あのにますトライバル

君の気持ちは君の中でだけ育てていけ。

旭川の事件についてなどの雑感

まとまりそうもないので箇条書きで。


旭川の事件がざわざわしてるけど、あの記事を読んで最初に思い浮かべたのは「子供たちが屠殺ごっこをした話」という物騒なタイトルのグリム童話だ。確か話が二つあって、そのうちのひとつはこんな話だ。

 

子供たちが悪意なく屠殺ごっこをして子供を一人殺してしまった。このことに大人たちは困惑し『りんごと金貨を並べて、りんごを取れば分別がついてないとみなし無罪、金貨を取れば判断ができたということで大人と同じように裁く』と決める。子供たちはにこにことりんごを選び、裁かれることはなかった。


この話の後味が悪いのは「本当に子供たちが無邪気であることを証明できない」というところだと思う。金貨を欲するほどの価値判断ができるのであれば、大人の思惑通りの振る舞いをすることで自らの死を回避できるのではないか。また、裁判は形式的なもので大人たちも本気で子供を裁こうとはしていなかったのではないか。そんな気がしてならない。


〇要は「やった結果は邪悪なんだけどそれに至る過程に悪意があったか」というのはすごく証明が難しいのだと思う。だから我々は結果で判断をするのであって、社会のいろんなところで過程を気にするということはしない。どんなに役人が頑張っていても、コロナ患者が増えたのは政府のせいである。そんな感じである。


〇しかし、その過程まで含めて日々ジャッジしなくてはいけないのが学校というものなのだと思う。学校という組織には「過程主義」というものが蔓延しているのではないかと思うくらい「過程」を大事にする、というか「結果」を大事にしないところがあると思う。例えば部活で良い成績を残せなくても「一生懸命頑張ったからヨシ!」であり「今回の反省をして次回に生かそう」とか言うと「頑張った奴らに水を差す気か!」とか言うと怒られる。


〇つまり「いじめられる方にも原因がある」というのは「どういう成行きでいじめが発生したのか言ってごらん」ということなのである。例えば殴り合いがあったとして、殴った殴られたの事実より「どうして殴り合いに至ったのか」ということを非常に重視する。何故ならそこに至った過程を示して、子供たちに過ちがあればそこを正さなければならないからだ。ここで「殴った方が悪いから全面的に殴った方が謝れ!」とかやるともうアウトである。それは警察の理屈であり、教育界の理屈ではないのである。


〇じゃあどう指導すればいいのかとか考えると、いじめについては個人的にずっとケースバイケースだから一概にどうこうというのはやめた方がいいということは主張している。いじめっ子が精神的におかしくなっている場合とか、いじめられっ子が精神的におかしくなっている場合とか、いじめに家庭が密接に絡んでいる場合(あそこの家の子とは遊んじゃいけません的な奴とか虐待とか)とか、あと担任がいじめたりいじめられたりしている場合とか、それぞれ対処法が全然違う。


〇そんなわけで個人的には「いじめ」という言葉を使うのをやめたほうがいいと考えている。いじめがあったかなかったかとかそんな認定をしている暇があるなら、暴力を受けている場合診断書を提出したり落書きがされているなら証拠の写真を撮ったりしてトラブルの改善を求めたほうがいいと思う。「学校は調査してくれない!」ってよく言うけど、冷静に考えると学校が生徒間トラブルを解決させなきゃいけない義理って全くないんだよなぁ。


旭川の件では担任が非難されているけど、見方を変えれば「働き方改革でちゃんと不当な残業をしていない!えらい!」と言えなくもない。担任が初期対応を誤ったのは間違いないけど、個人的には「いじめ対応というものに属人的な対応を求める教育システムがおかしい」と考えている。だからシステム化しちゃえばいいんだよなと思う。校則も肌着の色は白とかそういうのだけじゃなくて「意図的な仲間はずれが発覚しいた場合、仲間外れにしたグループの解散を命じる」とか「触法行為は罰則部屋行き」とか。空き教室を改造して悪いことした奴はそこで少年院の先生とかから講義をみっちり受ける、とか。いや、そうすると罰則部屋が第二の保健室になってしまう。いいのか。


〇そんなわけでいわゆるネットリンチもケースバイケースだと思ってます。なりすましで誹謗中傷を集めた人や自らヘイトを溜めてやってきた批判を「誹謗中傷だ!」という人を一緒にすることはできないと考えている。

 

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〇例えばブログでしょーもないこと言ってかなり燃え上がった人がいたとして、そのしょーもなさがギリギリ倫理的にどうかと思うような攻めた発言だったり常に争いの元になるような内容だったりすれば、発言した本人が迂闊だったねえで終わる話だったり、逆に明らかに発言者がギルティな場合全力で叩きのめせで終わる話だったり、炎上と言っても本当にケースバイケースで一概に「誰が悪い」と言うのは非常に難しいと思う。例えば同じ炎上事件でも「長谷川豊」と「宇崎ちゃん献血事件」と「唐澤弁護士」では事件の内容も糾弾されるべき人物も何もかもが違う。事件の内容についてはそれぞれ調べてくださいな。


〇増田で上がってるから少年革命家について語っておくけど、彼自身が本気で全国の不登校児に力を与えたいと思っているならあんなパフォーマンスじみたことはしないと考えている。じゃあ誰のためにあんな挑発じみたことをしているのかと言えば、もちろん叩かれるためだろう。そして狙い通り批判を受けてから「アンチはひどいな!俺は可哀想だな!」という声明を出す。要は某高知の方方式でこういったやり方を選んでいる時点で個人的に擁護はしたくない。何故彼がこんなやり方を選択しているのかは考えたくない。「不登校」の響きでそっち方面の人とか食いついているけど、要は構ってちゃんなので本当に構ったら負けだと思う。学校に行く行かないではなく、人を見下すか見下さないかで考えていきたい。


