さよならドルバッキー

この世の裏を知ったドルバッキーは世を儚んだ。

牛乳石鹸のCMに関する箇条書き

〇なんか炎上しているけど、もう企業はこういうジェンダーロールがどうのこうのっていうCMを作るべきでないんだと思う。時代遅れとかそういうのではなく、こういう表現をすることでリスクしかなくリターンがほぼない。そういうのはやめたほうがいい。

 

〇あのCMを見て言いたいことが割とたくさんあったけど大体言いたいことは増田が書いてくれてたのでこの家庭が「機能不全家庭」であることに異論はない。それ以外に気になった点をいくつか書いていく。

 

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〇やっぱり気になるのは、「ゴミ出し」と「バスの中」のシーン。正直、この話だけならこのシーンはいらない。ゴミ出しからバスの中の連続をはじめと終わりで繰り返すことで主人公の心情の変化を微妙に描いている気がしないでもないけれど、非常にわかりにくい。微妙な心情の変化を描きたかったらCMじゃなくて映画を撮ったほうがいい。あとこのシーンをメインとするならば、主人公の居場所のなさがよく表れていていいと思う。

 

〇上記の増田でも指摘されているけれど、このCMの一番おかしなところは「子供の誕生日なのに当日ケーキやプレゼントを準備するのか」というところ。カレンダーにぐるぐると印がしてあるのに当日まで何も考えていなかったのだろうか。あまりにも不自然すぎる。おそらく、朝の様子から妻の方も働いているのだろう。「だったら別に主人公にケーキとプレゼントを買わせる必要もないだろう!」とは思う。そのあたりにこの一家の不自然さが凝縮されている。

 

〇個人的に気になったところは、やけに片付いた食卓と「HAPPYBIRTHDAY」の文字。CMの記号だと言えば記号なんだけど、この家の奥さんはこういう細かいところは張り切っていろいろやるのに、肝心のプレゼントやケーキを当日発注するような抜けた人物、と読むことも出来る。「誕生日はね、あーしてねこーしてね」と普段から言っているのに当日の朝になって「ケーキお願い」という台詞で主人公がポカンとしているなら説明がつく。しかも「ちょっと待って」というついでのような形でお願いしている。誕生日のケーキと普段の夕飯の材料は違うんだぞ。

 

〇このCMで一番気になったところは「父親としてどうなんだろう」って内容のはずなのに当の子供がほとんど登場しないところが気味悪いと思わせるところなんだと思う。「俺は父親になれたんだろうか」とばかりに過去の自分の回想があったりするんだけど、結局子供のことを考えていない。すごくこのあたりがモヤモヤする。目の前の子どもと対峙せず、登場する子供は「あの頃の俺」であって自分の息子ではない。やっぱりそれって不自然だし、何が「親子の絆だ」と思うわけで。誕生日の主役は息子で、パパが遅くなって文句を言うのは息子でなくてはならないはずなのに、何故か画面にいるのは妻だけで、息子も息子で「どうしてパパ遅かったの!」と怒ってもいいのに、無邪気に走って登場するだけである。

 

〇部下をフォローするくだりは最初妄想かと思った。「理想のカッコイイ上司」みたいな。実は反抗的に一人で飲んで帰っていたらちょっと面白いとか思ってしまった。

 

〇いろいろ考えられる点はあるけれど、結局どれも「描写が不自然なために外野が深読みするしかない」ということに過ぎないし、制作者の意図も「親子の絆」であるなら的外れにも程があるし、おそらくこれらの読み取りも何も考えていないところの産物であると思うし、何より牛乳石鹸のCMとして最悪であることには変わりがないのでもう失敗というか責任者を吊し上げたほうがいいと思う。

 

牛乳石鹸と言えばちびまる子ちゃんで石鹸が盗まれた話があったけど、あれがとてもよかったなぁと思う。

 

〇心に残るCMとしてはこっちのが優秀だと思う。これはシンプルでいいなぁ。

 

〇そうは言っても牛乳石鹸は好きなので今夜も使います。