あのにますトライバル

君の気持ちは君の中でだけ育てていけ。

何事かの善悪についての雑感

思うところあるので少し書いてみる。ナチスの善し悪しの話ではありません。

 

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mazmot.hatenablog.com

 

 

結論

何か事象に対して、特に小論文の添削においては「よい」「わるい」を付けて全部を否定や肯定するのはナンセンスだと思う。

 

ポジションで変わる善悪

元記事では「ナチスもよいところがあった」という主張をする人に対しての批判*1で、まつもとさんの記事はその記事を受けて歴史に対する良し悪しの価値判断について書かれたものである。

 

この話題について思うのは、源氏物語のことである。千年前に生まれた小説だが、当時から絶賛され「源氏物語を読むまで死ねない」と仏像を掘り進めるオタクが現れるくらいである。ところが貴族の世の中から武士の世の中になって、質実剛健を良しとする時代になると「源氏物語?あんななよなよしてるのはなぁ」となり、「自分の父親の妻を寝とって子供を設けたから自分も妻を息子のダチなんかに寝盗られるんだざまぁwwww」みたいな解釈も生まれていく。そんな解釈の中で「そんなことはない!もののあはれヤベーじゃねえか!」みたいなオタクも登場し、現代では「マジ光源氏ロリコンなんですけどwww」みたいな解釈が一般的なものになっている。


実際平安時代の文学見ていると「好きな人がいるけど告白できない。つらみ。出家しよう」「旦那さんがいる人を好きになってしまった。死ぬしかない」みたいな表現がバンバン出てくるし、恋煩いで簡単に失せてしまう。確かに現代からしてみたら「軟弱だなぁ」と思うところもあるけど、当人たちからしたら「恋愛=結婚=出世」みたいなところがあるわけでかなり必死なわけで。


例えば「志望の大学に行けなかった」という理由で自殺をした若者がいたとして、「何もそんなことで死ななくても」と思う人もいるし、「その辛さはよくわかる」と思う人もいる。また家族親戚全員医者や士業という家庭環境で育つ人と中卒高卒が大部分という人でも大学に落ちて自殺する人への価値判断は変わってくる。大学進学率が少ない国や中国や韓国のように受験に人生がかかってるような国でもまた変わってくる。


そんなわけで歴史に限らず何らかの事象に対しての価値判断というのは時代や地域、その人の性格や置かれた環境によってかなり変わってくる。

 

ナチスを全肯定する小論文とは?

そもそも元記事の「ナチスを全肯定する小論文」自体が怪しいと思ってる。根本的に小論文には設問が存在していて、その設問に相応しいか否かで判断するべきであってナチスを全肯定することが設問と合致するのであればそれはそれでいいとして、「こういうこと書くと海外ではその場で射殺されてもおかしくないから気をつけろよな(ニヤリ」くらいの指導でいいと思ってる。件のナチスファンが落胆したのは単に想定内のお決まりごとを言われてつまらなかったからかもしれない。その昔「ここがヘンだよ日本人」で軍服マニアがスタジオでドイツの軍服着てナチス式の敬礼やってドン引きで済まなくて出演者ガチギレに発展した事件とかの話をしたら喜んだかもしれない。

 

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この話題はナチスの善し悪しよりも目の前の生徒と向き合ったかどうかだと思うのでナチスの話は対して重要ではないと考えている*2ナチスでなくてジョン・ゲイシーファンなら?阿部定ファンなら?ゴリゴリのマルクス主義者だったら?クメール・ルージュ一筋だったら?天皇ファミリーアイラブユーだったら?それらを「完璧な文体で肯定」していたからどうなのかというと、やはり生徒との対話が重要としか思えない。

 

個人的に、もし生徒がトランプ政権を全否定してオバマ政権を全肯定するような小論文を書いてきたとしても「本当にトランプ政権はダメなところしかないのか、オバマ政権は素晴らしいところしかないのか」と返すと思う。一限的な見方ではなく、何故トランプ主義は受け入れられたのかとかそういう背景を考えないと何かを論ずることなどできない。共和党支持者から見る民主党のいけすかねえ奴らという視点がなければ、「トランプ主義者はクズですね殺してもいいんじゃね?」となり、新たなホロコーストの火種になりかねない。

 

もし小論文でホロコーストについて扱う時、同時に「何の罪もない非戦闘地域の一般市民を一方的に何万人も焼き殺した国があるよ。その国は悪い?」という価値観のヒントは与えるようにしたい。ナチスが悪いというのは覆らないこととして、「ナチスだけが悪いのか」という視点はいつも必要だと思う。他に同じような虐殺をした国は?そもそも何故ナチスは生まれたの?などなど。その上で「やっぱりナチスは悪かった」とするのか、特に考えずに「ナチスは悪いから悪い」「ナチスは悪くないから潔白」とするのでは話が変わってくる。

 

ナチスは悪いと思ったから悪いのです、僕も気をつけようと思います」では小学生の作文になってしまう。ホロコーストについて述べるのであればナチスが何故ホロコーストをしたかの背景とそれによる損失や非道な実態を踏まえて今後虐殺の起こりうる背景に注意するみたいな感じでまとめさせたい。

 

肝心なのは「だからナチスは悪い悪くない」ではなく、「こういうことが起こった、それはよかったよくなかった」という視点に持っていくことだ。ただの作文ではなく小論文なので、主観ではなく客観的に対象を捉える訓練が大切である。それが「ナチスの悪行を相対化している」と言われるとそうかもしれないけど、とりあえず相対化してみるというのが小論文の添削だと思うのです。例のナチスファンには「よく調べてあるね、次は悪いことをメインに書いてみて」くらい言ってみたい。

 