〇まとめるとケースバイケースを一言で語ることも出来ないし、当事者にしかわからない事情もあると思う。だからあんまりいろんなことをワーワー言うのはよくないと思う。事案と自分を同一視してもいいことはひとつも無い。ネット炎上の多くが「事案と自分の同一視」だと思っている。だから必要以上に傷つくし必要以上に怒るし、必要以上に煽るバカもいる。必要以上のインフレ。なんの話だっけ。旭川の事件については警察と児相仕事しろ。おしまい。

 

入学準備にママ友LINEは必須か(いらない)

新入学のこの時期、なんでいつも道路が混むのかわからない。今日はなんかイラッとする増田とトラバのホラーな増田の話です。

 

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先にこの増田の個人的な見解と「ママ友LINE(いわゆる母親のみのコミュニティ)」についての雑感です。前回の記事の内容も絡みます。

 

個人的な見解

話の内容がママ友LINEと分かりにくい小学校プリントに行きがちだけど、この話のポイントは「次女」という点に尽きると思う。「初見殺しだ!」ではなく、「長女で1回やってるのに初めて大変ですみたいな顔できるの?」という感じ。


別に準備をしていなくても、長女を見ていれば自ずと次女に何が必要かわかると思うんだ。それを「初めて知りました!」みたいに言われたら、妻側としてはイラっとくるんじゃないかな。「サブバッグ?ああ長女も使ってるもんね必要だよね」ってなれば何も問題はないのに「なんで俺に黙って用意するんだ」って怒るから言い返されたんだと思う。


全くの外野からの意見になるけど、子供の学用品の準備ごときで「俺は仕事を任された!」って思って全部1人で完璧にこなそうとしている時点でこの増田の器がかなり小さく感じる。家庭の仕事なんだから家族でやればいいじゃん。風呂掃除当番じゃないけどサービスで風呂洗った家族に「俺が洗う予定だったのに!!」って怒っても仕方なくない?そこは「やってくれてありがとう」だと思うけどな。これが給料の発生する仕事だったら仕事を横取りされたことになるから問題になるかもだけど、サービスだからね。


それよりもママ友LINE、というか保護者のコミュニティにいきなり「今年は準備任されたんで情報収集のために参加します」って元々コミュニティに入っている人の配偶者が参加してきたら男女関係なく変な空気を感じる人はいると思う。だって情報収集だけだったら配偶者と話をすればいいのであって、わざわざ参加するものでもない。個人的にこんな人がいたら(配偶者の仲が上手くいってないのでは……)(奥さんと口も聞けないのに子供のことを把握しようとか離婚を考えているのかしら……)と思われても仕方ない。


そんでブコメで「ママ友LINEでないとわからない小学校準備怖い」みたいなのあるけど、ママ友LINEで共有されてるのは担任の情報とかで、サブバッグや着替えが必要というのは長女での経験。ママ友LINE発じゃないよ。流石に必須のものをママ友LINEに頼る小学校はどうかと思う。あと既に在学生の子がいるママが小学校のママ友LINEで新しい学年の情報交換をするのは全くおかしなことだと思わないけどな。


「教えてくれなかった」は通用しない

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で、前の記事の続きみたいな話になるんだけど個人的にママ友LINE的な場所での情報交換って別に悪でも何でもないと思う。それよりも「教えてくれなかったからできませんでした」というほうがどうなのかな、という視点も大事だと思う。


そもそも、そもそもの話なんだけど日常的に子供の学用品や必要なものを準備するのは親の役目であることは間違いないんだけど、それを確実に親に伝えるのは子供の役目であってママ友LINEじゃないと思う。小学校低学年くらいまでは仕方ないところもあると思うけど、それ以降は子供と一緒に準備をするのがいいと思う。そうすれば「思ってたんと違う」系の話は大体解決すると思う。準備物を何の用途で必要なのかをきちんと説明できる力もこれからの社会を生き抜く上で大事だと思う。プリントクチャクチャにしてわからなくなったら困るのは自分、ということをしっかり教えていかないといけない*1


でも、みんながみんな全部用意できるとは限らない。うっかり忘れることもあるだろうし、学校の意図とは違ったものを持っていくこともあるかもしれない。でもその時大事なのは「あくまでもミスはミスとして同じミスは繰り返さない」ということではないのだろうか。学校が何でもかんでも手取り足取り教えてくれるわけでもないので保護者の側もレベルアップしていかないといけない。ママ友LINEはあくまでも補助や保険であるということにしないと面倒くさいことになると思う。


そりゃまあ学校の無茶ぶりも多少はあるだろうけど、「ママ友LINEに入っていなかったのでわかりませんでした!」っていうのは子供のいるいい大人がちょっと恥ずかしいとは思わないのかって思う。そんで元増田の話になると、「教えてくれればやったのに!」というのも「教えてくれないとわからない!」と逆ギレしているに近いと思う。この増田に必要だったのはママ友LINEではなく日頃の家族の話し合い。日常的に長女の面倒を見ていればサブバッグの存在やママ友LINEの存在には気づいていたのではないだろうか。

 

たらればの話をしても仕方ないので、今後は家族間の情報交換は意識的にやっておいたほうがいいと思う。例えば娘が学校で友達トラブルに巻き込まれた時、普段からある程度交友関係を把握してるのとそうでないのでは動き方が全然違う。無能を嘆くなら全部勝手に自分で背負い込むようなところをどうにかした方がいいのでは、と短い増田から感じました。増田でいじけている前に家族の話をもっとよく聞こう。

