さよならドルバッキー

この世の裏を知ったドルバッキーは世を儚んだ。

読点増田のブコメに対する雑感

 モヤモヤしたのでちゃんと書いておきます。

 

anond.hatelabo.jp

 

 この増田自体確かに読点が多くて変な感じがするけれど、このくらいの読みにくい文を書く人はたまにいるからそこはまぁ置いておく。文は読みにくいけれど必要な情報は大体書かれているのでこの増田はまだ読みやすい。そしてブコメ欄がちょっと荒ぶっているのが今回のモヤモヤ。増田の中身自体は、まぁよくある話だよねくらい。そしてこれは増田が娘からモヤモヤを聞いて増田自身がモヤモヤしてしまったという解釈がベストなんだろう。文章が雑なせいで読み取りにくいけれども。

 

b.hatena.ne.jp

 

 ブコメでは圧倒的に「椅子を蹴るのはいじめで間違いないし男児を庇う増田最低」という雰囲気なんだけど、この問題で大事なのは「男児が椅子を蹴るのはいじめか否か」ではないんだよね。追記でも書いてある通り要点は「適切な指導が成されていない」という一点。増田の文章が粗くて「男の子悪くないのに責められていて可哀想!女の子が悪い!」みたいな読み取られ方をしているけれど、「椅子を蹴った男の子が悪い」のは増田も増田の娘もわかっているし、おそらく本人も自覚している。子供だし、カッとなって手が出てしまうこともあるだろう。そこで少しずつやってはいけないことを学んで世の中へ出ていく準備をする期間が義務教育なので「暴力=いじめ即認定=即警察沙汰」というのは個人的にあまりよろしくないと思う。特に小学生の間はまずは事実確認をして、双方の気持ちの整理をして、それでも解決しない場合や明らかに悪質な場合にはいじめや警察沙汰にしたほうがいい。例えば明らかなリンチや愉快犯的な窃盗行為、裸の写真を撮るなど人権をないがしろにする行為などは一発アウトでいいと思う。一発手が出た、数日無視された、というのはまだいじめかどうかわからない。

 

 もしこのケースだけで逸脱した喧嘩(いじめ)とするならば、身体的な特徴など本人の意志ではどうにもならないことが理由で加害行為が引き起こされたときだと思う。蹴った理由が「なんとなくキモい」などの理由だけだったら、それは男児にも徹底的に指導が必要になると思う。しかし今回の発端は女児が男児を怒らせるような行為をしたことにあり、その結果が加害行動だとすれば話は全く変わってくる。勿論手を出したことは悪いことであるという事実に変わりはないが、怒らせる行為をとったほうもその事実を認めなければならない。そこで双方の気持ちの整理をさせることや今後の防止策などを考えるところまでを含めてがトラブルの解消である。

 

 ここまでは理想の話。ここから先は増田のケースに当てはめていくと、まず「女児が事態を認識できてない」ところで双方の気持ちの整理ができなくなっている。女児の事例を見ての邪推でしかないけれど、おそらくこの女児が一番苦手なことは「過失を認めること」なんだろうと思う。発達障害でよく見られる傾向で、己の過失を指摘されるとパニックを起こす人はたまに見られる。そして「謝罪する」という行為は「過失を認める」以外の何物でもなく、この手の人のもっとも苦手とすることだったりする。この場合の対処は、ゆくゆくは社会に出ていく本人のためにも過失を認める訓練をする一方で、何らかのトラブルが発生した時は事情を知る教員や女児の親などがトラブルを被った児童に代理で謝罪するしかない。その時に「悪気はなかったから許してやってね」という台詞はあまり好ましくないというか、相手の怒りに火を注ぐ形になってしまう。「本当はごめんねって伝えたいけれど、直接伝えることができないの。だから代わりに伝える形になって本当にごめんなさいね、困ったときはいつでも相談してください」など発達障害の特性を交えつつ相手の怒りを認めてあげることがポイントになるかと思う。人間の怒りって「僕は理解されない!」というところが燃料になりやすいので、燃料を追加するような真似はあまりしてはいけないと思う。

 

 またここまでも理想の話で、また増田のケースに戻るとやはり圧倒的にこの対応が出来ていない。というか、根本的問題は男児から女児へのいじめではなく「担任が女児を贔屓していると周囲の児童は思っている」というところに尽きると思う。女児が普通学級に所属する以上は小学校高学年に合った指導を受けなければならないし、支援学級へ行くまでもないものでも配慮が必要というのであればそれなりの対応が必要になる。例えば給食の食缶を倒しても謝罪の意がない、というのは発達障害の類がなければ厳重な指導が必要なものだと思われる。それを「この子は発達障害があるから仕方ないね」と見逃されているのであれば、それは指導ではなくただの甘やかしである。何にせよ、発達障害の子がたとえ理解できなくても周囲のために形だけでも指導をしている振りを見せるなどの努力は最低限必要になってくる。この辺は子供の視点だけなので客観的なものは望めないが、トラブルの根本は子供の感情にあるので事実と一緒に子供の気持ちに寄り添う指導も必要になってくる。

