さよならドルバッキー

この世の裏を知ったドルバッキーは世を儚んだ。

野田の事件の雑感

 毎日信じがたい話が飛び込んできて嫌になるけど、それにしてもあまりにも問題がとっちらかって気分が悪いので自分なりに整理しました。

 

人手不足の問題

 児童相談所の恒常的な人手不足の話はよくあがるけど、そこに予算を割けば人員が増えるかと言えば、簡単に増えるものではないと思う。児童福祉司になるには社会福祉士精神保健福祉士などの資格や実務経験1年以上などの条件も必要で、すぐに人員をドカンと増やすというのは本当に難しいと思う。

 

教育委員会の問題

 アンケートを渡した教育委員会もダメだったと思うけど、教育委員会まで怒鳴り込む親に対して何ができるかと言えば、職員たちは何もできなかったと思う。教育委員会に限らず、市役所の窓口でも何でもそういった人にうまく対処できるかと言えば、現状では限りなく不可能だと思う。私たちは突然の暴力にうまく対処できるほど暴力に慣れていない。皆が暴力に慣れるのも考えものだけど、暴力に対処するにはやはり暴力について知らなければいけないのだと思う。

 

知らないことの問題

 一般的に児童虐待のニュースは報道されるけど、そこから家庭の問題やDVについての知識が広まったかと言われれば絶望的に広まっていないとしか言い様がない。人当たりのいい人が支配欲に満ちていて陰で弱いものを恫喝しているというのはセクハラやモラハラではあるあるだけど、それが常識にまではなっていないと思う。性犯罪ですら「煽った女性が悪い」という話はまだまだその辺にあるし、ましてそういった加害者マインドを持った人を支援するなんてほぼない。

 

支援する側の問題

 そしてこれは現場レベルで考えたときの問題だけど、あまりにも世間と隔絶された壮絶な家庭を見過ぎていると何が正常かわからなくなってしまうのではないかということです。これは児童相談所以外の家庭に関する支援をする機関は多かれ少なかれ抱えている問題だと思う。家庭というのは基本世間から離れた場所で、それがどんなに特殊なものかは外へ出てみないとわからない。だから家庭の中で悩み苦しんでいる人はそこだけが世界の一部だと思ってしまう。しかし支援する側はそんな家庭をたくさん見ている。ひとつひとつは苦しんで苦しんで早く解決したい問題だけど、そんな苦しい問題をいくつも抱えていると何を最優先にしていいのかわからなくなってくる。そして最終的にトリアージが行われ、軽く見ていたものが実は重くなっていた、ということも起こるかもしれない。生活保護や介護の支援でもそういうことはあるかもしれない。家庭の問題は基本的に心を消耗する。他人事とはいえそんなものを恒常的に扱っていたら支援する立場の人も心を殺して機械的にやっていくか心を壊して辞めていくかのどっちかになる。しかも憎まれ役を引き受けることも少なくない。余計心が消耗するだけじゃないか。誰がやるんだよこんな仕事。

 

まとめ

 実は何年か前に児童福祉に関わるにはどうすればいいのか調べてみた結果、手間暇かけて児童福祉司になるか、それかNPOでボランティアをするかの二択のような感じでそれだけで「大変だな」と思ったということがありました。小学校で特別支援学級の児童の面倒をみるボランティアの募集もありました。「それってボランティアでいいのか、ちゃんとした知識のある人なんじゃないとダメなんじゃないのか」とか思ったんですが、そもそもその知識をインストールする場所や時間もそんなにないというなんかもうダメなんじゃないかなとか思うこともあって、なんか自分にできることって本当に少ないなと思うばかりです。

 

 関係ないけど今週のフルーツ宅配便で「中学生の娘が母親に新しい彼氏ができたから家を追い出されて援助交際で生活費を稼がされた」って出てきたけど、もうこれ児相案件じゃん。中学校も把握しようよ。なんで誰も助けようとしなかったんだろう。それって現実も一緒なんだろうな。世の中ままならないなぁ。