あのにますトライバル

君の気持ちは君の中でだけ育てていけ。

面倒くさい私見

面倒くさいけどとりあえず私見

 

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以下こっちは元増田。

 

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以下こっちはトラバ増田。


総合見解

面倒くさいから七並べでもしようぜ。


以下読まなくていい本文

元増田の悩みは「差別」と呼ぶには範囲が広すぎると思う。差別と括るには後輩女性と比べて不利益を被ったり無視されたりといったマイナス要因を並べないと厳しいと思う。身も蓋もないことを言えば要は「私も特別扱いしろ」*1ってことなのでこれは業が深く、差別というより個人的な嫉妬の可能性が高いと思う。それを先輩に責任転嫁しているように読めるため、非難が集中したと考える。


ただ、ここに書いたことはあくまでも「元増田」から読み取れることなので元増田の文章の外に酷い扱いを受けたとかそういうことがあればそれは「差別」になると思うけど、その決定的なエピソードがないので「差別」と呼ぶには躊躇いを感じてしまう。


個人的に興味があるのは、その後元増田はその後輩や先輩にどう接してきたかってことかな。そういう気持ちを抱いて元増田はフラットに接することができたのだろうか。もしそこでモヤモヤを抱えて無意識に嫌な態度を出してしまっていたならそれは元増田も同じ穴のムジナだと思う。「それでも私はそんなことおくびにも出さずフラットに過ごしました」というなら、誰も何も言うことはできない。つまりは「お互い様」なんだよねこういうのは。


「お前に何がわかるんだ、私は辛かったのに」と思うかもしれない。それと一緒で、元増田の気持ちだってわからないし緊張しちゃった先輩の気持ちだって不当に扱われて不服かもしれない後輩の気持ちだって元増田にはわからないし、文章を読んだ私たちも文章からわかることしかわからない。わかってほしかったら「そんなもんか」と突き放すのではなく、言葉を尽くさないと伝わらない。


はてなではしばしばこれと似た話が発生する。もしこの元増田が男で「俺が先輩から軽んじられたのはKKOだからだ」という増田だったら目も当てられないフルボッコだったのは目に見えるようである。この場合男性と女性の立場の非対称性があるので完全に入れ替えることは不可能だけど、似たような趣旨の増田だったら「自意識過剰」「身なりを清潔にしろ」「その僻み根性を女性は感じているんですよ」「後輩に八つ当たりするな」となりそうなものである。おそらく今回の増田の反応より苛烈なものが返ってくるだろう。


それを踏まえてキツすぎるトラバ増田のほうへ目を向けると、キツすぎて目も当てられない。元増田の文章の添削と言ってもいい。ぶっちゃけこんなキツい言い方をされたのは元増田の文章がよくなかったのが最大の原因だと思っている。


しばしばネットで叩かれる文章には特徴があって、そのひとつに「俺悪くないよなメソッド」というのがある。これは個人的に命名しているものなんだけど、よく読むと元増田の文章にはこのメソッドが見え隠れする。実際文章を解体すると「気持ちのすれ違い」レベルの話なんだけどそれを「差別」という言葉で括って大袈裟にしてしまったのが最大の敗因。個人的に差別という言葉を使わずに「態度を変える」だったらブクマ数は半分以下で「そういうこともあるよね」「ドンマイ」というレスも多く変なトラバもつかなかったと思う。


なんていうか、元増田の文章というか思考には思考にはどこまでも自分しか存在していなくて他者の存在が感じられない。多分それは元増田の性格でそのせいでいろいろ苦労しているところもあるんじゃないだろうか。実生活でもこの増田の反応みたいなことを貰って悩んだこともあるかもしれない。元増田に言えるのは「これからは与えられることだけじゃなくて与える視点に立って欲しい」っていうことかな。かつて悲しい思いをした元増田を生み出さないことがこれからの元増田の使命だと思って欲しい。


そんでトラバ増田は残念なことに言葉を選べと思うところはあるけど、明らかに間違ったことは言ってないと思う。だから「正論」と括ったけど、正論だからと言って正しいわけではない。特にこのような人間関係の話に正解もクソもない。だから人間関係は難しい。「差別」にも「ちやほや」にもグラデーションがあって、文章から読み取れる濃度と元増田の気持ちの濃度が一致しなくてエラーを吐き出した感じだろうか。


問題はそれを「トラバ増田の言う通り!」というブコメが異常発生したところにあると思う。「この増田の言う通りだ」「モヤモヤがスッキリした」などというブコメが予想外に膨れ上がり、元増田のブクマ数の2倍近くになっている。


このことからわかるのは、人々は個人の愚痴じゃなくて自分の中のつじつまや物語を大切にしたがるってことだと思う。匿名で文字だけの存在に人間性を求めてヨシヨシするのは結構難しい。やはりある程度自分と同化して物語を消化しようとする。そうすると元増田の記事の場合、「素敵な人の前でドキドキするのも差別と非難されなきゃいけないのか」って、反発は仕方ない。だけどそれはやはり元増田のブコメやトラバでやるべき話で、トラバ増田を読んで「その通り!」というのもなんだかなぁという印象。

 

個人的には全ての差別の解消なんて不可能だと思ってる。前から言ってるけど見た目怖いオジサンでもナイーブな面があるだろうし、吹けば飛ぶような女の子でもものすごく芯が強いかもしれない。でも人は見た目に引きずられる。もうこれはある程度諦めて、でも理想くらいは持っていたいよねというスタンスでいるのが一番ストレスがないと思う。これは元増田にもちょっと潔癖なところがあるトラバ増田にも「その通り!」と思ってしまった人にも言える話だと思う。大事なのは第一印象よりその後の信頼関係だと思うので。


まぁ好きな増田をブクマすりゃいいと思うし、誹謗中傷にならない程度に好きなブコメすりゃいいと思うんだよね。だけど今回めっちゃ星をもらってもそんなに嬉しくはないし、どうせならトラバ増田と同じ趣旨の事書いた元増田のブコメに星が欲しかったとか余計なことを考える。そういう嫌な気持ちって半分くらいは自分の中との戦いだからなぁ。


確かに元増田の文章にはツッコミどころや隙がありすぎる。しかし、それを暴露されて果たして元増田は幸せなのか。以前も似たような記事があったけど、それも含めてトラバ増田も似たような状況を乗り越えてきてマッチョなことを書いてる可能性は高いと感じている。あんだけ強い言葉を使うならトラバ増田は自分のブログでやればいいのにとは思う。多分一部でカルト的な人気を誇るに違いない。トラバ増田は今すぐブログを作るんだ。


そう考えて、もしかしたらトラバ増田も普段からこんなキツい正論吐いて嫌がられているかもしれないなとか思った。「それを言っちゃおしまいよ」がわかんないから優しい気持ちであったとしても誤解を生む。だから次はそんなトラバ増田が理路整然と愚痴を吐き、「いや、そういうことじゃねえよ」というレベルであーだこーだ言われてみたらいいんじゃないかな。もしかしたらもうやってるのかもしれないけど。


まとめ

いろいろ考えても面倒くさいから今年の増田でも振り返ろうぜ。次こそ2019増田、まとめるからさぁ……。

 

*1:理想は「後輩にも態度を変えないで欲しい」がベターなんだろうけど、それを他人に求めてしまうのもある意味傲慢だと思うんだな。