さよならドルバッキー

この世の裏を知ったドルバッキーは世を儚んだ。

「ちょっといい話」系の漫画について

 最近と言うか昔からなんだろうけど、Twitterなんかで「ちょっといい話」系の漫画が人気になっている。体感的にはここ数年間でめちゃくちゃ増えた印象。多分その前は自己啓発本とかになっていたのがネットになってそれ以外の人にも流れてきている感じ。

 

 で、その「ちょっといい話」の内容も大げさな創作実話ではなく「あいさつするとなかよくなれるね!」とか「他人には親切にしましょう」「あまり人の悪口を言ってはいけないよ」みたいな「小学校の道徳か!?」みたいな内容が多くなってきた。そしてそれを「いいねいいねそうですねー」ってRTしまくってる人や「私もこれ……」みたいにコメントしている人を見て、さっき「なんだかなー」と思ってしまったので少し書く。

 

 別に漫画自体の内容は真っ当なものだろうし、「そうだね!」って思うのも真っ当だと思う。だけど、冷静に考えればそういうのは建前であっても「当たり前」であるべきことなんだと思う。「人の趣味に悪口を言っちゃいけないよ」なんていい大人になって注意されるのは一体何なんだろうと思う。だけど、そう思うのはそれが「当たり前」の文化の中で育っているからで、当たり前じゃない人からすれば青天の霹靂みたいな心境なんだろう。「こんな素晴らしいことを知らなかったなんて!みんなに教えなきゃ!」って気持ちで漫画にしているんだろうけど、ある程度荒波にもまれている人からすれば「当たり前」でしかない。「犬はワンと鳴くんだよ!」ってわざわざ漫画にしても誰も読まない。そうなると、コメントをつけるのは「知りませんでした!」という人たちになる。「これは素晴らしいですね!」みたいなコメントの中で教祖っぽくなっていく可能性もあって、なんだかよろしくない。

 

 だけど、「当たり前」が当たり前じゃない人たちが悪いのかと言われれば絶対そういうことでもない。世の中にはいろんな人が個人の都合で計り知れない環境に身を置いている。だから一概に「当たり前」を押し付けることはできない。いろんな感じ方の人がいるからこそ、世の中はうまく成り立っている。うまく言えないけれど、だからこそ最低限の「当たり前」が必要なんじゃないのかなぁとは思っている。

 

 それでなんとなく思い出したのがはるかぜちゃんだ。「名前を呟いてはいけないあの人」になるなどTwitterではかなり猛威を振るった彼女だけれど、正直彼女の主張自体に革新性があったとは思えない。ただ不条理に対しておかしいよねと言っていただけで、不条理にはおかしいという感想が着くのは当たり前だ。それを「よく言った!」「子どもなのに賢い!」みたいになっていって、いろいろ変なことになっていったんじゃないかなぁと思う。彼女についてはあの取り巻きっぽい雰囲気をコントロールしきれなかった大人たちにも非はあったと思う。

 

 言いたいことに近づいてきたんだけど、要は「当たり前のことを当たり前に書いて、それでものすごい反響がある社会って結構ヤバいんじゃないかな」ってことです。つまり当たり前のことが出来てない人がたくさんいるわけじゃん。特にメンタル系では過労死社会でボロボロになってる人が多すぎる。これって、そうとうまずいのではないだろうか。Twitterの「あなたはあなたのままでいいんだよ」みたいな漫画に影響されて深夜に泣いてる人が大勢いるのが厳しい社会人の世界なんだろうか。いや、違うだろ。もっとネット以外に優しい世界があってもいいんじゃないのか。なんで優しい世界がネットだけになってるんだって。

 

 誰も鬱になるまで追いつめられる必要はないし、発達障害があっても特性(得意なことって意味じゃないよ)を理解して負担のない生活をすることは十分可能のはずだ。じゃあ追い詰められている人には何が足りないんだろう。間違いなく環境だと思うんだけど、環境にいる以上環境から逃れることが一番難しい。本当はこういう目に見えにくい人たちを支援できればいいなぁと思っているけど、なかなか難しい。何故なら、本人は「環境のせい」じゃなくて「自分のせい」だと思っているから。いやこれが本当に難しい。労働問題だの教育問題だのあるけれど、日本人が一番真剣に取り組まなきゃいけないのは共通して「自己肯定感の尊重」だと思うんだけどなぁ。つまり、Twitterの漫画に感動しなくてもよくなるくらい心が健康になればいいのになってことです。雑だけど終わり。