さよならドルバッキー

この世の裏を知ったドルバッキーは世を儚んだ。

増田で叩かれるには理由がある

 あけましておめでとうございー。今年もよろしくお願いしまー。

 

 そんなわけで今年最初の記事は雑感系にしようと思ってたんだけど新年早々想定外のスピードでぶっ叩かれている増田があったのでそっちの話します。この記事では「古文漢文の是非」というより「なんでこの増田がぶっ叩かれたか」の話がメインです。古文漢文の話は後半で気が向いたらします。

 

anond.hatelabo.jp

 

タイトルが圧倒的に悪い

 本文を読めば増田は「国公立大学に入るために古文漢文を履修することは不合理だ」ということが言いたいらしいけど、タイトルでかなり煽ってる。「~だろうか」と問いかけがあればその後にきちんと書いていなくても「いや、~ではない」という意味が続くという「反語」という表現があることは漢文をきちんと学習していればわかっているはずだ。もしかしたら増田は「古文漢文は本当に必要かどうか」くらいの意味でタイトルをつけたのかもしれないけど、大多数の人は「日本人は古文漢文を学習する必要はないに決まっている」くらいの意味で捉えるだろう。タイトルで「古文漢文は必要ないに決まってる」くらいでーんと明言されていては、そりゃ義務教育で触れたほうがいいくらいの反応はあるだろうさね。ちゃんと答えてほしかったら「受験科目に古文漢文は何故必要か」くらいソフトなものにすればよかったね。煽ったおかげでいっぱい釣れてよかったね。あと「この期に及んで」って言い回しは大体マイナスな表現だからあんまり使わないほうがいいよ。ちなみにこのタイトルの付け方、炎上商法でヘイト集めてるプロブロガー的な人がよく使ってるイメージだね。「〇〇よ、本当の〇〇について教えよう」とか。良い子は真似しちゃダメだよ。

 

例示がとにかく悪い

たとえば、法律に興味があって、東大を出て弁護士になりたい高校生がいたとする。彼らは必死こいて下二段活用やらレ点を覚えて、受験に挑む。受かったら数週間で綺麗さっぱり忘れて生涯思い出すこともないだろう。まぁ、百歩譲ってそれはいいよ。でも、落ちたらどうする? 他の科目は合格点に達していたのに、ただ古文・漢文ができなかったせいで、落ちたらどうする? 本当に法律が好きで、法律について学びたくて、東大に行こうとしたのに、全く関係ない「古文・漢文」のせいで行けない。一流の弁護士になって、社会に貢献したかもしれない。彼の可能性を、人生をダメにしてまで、「古文・漢文」は受験科目として”必要”だと言うのか。英語や数学で落ちたんなら、まだ分かるよ。しょうがない、浪人して一年頑張ろう、って気持ちになれるだろうよ。でもさ、「古文・漢文」なんて死んだ言語で18歳の人生を左右すんなよ。元カレが忘れられなくて新しい恋に進めない女子かよ。国家レベルで失恋引きずるな。

 

 どこから突っ込めばいいのかわからん例示すぎてもうここしか頭に残らなかったんだけど、まず法律勉強したかったら古文に限らず漢文の知識もかなり必要になってくると思うんだ。その理由は、法律の歴史や成り立ちなどを知るためには古い文献を読む必要があるからという明確なもの。だから大学に入ってから学べなどと増田は追記しているみたいだけど、根本的に「俺を納得させろ」という文章に致命的な例示ミスがあればもうそこしか気にならないよねって思う。「古文漢文を学ばなくても法学部に入っていいだろう!」みたいなこと言われたら「いやいやいや」って反応になるじゃん。

 

 あとねー、「彼らは必死こいて下二段活用やらレ点を覚えて、受験に挑む。受かったら数週間で綺麗さっぱり忘れて生涯思い出すこともない」とあるけど、東大受けるような人がそんな勉強をしていると思う? わかりやすいところだととりあえずQさま見て見なよ。東大だの京大だのその他頭のいい人たちは何でもかんでも吸収して自分の知的な栄養にしているから「必死こいて覚えて」「受かったら綺麗さっぱり忘れる」なんてことは一般的でないと思うんだなー。そういう意味でもこの例示は非常に不適切。そりゃ突っ込まれるさ。

 

譲歩しているようで全く譲歩していない

あるいは、受験の時点で就職活動が始まっているのかもしれない。どう考えても意味のないタスク、心からやりたくないようなタスクをそつなくこなせる人材を、大学側が要求しているのだ。はっきり言うが、愚直にも「古文・漢文」をせっせと暗記してきた連中は、生涯奴隷だ。

 

 増田は「古文漢文を否定しない」と何度も何度も丁寧に予防線を張ってきたつもりなんだろうけど、ここでボロが出た。「どう考えても意味のないタスク、心からやりたくないようなタスク」という表現は明らかに「古文漢文はいらない!」と言っているに等しい。つまり「いや古文漢文の学習に意味はあるよ」「古文漢文楽しかったよ」って言わせたいようなものじゃないか。

 

 増田は古文漢文を「意味のない、心からやりたくないタスク」と定義したけれど人によっては家庭科や道徳ですら「意味のない、心からやりたくないタスク」になるわけで。これが数学や英語でも一緒。増田が古文漢文を「意味のない、心からやりたくないタスク」と思っている間はずっと古文漢文に価値はない。つまり挑発的なタイトルに長々とした予防線、そして決定的にダメな例示の最後が要は「俺は古文漢文が嫌いだ」ということらしい……そんな増田を「論理的に納得させろ」って、それは難しい話だよ。嫌いなものを論理で好きに出来るんだったらKKO問題なんて発生してないんじゃないかな。増田は古文漢文が嫌い。それでいいよ。

