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さよならドルバッキー

この世の裏を知ったドルバッキーは世を儚んだ。

「私って、甘えてますか?」を読んで

雑記

 先日発売されたid:topisyuさんの単著『私って、甘えてますか?』を読みました。普段からtopisyuさんのブログに親しんでいる方にはおなじみの内容ばかりですが、そこからいろいろ思ったことがあるので少し書きます。なお、こちらの感想も一般向けではありません。参考になるかどうかよくわかりません。

 

私って、甘えてますか?

私って、甘えてますか?

 

 

 今回のtopisyuさんの本を読んだ率直な感想が「もしこの手の人生相談をネット上ではなく、面と向かって友達に行ったら、どうなるだろう」ということです。自分なりに考えてみたのですが、無駄に神格化されて依存されるだろうなと思うのです。「この人に悩みを打ち明けたら解決したわ!今度も頼もう!」となるだけで結局悩みそのものが解決するのではなく、毎回話を聞くだけのこちらの負担が増えるだけじゃないのかと。

 

 悩みを打ち明ける人には2種類いて、一つは本当に困っていてアドバイスが欲しい人と、ただ愚痴を聞いてもらいたいだけの人です。そして後者にも2種類いて、愚痴を言ってすっきりする人と愚痴を聞いてくれた人に執着する人に分かれます。アドバイスが欲しい人やただ愚痴を言ってすっきりする人ならば問題ないのですが、「相談相手に執着する人」は本当に厄介です。「相談」という名目で相手に取り入ろうとする人にNOを突きつけることが出来ないとこういう悩み相談は難しいと思います。

 

 言葉だけで説明するとイメージしにくいので例を出すと、「失恋したから慰めろと月イチで会うことを要求し、話を聞くと失恋どころか一方的な片思いで相手に恋人がいたとか、勝手に理想を押し付けて勝手に幻滅していたりするような話を定期的にしたがるが必ず話の最後に『私たち友達だもんね、友達は助け合おうね』と言う割にはこちらの悩みを打ち明けると共感どころか『私なんかには理解できない悩みだから聞きたくない』と言ったり不機嫌になったり逆に変な感情移入をしてややこしい事態を引き起こすような友人と呼ぶことをやめようかと思っている知人」というところでしょうか。Q29「嫉妬深い友人」の亜種ですね。ちなみにこの知人は完全にフィクションです。


 そういう意味でもtopisyuさんの「なまはげ」というイメージは秀逸だなと思うのです。もし菩薩のような優しいイメージを採用していたら、もっともっと変な「構って構ってタダで私を救いやがれ!」みたいなノイズがたくさんやってきているのでは(実際に結構来ていると思いますが)。そういった「相手の迷惑より自分の現実逃避」という人にとって、自分も怖い思いをするかもしれないなまはげという存在は怖くて近寄りにくいと思うし、逆に「少し怖い思いをしても何とかしてほしい」という切実な人を集める効果もあるのかなぁと感じました。少なくとも「相談」という名のもとに見下されることはないと思うのです。

 

 本の帯に「大丈夫。あなたは幸せになれますよ!」と書いてある通り、質問の回答は相談者の背中をそっと押すような優しいものがほとんどです。見た目が怖い人ほど意外と誠実に対応してくれたり、逆に甘い顔をして「人生相談します!」みたいな募集をしている人ほどろくでもない回答をしていたりするのが面白いです。

 

 topisyuさんの回答が安定しているのは、文章の背景に一本の人となりが見えるからだろうなぁと思うのです。著書にもたびたび出てくるのですが、「あなたはあなた、私は私」「将来のビジョン」がしっかりしている人はあまりモヤモヤしないのではないかと思います。例えばQ6「身の丈にあった優しそうな男性と少し年は離れているけど年収のある男、どちらと結婚すればよいでしょうか」、Q11「親が離婚しているので自分もダメだったら離婚しようと思うのですが、離婚のリスクはどんなものですか」などの質問がそれにあたると思いました。

 

topisyu.hatenablog.com

 

 こちらは先日単著発売記念に書かれた読者からのモヤモヤスペシャルの中で紹介されていたものですが、私がこの人にアドバイスをすることになってもやっぱり「まずは自分がどうしたいかを決めよう」になると思います。結婚をして子供を育てて平凡な温かい家庭を作りたいのか、男に手玉に取られる女になりたいのか、経済力のある男性の保護の下贅沢がしたいのか。それによって選択肢も変わりますし目指すべき目標ももちろん変わります。男性を選ぶことがゴールになっていて、その結果が見えていないという感じですね。

 

 こういったことはどこにでもある話で、何かモヤモヤしていたらそれは「未来の予測が立てられない」と言うことだと思うのです。行き当たりばったりで平気な人はよくわかりませんが、どんな困難な問題でもある程度道筋が決まるだけで安心したりするものです。topisyuさんは「モヤモヤ」と可愛らしく表現していますが、それって「漠然とした不安」なんでしょう。漠然としていて言葉にならない。だけど、言語化されたものは恐れるものではないのです。「幽霊の正体見たり枯れ尾花」とはよく言ったもので、見えないものを見えるようにするのはそれだけで安心するのです。

 

 昔はそういった「漠然とした不安」を抱えたときに悩みを聞いて言語化し、解決策を提示していたのは教会や寺でした。そしてその不安に寄り添ったのが神や仏と言う概念でした。さて、神が死んだ世界で私たちはモヤモヤをどう発散すればよいのでしょうか。それはこの紙の本に書いてあります。さあ紙の本を買いましょう。ホワイトボート感想戦の話も一応ありますよ。

 

topisyu.hatenablog.com

 

 2016年中に感想を書くと特典がもらえるそうです。楽しみですね。この記事の4コマ大好きです。

 

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