戦争はこわい

ここまで書いてなんとなく思ったんだけど、戦争っていうのは人命や環境、財産を奪うだけじゃなくて価値観そのものも変えてしまうから恐ろしいなと思った。もし先の大戦で勝ったのが連合国側でなかったら、ナチスじゃなくてチャーチルとかが極悪人になってたのかもしれない。原爆投下をしたアメリカが非道の行いであると後ろ指をさされ、アウシュヴィッツは「まあ酷いけどしゃあねえべ」くらいの価値観だったかもしれない。


そんな感じで今生きていて当たり前になっていることも100年後くらいには「時代遅れw」と嘲笑されるかもしれない。今の最先端は次の時代の流行遅れだ。だって3年前に「飲食店で酒飲んだら悪人だよ」なんて言ったって誰も信じなかっただろうしさ。今や1歳の子でも店に入ったらアルコール消毒する時代ですよ。

 

つまるところ

「よい」「わるい」というのは事象そのものプラス「ジャッジする人のポジション」がかなり関わっていると思う。だからジャッジする立ち位置に敏感になることが大事だと思う。じゃあこの記事を書いてる人はどんなポジションなのかって?強いて言うなら「小論文の添削をする人の立場」かなぁ。ナチスを完璧な文体で肯定したくらいで指導できなくなるならナチスが悪かどうかではなく、その生徒の問題なんじゃないかなぁと思う。元の話って実はナチスの是非というより小論文の添削というか生徒との向き合い方の話だよね。おしまい。

 

*1:この炎上は元記事で解説している以前に単に「ナチスの政策で肯定できるとこないっすよ」と雑に切ったので雑な返しが発生しているだけの雑な炎上だと思う。言葉を尽くせば回避できたかもしれない。

*2:個人的にこの件に関しては「ナチス全肯定よりも完璧な文体ってなんやねん欠落した文体ってあんのか?あ?」と思ってるけど気にしたら負けなので気にしない。

限界集落に関する雑感

こんにちは。突然ですがこの前ドラえもんについて1万字ほど書いたのですがそれほど反応がないので誰かなんかこの話題でもっと熱く語ってくれないかなと思っているところです。

 

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それで定期的に出る「はてな村は衰退しました」の話題に乗っていきます。ドラえもん全然関係ないけど箇条書きで思うところ書いていきます。ここでは主に「ブログを個人で書いていく」という行為に絞って考えます。

 

orangestar.hatenadiary.jp

 


ブログ以外のプレイスに行った

ぶっちゃけブログって孤独なんですよ。喫茶店と一緒で盛況なときは常連がワイワイして賑やかなんですけど、それ以外はオーナーがメニューの試作をひとりでし続けるみたいなところがあって、ずっとひとりでやっていくと別の居心地いいところに行きたくなるもんだと思うのです。TwitterYouTube、その他いろんなところへ行って帰ってこないのかなぁと思います。


攻撃的な話題の増加

個人的にこれは大きいと思う。ネットの炎上論で悪意ありきの加害者像を想定しているものが結構見られるけど、実際は「こいつを苦しめてやろうヒッヒッヒ」という絵に描いたような悪いやつっていうのはそんなにいなくて、「命を大切にしない奴は嫌いだ!死ね!」みたいな感じの人が多いんじゃないかと思ってる。そう言う感じが多いと、精神的にも良くないので自分も離脱することはあります。ジェンダーでいざこざがあった時の増田は精神に良くないです。


コミックエッセイの登場

最近話題になるのはだいたい文章じゃなくて漫画のような気がする。ブログ記事にもだいたい漫画がついている。漫画が描ける人のみ語ってもヨシ、という風潮がどこかにある気がする。なんかブログを書くという敷居が高くなってる気がしてる。そんなことないよとは言いたいのだけど……。


コンテンツになることへの忌避

コミックエッセイに限らず、何か表現して注目されるとほぼ確実に謎の悪口を浴びることになる。特にコミックエッセイの作者は賞賛も浴びることになるけど不特定多数から心無いでは済まない罵声を浴びることにもなる。例えば何か実績のあるメソッドを公開したとしても「そんなに優秀なのが気に入らない」とか言われる。出産報告にまで「こんな世の中に子供を産み落とすとか親のエゴだ」「贅沢品の子持ちマウントですか」「そんなに祝福されたいんですか賎しいですね」というコメントがつくことが想定される。そんなの気にしてたら何も出来ないけど、気になるのが人間だし、そんなの正直見たくないから自分のことを発信する人は以前に比べて減ってきたのではないかと思ってる。心無い扱いを受けたり、ネットのおもちゃにされてしまったりするくらいなら黙っていたほうがいい。だからこんなご時世にブログを律儀に書くって言うのはすごいことなんだと思う。


単にめんどくさい

要は「なんかいろんなことを考えるのはもう面倒くさい」というところなんだと思う。以前に比べて時事ネタに対してあーだこーだいうブログが見られなくなったのはブログが目立たなくなったからとか互助会のせいとかいろいろ考えられるけど、1番は「そんなこと考えたくない」かもしれないなと思う。律儀に考える人もいるだろうけど、上記のように叩かれるかもしれないリスクを考えたらわざわざブログにする労力もないと思う。個人の日記帳を公開するという時代が終わるのかもしれない。


価値観の多様化

以前「部屋を掃除したらキレイになりました」という記事に「掃除したらいいんですね!」「それは気が付かなかった!」「掃除!目からウロコです!」みたいな反応がついていてびっくりしたことがある。その時は返報性の原理を狙った雑なコメントだと思ったんだけど、今なら「本気でそんなコメントをしていたかもしれない」と思う。前提条件が合わなければ会話も出来ないし、話題の共有も難しい。共有ができないと、ブログを書く楽しみが半分くらいなくなる気もする。


とは言っても

なんかこういう文章を書いていろんな人に見てもらうことはやっぱり楽しいし自分の考えてることを書いておくことも楽しい。楽しいのでいろんな人がいろんなことをもっと気軽に楽しく書ける世界になるといいなと思いました。難しいね。

 