 

追記がダメダメちゃん

「古文・漢文」という学問が根本的に無意味だって言ってるわけじゃない。受験で必須にする必要はないだろ、って話ですよ。

はっきりと書いたつもりなんだけど、伝わらないかな。もうちょっと現代文教育に力を入れたほうがいい。

 

 ぶっちゃけ増田自身が現代文と言うか自分の主張を明確にした文章を書けるような勉強をしたほうがいい。「俺は古文漢文が嫌いだ。なんで受験科目にあるんだバカヤロー」くらいの内容だったらこんなに叩かれなかったと思う。

 

「法学部は古文の知識いるだろ」

→例えが悪かったかもしれないが、法律を学ぶのに必要なら大学入ってから教えればいい。大学受験という選抜の場で、有能無能を仕分ける基準にするなって話。

 

 うーん、例えが悪すぎてそういう話には読み取れなかったなー。増田の文章構成力の問題かなー。あと大学は基礎が出来ている人が勝手に勉強する場所なので「大学で教える」って表現は何だかなぁ。

 

「英語や数学だっていらない」

→これに関してはある程度の偏見を認めるが、少なくともおれは使っている。それはともかく、ここでは「古文・漢文」が受験科目として必要かどうかの話しかしていない。「いらないって言い出したらきりがない」だから「古文・漢文」は「いる」ってことか? 論点をすり替えるな。

 

 増田が話していることは「受験科目として必要かどうか」というより「俺は古文漢文が嫌いなのに受験科目とは何事か!」ということがメインのような気がするけどなー。もし受験科目としての古文漢文の扱いを論じるなら、他の教科の例を出したり外国の受験制度なんかも見ていかないととてもじゃないけど話にならない。「いらないって言い出したらきりがない」は古文漢文を含めた受験制度そのものの疑問だから「だから絶対いる」なんて話はしていないよ。現代文勉強しような。

 

「古文・漢文なんて得点源なんだから、黙ってやれ」

→そういうのを奴隷根性だって言ってるの。黙ってやれる人間だけを必要としてるんなら、それこそこの国は終わりだよ。

 

 すごく疑問なんだけど、どうして古文漢文を勉強している人はみんな暗記で苦労して嫌々黙って学習しているって思っているんだろう? 「黙って嫌々やってるから必要ではない」という意見に対して「得点源だし楽しんで学習しているから必要」という反論は想定内だと思うけどな。

 

「反論を聞く気がなさそう」

→聞きます。

「教養だから、やっぱいる」

→身につけたほうがいい教養なんていくらでもあるっての。ただ、全国の中学生高校生全員にやらせて、受験で競わせるほどの”必然性"があるのか、って話。何度も繰り返すが、興味ある人にやらせるぐらいでいい。教養だとしても、大学で教えればいい。おまえら、「教養はいいもの、いいものはいる!」程度としか思ってないだろ。そういう考え方が構造的、社会的に押し付けられてて、内在化していることを自覚しろ。

 

 反論聞いてねええええええ。

 

 「受験で何故必要か」→「大学側が古文や漢文を習得している教養のある人材を求めているから受験で科している。古文漢文を学習したくないなら科さない大学を受験すればよい」でファイナルアンサーじゃん。それを「この期に及んで」必然性があるのかとか興味のある人だけでいいとか、納得する気が全くないじゃないか。

 

 そもそも「必然性」だの「必要」だの言っているけど、それは完全に増田の主観でしかない話で、増田の主観に対して客観的意見を上げても「おれは違うと思う」しか返ってこないし、意味が全くないと思うんだな。この前流行った反出生主義者の増田と同じで、「俺は主観的にこういうことを思っている。論理で納得させてみろ」っていうのは絶対納得しない上に煽りがちになるのでどうしても叩かれる。

 

 要は、増田は「古文漢文嫌い!」という感情を頑張って論理的に書いてみたけど、そもそも感情なんて論理のないものなんだからどこかで破綻する。今回は例示の時点でグダグダになるし、「そうじゃない人もたくさんいる」という反論で簡単に終わるものになってしまった。だからこんなに爆速で叩かれる結果になったわけ。半日で500ブクマ近くっていうのはあんまりないから、とりあえず名誉なことなんじゃないですか。

 

まとめらしいもの

 古文漢文の是非についてはいろんな考え方があるだろうけど、個人的にはアクティブラーニングと小学校の英語とプログラミング必修化もセンター記述導入も疑問視していて「そんなことをする前にもっとやることがあるだろう」ということでもう受験制度そのものをどうにかする前にもっとしっかり教育改革してほしいなーというところであります。個人的に一番やってほしいのが教員免許更新制の廃止とそれに代わる教員の質の向上プログラムですが。

 

 後半で古文漢文について書くと言いましたが、気が向かなかったのでまた別の機会にしようと思います。一言で言うなら、古文漢文を学ぶ最大のメリットはコンテクストの共有だと思うのです。これは教養全般に言える話ですが、コンテクストが共有できない悲劇っていうのはそこかしこで起こっています。それがポリコレが絡めば浜ちゃんのエディ・マーフィー騒動みたいになっちゃうし……。

 

 それはともかく、今回の増田は全体的に「現代文教育に力を入れたほうがいい」と自分で自分にブーメランになっている感じだなあという印象です。増田の主張と文章の内容がかみ合っておらず、更に例示に失敗するという滅茶苦茶な文章の割には「俺は正しい!」という態度だけが浮き上がるという「うわぁ」な感じで大変良いと思いました。今年も増田の煽り記事に全力で煽られていこうと思いました。おしまいです。