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さよならドルバッキー

この世の裏を知ったドルバッキーは世を儚んだ。

強く生きると言われること

 よく「あの人は強い人だったから~」みたいな書かれ方をしているのを見るのですが、意地悪な思考回路をしているので「その強いと言われた人は本当に強かったのかな」と思ってしまうのです。

 

 こういう文脈で出てくる強い人っていうのは、単に逆境でも折れないだけだと思うのです。本当は「もうイヤだ!」と思っていても言わなかったり、単に鈍感なだけだったり、本人の強さというものが観測されなくても「強い」なんて言われてしまう。本人からすれば当然のことでも「あなたは強い人だから乗り越えられたのね」なんて言われると嫌味にしか聞こえない。そういう人は事実をきちんと並べて「~~が出来たのは偉かったね」と言ってもらいたいんじゃないかなぁ。抽象的な表現は便利だけど、裏を返せば「その人のことをよく表す言葉を知らないから何でも当てはまる言葉を使う」ような事態にならないのだろうかと思ってしまう。「その程度で私の何がわかるんだ」と思いながら、そういう人はニコニコ聞いている。何故なら、その不快感を表明しても良いことはひとつもないからだ。

 

 それに、他人のメンタルを「強い」と評価すると相対的に自分のメンタルを「弱い」と認めることになってしまう。自分の欠点を認めたうえでの「弱い」ならわかるのだが、この文脈では「どうせあの人は強いから、自分は弱いから」と分断処理になりがちである。分断されてしまえば「弱い人は何を言っても強い人が勝手に耐えてくれる」と勘違いしてしまう。簡単に言えば、「自称弱い人」の中で「他称強い人」が勝手に神格化されてしまうことはたくさんあるということだ。勝手に神様扱いして、そして理想と違うと「自称弱い人」は「弱い」ことを理由に「他称強い人」を攻撃する。それでも「他称強い人」は何も言わない。何かを言っても他人を変えることはできないから。

 

 だからなるべく「あなたは強い」ということは言わないようにしている。褒めるときは「あなたは〇〇が出来るからスゴイ」「〇〇でも諦めないのはエライ」などと具体的に褒める。お互いを認めるのに装飾された言葉はいらない。相手のメンタルを丸ごと引き受けるのは言葉ではなく、信頼関係だ。

 

 とりあえず、「強い」と言われている人は全然強くなんかない。ただそう見えるだけで心の仕組みは「弱い」と思っている人と何も変わらない。そこを思いやれるかどうかが「強い」と「弱い」の違いだと思っているけど、「まぁ難しいよね~大井っちぃ」という感じです、ハイ。

 

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