思いついたことは以上なんですが、この記事を読んで「とりあえずなんかブログ書いてみようかな」と思った人はブログ書いてみてほしいなと思います。書くことが思い浮かばなかったら「好きなドラえもんの道具」「好きなドラえもんの映画(大長編)」「好きなドラえもんの話」というお題で書いてみてください。はてなブログで書く場合この記事のURLを記事内に挿入してもらえればこの記事書いてる人は反応できるので、「俺はローが好きだぜ!」とか「ギシンアンキののび太が好きだ!」とかそういう話題には乗っかっていく所存なので是非書いてください。星野源ドラえもんが好き?どんとこい!おしまい。

 

ドラえもんに関する果てしない妄言4

今回で終わります、多分。


前回のあらすじ

ドラえもんスタッフの感性と相容れない。

 

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わさドラのここがなんか嫌

最初にも書いたけど声優が嫌いなわけではない。強いて言うなら「演出」がなんか嫌だ。


藤子・F・不二雄先生の漫画の特徴として「無駄のない展開」というものがあると思う。ドラえもんに限らず極限まで削ぎ落としたみたいな話の骨をバーンと豪華に見せる、みたいなところがある。ドラえもんも例に漏れず、メタな手法なども用いて非常にテンポの良い運びになっている。


では新ドラえもんはどうかというと、テンポの面でどうにも「違うだろ!」みたいに足踏みしているようなところがあると思う。特に「のび太の恐竜2006」のティラノサウルスと基地で会うシーン。いやいらねえだろあんなおふざけ。何でああいう追加シーンを入れたのか?差別化するため?子供向け?それこそ子供舐めてない?そんな疑念に塗れて新ドラえもんが始まった。つまり新ドラえもんを最初から信用できなかった。無印良品の展示品にドンキホーテのPOPを付けたみたいな違和感と言えば伝わるかな。


その点「新・大魔境」は追加のシーンこそあれ基本忠実に話を進めていたところがよかった。「原作通りでよかった」という感想が結構あったので、やっぱり改変を苦々しく思っている層も割と厚いのではと思ってる。よかれと思って改変するけどそれがウケないのを覚悟してるかと言うところが毎回微妙だなと思ってる。


あと全体的に映画もだけど、「これを出しておけばファンは喜ぶだろう」みたいなあざとい小ネタが拗れたファン的には全体的にはずしまくってて辛い。個人的に気に入らないのは原作ではモブでしかなかった安雄とはる夫がなんか毎回絡むのマジでやめてほしい。モブはもう少しモブの顔をしろ。あとしずちゃんの友達ももう少しモブ感欲しい。モブを「わかってますよ」という顔で出してモブ感を潰してるとしか思えない。


個人的にモブ潰しは「月面探査記」の冒頭がひどい。マジであの冒頭はひどい。月面探査はあのシーンでドラえもん感が当社比2割減くらいになってる。天国のある雲はどこですかくらいのインパクトを狙ったのかもしれないけど、なんか違うんだよアレは。あと月面探査の地底人のフォルムがなんかもうなんかアレであれはアレでかわいいけどなんか違うんだよもう。


まとめると

さて長々と、本当に長々とやってきたけど結局何が言いたいのかと言うと「どこ向いてドラえもんやってるのかイマイチわからん」というところが嫌なのだと思う。新ドラになってから特に映画で「親子の愛」みたいなのがたまにあるけど、それってドラえもんでやることなのかなっていうのがすごーくすごくあって、ひみつ道具の兼ね合いで「親子の愛」をやるのは別に構わないんだけどわざわざ「親子の愛をやろう!」ってスタート地点にするのは違うだろうと思うのよ。


何故なら「親子の愛」で感動するのは親世代であり、ちびっ子ではない。でも宝島とかいう「親子の愛」起点の映画が出てきているということは、もうドラえもんは親世代にアプローチを変更してきているということなのだと思う。主題歌を流行っているアーティストに頼んだりゲストに有名人を起用したり、お話を作るというより「いかに売れるか」に重きを置いている気がしてならない。藤子・F・不二雄特有のテンポのいい展開を切り捨ててわざわざオリジナルギャグを挟まないと気が済まない人たちなんだもん。


それが顕著に出ているのが「ゴールデンヘラクレスオオカブト」というドラえもん映画史上最大の大事故のアレだと思う。真面目にね、ドラえもん映画がどうこう以前に映画としてもどうかと思うのね。普通に考えてさ、「モアよドードーよ永遠に」を下敷きにしているのにモアもドードーも序盤しか出てこないで島作りのワクワクも特になく、何故かオリジナルキャラがたくさん出てきて急にゴールデンヘラクレスオオカブトという訳の分からない存在が現れて、タイムパラドックスネタなのに時系列ちゃんと描写しちゃってるから時間移動ネタの良さを最大限殺しにかかってるし、タンキくんがやりたかったのかなとも思うんだけどじゃあモアよドードーよは当て馬かよ!と怒りを顕にしないでもない。そしてトドメは脈絡なく「家族大事だよね」って話が始まるところ。知らねえよ俺はモアよドードーよが見たかったんだよ。カブトムシ戦車はカブトムシ戦車の回でやってくれよ。モアよドードーよはどうしたんだよ。やるやる詐欺レベルだぞ。おい責任者出てこい。戦争だ。


本家ドラえもんにも「親子の愛」テーマの話もたまにある。思い出すのは「のび太のなが~い家出」とか「野生ペット小屋」とか。家出のほうはギャグありき*1だしペット小屋も個人的に親子の愛だと思ってるだけで主題は「のび太の恐竜」のリテイクだし。「僕の生まれた日」?あれは天丼ギャグだろ。


