知っていても自分と同じ世界の出来事とは到底思えなかった。

 

 少女は伊吹に自分が語る情報がひどく幼いことしかないことを恥じた。外の世界を見ているつもりで、まるで見ていなかった。「赤いべべ着たかわいい金魚」の続きを知らなくても平気でいられるような、そんな自分が嫌で仕方がない。赤いスカーフも紺色のあか抜けないスカートも、全部脱ぎ棄ててしまいたい衝動に駆られ、別れ際に伊吹と連絡先を交換することで、少女はその願望を満たすことにした。

 

 その瞬間から、少女はもう何も知らない少女ではなくなった。後戻りができないような情熱と感じたことのない熱い欲動が少女を支配していた。「知る」ということに貪欲に突き動かされた彼女の心は、それが「恋」であると気が付くのにかなりの時間が必要だった。

 

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 季節が廻り、中学の卒業式が無事に終わった。そしてその夜、少女は地元から姿を消した。最初は皆で辺りを探し回ったが、「やりたいことがあるから探さないで」というメモを自室で両親が見つけてから、警察に家出人として届けられることになった。未歌は少女と同じ制服に袖が通せると喜んでいたのに、ひどい裏切りであると一番悲しんだ。既に少女と連絡が取れるものはなく、彼女は誰にも言わず全てを断ち切って一人で歩いていく道を選んだらしい。一人娘を失った少女の両親はお互いに生育の責任を擦り付け合い、それまで明るいことで評判の一家は常に影を背負う形になってしまった。

 

 何故少女が急に家出をしたのか、未歌にはわからなかった。「受験勉強頑張るから」という理由でLINEを控えていたのはわかる。でも、それは自分と一緒の高校に通うためではなかったのだろうか。ただ一度だけ「好きな人がいる」「やりたいことがある」と言っていたのは覚えている。しかし、未歌はそのとき「冗談きついよ」と笑い飛ばした。いつものオトちゃんらしくない、とはっきり言ってしまったのだ。もしかしたら少女は本気で悩んでいたのかもしれない。それをあっさりと否定してしまったから、少女は出て行ってしまったのかもしれない。どれだけ考えても、未歌にはわかることのない話だった。

 

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 少女が家出をしてから10年以上の時が流れた。未歌は高校に進学し、地元の短大へ進んだ後就職して、そこで知り合った男性と結婚をして今では二児の母になっていた。もし少女が脇にいたら、母になった自分を見てどんな顔をするだろうと未歌は思うときがあった。しかし、結局それから一度も姿を見せることのなかった少女はまだ彼女の中で中学生のままで、もう二度と彼女には会わないのだろうという予感からくる安心でもあった。

 

 ある日、実家に戻った未歌に一通の差出人不明の封筒が渡された。封を切ると、見覚えのある字で書かれた長い手紙と、りんご畑を背景に撮られた一組の夫婦の写真が入っていた。手紙にはこう書いてあった。

 

 ミカへ。突然こんな手紙を出したことをお詫びします。謝っても許してくれないでしょうが、今ではたくさんごめんなさいを言いたい気持ちばかりです。あれから私はLINEで仲良くなった東京の伊吹さんという人の家に行きました。伊吹さんは最初は優しかったのですが、すぐに彼女がいることがわかって私の方から家を出ました。その後は地元に戻りたくなかったから、ずっと住み込みのお水をやったりして暮らしてきました。人には言えないこともたくさんしました。いっそ死んだ方がいいかもしれないと思ったときに、今の旦那と知り合って、その人と一緒にりんご農場を継ぐ決心をしました。農家が嫌で逃げ出したのに、結局農家の嫁になるなんて笑えるよね。たぶん未歌ならわかっていたと思うけど、私、絶対農家の娘で終わりたくなかったの。だって狭い世界でちやほやされているなんて、絶対つまんないと思うの。だから伊吹さんと知り合ったときに夢から覚めた気分だった。でも、現実はすごく辛くて、昼寝しているときの夢くらいがちょうどいいのかもしれないと思ったの。だからもう一度農家の嫁になってみようかなって思った。未歌はもう結婚してる? 私は今お腹に赤ちゃんがいます。本当は天国にもう二人います。だから、この子が生まれてきたら絶対幸せにしたいし、できればお父さんとお母さんに会わせたいと思うんだけどどうすればいいかわからないの。だから未歌に先にどうすればいいかを聞きたくて、この手紙を送りました。ちゃんと届いているかな。。。心配です。新しいアドレスは下に書いたので、できればお返事ください。あと、この手紙は私のお父さんとお母さんには見せないでください、お願いします。  オトメより

 

「何が、何が『夢から覚めた』なんだろう」

 

 未歌は手紙を持つ手を震わせながらぽつりとつぶやいた。こんな手紙をもらって、今更連絡なんかできるわけがない。素直に心配していた自分が情けなくて、勝手に出て行った少女に腹が立って、ぼろぼろと涙があふれてきた。未歌は手紙と写真をそのままゴミ箱へ放り込んだ。連絡なんて、できるはずがない。もう、彼女に対して何かをしてやる必要も義理もない。

 

 今頃、少女はどうしているのだろうか。箱にりんごを詰めているのだろうか。それとも、煙草をふかしているのだろうか。どれもこれも、たわいのないひとりごとで、もう少女には届かないことを未歌は涙を流しながら認めることしかできなかった。

 

  了

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 というわけで、例の企画の参加者が少ないので言いだしっぺということで宣伝用にひとつ書いてみました。


【第0回】短編小説の集いのお知らせと募集要項 - Novel Cluster 's on the Star!

 

 「金魚姫」本編は4213字ということで、このくらいのボリュームを想定してもらえると書きやすいかと思います。「りんごは最後に取ってつけたようにしか出ないじゃないか!」とお思いの方もいると思いますが、一応本編の隠しテーマとして全体的に混ぜているのであえてわかりにくいようになっています。直接「りんご」って書くと興ざめしちゃうからね。

 

 あと今流行りのような話になっていますが、たまたまです。テーマがテーマなので、現代の女の子を出すとこういう感じかなぁ……という構想です。本当にたまたまです。それ以外にも無駄に人名やら童謡やらでレトリックをたっぷり詰め込んだので謎解きしたい人は謎解きして遊んでください。

 

 一応今週の木曜日まで期限がありますので、もう少し話を練ってみたい方は練ってもよろしいですし、今週末で書いてみた! っていう人は早速投稿してもらうと嬉しいなーって思います。受身で出された作品を読むだけより、自分も参加して読むと味わい深いと思いますよ。是非是非書いてください! お願いします!