読み切り漫画を読みました。面白かったです。
それで、面白かったついでに「このシーンだけ抜いてもかなりすごいな」と思うところをちょっと書いていきます。
読み切りなので読んで貰いたいのですが、一番気になった箇所は「母親とフットサルで対戦することになった少年が母親に勝つために家を(わざと?)散らかして家事の量を増やして嫌がらせをするところ」です。このシーンだけでこの家庭の問題点がガーっと浮き上がるの、何て言うかすごいなあと思いました。以下家族のそれぞれの視点でこの行為を中心に見ていきます。
○息子(圭人)
彼はなかなか性悪に描かれてますが、10歳という年齢ということもあり第二次反抗期なんだろうと思います。要は親離れの時期なのです。この作品のテーマのひとつが「子離れ」でもあるので、こう言った強烈なギャングエイジ全開の子供が出てくるのはアリかなあと思います。それに弟がいるので、より兄貴っぽく振る舞いたかったのかな。そういうわけで彼自身は成長の一環であるため、この文章書いてる人はあまり憎たらしくは思いませんでした。「ああ、かなりリアルな子供だなあ」って思いますね。すごく上手い。こういういきなりイキる子いる。大体高校生くらいになると落ち着く。
しかし、例の「おっかあを疲れさせる作戦」は完全に母親に甘えた甘ったれです。すっごい甘えてます。何故こんなになったのかと言えば、それはこれまでの積み重ねもあると思うのです。全体的な描写を見る限り、スポ少ママという存在の悪いところが濃厚に出ているなあとも思いました。
だって、大体の家庭なら「なんじゃこりゃふざけんなママは片付けないぞワリャこのクソ坊主が悔しかったら自分で飯作れや!」で終わりだもの。そこまで口汚くなくても「自分で出したものは自分で片付けなさい。ママは知りません」で終わり。それがママへの攻撃になるってことはつまり、そこから先をママが「やってしまっていた」ことがここでぐーっと浮き出てくるのね。スポ少ママっておそらく何でもかんでも先回りして子供がスポーツを出来ることに専念していると思うのだけど、あまりにも何でもかんでもやってあげるとそれが当たり前になって、「自分で自分のことをやる」ってことに意識が向かなくなる。成功したスポーツ選手なんかは「僕を支えてくれた皆さんのおかげです」って言えるんだけど、ここで圭人くんは完全にママを下に見ているわけですね。
じゃあなんでママを下に見てしまったのか、というのは後で書くとして圭人君自体は本当にただの親離れの時期なんだろうなって思った。周囲に引かれてるのに頑として俺は正しいんだムードを出すところとか、本当に思春期入りたて少年で可愛い。キャラの描き方がすごく上手だと思った。すごい。
○母親(成美)
典型的なスポ少ママだったのだろうなと思う。息子の応援にのめり込んで我を忘れた結果息子にマウントを取られる形を作ってしまい、その挽回のための話がこの作品だったのかな。最終的に息子と和解できてよかった。
犬の躾でよく言われるのが「犬は序列の生き物なので、家族の序列を非常に気にする」ってものがあります。「家族間に序列なんて!!」とアレルギー起こす人もいるかもしれませんが、まあ落ち着いて聞いてください。犬は序列の生き物なので、飼い主の下につけば従順に言うことを聞きます。しかし、自分が一番上だと認識すると人間を馬鹿にして全く言うことを聞かなくなります。そのため、犬の躾は順位をわからせることなんていうのがよくある話です。
実はこれ、人間でも起きる話です。自分より下の人間には錯覚すると何をしてもいいと思う人間が一定数存在します。そういう人に対処するためには、もうマウント返ししかないのです。「誰がご飯作ってると思ってるの!!」に嫌な気持ちを持つ人もいると思うけど、こうなった時の最適解は多分これなんだと思う。息子がマウントを仕掛けてきたら、ママも絶対的に折れないマウントを取り返す。「ママはサッカーが出来ないバカ」と言われたら「ハァあんたは合気道出来ないでしょうがバーカ」と返すしかない。