 

 そんな適切な指導がなされないとどうなるかというと、児童と担任の信頼関係がなくなる。信頼関係が一度崩壊するとそれを取り戻すのはなかなか難しい。他に発達障害関連以外のトラブルが起きたとしても、もう児童にとってこの担任の指導は受け付けがたいものになってしまう。つまり、担任が加害行為だけを見て「いじめだ!」と決めつけた時点でもうこのトラブルを穏便に解消することはできなくなっている。このトラブルの本質は発達障害の女児でもそれに怒ってしまった男児でもなく、増田の娘がそんな担任を信用できないというところにあると思う。

 

 そもそも「このクラスにいじめはありますか?」という質問自体が意味不明である。「ない」と答えたところで「いいえ!椅子を蹴るのはいじめですね!いじめをいじめと認識できないあなたの心はとても狭い」となじられるし、「ある」と答えたところで「あるとわかっていたのに止めなかったあなたもいじめの加害者です!やはりあなたの心も狭いですね!」とどちらにしてもなじられる。この質問で担任が何をしたかったかと言えば、「いじめ解決のために聞き取りをしています」というパフォーマンスくらいしか思い浮かばない。少し考えれば発達障害の女児へのヘイトが招いている事態と思いつきそうなものであるが……ヘイトの根本の指導が難しければヘイトを逸らす指導もアリだと思うけれど、今回のケースは担任が児童たちのヘイトにガソリンぶっかけてる状態だと言ってもいいと思う。

 

 これだけ見ると、担任はクラスのみんなが涙ながらに「私たちが女児さんに対して理解がありませんでした!これからは女児さんに対して仲良くしようと思います!」という都合のいいシナリオを期待しているんじゃないかと思う。まるで美しい青春ドラマのようだが、そんなことが出来る段階はもうとっくに終わっているようだ。贔屓の問題に関しては娘さんに「卒業まであと少しだから」と言い聞かせ、愚痴を聞いてなだめるくらいが現実的な対応だと思う。

 

 もし増田の立場から事態の解決に向けて行動をするのであれば、担任をすっ飛ばして学年主任か管理職あたりに「うちの娘が担任の一方的な指導に対してよい感情を持っていない」というところを強調して相談するのが良いかと思う。ただ、それで何かが解決するかと言えば絶対解決しない。女児への対応が向上することも担任が交代することにもならないだろう。それでも相談実績を作っておくことは必要だし、今後その担任や女児の親がまた暴走をしたときに学校も動かざるを得ない状況にする材料にはなる。そのくらいのことしかできないけれど、似たような事態が起こったときに防止策が検討されるならばありがたい、くらいのテンションでいいんじゃないだろうか。

 

 根本的に女児の親の問題も追記で書かれていたけれど、その辺を考えると頭が痛くなるので今回は考えないことにする。更に担任の勤務状況や経験年数なども考えるともっと頭が痛くなるので、やはり考えないことにする。ひとつだけ言えるのは、人間同士のトラブルと言うものは「どっちが悪い!」と決めつけるものではないということだろうか。様々な要因が不幸に重なった結果だし、それを増田の立場であれこれ考えるのは間違ったことでもないと思う。この件で切に願うのは、男児が過度に責められず適切な指導を受けられることだろうか。ブコメでも書いたけど、男児に限らずこんな指導が続けば「発達障害=何を言ってもわからない可哀想な人」という学習をさせてしまうことになる。それだけは避けたい。何としても避けなければならない。避けなければならないんだけど……。

 

■追記4
ちなみに、何に困っているかというと、先生が、問題にフタをして、頓珍漢な矮小ないじめ問題にしてしまっているのと、
その問題を解決するために、算数の授業を毎日のように潰しているのですが、根本が間違っているようにみえるので、
間違った結論にしかならないようにおもえているのです。

 

 いろいろ書いたけど、一番ギルティな部分はここの「算数の授業を毎日のように潰している」というところ。これは一番アカン奴だと思うし、この一点に関しては即学校に相談するべきだと思う。他人の喧嘩に首を突っ込むと余計なお世話扱いになりそうだが、これは増田の娘が直接不利益を被っているわけなので遠慮なく文句を言った方がいい。ここに問題を絞れば、少なくともモンスター扱いは避けられると思うけどなぁ。