あのにますトライバル

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「大きな古時計」に関する気になること

 この歌を聞くたびに気になっていたけど、そんなに気にすることでもないと思っていた違和感を書いておきます。言及する増田の内容と直接関係はありません。

 

なーーにが「私は壁」だよ

「100年休まずに」動いて「今はもう動かない」の時系列が未だにわからない。おじいさんは100歳以上なの?

2018/02/26 17:10

 

大きな古時計」1番の内容

大きなのっぽの古時計 おじいさんの時計

百年いつも動いていた ご自慢の時計さ

おじいさんの生まれた朝に買ってきた時計さ

今はもう動かないその時計

百年休まずにチクタクチクタク

おじいさんと一緒にチクタクチクタク

今はもう動かないその時計

 

 1番の歌詞を見ると「今はもう動かない」とあるのでこの時計が動いていたのは過去ということになる。「おじいさんの生まれた朝に買ってきた」とあるので、おじいさんと一緒に年を重ねたと見るのが自然だろう。そうすると百年休まずに動き続けてきた時計はもう動かなくて、おじいさんは生きているということになる。つまりおじいさんは百年以上生きているという計算になる。なんて長生きなじいさんなんだと幼いころから思っていた。

 

 2番は時系列として特に違和感はないので省略する。

 

大きな古時計」3番の内容

真夜中にベルが鳴った おじいさんの時計

お別れの時が来たのを 皆に教えたのさ

天国へ昇るおじいさん 時計ともお別れ

今はもう動かないその時計

百年休まずにチクタクチクタク

おじいさんと一緒にチクタクチクタク

今はもう動かないその時計

 

 さて、おじいさん臨終のシーン。特に考えずに読むと「おじいさんの臨終と一緒に時計も止まった」と解釈できるのだろうが、昔から余計なことを考える子供だったのでやはりこの場面にも違和感はあった。

 

 まず、「真夜中にベルが鳴った」の部分。時計なのだからベルが鳴るのは当たり前で、「おじいさんと一緒に動きを止めた」のであればここを劇的に描写する必要はないんじゃないかと思っていた。しかし、1番の内容で触れたように「おじいさんは生きているけど時計は止まっている」のであれば「止まっていた時計が突然真夜中に鳴りだした、それはおじいさんの臨終だった」ということでわかりやすくドラマティックになる。これなら辻褄はあうことになる。

 

 また別の解釈をすると、おじいさんの臨終時に百年は経過していないんじゃないかということもできる。百年休まずに動いていた時計の晩年のシーンが「真夜中にベルが鳴った」の部分で、おじいさんが死んでからも時計は百年休まず動いていた。そして今はもう動いていないというもの。しかしそうすると「おじいさんと一緒にチクタクチクタク」が不明瞭になってしまう。どうしたものか。

 

何故わかりにくいのか

 おそらく「百年が経過しておじいさんと時計が同時に止まった」という解釈が一般的なのだろう。しかし何故ここまで変なことを考えてしまったのかと言うと「語り手がどの視点で語っているのかわからない」という点に原因があると思う。

 

 基本的に歌詞だろうが何だろうが物語は時系列で語られる。昔から未来に時間は流れていて、その中で物語は展開される。ところがこの「大きな古時計」は1番から「おじいさんの生まれた朝に買ってきた時計さ」と昔話をした直後に「今はもう動かないその時計」と一気に時間が飛ぶ。そして2番ではまた昔話が始まり、3番に至っては「今」なのか「昔」なのかが不明瞭になっている。その曖昧さがこの歌の魅力だろうし、不安にさせるところにも物悲しさを感じるのかもしれない。それでもはっきりさせたい。この物語の語り手はいつの視点でこの歌を歌い、おじいさんは何歳で亡くなって時計は何年で壊れたのか。それをはっきりさせたい。させなくてもいいんだけど。

 

余談

 「大きな古時計」と言えば平井堅なんだろうけど、ちびまる子ちゃんの映画という人もいるだろう。

 

大きな古時計

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 それよりも個人的な思い出として、小学校のときの担任の先生が「この曲しか上手にオルガンが弾けないから」という理由で音楽の時間にリクエストもしていないのに必ずこの歌を歌わされていたというのがある。いい歌なんだけど、ほぼ毎時間はきつかったよ先生。おわり。