そうするとまた一番最初の「感動するなあ」になるんだけど、「感動」という言葉をメインにするのはやっぱり違うんだよ。例えば新恐竜の番宣もなんかのび太が叫んでるところばっかりで「ここ泣かせるとこですよー!」みたいな露骨な部分を取り上げるけど、映画ってそういうんじゃないでしょ。番宣はもっともっと恐竜のワクワクする部分を全面に出していかないと。映画のメインは「恐竜」であって「成長」はその次なの!!!魅せたいのはあくまでも恐竜なの!!!!その辺が「保護者向け」だって思うのだ。


また最初に戻るけど「泣ける」のは「泣く予定がなかったから」の方がインパクト強い。美女と野獣の実写でまさかあんなエモい追加シーンが入ると思わなくてハンカチの準備なんかしていかなかったよ。だからこそあの追加シーンが非常に印象に残ってる。非常に丁寧なリメイクだったと思う。それに引き換え新ドラえもんは……もうやめよう。疲れた。

 

そろそろエンディング

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どんなに嘆いても先生は帰ってこないし走り出した商業主義は止められない。商業主義に染まったドラえもんドラえもんと認識する子供たちに罪はない。ドラえもんはおもしろいもんな。うん。


そんなわけで長々とやってきた今回の話。
最初は前後編にするはずがどんどん長ーくなってきて止まらなくてこの有様です。今から宇宙小戦争に期待は全くしていません。また新恐竜みたいになんかやらかしていたら起こしてください。それでは。

 

 

パラレル西遊記の音楽大好き。主題歌の入りが素晴らしい。

 

*1:120分もいないんですよとかのび太が3時間半ぶりに帰ってきたんだってという台詞が全ての作品だと思ってる。

ドラえもんに関する果てしない妄言3

まだやるんだよ。


前回までのあらすじ

新ドラで感動路線にしてる奴を殺して僕も死ぬ。

 

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おことわり

この話全体において何度も繰り返しますが「新ドラは声優がダメじゃなくてドラえもんの取り扱いの概念自体が解釈違いなんじゃヴォケ」ということは頭に置いておいてください。声優カンケーないからね!


それを踏まえて今のオープニングは何じゃ誰だこりゃ責任者出てこい爆弾を出してくれ! と騒ぎまくるエントリです。星野源さん大好きな方、今のドラえもんに満足されている方は決して読まないでください。いや、今のドラえもんのオープニングに不満を持っている人だけが読んでくださいっていうくらいもうギッタギタのメッタメタに怒ってるので引き返すなら今ですよ。とはいえ、とっくに呆れた人はもう呆れてここまで読んでないだろうからやっぱり2ページくらいやる。あと星野源さんは最近おめでとう!でもやるからな!!!

 

やるったらやる

少しだけ不思議な普段のお話
指先と机の間2次元


えーとですね、まずですね、藤子先生が「SFをすこし不思議」と言ったのはわかるんですよ。それに引っ掛けた歌詞なんだってのも理解できるのです。


だからこそ許せないのです。
(理由は後述)


ちなみに個人的な好みなのですが、紙に描いたキャラクターを「2次元」と表現するのめちゃくちゃ嫌いです。

 

落ちこぼれた君も出来すぎあの子も
同じ雲の下で過ごした次元
そこに4次元


普通にのび太出来杉のことだと思うんだけど、のび太と対になるのが出来杉というのが納得できない。のび太と対になるのはドラえもんだろ!?!?そもそも出来杉はストーリーを回すためのモブ昇格なんだから出来杉の存在に注目してしまうとドラえもん世界のバランス結構崩れるよ。そもそも出来杉というキャラ自体ギャグの産物だと思うんだけど、真面目に出来杉研究してる人もいるしそれはそれでアリだとは思うけど主題歌はねぇわ。ちびまる子ちゃんで例えるとたまちゃんについて触れてなくて野口さんについて触れてるくらいの感じです。

 

機械だって涙を流して
震えながら勇気を叫ぶだろう


機械……??
ドラえもんが機械??


待てや。ドラえもんが涙を流して叫ぶ勇気ってなんだよ。
大長編の話だったら、だいたい震えながら勇気を出して叫ぶのはスネ夫だろ。
いや、実はスネ夫は機械だったのかな。


そもそもドラえもんを機械と形容すること自体に甚だ嫌悪感がある。そもそもドラえもんという漫画は「勇気を叫ぶ」漫画ではない。これが鉄腕アトムならわからないでもないけど、ドラえもんは勇気は叫ばない。ドラえもんはバトル漫画ではない(ここ大事)。

 

だからここにおいでよ一緒に冒険しよう
何者でもないけど、世界を救おう


待てよ、ちょ待てよ!!!
なんなんその「冒険=世界を救う」っていう偏見は。
冒険っていうのは別に世界を救うとは限らないというか、世界を救う冒険なんかそんなにないぞ。


大長編に限れば「ガチで世界の危機に立ち向かう」のは海底鬼岩城や鉄人兵団、魔界大冒険などかな。あとは宇宙開拓史や大魔境、アニマル惑星やみたいに訪問先で敵をやっつけるパターンも多いかな。竜の騎士や創世日記みたいにわかりやすい敵がいないものもある。パラレル西遊記に至っては事の発端がドラえもんの大チョンボで世界を救うというか元に戻すストーリーだけど。


それも踏まえて、「世界を救おう」という表現の違和感が半端ない。最近のドラえもん(最近のラノベみたいなニュアンスです)では違うのかもしれないけどな!!ドラえもんは世界を救う話じゃねーんだよ!!!大長編は冒険する話であって世界を救うのは二の次!

 

いつか時が流れて必ずたどり着くから

君をつくるよどどどどどどどどどどどらえもん

 
つくるよ

つくるよ

つくるよ

 

……これドラえもんの二次創作踏まえてない?
二次創作でのび太ドラえもんの制作者だって奴じゃない???


あのさあ

 

公式に二次創作持ち込んで欲しくないんですけど!!!
それならドラえもんズも片倉設定もなかったことにしないで平等に扱えや!!!
ドラえもんはオイルが薄い部分なんやろ!!!
ドラえもんが青いのは青ざめたからだろろろろ!!!
悲劇の素すら認めてねえんだよこちとらよお!!!!
おい親友テレカ覚えてっか!????