 

ママ友LINEトラブル増田について

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そんでトラバのすげえママ友LINEトラブル増田。個人的に釣りではなくフェイクありの大体本当にあったことだと思う。正直怖い。特に給食試食会に関しては単なるママ友LINEトラブルはなくかなりヤバいトラブルだと思う。


特に「例年号泣しながら給食を食べる」が本当なら、何で学校は数年も放置していたのだろうか。最近は多様な形の家族の形態があるのに、こういう保護者強制参加イベントはあまり好ましくないと思う。どうしても参加できない保護者も絶対いるし、そもそも父母共にいなかったり家族の仲が悪く学校になんか来て欲しくない子供もいるかもしれない。毎年それなのに見栄のためにほぼ強制参加、そして保護者のいない子は号泣とかいうなら学校側が明らかに何らかの対策を即しないとダメでしょ。給食の試食だけなら授業参観と兼ねて保護者だけ別室とかでも出来るんと違うかね。まあコロナで真っ先に消えただろうイベントだけど。


それにしても「コミュニティでボコられるから」という理由で参加せざるを得ないというところもどうなんだろうと思うし、「親の来ない子が泣いてかわいそうだった」と聞いて来ない子の親を叩く方向に行くのもよくわからない。なんでそんなんなるまでほっといたかなぁというモヤモヤがモヤモヤ。私立の見栄っ張り地区なんだろうか。タワマンに住んでない人を見下すみたいなアレなのかな。やべーな。


あと伝聞やフェイクなどが入ってるんだろうけど、新卒の先生が一年で辞めるってよっぽどのことがないと有り得ないと思う。余談だけど低学年特有の「新卒だからダメ」クレームを避けるためなどでベテランのおばちゃん先生を低学年につけると、良い言い方をすれば昔ながらの、普通に言うと時代錯誤の学級運営とかし始めるのでベテランだから良いというものでもないということは言っておきたい。


メゾピアノで揃える系の話は絶対学校で対応すると思う。「学校に必要のないものを持ってきてはいけません」っていうのは勉強に必要ないからという建前の裏に盗難防止という超現実的な理由がある。「なんでスマホ持ってきちゃいけないんですか?」っていうのは「単価数万円する奴を持ってきて紛失するようなことがあったら誰が責任とるんだい?」っていうことである。でも生徒を泥棒呼ばわりできないので建前上「必要ないから」を通しているのだと思っている。


そもそも、ママ友LINE関係なく持ち物がブランドじゃないからっていじめるようなメンタリティの子供がいることのほうが大問題のような気がする。それをママコミュニティが煽っているとか、アホすぎて関わり合いになりたくない。多分ブランド物関係なく何かしらのトラブルを抱えている可能性があるので学校の苦労が忍ばれる。


あとダンボールの話で昔のことを思い出した。授業参観の図工で「制作物を飾る色紙や包装紙を家から持ってくること」という連絡があった。大体はクリスマスのプレゼントに使われていたような可愛い包装紙や千代紙なんかを持ってきてたけど、ひとり、近所のスーパーのロゴしか入っていない、果物を包んでいたような包装紙を持ってきた。包装紙には違いないけど、その図工の授業の意図とはマッチングしていなかった。それを見て、何だか寂しい気持ちになったのを鮮明にに覚えている。当時はあまり考えなかったけど、今思うと生きていくのに困難が伴う子だった。本人も「やっちまったな」というのに気づいているのか気づいていなかったのかもわからない。どうすればよかったんだろう。でも、多分どうにもならない。


このママ友LINE増田を読んで「ママ友LINE怖い!」って思う人も多いと思うけど、怖いのはママ友LINEという存在じゃなくてそこにいる変な人というのはいつも覚えておいて欲しいところだと思う。変な人と付き合いたくないばかりに有益な付き合いから目を背けるのは機会の損失でもあると思うし、この話レベルの変な人はそんなにいないと思う。普通に保護者やってる人のが多いけど、変なのが目立って全部が変だと思われるんだよな。そいつは損だな。


まあいろいろつらつらと書いてきたけど、うちのも今年から幼稚園児ということで昨年買った上履きを引っ張ってきたらサイズアウトしてて慌てて買いに行ったらひとつ上のサイズがラストワンで「あぶねーっ!」ってところでした。危なかったですね、おしまい。

 

*1:とはいえ、その子の特性などもあるのでこの辺のさじ加減は目の前の子供に合わせなければならない。

義務教育で教えてくれなかった、みたいな話

個人の好き嫌いの話です。私はデコポンは好きですが君はピーマンが嫌い。そういうことです。

 

TwitterとかのSNSで「ありえないほど大袈裟に誇張する表現」あるじゃないですか、あれそんなに好きじゃありません。別に警察やって取り締まるレベルまでではないけど、下品だなとは思う。

 

数字を使う系だと「数兆年ぶりに」とか「1秒間に地球7周半分」とかそんな感じのものは「そのくらいとてつもない」みたいなことが言いたいんだろうなーと思うのでそんなに嫌でもないけど、5000兆円欲しいだけはなんかものすごく下品な言い回しだなと思う。もうミーム化してるからこの言葉自体にそれほど意味が無いのはわかるけど、なーんか嫌だ。「どちゃくそシコれる」みたいなのと個人的に一緒のジャンルにしている。

 

で、今回「嫌だなぁ」と言いたいメインの言い回しは「義務教育で教えてほしかった」です。「小学校で教えるべき」「学校で教えてくれないのが悪い」みたいな言い回しと一緒ですね。元々は「なんて役立つ情報なんだろう、もっと早く知りたかった」という気持ちから生まれているんだろうなというのはわかるけど、それにしても下品だ。個人的には「どうして勉強するんですか?」「数学って勉強しても大人になってから使いませんよね」と一緒。

