あのにますトライバル

君の気持ちは君の中でだけ育てていけ。

ブログの言及文化とかの雑感

新年明けましておめでとうございます。新年早速インフルでぶっ倒れて療養中にこの記事書いてます。予防接種してたので熱はそれほど上がらず済みました。予防接種大事です。


そんで、この辺の話を自分なりにしておきたいなと思ったのでしておきます。「かつての繋がっていたブログ文化はどこ行ったのか」という話題だと認識して話を進めていきます。今回は体調不良のため超ぐだぐだ行きます。めっちゃぐだりましたが体調不良なのでぐだってるままの文章でいきます。

 

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結論

ブログ文化は死んだとか消滅したとかじゃなくて、ネクストステージに入ってる。以前のものと変質しているので同様のものに見えないのかもしれない。


発端

シロクマ先生の記事では最初が「無知なお前らに最高のゲームを教えてやる(据置編)」ということだったけど、この増田も実は後乗り増田で、そもそもの発端はこちらの増田だと思われるのです。

 

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そこから何故か派生して次々と「お前らに教えてやる」と言いながらほぼ90年代カルチャーを列挙する増田がいくつか見られました。

 

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だからこの話は元々増田やTwitterで見られる「改変文化」なのだと思われます。改変の起きやすいTwitterでは様々な文がネタにされ、増田だと特定のワードをアナルだのパンティーだのにした改変増田がよく出回ります。記憶にあるところでは、一昨年、オタクが女性にオタク知識を披露して「へー(無関心)」「なんで? (殺意)」という増田が局所的に流行ったのを覚えている人もいるかと思う。あれと同じ現象です。そこでシロクマ先生がマジのマジレスをしたので今回のように繋がったのかなと思いました。

 

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ブロガーってなんやねん

で、ブログの話に戻ってくるといつも「そもそもブロガーってなんやねん」というところから自分は疑問に思ってしまうのね。なんやねんブロガーって。ブログ書いてる人は皆ブロガーなんか。ブログって言っても色々あって、写真だけ上げてる人も絵だけ上げてる人も1行日記の人もブログアカウント持ってるだけの人も、みーんな「ブロガー」でいいのか。何となく「ブロガー」って言葉には「長文書く人」みたいな限定したイメージがあるんじゃないかな。じゃあ増田で長文書いてる人も「ブロガー」でいいじゃんかって思う。


個人的に、発言する媒体で「ツイッタラー」とか「インスタグラマー」とかそういうのはわかるんだけど、「ブロガー」だけは何だかよくわからん概念なんだよね。同人界隈の「字書き」と同じカテゴリ。何故だろう、文章を書く人っていうのはそんなに自己を大きく見せたり自虐したりしなくちゃいけないのだろうか。


別に長い文章書くから偉いのかって言うとそういうわけでもなくて、短い文でもバシっと面白いことを言う人は面白いし、短歌や俳句を嗜む人は短文というか言葉を選ぶ勝負をしているわけで、長い文を書く人より優れている部分もたくさんある。たまに「こんなに長文書けてすごいですね」とか言われたり言っているのを見るけど、そんなにすごいことじゃないと思うよ。同様に絵が上手な人は自分のことをそんなにすごいと思っていないだろうし、何でもそれで表現している人はそれが「当たり前」になってるからそういう褒め方されてもピンと来ない人はまあまあいると思うし、逆にバカにされたと思っちゃうかもしれない。たまにそうやって他人を褒めてるつもりで「でも自分は出来ないダメ人間なんですよ」って自虐しちゃう人はなんか聞いてる方が居たたまれなくなるからやめて欲しいというのもある。


そんな中で「ブログを書く人とそうでない人の違い」をあげるなら、「話題を広げやすいかそうでないか」ではないだろうか。短歌の鑑賞会みたいな形式もあるかもしれないけど、とりあえず短い文章より長い文章のほうがたくさんの話題に広がりやすい。言及文化というのはそういうところから生まれたのかもしれない。


「言及文化」が消えたのは何故か

とはいえ、シロクマ先生の指摘するように以前に比べてひとつの話題でホッテントリまで埋めるくらいあーだこーだすることは確かに少なくなった。それを自分なりに少し考えてみる。


まず理由として考えられるのは風潮として「話題の共有できなさ」にあると思う。多様性が進んだと言えばカッコイイけど、悪く言えば「興味ない話題は見えないのと一緒」みたいなことになっていると思う。「ああ、あれ流行ってるよね」じゃなくて「何それ?別に興味ないし」で受け流すみたいな、そんな感じ。ホッテントリにあるブログの話題なんてそもそも他人事で自分事として長文に落としこもうなんて言うのが物好きのすることで、それを読んでもらおうなんていうのはとんでもない酔狂のすることなんだろう。