この「つくるよ」は最後のサビで、AサビBサビは「君に会えるよ」だって言うのは知ってる。それならまだわからなくもない。「つくるよ」は歌の最後のお遊びくらいだっていうのもわかる。でもテレビで流してるってことは、テレビとしてはそれが公式だって言ってるようなもんじゃん。


いやこれはかなりのイチャモンだっていうのはわかってる。わかってるけど、ドラえもんの公式としてやってほしくないのよ。ドラえもんを「作る」っていう存在にして欲しくないのよ。ドラえもんはともだち。ともだちは作れません。以上。


解釈違いの根本

そんでガーガー書いているうちに「星野源ドラえもんが何で嫌いなのか」がわかってきた。わかりたくもなかったかもしれないけど。


星野源ドラえもんの歌は、確かにドラえもんの歌なんだけど、あくまでも「ドラえもんが好きな人の歌」であって、「ドラえもんの主題歌」ではないんだよ。


ドラえもんの世界を俯瞰して「少しだけ不思議」「落ちこぼれた君」「出来すぎあの子」など平等に登場人物を表現したかったのかもしれないけどさぁ。


アニメの主題歌なんだろ!?
ドラえもんに焦点当てた歌にしろやあ!!


過去のドラえもんの主題歌はさあ、ドラえもんを機械(notロボット)だの意気地無しだの人間が創造してやるだのそんな大層なもんじゃなかったよ。とっても大好きドラえもんだし、どんなもんだいぼくドラえもんだし、きみとぼくは地球のともだちなのさだし、あしたもあそぼう青い空だし、世界中に夢をあふれさせてだし、全体的に「ドラえもん=ともだち」というニュアンスの歌が多いのよ。幸せ包むポケットさ。


大山のぶ代歌唱の「ポケットの中に」も「君と一緒に旅するために待っていたんだよ気づいてくれるまで」だし、「友達だから」に至ってはドンピシャで「ともだち」なんだよ。ずっといつまでもともだちだからね、ともだちだからね!!って念押されてるんだよ。


何となく星野源版「ドラえもん」からは「ともだち」感が薄くて、「ぼくの大好きなドラえもんの世界」ってドラえもん単体じゃなくてドラえもんワールド全て俯瞰して作ってる感じがする。いやそれでも別にいいんだけどさ。だってそもそもこれは「宝島」のテーマソングだったわけじゃん。あのわざわざドラえもんでやんなくていい話単発のテーマソングならわからないでもない。いやマジでこの歌自体の存在を貶したい訳では無い。今まで何を書いてきてどの口が言うのかと言われても、別にそれは変わらない。あくまでも「ぼくの大好きなドラえもんの歌」だったら別にいいのよ。だってそういう歌なんだから。


あとはめちゃくちゃイチャモンだということはわかってるけど、フルバージョンの「君が遺したもの 探し続けること 浮かぶ空想からまた未来が生まれる」の部分。「ドラえもんのうた」のメロディを登場させてこれをやるってさぁ、どうなん? 藤子先生をちらりと登場させてるぞって奴なん?ドラえもんの主題歌にそんな直接的な言及はいらないぞ。やなせうさぎのアンパンマンのOPを見習って欲しい。あれはいいもんだ。


何に怒り狂っているのか

じゃ何でこんなに暗き天になるほど怒ってるかというと「公式が主題歌にしたから」に他ならない。星野源の歌の存在自体の罪が大体20%としてそれを毎週放送するとしたドラえもんスタッフの決定に8割以上怒ってる。この日〇終わり。悲しきかな。


星野源ドラえもんの歌作りたくて作ったのはまだ理解出来るし、別におかしなことではない(歌の好みは置いておいて)。でもさ、それをわざわざ毎週放送の主題歌にするのはどういう発想なの。


ドラえもんのOPを新しくしようと思うんだけど」
「イチからアーティスト選んで頼むの大変だよ」
「宝島のテーマソング流用できないかな」
「ちょうどタイトルドラえもんだし」
星野源なら奥様方にも大人気!」
「映像も奥様向けにして」
「いいねえ~」


みたいな会議があったのかどうかは定かでないけど全然よくねえわ。つーか新しいドラえもんってそういうなんか安易な感じがある。やたらと有名人起用したり、安易な時事ネタ絡めてみたり……そんでやってみた結果話の必然性というより「とりあえずやってみた」感がものすごいのよ。なんだろうねこの感覚は。歳をとったからなのかな。とても長くなってので次回でとりあえず締めたい。


次回予告

その他なんか思いついたことを愚痴愚痴やってく。
弁解する気にもなれない。

 

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ドラえもんに関する果てしない妄言2

まだまだやるよ。やるったらやる。


前回のあらすじ

ドラえもん=泣ける」という図式を作った奴は俺がこの手で皮を剥いでやる。

 

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迷走の果てに

ぶっちゃけ大山ドラだって後期の映画は大して好きじゃない。好きじゃないというか「やだいやだいこんなんドラえもんじゃねーし原作の感動シーンだけ濃縮して取り出してその周囲の原作のエモさを完全に殺しにかかってるじゃねーかうんこバーカバーカ」という感じなのですが、よくわからんので具体例をあげます。


まず「ふしぎ風使い」のフーコ。おいあの着ぐるみ考えた奴誰だここに来て廊下に立っとれ。そのままゴルゴンの首で石にしてやるぞゴルァ。なんだあの全方位に媚びまくってるデザインは。フーコはあのよくわからんグルグルの台風だからめちゃくちゃ面白いのであって、着ぐるみに入れちまったら全然別の話になるわけよ。あれは「のび太の変なペットシリーズ」の話であって、あの感動がアリならスネ夫の愛玩岩サムソンが青森まで捨てに行ったのに帰ってきて「感動するなぁ」もめちゃくちゃ膨らませて大長編にできるだろうよ。あの「感動するなぁ」をマジに感動に寄せてきたらそれはそれでかなりドン引きなわけ。フーコの着ぐるみの違和感はそんなところ。ストーリーに関してはあんまり言うところがない。スネ夫がメインなら「竜の騎士」があるじゃん。なんで皆「竜の騎士」のことを忘れるんだ?わすれトンカチなのか? リメイクで可愛くなったキー坊? そいつは死んだんだ。思い出すのも辛くなる。


あと「新恐竜は恐竜モチーフの映画として3作目」とかふざけたことを抜かした野郎がいたけどどこのどいつだったんだ。ギッタギタのメッタメタにしてやんぞ。Wikipediaの記述*1は直ってないぞゴルァ!!!バンホーさんに謝れ!!!


