あのにますトライバル

君の気持ちは君の中でだけ育てていけ。

サンタクロースは突然に ~短編小説の集い~

 雄也のところにサンタクロースが来なくなって、今年で9回目のクリスマスがやってくる。9年前のクリスマスの朝、期待を胸に枕元の靴下に手を伸ばしても、そこには何もなかった。「サンタは子供のところにしか来ない。お前は大人になったんだ」とだけ父が言ったのを雄也はどこか遠くで聞いたような気がした。その頃から、父と母は一緒に暮らしていなかった。次の年、母親は完全に家を出て行った。父親は仕事で滅多に帰らないため、雄也も部活に打ち込むふりをして誰もいない家にあまり帰りたくはないと思っていた。

 

 雄也がバイト先のコンビニに着くと、夕方勤務の若い女の子たちがバックヤードでキャッキャとスマホを片手に騒いでいた。
「あーあ、今年もクリぼっちだわー」
「ホントリア充とか死なないかなー」
 壁のカレンダーは12月になっていて、部屋の真ん中にある折り畳みテーブルの上には彼女たちの飲んでいるホット飲料とクリスマスケーキの予約のチラシが山のように置いてある。
「あ、相田さんお疲れさまー」
 高校3年の四谷が顔を上げる。先月進学先が決まったようで、今年の冬休みはバイトに励むと頼もしいことを言っていた。
「お疲れー」
 雄也はコートを脱ぐとビニール袋から弁当を取り出す。勤務の時間までに雄也は食事を済ませることにしている。
「今日は何ですか?」
「新発売のビーフシチュー丼」
「何それ」
 女の子たちはクスクスと笑っている。
「そう言えば相田さんはクリスマスどうするんですか?」
 雄也と同じ年で大学2年の吉田が尋ねてくる。
「えー? 夜シフトだよ」
「いいんですか、彼女とかいないんですか?」
「いたらシフト入ってねーし」
「たしかにー」 
「それ去年も言ってましたねー、あ、そろそろ行ってくるわ」
 四谷はいそいそと制服を直すと、店の方へ戻っていった。四谷と入れ替わりに、雄也と深夜帯に入る松井がやってきた。吉田がカフェラテを飲み干して尋ねる。
「松井さんはクリスマス予定あるんですか?」
「僕は娘と約束しているかな」
「え、娘さんって高校生ですよね?」
「来年受験です」
 松井は別の小売店で定年まで働いた後、「身体が動くうちは小売の現場にいたい」ということで半年前にこのコンビニへやってきた。雄也にとっては親ほど年齢の離れた新人と一緒になるということで最初は緊張していたが、経験豊富な松井との業務はすぐにスムーズに回るようになり、最近ではかなり松井を頼っているところもある。
「お父さんと一緒にクリスマスなんてすごい!」
 松井はニヤニヤしながら答える。
「いやいや、今まで仕事でクリスマスに家にいたことがないから、それだけです」
「いいじゃないですか、素敵なお嬢さんですね」
 それから他愛のない世間話をいくつかして、吉田も店に戻った。雄也はどろりと残ったビーフシチュー丼を胃に流し込んだ。

 