それと「他人の言説に言及する精神的コストが増大した」というのもあると思う。やはり悪く言えばシロクマ先生の言う「言及文化のあった時代」は村的なところがあって、ある程度の村人同士の信頼関係があったからこそ成立していたのが言及文化なんだと思う。あざなわさんがよく言うところの「ネット上のプロレス」が成立していたというか、お互いがお互いの様子を知っているからこそ言及できたし、面識のない人でも「お約束」をある程度理解して話を始めるので安心して話を聞くことが出来た。距離感で言えば隣の学校の同じ部活動の仲間くらいのところがあって、共通の話題や手のうちの見せ合いなんかは2020年現在に比べたら容易だったと思う。サードブロガーなんて言ってた頃もそうでしたね。


時は下って2020年。「よく知らない人、気持ち悪い」*1というパワーワードが登場した辺りから色んな意味でどんどん「知らない人」が増えてきた。言及する話題を知らない人、有名な書き手を知らない人、適切な距離感を知らない人、そもそも自分が何者か知らない人、などなど……知らないんだから言及なんかしてる場合じゃねぇ。1から勉強するのも超ダルい。

 

はてな村奇譚上

はてな村奇譚上

 
はてな村奇譚下

はてな村奇譚下

 

 

今更「はてな村忌憚」を読んでもそもそもメタな用語が多すぎて2020年現在だと完全にわかんないネタも出てきた。「旅籠屋参謀本部」は当時ガチで笑い転げたけど、当時の空気がわからない人には本当にわかんない。最近漫画紹介をしてる魔理沙アイコンをブコメで「誰この人、有名人?」と言っている人もいたし、そもそも魔理沙ってキャラは何?という人もいるだろうし、既に故人も何人かいるし、時間というのは残酷だと思う。たかだか5年かそこらの話なのに。


話がズレた。とりあえずまとめると、ブログに言及するっていうのはある程度の信頼関係とお互いの知識量や手の内が釣り合っていないと難しいんだと思うのでその辺がバラバラな最近だと成立が難しいというところだと思うのです。


言及文化の途絶えた世界で

シロクマ先生は記事の中で「はてなブックマーク上で言及一覧が消えたことも言及文化衰退の一因ではないか」と述べているけれど、これは実は逆で上記のような理由から「言及文化が衰退したから需要のない欄を消した」のだと自分は思っている。


はてなブログの新着一覧が消えたときも反対の声はあったけど、はてなの運営曰く「おめーら使う使う言ってるけどアクセスしねぇじゃん!やっぱ消すぜよ!」ということらしいので運営にも言い分があるのはわかる。言及一覧もそんなところじゃないのだろうか。たまにぼーっと見ているのが楽しかったので個人的に好きだったんだけどね。

 

トップページのリニューアル後、特に新着エントリーについては参照しているというユーザー様の声が多く寄せられたため、ページ自体は削除せずそのままの形で残しておりましたが、1年を経過し、実際にはアクセスがほとんどなかったこと、またその多くがボットなど機械的なアクセスであったこと、スパムや不適切な投稿を排除できていなかったこと、新規エントリー数の増加により本来の役割を果たせていなかったこと、といった従来の理由に加え、このページから取得した情報をもとに機械的に読者になったりスターをつけたりする迷惑行為に利用されるようになっていたことから、ページ自体を削除することといたしました。

トップページのリニューアルにともなって廃止していた「新着エントリー」などのページを削除しました - はてなブログ開発ブログ

 
そしてこれはついでだけど、今のはてなブログのグループ機能は死ぬほど使いにくい。あれ活用させる気ないだろうってレベルで使いにくい。どう使いにくいのか具体的な改善策が思い浮かばないくらい使いにくい。とりあえずグループ作った後いつまでも作成者に新規のブログが加入したことを通知しなくてもいいと思う。というか、あの通知いらない……。


そんでこれは個人的な経験談だけど、随分前に「もっといろんな人のブログ読みたいな~」くらいのノリで新着記事とかホッテントリ新着とかから適切に頑張ってるブログに「いいね!」みたいなブクマをしてたらその後固執されてめちゃくちゃ粘着されたりしたので上記の「言及文化には信頼関係と距離感が大事」っていうのは本当に必須事項なんだろうと思う。


言及する対象をある程度ウォッチをした上で「この人にはこのくらい言っていいだろう」みたいな人間関係の距離感みたいなのが真面目に大事になってくる。この過程をすっ飛ばすと起こるのがいわゆる「学級会」で、よくある同人トラブルの学級会の大部分はこの辺の信頼関係や距離感の問題に集約することができると思う。

 

またぞろ「互助会」

そもそもあざなわさんが記事で指摘する通りはてなブログの記事がホッテントリに載ること自体が減ってしまった。それもこれもいわゆる「互助会」のせいなんだけど、これらの話は過去されつくしているので過去に書かれたアーカイブをそれなりに読んでから自分の感想を持ってもらいたいと思う。「言及文化」についてもそうなんだけど、ある話題について言及するにはそこにたどり着くための先行研究をある程度踏まえておくっていうのが大事になってきて、その辺が新規参入のハードルを上げていると思う。何を書いても「もう見た」になっちゃうしねぇ。