あと「ワンニャン時空伝」も個人的に「君を殺して僕も死ぬ!」という感想。着眼点はいいのよ、名作「のら犬イチの国」を大長編化。でもさ、大長編にするのに余計な悪役を出すとか余計な設定増やすとか、そういうのはまぁ滅されたらいいのにくらいは思うけどまだ許容範囲なのだ。原作万歳主義者からしたら、一番許せないのはのび太像のシーン。あのさ、イチの国の一番エモいところはラストのコマだろうと。「けっさくだ、ガハハ。」というセリフとその後ろを歩く白けた顔ののびドラのコントラストの完成された芸術かよっていうコマ使いと話の奥行の見せ方最高じゃん。だからイチの国をやるなら「けっさくだ、ガハハ。」が必要なんよ。なんだあのなんか、なんかなアレは。僕は世界一不幸な少年だ。


まあね、なんていうかね、めちゃくちゃ説明しまくるタイプの話が好きじゃないの。「わかるように説明しなくちゃ!」って思うかもしれないけど、ちゃんとストーリーがあれば言いたいことは伝わるのよ。一度で理解できなくても、カッコイイシーンや好きな場面があれば何度でも映画を見て、それで言いたいことをある日理解するんだよ。普通はそんなことしないって?そうか、そうかもな。


嘆きと慟哭

そりゃわかってるよ、ドラえもんに対してはロートルすぎるくらいロートルなんだって言うことはね。でもさぁ、自分の推しのジャンルがさぁ、徐々に公式が二次創作みたいな感じになっていくのめちゃくちゃ辛くない? 最近に至っては「ドラえもんというコンテンツの皮を被った感動もの」という映画がいくつかあって、「それ本当にドラえもんでやらなくちゃいけないわけ?」って思うのよ。


例えば「モアよドードーよ永遠に」を元にしたアレ。もはや名前を出すことすら穢らわしいと感じるレベルのアレ。アレさぁ、「ドラえもん」である必要がどこにあったの? あとさぁ、タイムパラドックスネタ使いたかったなら何で最初からネタばらししてたの? タイムループ的なことやりたかったんでしょ? ねえねえ何であんなにあんな感じなの?あと途中の謎の家族トークis何。なんなんアレ。なんなん? まじでなんなん? ねえ。


そんで「宝島」。あのさぁ、親子喧嘩は他所でやってくんねぇかなって途中から思ってたし最後の何かバトルっぽいところで「あれこれタイトルなんだっけ」とか思ってたし、とにかく「ドラえもん」である意味が全然わかんねえんだよ。あと帽子の設定が旧作のオマージュなのか設定の間借りなのかよくわからんのよ。何をオマージュしてるのかよくわからんのに設定だけ引っ張り出すのはダメだと思うんよ。宿題はちゃんとやってから行くんだ!!海底鬼岩城はちゃんと終わらせたぞ!!!


そんな感じで毎年公式から供給されるネタが完全に漫画のキャラでやおい描きたいだけの同人誌みたいな感じになってたらどうよ。二次創作が悪いんじゃなくてさ、公式が本来の意味でやおい二次創作なんだよ。自分の推しのジャンルでやられてみなよ。めちゃくちゃ地獄だよ。「それでもいろんな人に見てもらうのはいいよね」って目の細いキャラが喋り始める感じの達観した価値観は持ってねえんだわ。デカいヤスリで削り殺すぞ。デブは嫌いだって。


そう言えばこんな感じの憤りがある人たちは何故か「南極カチコチ」を絶賛するというジンクス通り、「南極カチコチ」は好きです。あれは冒頭の南極の寒さやデカさでワクワクするところだけで「これだよこれ!!」とめちゃくちゃ喜びが溢れた幸せなシーンだったんだけど、「最初の方がお勉強みたいでつまらない」「時間の移動がよくわからないからつまらない」というのを見つけてしまい「そんなら海底鬼岩城なんかつまんないの極みじゃん!」と無敵砲台の照準を当てる妄想で勝手に溜飲を下している。爆弾を20個出してくれ。

 

 
「月面探査記」に関しては、キャラデザがジャイアンリサイタルだったけど中身自体はかなり頑張ってたとは思う。安易な感動じゃなくてよかった。キャラデザはジャイアンリサイタルだったけど。どこ向け需要だよアレ? ジャイアンのリサイタルだよ。もっとロップルくんみたいな感じにしてくれよ。なんかママ世代の人が「萌える」とか感想見たけど、マジ萎えだわ。萎え。


でもさぁ

でもさ、こうやっていくら嘆いてもドラえもんはもう帰ってこないわけですよ。ドラえもんはもう未来の国に帰ってしまって、後に残ってるのはドラえもんというコンテンツを使ってる連中なわけですよ。


「時代のせいだ」という意見もあるけど、ゲゲゲの鬼太郎クレヨンしんちゃんは既存ファンもある程度満足しつつアップデートできてると思ってる。鬼太郎なんか斬新なデザイン変更だったけど、中身はちゃんと鬼太郎やってるもんな……。


