キャラメルコーンは嫌いです。ピーナッツが嫌いなので間違えてピーナッツを食べちゃうんじゃないかって思うのが嫌なんです。最近のキャラメルコーンには入っていないものもありますが、ピーナッツ入りの時点で許せません。ピーナッツはピーナッツ和えしか食べません。
さてキャラメルコーンの短歌が話題になっていて短歌好きとしては嬉しい限りです。ただの短歌ファンですが最初のブコメでちろっと書いておいたことをもう少し書いておこうと思います。
「今すぐにキャラメルコーン買ってきて そうじゃなければ妻と別れて」
確かにパワーのある歌だと思う。キャラメルコーンというポップで甘いスナックと「妻と別れて」という怨念のこもっているような言葉が混在しているところがこの歌の一番の魅力だと思う。だけど、ただの不倫の歌にするのはもったいないのでブコメ通りの邪道な詠み方をしてみる。短歌に限らず韻文および散文は全部言葉にしているとは限らないし、書き手の主観に頼っている部分が大きい。だからわざと表現したい部分を捻じ曲げて大きくしてオーバーにすることもある。そんな観点で最初この歌をこう読み取った。
「今すぐにキャラメルコーン買ってきて」(そうじゃなければ妻と別れて)
そもそも「妻と別れて」なんて言葉はシチュエーションとしておかしい。自然に発語するなら「あの人と別れて」が一番ベターかと思われる(次点で「奥さん」か)。そこから浮かぶことは、「これは丸かっこに入れて、実際には発語していない奥底の心情」と読むことが可能と言うこと。
不倫という関係を舞台にして、女性側の心情を詠んでいるのは変わらないと思う。会社の中でちょっと同僚という垣根を越えそうで超えない関係の男女がいて、女性側としてはかなり本気だけど、妻子持ちの男性はまだ友達以上恋人未満どころか男友達の延長のように扱うところがある。男性のほうはこれ以上の関係は望んでいないけど女性の気持ちに薄々気が付いている。でも女性はそんな男性がもどかしくてたまらない。
「外回りついでに何か買ってくるけど、何か欲しいのある?」
「キャラメルコーン買ってきて」
「キャラメルコーン? なんだガキっぽいな」
「ガキで悪かったね、じゃあ今すぐ買ってきて」
「今すぐ? ははは、それは難しいな。わかったよ、キャラメルコーンな」
男性としてはこのままの関係が居心地がいい。でも女性としてはいっそこの想いが叶わないならば殺されてしまいたいくらいの痛手を既に負っている。彼が子供の話をしているとき、彼が奥さんの手作り弁当を広げているとき、どうしてそこに自分じゃなくて別の女がいるのか許せない。でも、そんな自分も許せない。無理難題を押し付けて*1、できれば遠くに行ってもらいたい。そして二度と私の前に帰ってこなくてもいい、あの人と一生幸せになってもらいたい。
「おーい、帰ってきたぞー。ほら、キャラメルコーン」
「なに、遅いよ」
「無理言うなよ、これでも頑張ったんだぞ」
「キャラメルコーンひとつ買うのに何を頑張ったの」
「そりゃ、俺が金を一生懸命出したわけだし……」
「何それ」
「あ、笑ったな」
男性としても家族に後ろめたい気がないわけでもない。他にこんなに仲良くしている未婚の女性がいると知ったら、妻はいい気分にならないだろう。でも所詮「そういう関係」じゃないしそこまで落ちぶれたくもない。でもキャラメルコーンひとつくらいでそんな気分になる自分がそれほど好きでもない。でも、そんな平凡なプライドでこの女性を傷つける気は一切ない。
身を引くべきは自分であると、女性は知っている。それしか選択肢はない。本当は大好きなんだけれど今は食べたくもないキャラメルコーンの袋の顔だけが能天気にニヤニヤしている気がする。
(そうじゃなければ、妻と別れて)
私に気があるなら、キャラメルコーンなんか買ってこないで。
キャラメルコーンなんていらないから。
私はあなたを諦める口実ができるから。
無駄に甘ったるいキャラメルコーンは男性の甘さと、女性の後を引く後味のしつこい熱情と考えると、また更にこの短歌にふさわしい。ストレートに情事の後の戯言として詠むのも女性のやるせないワガママが出ていて好きですが、個人的に短歌は想いが通じ合う前に詠んだもののほうがパワーがあると思い、こんな邪道解釈をしてしまいました。要は短歌の世界ではツンデレが強いと思うのです。佐藤真由美さんの歌集、自分も読んでみたくなりました。
最後に、やっぱりキャラメルコーンはピーナッツが入っているので嫌いです。自分ならワガママの代償に何を頼むだろうか。多分めちゃくちゃガキくさいもののほうが趣旨に合っている気がする。
今すぐにねるねるねるね買ってきて そうじゃなければ妻と別れて
ガキくささが出ていればいいというものでもないようです。