すげー簡単に「はてなブログ互助会騒動」の歴史をまとめるとこんな感じ。

①最初期は友人に頼んで(?)新着3userを狙っていたブログ主が「それはヤラセだ」と糾弾されるなどしていた。当時互助会というワードは頻出せず。

②ブログマネタイズ勢がはてなブログに進出。悪意があるのかないのかよくわからない相互ブクマが流行る。この頃互助会というワードが使われるようになる。

③「みんながそうやってるから」と無意識に相互ブクマをする勢力が登場。いわゆる「参考になります!」などの互助会構文はこの辺から生まれる。

④この頃から好意的なブコメを付けただけで悪意ある「互助会認定士」が登場し、ブロガーVSブクマカみたいな訳のわからん争いが生まれる。

⑤何世代かに渡ってコンテクストが断絶し、③と④を何度か繰り返す「学級会」が起こる。


ここまでまとめてわかったことは、この「互助会」というワードひとつ取ったとしてもコンテクストの断絶は進行していて、この瞬間に「互助会」という話題を知ったとしてもそれについて調べることは容易ではないし、変な印象で一席ぶちかまして怒られることを考えると語れることは何も無い。だから記事にもしないし、もちろん言及もしない。そんなところだろう。


ここでは互助会を例にあげたけど、他にもいろんな事柄で「これは言及していいんだろうか」ということはあると思う。そんな時ブコメでリンチみたいなことを恒常的に見ていれば「言及しようかな」と思えないことはあると思う。それでも言及してくるガッツのある奴は今すぐ言及してきてほしい。慣れれば石をぶつけられるのも痛くない当たり方があるから平気だよ、ほら(ホラー)。


長文文化は死んだ訳では無いが死んだようなもんか

そんな感じで雑感として言及文化は怖いし動線も整わなくなったし上記の記事で指摘されている通りメリットもないしで衰退していった感じだけど、じゃあ長文文化はどっかに行ったのかと言えば、そうでもないと思う。

 

nogreenplace.hateblo.jp


ここで少し触れたけど、この中で紹介した「はてなブログはてブ」と称するところは長文中心の文化が中心にあると思う。過去の「はてな村」とは違うけど、古来からあるアイドル文化やオタク文化の文脈が根強く残っている。何故かはてなブログでは以前からジャニオタを中心とするアイドルブログが多く、そこから様々なオタク趣味の熱情を綴るブログが結構ある。


今回の記事を書くに当たって久しぶりに「note」のトップを覗いたら「noteの感想を書こう」とかハッシュタグで繋がりやすくなっているとか、はてなが抱える「新規参入が難しい問題」をクリアしている感じがした。こりゃみんなnoteに流れるわ。オープン当初のnoteしかわからなかったので「なんで今更note?」と思っていたんだけど、はてなはオワコンって言われてもしゃーない気がしてしまった。でもブログ編集画面のUIははてなブログが圧倒的に好きだからよっぽどの事がない限りどこかに行ったりはしないと思う。


ただ、はてブでもnoteでも言える話なんだけど、記事あたりの文章量や文字数は確かに多いんだけど「かつての村祭りのように議論のできる文章か」と言われたらそうではないんだよなあと思った。文章というより箇条書きで書き連ねていったり内にこもったりという感じの文章で、「私のことを見て、分かって、納得して」という感じはない。どっちかというとケータイ小説の文脈だったりTwitterの「長文スクショ」の文化に近かったりする。


もちろんどっちが優れているとか劣っているとかそういう話ではなく、同じ「長文のブログ」でも性質が違う文化だと注目もされないしもちろん認知もされない。Twitterを覗けば「誰々さんのはてブエモい」「誰々さんのnoteの超ファンです」みたいなツイートはたくさん見る。そこに以前の言及文化のようなものは存在しないし、こちらの存在を認知するようなこともないだろう。ただ、以前の「ブログ文化」というものを継承しているのは間違いないと思う。そんな感じですかね、はい。


まとめ

言及しようにも言及する対象とか範囲とかそういう面倒くさいことが重なって新規参入が難しくなったのはあるよね。あとブログ文化自体はしばらく消えないと思うから大丈夫じゃないかな。そんなところ。


最後に

「長文書けないから書かないよ」「文章下手だから」と言う人をよく見るけど、英語と一緒で話し始めれば意外と喋れたりする奴なので苦手意識ある人ほどこっそり文章書けばいいのにと思う。あと訓練としてお気に入りの文章を書き写すのは真面目にアリだと思う。理屈は説明しても難しいと思うので、考えるな、感じろという感じでやってみて欲しい。新年の新チャレンジに文章書くのにトライしてみよう。おわり。

 

*1:どんな意味なのかは各自ググッてください。