 

togetter.com

 

例えば「義務教育で国民保険について教えろと思ったけど公民でやってたわ」的な奴なんだけど、いや公民はやるでしょ……togetter見てると「公民は選択科目だから学校でやらなかった可能性ある」とか言うの結構あってうわぁーとなってしまった。いやほとんどがやってるのを忘れているだけでしょ。「やったかなぁ、忘れた」ではなく「やってません」と言い切るところに不安なものを感じる。ちなみに公民の中身は時代と共に変わっても分野そのものを教科書から削除したことは戦前に遡ってもなさそうです。

 

公民 (教科) - Wikipedia


いや、イレギュラーもあるかもしれないけどね。社会科教員がずっと反戦映画を見せ続けて授業をろくすっぽしなかったとか、サッカー好きで毎回サッカーの話しかしなくて授業をろくすっぽしなかったとか、織田信長好きすぎて織田信長に3ヶ月かけて授業をろくすっぽしなかったとか、結構考えられる。授業を趣味の発表会だと勘違いしてる人は本当にたまにいる。どう見ても履修漏れですどうもありがとうございました。


あとそもそも不登校で学校に行けなかった人が「習っていない」という可能性もあるけど、それはまた別の問題なのでここでは対象としないものとする。


話を元に戻すと、そもそもの義務教育の意義とかじゃなくて、なんていうか「知らなかった!」という驚きを表すのに「なんで誰も教えてくれなかったの?」というニュアンスが入るのが嫌なんだと思う。例えば友人に「この前美味しいお店に行ってきたんだ」と話をしたら「ずるい、なんで教えてくれなかったの?」って返ってくるような感じだろうか。素直に「よかったね」とか「今度は一緒に行きましょう」とか言えないのか。


あと「知ってる方がどうかしてる」みたいなニュアンスが嫌だなと思う。小学校なんかで物知りな子に対して「だからなんだよちぇっ」という僻みみたいな感覚に近いと思う。勉強できる人の足を引っ張るみたいな、そういう言説は何だか嫌なのよ。


まとめると「義務教育で教えて欲しかった」には「誰も教えてくれなかった」という他力本願なところがあるのに「知らなかった私悪くないもん」「教えてくれなかったお前らが悪い」という他罰的なニュアンスが加わって何とも子供じみた言い回しだなと思うわけですよ。義務教育中の子供ならまだわからないでもないけど、少なくとも義務教育は終わっているだろう大人がポンポン使う言葉でもないと思う。大人なら調べようよ。知らなかったことを恥ずかしく思う照れ隠しをしているようなフェーズは過ぎてるでしょ、と。


あと個人的にこの前の「断腸の思い」がなんかムカつくのでここで言わせて欲しい。

 

togetter.com


大まかな話は「イギリスで食べるラー油を上げたら奴らハマったぜ」ということなんだけど、タイトルに「断腸の思いで」ってあったから「食べるラー油とこの人にどんなドラマが……」ってハラハラしながら開いたらそこに何の説明もなくて心が盛大にズッコケたんだよ。


元々「断腸の思い」って言うのは我が子をとられて悲しみのあまり腸がちぎれてしまった母猿の故事から生まれた言葉で、「我が身を引き裂かれるような強い悲しみ」という意味だと思っていた。つまり「自分の一部であるようなものを喪失する」というニュアンスで考えていたわけ。「コレクションを断腸の思いで処分する」とか「断腸の思いで彼との連絡を断つ」とか、もうそういう感じで「この人にとって食べるラー油は毎回ご飯に乗せないと死ぬレベルで大事なのに、イギリス人がどうしても譲ってくれと聞かなくて、泣く泣く手放したんだろうか」とか、そういう大層なドラマがあるもんだと思ったわけだよ。だってタイトルに入ってるんだもん。断腸の思い、大切でしょ。


そしたらツイートにドラマも何もなかった。ただの「アジアの食すげー」みたいな話だった。「なんだ、食べるラー油とツイート主の壮大なドラマを期待したのに出てきたのはこれか、これなのか!!」って憤慨くらいしたいですよ。嘘大袈裟紛らわしいJAROがあるじゃろだよ。マジでタイトルがJARO案件じゃろ。


その思いを書いたら100字を超えるので「文脈がよくわからなかったなぁ」とマイルドにブコメしたら、なんか大量スターと激しい「アホじゃねーの」ブコメが来て、いやイギリスで食べるラー油が珍しくて泣く泣く手放したんだろうっていうのは本文読めば理解してるよ。でも「断腸の思い」っていうのは最上級の悲しみなわけで、食べるラー油を手放して明日から仕事も手につかないとかそういう状況になるのか?「悲しみの表現だから別にいいじゃん気にならなかったよ言葉の間違いに神経質だね♪」って、それにも程があるんだよ。個人的には「彼女が病気で死にます」という映画を見に行ったら「彼女が食中毒で死ぬほどやつれた」くらいのオチを見せられた気分なわけだよ。それでも「精神的に死にかけたわけだし、死にますって別に間違ってないでしょう」と平然としていられるならそれはそれでいいけどさ。


つまりツイート主というよりタイトルつけた奴が悪いと思ってる。また、ツイート主もこの場合「後ろ髪を引かれる」「泣く泣く」「惜しいけど」という表現だったら誤解を招くようなことはなかったと思う。流石にいくら海外にいようと、いつかAmazonで買えるものなら母猿の腸も切れないと思うんだ。