あと新恐竜については本当に見るのが怖い。予告の時点で「キューとミューはミクロラプトルとかかな?」と思ってたけどネタバレを見て心底ガッカリしたというのがあるので。ところでその辺の話は「南極カチコチ」的な感じにしようと思えば出来た気がするけどどうなんざましょ?世界三大恐竜博物館と言われる福井県立恐竜博物館出しておいてそれぇ?とかもぉ……もぉ……。


そろそろ長くなるので一度終わります。次回も完全に私怨なので読まなくていいし楽しみにしないでください。


次回予告

星野源、てめーはまだ許す。
星野源ドラえもんを新OPにした奴、
てめーは許さねぇ。
あとこうやってグダグダしてたら解釈違いの根本を発見できたけどめでたくないわな、ちぇっ。
以上。

 

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ドラえもんに関する果てしない妄言 1

最初に断っておくと、この記事を書き始めたのは「新恐竜」の予告を見て延期が決まった辺りです。そんで未だに新恐竜は見てないです。というか脚本の名前を見た瞬間に「終わった」とか思ったのでコロナに加えて不安を抱える日々を送っていたというのが正直なところです。


そんで今は何だ?パピが延期になってるぞ1年前の自分。こんな不穏な記事に何エネルギー使っとんねん。以下は大体去年に書かれたものに少しずつ修正を加えていったものです。


とにかくもうドラえもんに限ったこういう話をグダグダしていこうと思うのね。今からここに書くのは「旧ドラ原理主義者」のかなり過激な発言で、新ドラや旧ドラでも後半の丸くなった声の大山のぶ代しか知らない世代の方にはかなりドン引くものがあると思うのですが、知らねぇよここは俺のブログだということでガンガン行きます。30代、いや40代以上推奨の記事になります。20代以下でこれに共感できる人はなかなかいないと思うので、はい。


※今から綴る内容は「旧ドラ原理主義者」を自称する哀れな老害のお気持ち長文です。真面目に取り合うだけ無駄なので異論反論はするだけ無駄です。笑いたければ笑えばいい。弁解する気にもなれない。


声優はいいんだよ

新ドラといえば「声優交代」「声優が変わってから見てない」という声が圧倒的で、どうしても声優がクローズアップされがちだけど、個人的に声優の変更はどうでもよかったりする。最初は違和感あったけど、そういう声だと思えばそんなに気にならない。じゃあ何が気に食わないかと言えば、もちろんそれは「脚本」や「演出」に他ならない。そこをグダグダ言ってる人もいるけどグダグダ言います。このブログの人気が落ちるかもしれないけど2ページくらいやります。


確執の始まり

ことの次第は「のび太の恐竜2006」を見たところから始まる。恐竜研究自体が随分進んで初代の「のび太の恐竜」からズレてきているところもあるのでリメイクの意義自体はわかる。わかるし、恐竜の動きもなかなか頑張ってたのもわかるんだよ。でもなぁ、どうしても納得できない点があって、それが今でも「新ドラ」の根幹にある気がするんだよ。


懸命な方ならわかると思うけど最大の変更点は「のび太がタイムパトロールに連れられていくか、自力で日本に行くか」なんだよね。もうね、これがね、本気で許せなくて「あぁ自分は旧ドラ原理主義なんだな」と自身の信仰に気づいてしまったんだよね。


自分は初代の「のび太の恐竜」のラストが本当に好きで、ついつい何度も泣いてしまう。最近初代を見直して、わかっていてもラストで涙がだーだー流れる事態になるくらい好き。どこが好きなのかといえば、やっぱり「ドラえもんの冒険は子供のやることでドラえもんたちは無力だ」というところにしみじみくるところがあるんだと思っている。だから黒い男に簡単に捕まるし、タイムパトロールに保護される。それがいいんだよ。無力な子供時代の思い出だからいいんだよ。何がおしりペンペンだのび太のくせに生意気なぶっ飛ばしてやる。


だから「新・日本誕生」もかなりnot for meである。主にあの宴会のシーンをカットするとはけしからん! という言いがかりとツチダマがザコに成り下がってる辛さからなるイチャモンだということはわかっている。あとね、ドラえもんであんまりバトル要素出して欲しくないんだわ。最後なんか一生懸命戦ってるけど、そういう話じゃないでしょお?大魔境も海底鬼岩城も最初の冒険有りきなんだ!!


ドラえもんはギャグ漫画だ

誰がなんと言おうとドラえもんはギャグ漫画だ。チョーチョ、チョーチョ、ヒーラヒラなんだよ。やろう、ぶっころしてやるなんだよ。こち亀でたまにノスタルジックな回があっても、こち亀をノスタルジック漫画と思う人はいないと思う。それと同様にドラえもんも基本はギャグ漫画なんだけど、たまにいい話をやるから面白いのであって「基本はいい話」を前提にされると「こち亀ってマジで泣けるからいいわー」とか言われてるような感覚になる。


余談だけどこち亀は全部読んでるわけじゃないけど、部長がポケモンやる話とポケットピカチュウみたいに万歩計式のどきメモが出る話が好き。ぶっちゃけ例え部長のやり直しセーブデータだろうが両津のセーブデータだろうがダイスケくんのセーブデータがぶっ飛んだのは事実なので、部長があの後マジでどうなったのかめちゃくちゃ気になる。


とにかく「ドラえもん=泣ける」みたいな図式を作って売り出した奴はいっぺん「私が悪うございました」というタスキをかけて「酔拳2」みたいな感じで新宿のサザンテラスあたりに吊るされてもいいんじゃないかと思う。


どの辺からその流れが来たのかよくわからないけど、個人的に映画の中編で「さようならドラえもん」をやったあたりからかなぁとは思う。独立した「さようならドラえもん」自体は好きだけど、それだけを見て「ドラえもん泣けるよね!」みたいな奴がいたらジャンボガンを取り出す所存である。「おばあちゃんの思い出」が泣ける? 「結婚前夜」が最高? お前ら熱線銃で煙になってしまえバーカバーカ。そして僕の生まれた日をここに持ってくるのはどうかと思う。あれは終盤落とすためにああいう話になってるけど基本ギャグでしょ。