こんな風に書くと「なんて乱暴な」と思われそうだけど、要はママの中にある折れない軸を見せつけて、「自分の身体の延長上に存在する便利な道具」扱いから1人の人間としてママを認識させることが大事になってくると思うって話。主人公サイドの元バレー部のママのボールさばきを見て改めてママのすごさを知る息子っていうシーンと対になるところだと思います。ママも1人の人間なんだって思わせないと。家の片付けさせてる場合じゃないんだよ。片付けは自分でやれ。ママは頑として片付けるな。この仕打ちは「あーそー敵ならママは外で1人で食べてくるから、もう家に帰ってこないから、じゃあね!」くらい言ってもいいんじゃないかなあ。
いつだか話題になってたけど、こういうとき瞬発的に怒るのって大事かもしれないなと思う。おそらく日々の積み重ねで怒るべきところで怒らなかった結果、ここまで相手を舐め腐った関係まで悪化してしまったのかもしれない。それに気がついて、奮起してここまで関係を改善できたのはすごくよかった。最終的に彼女が頑張ったから、ここまでいいお話にまとまったのだと思う。現実はそうじゃないから。
○父親(圭太郎)
小物。わかりやすい悪として登場するのですがおそらくこの人全然悪気がありません。だからきっと何が悪かったのか自分ではわからないと思います。今回のことで子供含めてドン引きした周囲が間に入ってくれることで、自分が何をやっていたのかをわからせる必要はあるかと思います。途中でシングルマザーに「ぶっちゃけ離婚案件よ」と言われているところ、これ本人は焼き肉の席で言われたりしているのかな……?
それに「テスト前だから息子の気持ちをアゲないといけない」っていうのがよくわからなかった。ほぼエキシビジョンマッチのような試合で母親チームに負けたことを引きずるメンタルならそれはそれでプロとしてやっていきたい人ならどうなんだろう……? シビアな人なら最初から「テスト前だろうと現実を見せてやれ」って言いそう。少年スポーツの世界では実際どうなんだろう?
つまり、テスト云々は口実で単にこの人が母親に負けたくないからメンタルを折るような真似をしても勝ちにいくってことですね。多分この人学生時代からそういうこと繰り返しやってるんだろうな。うーん、小物!
ここからはこの作品には書かれていない作者の個人的な読みですが、おそらくこの人は寂しかったのだと思います。何故なら、父親ってある一点において母親には絶対勝てないんですよ。だから息子に構って貰いたくてママを共通の敵にしたてることで息子を独占していたのではないでしょうか。つまり、この人も妻にすごく甘えている。
これ、男親でやるとすごく生々しいのですが女親はそういうこと平気でやりますよね……だからこの人が一概に悪者かっていうとそうでもないよなと思います。みんな、相手にはリスペクトを持ちましょう。
○最後に
個人的に序盤の「人んちの子供の習い事なんてどーでもいいんですけど正直」っていうのがかなり面白かったです。そりゃそーですよ、ぶっちゃけ人の家の話なんてどうでもいい。どうでもいいのですが……。
それじゃあ、その人の話を一体誰が聞くというのだね?
ぶっちゃけ、現代って他人の話を聞く余裕ってないと思うんですよ。娯楽のない昔だったら旅人の話なんかを聞きに囲炉裏端に集まる、なんてこともあったかもしれないのですが娯楽が飽和している今、人の家の愚痴なんてものは聞いても意味がないって思うと思うのです。
芦原家の問題は、お母さんが一歩を踏み出すことで表面化して救済の道が見えてきました。圭人も今回の件で「君の態度は一般的なものではないし大変格好の悪いことだ」と認識できたと思います。そこで「いや、家庭の問題は家庭で解決してよ」ってなったらそれはそれで彼らは自滅の道しか見えないですよね。やっぱり「人に相談する」っていうのはすごく大事だと思うのですよ。他人に話を聞いて貰えたことで承認してもらうっていのがすごく大事。自分の承認は満たされたいけど他人の話なんか聞きたくないよって人は多いのではないだろうか……?
母親世代の頑張りや親離れ子離れがテーマに見えて、実はそういう「家庭の悩みを地域で共有する」みたいなのもテーマに入ってるよなあと思いました。他人と関わるのもコストがかかって大変な時代ですが、何とかうまく共有できるといいですね。おしまい。