まとめると、SNSだからついつい大袈裟な言い回しで注目を集めたいと思う気持ちもあるんだろうけど、大袈裟過ぎて言葉の使い方を誤って伝えたいことが伝わらないのはアウトでしょという話。「へえ、そうなんだ」という反応より「義務教育で教えてくれればよかったのにー」なんていう捻ったようなコメントの方が確かに目立つけど、嫌味なニュアンスに気づけないと嫌味な言い回しに引っ張られるからよくないと思う。


「言葉は生き物だから使い方が変わるのは当然!」と言語学者が言うのと、よく言葉を知らない奴が都合のいい言い訳で使うのは全然違う。特に何かを発信する人は最低限自分の言葉に責任を持って使って欲しいんだけど、SNSでは誰もが発信できるのでその責任までものすごく軽くなったなぁと思う。Twitterで言いたいことだけ言って反対意見が来ると「アンチ」「クソリプ」なんて言う奴、何なんだろうなって思う。クソリプも元々は「返信に困る微妙なリプライ」だったのが「気に食わないリプライ」くらいの意味合いに変わってる気もする。言葉は生き物、しょうがないねえ。おわり。

勉強なんかやりたくねえよというときの覚書

まあ増田本体は釣りなんだろうけど。ラストの浮き具合が全てを物語っている。

 

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以下蛇足です。


大体において「どうして勉強するの?」という言葉は文字通りの意味ではなく98%くらいの確率で「勉強やりたくない」という意味。増田や知恵袋で「純粋に疑問なんですけど、どうして結婚なんてしなくちゃいけないんですか?何が楽しいんですか?」という質問があったらこれも文字通りの意味ではなく「結婚なんてデメリットしかないのによく結婚とか時代遅れの風習やってますねおならプップー」という話である。類義語に「どうして解散するんですか?」というものもありましたね。


さて、そんなクソガキお子様に「勉強しなさい」といわなきゃいけないとき、どうすればいいのか。事例によって対応は全然変わってくる。


ケース1:受験生

入試科目だから大人しくやっとけ、で終わる。ウダウダ悩んでいるなら「じゃあ勉強やめて受験やめるかっ!」と「もし入試に失敗したら人生どうなるのかシュミレーション」なんかやってみると面白いかもしれない。ついでに結婚出産家を買うなど人生の大イベントの話なんかもサラッとできるといいかもしれない。単に疲れているだけだと思われるので気晴らしに雑談くらいの話でいい。ちなみに中学受験生にはちと難しい手段なので、勉強を休む日を与えた方が効果的かもしれない。

 

4/2 10:00追記

結婚出産家を買うイベントの話をすると言ったが、例えば家庭教師や塾講師、学童職員など自分の子供が対象でない場合、子供によってはLGBTや複雑な家庭環境により「したくもない結婚を押し付けられた!」と考えなくもないので下手なことは本当に言えない。また、非常に一般的な話(結婚式にはお金かかるよとか月々の家賃は払わないとね~とかそういうレベルの話)をしても「うちの子に余計なことを吹き込みやがって!」みたいな反応をされる親御さんもいるのでしないほうが無難である。ちなみに家賃の話をした場合、子供が「うちの家賃はいくらなの?」と両親に尋ね、「この子はお金のことなど考えずに暮らしていけるようにしているのにそんな庶民的なことを教えないで欲しい」とか、そういうクレームもなくはない。下記でも触れているが、子供のケアではなく家庭のケア案件は意外と多い。

 

ケース2:反抗期

小学5年生~中学2年生くらいの子によくある謎の万能感から「大人を論破してやろう」という系の発問の場合。多くの人がこの辺りの子供を想定していると思われる。家の場合、やりたくないというものを無理にやらせてもよくないので最低限の宿題などだけやらせて後は好きにさせておいた方がいい気がする。漫画やゲーム、スポーツが好きならそこから何か「調べて知識を得る、学習する」という機会を設けるといいと思う。ポケモンの名前と属性を言えるとか、野球選手の打率に一喜一憂するとか、そんなんでいいと思う。「学校の勉強と生活がリンクしてるぞ」という体験を重ねていけば、自然と学習する体勢に戻っていくと思う。問題は好きなものがない場合。これは……ケースバイケースで対応するしかない。一概にどうとは言いにくいけどケース4と併発している可能性もある。


ケース3:夢追い人

「俺〇〇(スポーツ選手やYouTuberなど)になるから勉強いりません!」とか言うタイプの攻略は必殺ワードがある。「こんなことは言いたくないが、もしなれなかったらどうするの?」である。ちびまる子ちゃんで「ノストラダムスの大予言でどうせ世界は滅びるから遊んで過ごそう」というまる子に勉強をさせたのはお姉ちゃんの「はずれたらどうするの?」である。その次のコマで1999年に遊びまくってちゃらんぽらんな大人まる子が「みんなちゃんとしてる」と焦る想像をしている。「プロを引退したらどうするの?」でもいいと思う。ちなみに経験則ではあるけど、真面目にスポーツを頑張る子はストイックなので勉強もそこそこ頑張る傾向にあると思う。レアケースであると思うけど、指導者が「勉強する暇があるなら練習!勉強する必要ない!」とかいうハズレ案件もある。出来ればそういうブラック企業もドン引き案件からは撤退していきたい。

 

ケース4:不登校発達障害

ここからはケースバイケースなので一概には言えないことになるけど、傾向として勉強そのものに苦手意識を持ってしまっている子に勉強の必要性を説くのは酷である。学習障害であれば特性を把握する、学習そのものに興味を持てない場合柔軟に対応する(漢字の書き取りの回数を減らしたり計算問題は数字を書くのは指導者にするなど学習の負荷を減らりたりなど)。学校が嫌いになっている場合、勉強=学校の嫌な思い出がフラッシュバックなど複合的なものがあるので指導者だけで解決せず大人の連携が必要になってくる。大事なのは1人で抱え込まないことだ。