ちなみに余談だけどこの中編シリーズを語るなら「ミニドラSOS」が最高と思ってる。今見ると明らかにレトロフューチャーな感じなんだけど、そのレトロ具合含めて「いいなぁ」って思う。あのスーパーマーケットとかいいよね。ドラえもんズの前の中編ドラミちゃんシリーズは全部好き。


ちなみにマイドラえもんの泣けるエピソードは「ココロコロンとオモイデコロン」「ぞうとおじさん」「のら犬イチの国」だ。トイストーリーで感動した奴はオモイデコロンで泣いてこい。ぞうとおじさんは元になった話もエピソード自体のオチも素晴らしいけど、あの伝説の「日本が負けるの」があるのが素晴らしい。「のら犬イチの国」はストーリーがもうなんて言ったらいいかわからないけど神が神でほんとに神なんだわ。あの神像の顔とジャイアンの表情でいつも泣く。他にも「ロボット雪だるま」「3月の雪」の雪の話が結構泣ける。「3月の雪」はひとりで責任を感じて雪かきをするのび太がめちゃくちゃ好き。他にも好きなのあるけど止まらなくなるからこの辺で。


次回予告

フーコ?キー坊?けっさくだ、ガハハ。
モアよドードーよ永遠に。
キャラデザがジャイアンリサイタル


まだまだ続くんじゃ。

 

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ドラえもんの気になるひみつ道具についてのメモ

昨年のこの記事から「わさドラに関する恨み言」を言語化しようとしてきたけど、これがなかなか難しい。

 

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すごく拗れた一ドラえもんファン(ここ大事)として誰からも共感を得られないような文章を書こうとして、だけど漫然とし過ぎてて自分で読んでも気持ち悪い何かで書いたり消したりをしていて1年経ってしまった。出来れば宇宙小戦争の公開くらいには完成させたいと思っている。宇宙小戦争?パピかわいくなくね?


さて、そんな拗れたファンとして「どんなドラえもんの道具が好きか」をテーマにちょっと語っていこうと思う。話の面白さも入れるとややこしくなるので純粋に道具の話だけしていきます。

 

中身ごと伸び縮みカップ

これあれば食料問題とエネルギー問題解決じゃね?と思う。コップ1杯の質量が庭いっぱいくらいになる。期限とかなければ逆にコップを広げて中に物を入れてから縮めれば収納にもなりそう。庭いっぱいの荷物をコップ1杯にできるならよさそう。スモールライトやガリバートンネル的なものより用途が限定されてるのがいい。あと未来の家は小型化しててワンシーズンが灯油がスプーン1杯で済むような小さな家に小さくなって住むんだそうだ。難点があるとすれば、ゴキブリやネズミが原寸大で出てくるみたいだけど、しっかり管理が出来ていればありかもしれない。


時門

時間がゆっくり流れるようになる道具。とても使いたい。この道具は全世界を巻き込むという点で「未来の世界はどうしてるんだ!?」と思う。何か公的に必要な時に「何時から何時まで時門を使用します。各自時門時間は~」みたいなアナウンスがあるんだろうか。そうすれば宇宙ターザンみたいな悲劇は防げる。しかし面倒くさい。でも欲しい。

 

ドライライト

太陽光を固めた塊。エネルギー問題を解決する道具その2。本編ではドラえもんの浅ましさに加えて「どら焼きの刺身」というパワーワード(アニメ版だけかな)がものすごく好きなのだけど、それを差し引いてもドライライト欲しい。光熱費めっちゃ浮くじゃん。欲しい。


アニメ箱

漫画を入れるとアニメ化してくれる箱。作画とか声優はどうするんだろう。漫画を書く道具の時は作者を指定するとコンピュータが自動でそれっぽい作品を書いてくれるというAI美空ひばりみたいな自体になっていたけど、これはどうなんだろう。「京アニ風で」「TRIGGERっぽく」とか出来るんだろうか。ハルヒの原作を庵野監督がやるとかそんなこともできるんだろうか。やべえな。なおこのアニメ箱の回で伝説の「悪いなのび太、このビデオは3人用なんだ」が出てくることでも有名である。


タイムライト

「時の流れを可視化する」という、要は「時間は待ってくれないんだぞ、無駄な時間を過ごすな!」とのび太に言うためだけに登場した道具。一体誰が何のために開発したのかと思うと「さすと雨が降る傘」より存在意義が謎過ぎて好き。


コジツケール

こじつけるための道具。サイラン液で酒を増やす回で鮭と酒を間違えたドラえもんが酒瓶にサイラン液とコジツケールを垂らして酒瓶に採卵を促すという超展開。どんな場面で使うのか検討もつかない道具。多分作ったのは小林製薬

 

自動コジ機

現物は出てくる漫画にお目にかかったことはないけど、ひみつ道具大百科か何かで見て忘れられない道具。敷物のボタンを押すとスピーカーと缶が出てきて「右や左の旦那様~」とアナウンスされる。アウトなシロモノなのは間違いないけど、未来の世界でこの道具がどう使われているのか気になる。ちなみにキャッシュレス化が進んだ中国では空き缶でなくQRコードを展示している人がいるという話を聞いて、近未来やべえなと思ったのはここだけの話。

 

今回はこのくらいにしておいてやる。気が向いたら続編もやるよ。あとは好きなひみつ道具の話でもしておいてくれ。メジャーマイナーは問わない。しかしマイナーな道具を出して「俺の方が詳しいんだぞ」みたいな奴はこの手で皮を剥いでいく所存である。よく考えるとダッピ灯もかなりひどい道具である。じゃあなのび太。来ないとただじゃおかねえぞ。