 親とクリスマスを過ごす、など雄也にはない発想だった。とにかく家にはいたくないというのが雄也のスタンスで、勉強は図書館やファミレスで済ませていたし、部活やアルバイトでそれ以外の時間は家の外で過ごしていた。家に帰るのは寝るためと荷物を取りに行くだけと雄也は決めていた。一応父親と一緒に住んではいるけれど、数ヶ月顔を合わせないということもよくあることだ。今更何を話せばいいのかもよくわからない。
(松井さんの娘は偉いなあ)
 午前0時を回り、客足もほぼなくなったころ雄也はレジの前で品出しをする松井を見つめていた。客が来なくても深夜帯の勤務時間にはやることがたくさんある。在庫の確認に商品の発注、それに店内の清掃だってしなくてはいけない。
「相田君は、クリスマスにシフト入ってるね」
「はい、それが何か?」
 急に話しかけられて、ギクリとした雄也は煙草の在庫を数えているふりをした。あまりぼんやりしているところを見せたくなかった。
「せっかく若いんだから、仕事なんかよりもっと楽しいことないのかい」
「いえ、友達はみんな予定があるし、僕なんて気にされていないと言うか、なんて言うか」
「そんなことないだろう」
「いや、僕みたいなのはきっと一人でいいって思っているだろうし」
「そうか、君くらいの年齢なら家族と過ごすのは照れくさいかな」
「まぁ、そういうわけじゃないんですけど」
 松井はそれ以上突っ込んでこなかった。それからしばらく黙々と作業を進めていたところ、松井が口を開いた。
「ところで相田君はいつまでサンタを信じていたかい?」
「え?」
 男同士の雑談にしては浮かれた内容に、雄也は思わず間抜けな声を出してしまった。
「ああ、ゴメン。実はちょっと相談に乗ってもらいたくて」
 松井の相談は、娘と過ごすクリスマスのことだった。
「ほら、僕はずっとこういう仕事をしてきたからクリスマスイブも当日もずっと仕事だったんだよね。だから娘には随分寂しい思いをさせてしまっていて」
「娘さん思いなんですね」
「そんなことないさ。休暇をとろうとしたこともあったけど、従業員が体調を崩して急遽出てくれないかと電話が来てパーティーの準備をしていた娘をなだめて出勤したこともあったよ。あの時はお年玉をあげるまで口を聞いてもらえなかった」
 松井は笑った。雄也は笑ってよいのかわからなかった。
「だからね、今年はゆっくり家族で過ごすと決めているんだ。娘もいつまで家にいるかわからないし、こうやって家族で過ごすことのできる最後のクリスマスかもしれない」
 松井の言葉に、雄也は他人事なのに寂しいものを感じた。
「それでね、娘に何かプレゼントでもと思って若い人の意見を聞いておこうと思ったんだ」
「そうですね、女の子のことは女の子に聞いたほうがいいんじゃないですか」
「それもそうか」
 松井は笑っていたが、雄也は適当なことを言って自分まで誤魔化したような気になった。

 

 早朝勤務と交代して雄也が家に帰ってきたのは午前6時前だった。普段であれば自分の部屋にすぐ行って2時間ほど仮眠をとって、それから学校へ向かっていたのだがその日は灯りの漏れているリビングを覗いてみる気になった。そこにはテレビをつけて天気予報を見ている父がいた。
「ただいま」
「何だ、珍しいな」
 何も言わないのは気まずいと思い、とにかく声をかけた。
「学校には遅れるなよ」
「わかってる」
 それ以上、父にかける言葉が見つからない。雄也はそのまま急いで部屋に戻るとベッドにもぐりこんだ。
(父さん、また老けたな)
 記憶の中の父と先ほどリビングに座っていた父を比べてしまう。思えばまともに会話をしたのは進路の決定の時ぐらいで、驚くほど父のことを何も知らない。
『だから娘には随分寂しい思いをさせてしまっていて』
 松井の言葉が雄也の頭を過る。世の父親はそれほど子供のことを気にかけているのだろうか。雄也の思考とは裏腹に空はどんどん明るくなっていった。

 

「松井さんは、娘さんのプレゼントを決めたんですか」
 次の松井とのシフトで、雄也は雑誌を整理しながら松井に尋ねた。
「あー、四谷さんたちに聞いたらとっても参考になったよ。君のおかげだね」
 松井もニコニコと返事をした。
「あの、逆に松井さんは娘さんから何を貰ったら嬉しいですか?」
「僕かい? そうだねえ……考えたこともなかったね」
 作業の手を止めて、松井はしばらく視線を宙に泳がせた。
「あ、別に深い意味はないんですけど」
「いやあ、なかなか思い浮かばないものだね。欲しい物ならいくつか思い浮かぶんだけど、娘からもらって、となると全然思い浮かばない。それよりも、娘からもらうって言う考えがなかったね」
 松井は生き生きと話し始めた。
「だって、ほら、僕らモノを売る人自体が一年中サンタクロースみたいなものだと思っているからね。サンタクロースは誰に何を送るのかばっかり考えて、自分のプレゼントなんて考えたことはないんじゃないかな」
 雄也は雑誌に目を落とす。「クリスマスに向けての愛されコーデ」という文字が大きく踊っていた。
「娘からもらったものは目に見えないけどたくさんあるからね。今更プレゼント、なんてもらわなくてもいいかなぁ。もうその気持ちだけで十分。あ、配送が来たよ」
 雑談を中断し、雄也と松井は入口を開けて配送のトラックからの運び出しに備える。もう少し松井の話を聞きたい、と雄也は思っていた。