 

いろんなケースを見てきたけど、「どうして勉強するの?」というのはまだマシで真にヤバいのはそんな発問も出来ずに親に言われるまま「勉強して良い学校に」というタイプ。このタイプかつ子供の点数は全部指導者のせいという保護者にぶち当たると指導者に求められるのは真面目に対応するよりスルーする能力だったりする。


いや本当はスルーなんかせずにきちんと向き合わないとダメなんだけど、向き合ったところでまず話し合いにはならないし相手の要求ばかりでこちらの要求はほとんど聞かないし多分親御さん自体にもなんか事情あるだろっていうことがチラホラ。そんな時に大事なのはまず自分の心を守ること。メンのヘラの世界に引きずり込もうとする動きに飲まれない。冷たいかもしれないけど、自分が動けなくなってしまったらおしまいだから。世の中の精神を病む先生の何割かはこういう生徒や保護者、引きずられて一緒に引きずりこもうとする同僚に引きずられていると考えている。彼らに必要なのは学習ではなかったりするが、それが何でどうすれば彼らを救えるのかはまだわからない。いわゆる教育虐待って、どうすればいいんですかねぇマジで。


つまり「勉強なんかやだぁ!」という子供の方が健全である。対話が出来るということは素晴らしいことである。真っ向から答えてもいいし、子供の嫌だという気持ちに寄り添ってもいい。とにかく対話と信頼関係が大事である。結局子供の問題は信頼関係なのかよってなるけど、ぶっちゃけ信頼関係のメーターが100%に到達しないと何の支援もできないってところがこの手の問題のややこしさなのである。どうして勉強ってさせるんでしょうねえ。おしまい。

 

わからないことは考えながら書いてみるとわかることもあると聞いた

割と何言ってるのかわからないので書きながら考える。

 

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色々見てもド素人のコメントが多い

わからないことを印象だけで語らない方がいい


これだけなら「うーん、まあそうかな」とは思う。わからないことを印象だけで語るのはよくないね。そうだね。


でも気になるのは、「女性同人誌界隈のいざこざは印象では語れない」という点。そりゃ原稿の締切とか即売会の細かなルールみたいなのは「界隈じゃないとわからないだろう」とは思うけど、増田でよく取り上げられる話題って「字書きが尊くてムカつく」とか「サークルのA子が空気読めなくて困る」とかそういう人間関係の話が多いと思うのよ。そりゃ人間関係の話だったら印象で語られても仕方ないと思うけどな。

 

【追記】

ブクマがついたようだけど、自分が同人に関与して解像度高いとはいってないし言わない

単に明らかに専門外な人が、特によく知りもしない女性同人界隈のいざこざに噛みつきたくて仕方ないんだなーとおもっただけ


関与してという言い回しが気になるけどそこはスルーしておく。先程も書いたけど「人間関係のいざこざ」には専門外も何もないよ。「そりゃ誰それが悪いね」「君にも悪いところがあるかも」くらいの話しかできないし、いざこざに専門もクソもあるのかいという話。「IT企業の話」なら専門的な話が必要になるかもしれないけど、「IT企業の人事の話」なら専門外の人でも印象で語れるだろうな。

 

こういうのね

ラニアの池に血の着いたハンカチ投げ入れて「ちゃんと獲物だとわかってる奴だけ食え」と言われても

 

はてぶの同人界隈への解像度が低い

ラニアの池に血の着いたハンカチ投げ入れて「ちゃんと獲物だとわかってる奴だけ食え」と言われても。

2021/02/25 16:15

b.hatena.ne.jp


!?


いや、どういうの?

ブコメは比喩を使っただけで「いっちょ噛みしたがる連中の中にいっちょ噛みしたくなるもの投下しておいてきちんと理解したものだけ反応してくださいって言うの、投下するほうがどうかと思うわ」というようなこと言いたかったんだけど、伝わったかな?


もしこのブコメの意図を理解して引用したとするなら、「それな、マジ同意。増田はピラニアばっかりだよなー」いうことなんだろうか。それとも何らかの敵意を感じて「この増田なんかピラニアに食われてしまえ」くらいの意味で読み取ったのだろうか。マジでどんな意図で「こういうの」って引用したのか知りたい。超不安。こういうのが一体何?何なのよ!どういう解釈なの!?


あと私は専門外なので是非増田さんにお伺いしたいことが二、三あるのですが、増田さんは「ド素人はわからないことを印象で語らないほうがいい」と仰られていましたが、増田という場所は基本的に女性同人界隈のお話をするのに最適化された場所ではなく、女性が書いた同人界隈の愚痴には「うんち」「クンニ」など意味不明のトラックバックがついたりブコメで「ながい」「またやってる」などウザがられるような場所です。またはてな界隈では男女問わずオタクは多く、女性の多くははてなブログでよくお気持ち表明をしております。ド素人のいっちょ噛みを避けて長文を書くだけならはてなブログで思う存分書けばよろしいかと存じます。それでも増田という場所を選んだということは、誰かに見てもらっていっちょ噛みしてほしいということでもあると解釈できます。はてなブログの存在を知らずに「はてぶはド素人が多い」というのは一体どこのどういう増田やブコメはてなブログをご覧になってのことでしょうか?あと増田さん自身、「はてぶ」という言葉の意味をどのように解釈されているのか伺いたいと存じます。私からは以上です、長々と失礼致しました。


結論:やっぱりわからなかった。

 

「遊郭って何?」と子供に尋ねられた時に考えること

増田で聞かれたので長めに答えてみようと思います。そんでいろいろ考えたらやっぱりいろんな視点が出てきたのでまとめておきます。

 

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そもそもの話

増田で「自分で調べなさいはシャットダウンではないか?」と尋ねられたのですが、大前提として「あのブコメは5秒くらいで何も考えずにつけた」というのを心においてくれると助かります。それを踏まえてあのブコメを意訳すると「知らねーよバーカ」になります。ここテストに出るところです。


そもそも、そもそも。子供を拵えたということはそういうことをしたわけであって、子供を育てていく上でそういうことを教えなきゃいけないなんていうのはもうそもそもがそもそもじゃないですか。命と向き合うのにどうして命の始まりを誤魔化そうとするのか。「うちの子にどう説明したらいいかわかんない」じゃないですよ。子供生まれた時点でそういう時がいつかくるのを覚悟しておきなさいよ。


とまあ思いっきり「そもそも」の話を最初にするんですが、遊郭の説明が難しいのはセックスの話をしたくないからとかそういうことだったら子育てとしてまるで話にならないので却下。遊郭以上に難しい局面に陥ることなんざ大量にあるだろうに。男子なんて中学生とか高校生になったら友達同士の挨拶が「セックス!」になったりするぞ。そしたらどうする?


「自分で調べなさい」の話

シャットダウンの件になると、これまた大前提として「自分で調べなさい」をやるには信頼関係が大事という話が必要になってくる。ここから先は個人的な話になるのでいろんな人に適用できるものでもないと思うけど、参考までに聞いてくれ。


「図書館で調べなさい」には実は意味があって、図書館で調べられる年齢=知るべき年齢かなと思うわけ。ネットで調べりゃすぐなんだけど、それだと何をどう読んだかわかりにくい。それに「読んだけどわからなかった」というなら「じゃあ勉強してわかるようになろう」という方向に持って行ける。本当に興味のあることならどんどん理解を深めていくだろうし、逆にどうでもいいならそれ以上自分から深掘りはしないだろう。性教育ではなく遊郭についての話だけだったらそうやって興味をなくすのが面倒くさい質問に答える手間を省くには手っ取り早い気がする。


ここで図書館での調べ物の仕方について書こうと思ったけど本旨からはずれるからやめるよ。


調べ物が出来そうにない低年齢の子供の場合は、そもそもそういう質問が出来ないしきちんと説明しても理解できるかどうか怪しい。自分なら「見てりゃわかる」しか言わないかなぁ。そんで不明点を作品からピックアップできるようになれば大したものだと思う。漠然と見ていたらそういう疑問は湧いてこないからね。


図書館である程度調べられるようになると、ネットで検索して調べることもできるようになると思う。そして答えがわかったら必ず答え合わせをする。親が思っている以上に子供は吸収しているかもしれないし、変な方向に行っているようなら軌道修正が必要になる。


例えば「遊郭」を理解するためにはまず人身売買などの奴隷制度、そして人身売買をしなくてはならなかった当時の貧困や人権意識、更にセックスの知識が理解出来ていて初めて理解の第一歩が踏み出せる。そこは親が掘っていくより先にある程度知識として持っていて欲しいなとは思う。そういうのは口で言ったってわかんないのよ。


そんなことを前提に「自分で図書館で調べろ」と言ったわけですが、まーみんながみんな無理だよねえ、知ってる。個人的な話をするなら子供が遊郭に興味を持ったら「日本残酷物語」から「江戸の服飾史」とかそういう本まで一緒に借りてきてノリノリで読むだろうなというのは想定できるのですがかなり個人的なノリだしそういうことは実際ないと思います。

 

ただ単体の「自分で調べろ」って「私は応えない」って意味なのよね


というわけで今回は増田の話を全否定させてもらいます。「自分で調べろ」っていうのは「私は応えない」じゃなくて、「自分で調べられる能力を使いなさい、私たちはあなたにそれがあると信じてる」くらいの意味で使ってます。手に負えない案件はもちろん話をするだろうけど、それを判断するのはケースバイケースとしか言いようがない。年齢に性格家庭環境バラバラなんだから絶対的な正解があるわけでもないわけで。


増田は「変な本を読まれても困る」みたいな懸念をしているけど、多分そうなった場合年齢的に図書館に連れていくのも俺!借りてきた本見て読むべきかどうか見るのも俺!参考文献に「優しい性教育」的な本を勝手に入れておくのも俺!俺だ俺だ俺だった!になると思うので安心してください。ねむい。


遊郭」の説明

とは言えざっくり子供に説明するならどうするかなー。自分もそんなに詳しいわけでもないんだけど、ざっくり要素に分けて情報を解禁していく感じになるかなー。下に行くほど低レベル解禁な感じで書くとこんな感じ。


〇女は使い捨てで劣悪な環境に置かれてたらしいで(この世界の片隅に参照で)。
〇男がカネ払ってセックスする場所やで。
〇「あーれー」「よいではないか」をする場所やで。
〇女の人が着飾って男の人の相手する場所やで。
〇キレイな着物きた女の人がいる場所やで。


ただ何となく聞いてきてる低年齢の子ならこのくらいのざっくりで何も問題はない気がする。変に食らいつく奴は、それはそれで別途対応しかない。


まとめ

個人的に「保護者としてー」というのになんかイラッとしたので書いた。今回はたまたま性に関する話題だけど、多分うちは何でもそういうスタンスで行きたいと思ってる。ハダカデバネズミの生態とかロンギヌスの槍とは何かとか太陽の終焉はどうなるかとか、どんな質問が飛び出すか分からない。その度に粗末な自分の言葉で「この分野には詳しくないんですが」みたいなコメントつけたくないし、「調べておいでな」くらいは言いたい。


ちなみに自分の子供の頃を思い出すと、テレビを見ていて知らない言葉が出てくる度に親に「~ってなあに?」と聞いていたのでウザくなったのかテレビの脇に広辞苑を置かれて「自分で調べろ!」となるような子供でした。結果として辞書をひく癖がついたのは良かったなあと思っています。おしまい。

 

お気持ち長文についての覚書2021

お気持ち長文の文章なんて面倒だぜ!という人のためにこの記事は手短にまとめました。本文は2000字程度です。


お気持ち長文とは?