 

 それからバイトのない日も、雄也は何となく早く家に帰るようになった。思えば雄也は父のことをそれほど憎んではいなかった。「あの人は自分の気持ちを表に出さないから」と出て行った母は父のことを疎ましく思っていたようだったが、雄也は父の気持ちを理解していた。どうせ言っても伝わらないことをわざわざ言うのはみっともない。しかし、何を言えばよいのかわからない。今更良い息子面をするのも嫌だし、それを父も望んでいないような気がする。
「最近忙しいのか」
 リビングで夕飯を食べていると、仕事から帰ってきた父が話しかけてきた。
「うん、まあ。来年就活だし」
「そうか」
 それ以上話を続けることができなかった。こんなとき、松井ならどうするのだろうと雄也は考えた。

 

 結局、雄也は父と大した会話も出来ずにクリスマスイブの日を迎えた。それまで街にあふれる「ご家族でご一緒に」「ファミリーバレル」の文字を恨めしく思ったが、同時にそれを買って帰る勇気のない自分が情けなかった。
「あー負け組は嫌ですねー」
 バックヤードで夕方勤務の四谷が愚痴をこぼす。彼女は急に吉田と今日のシフトを変わったそうだ。
「負けだと思うから負けなんだよ」
 雄也は缶コーヒーを片手に背もたれに寄りかかった。今日の夜はオーナーと二人でいつも通りの深夜勤務をこなすだけだ。何も変わったことなどありはしない。
「あー、大学入ったら彼氏絶対作るんだから! 今日はケーキとチキン買って帰るんだから!」
 四谷が喚いているところに、松井がやってきた。
「あれ、松井さん今日シフト入ってないですよ?……あ、そのマフラー新品ですか?」
「そうなんだよ、娘からのプレゼントなんだー」
「うわー、とってもいいですね! あったかそう!」
 何だかんだと騒いでいた四谷が松井のマフラーを見て嬉しそうにはしゃぐ。
「ところで、今日は家で娘さんとのんびり過ごすんじゃなかったんですか?」
 バックヤードの隅でネットブックをいじっているオーナーが顔をあげた。
「いやー、夕飯は少しだけ豪華に食べたんですけど『友達と約束しているから』なんて言って、このマフラーを渡してさっさと出て行ってしまいましたよ。年頃の娘を舐めてました」
 娘なんてそんなもんですよーとオーナーは相槌を打つ。
「見事に今夜やることがなくなりまして。それで今年もサンタクロースをしようかとやってきたんです」
「え、でも今日は僕とオーナーで入るから、松井さんは」
 松井は抱えていた紙包みを雄也に向けて渡した。
「何ですかこれ」
「いいから。今夜がラストチャンスだぞ」
 中身を改めると、ワインのボトルが入っていた。四谷は松井と雄也の顔を交互に見て何か嬉しそうな顔をしている。
「言いたいことははっきり言わないと伝わらないぞ」
「そうだよ、きっと待っているはずだよ」
 松井と何かを察したような四谷がニコニコと雄也を見ていた。
「そういうわけで、今夜はサンタクロースに任せなさい」
 突然の出来事に雄也はオーナーに視線を送ると、ネットブックから顔をあげたオーナーは松井の方を向いていた。
「じゃあ松井さんよろしくお願いしますね。相田君は急用か、残念だ」
「そういうことだよ、相田君」
 松井の手が雄也の肩に置かれた。その手は先ほどまで外にいたとは思えないほど温かかった。

 

「絶対何か勘違いしていると思うんだけど」
 半ば強引にバックヤードから追い出され、雄也はもらったワインのボトルを下げ家路についた。世間ではイブの夜は恋人たちがたくさん、というイメージがあるようだけれど、別に今日だけが恋人たちの日ではない。街には家族連れも独り身もたくさんいる。ただ、大人になればどの集団に加わるのかはある程度選べるし、素敵な巡り合いだって起こるのかもしれない。
「どうしようかな、これ」
 息子と二人で飲む、なんて父のほうが恥ずかしがって逃げてしまいそうだ。しかしそれもサンタクロースの試練なのだと思い、雄也は灯りのついている自宅の玄関を開けた。

 

≪了(4982字)≫

 

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 実際にコンビニで深夜バイトをしたことはないので多分いくつか微妙な点があると思います。多分真面目にクリスマスの話を書いたのは初めてな気がする。