特に定義するのも馬鹿らしいのですが、個人的に「なんか読むのがダルくなるほどグダグダ長い文章」くらいの運用しています。文字数的に短くても何言ってるのかわからないくらいグダグダしていたらお気持ち長文で、長くても要点がまとまっていて内容がしっかりしているとそうでもないイメージです。あと「お気持ち」を重視して自分語りしていたら文章が短めでも「お気持ち長文」かなと勝手に思ってます。

 

先行研究

nogreenplace.hateblo.jp


お気持ちの種類

※なお例示の増田は例外なく長文なので注意。あくまでも例示であり、他にもたくさんお気持ち長文は存在する。

 

作品系

とある作品やアーティストについて「こうだ!」「ああだ!」とやる奴。情念がすごいことがある。

 

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同人系

同人関係の自カプがどうとか字書きと絵描きがどうとか感想お気持ちマンがどうとか。

 

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恋愛系

恋愛とか婚活とか不倫とかの惚気なのか失敗談なのか悩みなのか何なのかわかんない奴とか。

 

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対人関係系

恋愛系と違い「他人に合わせられない」「コミュニケーションがうまくできない」という悩みが多い。相談のフリをしてただの自分語りに終始することも多い。
 

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毒親

ここで扱う「お気持ち系」と系統は少し違うけど、半生を振り返るスタイルになるのでどうしても長くて暗い話になってしまう。

 

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その他

上記になんか当てはまらなくてもグダグダしてて長めの奴はまあまあある。

 

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お気持ち長文の主な特徴

あまり必要ない登場人物紹介

これが文頭に書いてあったらお気持ち長文と呼んでいいと思う。主に同人系や対人関係系にみられる。長々と登場人物紹介しておいて本文にあまり関係なかったりすることもある。やたらと登場人物をABCに置きたがるが、「友人(以下A子とする)」で他にBもCも出てこないのでわざわざA子にする必要なくね?と思うことも。「ここまで前提」という前フリが定番。


オチがない、主張が弱い

主に自分語りがメインなのでオチも特にないし、特に何が言いたいとかもない。惚気でもない限り大体「私は不幸だ!気の毒だ!」「あいつらはおかしい!バカだ!」というところに帰結する。


読者をうまく想定できていない

たまに「愚痴なので読まないでください」みたいな前フリあるけど、匿名掲示板に書き込むのに読者を想定せずあくまでも独り言を貫こうとしてるのに反応あると「思ったより反応あったので追記追記」となるパターンもある。増田という特殊な環境のせいか読者との距離感が掴めていない感じがする。


何故長くなるのか

上記の特徴からの推測であるが、気持ちの赴くまま何も考えずに書いているからという身も蓋もないことは置いておいて「必要以上に予防線を張りすぎた結果」なのではないかと考えている。無駄な登場人物紹介や不必要な気持ちの発露、お気持ちだから読むなと言って最後まで読んでくださってありがとうという挨拶。「何も考えていない」というより「私は悪くない!それを認めて欲しい!」という叫びを感じる。このブログで度々使う「俺悪くないよなメソッド*1」なのである。


そういう書き方になるのはそういう文章が蔓延してて、そういうのを書くもんだと思い込んでいる可能性もある。お気持ち長文を書くのは旧2ちゃん同人板や生活板系まとめサイトなどでお気持ち長文を読んでいるから。それが面白さだと思っているから。そんなもんである*2


また「お気持ち長文は女性が書く」というのは偏見であり、例に出したように男性が書いたと思われるものも見受けられる。しかしこのブログ書いてる人も体感的にこの手の長文の書き手に女性が多いと感じるのは、お気持ち長文になりやすい話題を女性が語りやすいからであると考える。女性だから長文になるのではなく、長文になりやすい話題に女性が参加したがるのだろうと思う。


個人的雑感

総合すると、個人的にこの手のタイプの文章は好きではない。独り言と称してTwitterでバズを狙っているような心持ちを感じることもあり、承認欲求と内に閉じこもる感情の不安定な状態を感じることも多く、お気持ち長文というだけで実は常に「不安になる」カテゴリなのである。不特定多数の読者を意識して書かれた文章ではないのに筆者は読まれることを気にしている。このアンバランスさがお気持ち長文の気持ち悪いところであり、魅力なのであると思う。


ついしん。ブクマカがブクマしてないだけで増田には沈んでいくお気持ち長文がたくさんありますのでどうかついでがあったら増田を覗いてブクマでも供えてやってください。おしまい。

 

 

 

*1:いわゆるひとつの釣り構文。ある事実に対して「こんなことがあったんだけど、これって俺のせい?(おれはわるくないよな?)」という文章は炎上しやすい。

*2:ネットで私的にどうこうする分には全く問題ないと思っている。しかしこんなテキストを小論文やレポートとして提出されたら指導している人がどんな気持ちになるかという点は考慮に値する。