さよならドルバッキー

この世の裏を知ったドルバッキーは世を儚んだ。

愛すべき役立たず ~短編小説の集い~

 それは「影」だった。誰でもないし、何でもない。お腹もすかなければ、退屈もしない。だけど誰からも顧みられないし、愛されることもない。かつて蔑まれていたような気もするし、名前で呼ばれて痛めつけられていた記憶も微かにある。それも永遠に続くと思われる孤独に塗りつぶされていく。

(どうして僕は存在するのだろう)

 そんな疑問も意味のないほど、「影」はひとりぼっちだった。その問いに応えてくれるものもなければ、意味がないのにと唾を吐きかけるものもいない。それでも、「影」は思考せずにはいられなかった。

 

 「影」がずっと見つめているものがあった。毎晩一軒ずつ、灯りが部屋に満ちる時間に「影」は家の中に忍び込む。多くの家では夕食の支度をしている。子供のいる家、子供が大きくなってしまった家、子供がいなくなってしまった家、最初から子供がいない家。様々な家があった。「影」はその家の子供が赤ん坊のころからおじいさんになるまでずっと見守っていた。子供が生まれると「影」も喜び、誰かが死ぬと「影」も悲しんだ。誰かが困っていても、「影」にはどうすることもできなかった。それが「影」にとって、一番悲しいことだった。

 

 ある晴れた日、「影」の見守っている家の前にたくさんの段ボールが積み上げられていた。その家の子供が小学校に行くことになったので、赤ん坊の頃の荷物を整理しているのだ。「影」はその荷物のそばまで近寄ると、赤ん坊だったその子が大切にしていた羊のぬいぐるみが置いてあった。
(これを捨ててしまうのか、かわいそうに)
「なんだと、俺たちをなんだと思ってやがる」
 羊のぬいぐるみが話しかけてきた。誰かを話をするのは久しぶりで、「影」はうれしくなった。
(僕の声が聞こえるのかい?)
「ああ、ずっと坊ちゃんを見ていた不吉な影だろう? さっさとあっちに行け」
(でも捨てられてしまう君を見捨ててはいけないよ)
「いいんだよ、俺は俺の役目を全うしたんだ。小学校に俺たちを連れていくわけにはいかないんだよ」
(でも……)
「どうせお前にはどうすることもできないんだ、目障りなんだからあっちへ行け」
 羊のぬいぐるみに追い立てられて、「影」は荷物のそばから逃げ出した。それから物陰に隠れて荷物の様子を見守っていたが、やがてやってきた一台の車が荷物を積んでどこかへ行ってしまった。それからその荷物が戻ってくることはなかった。
(なんて残酷なことだ)
 いつもそうだった。いらなくなったものは次々に捨てられる。玩具はもちろん、長年使っていた椅子や机、流行おくれの服など最近の人たちはすぐに捨てていく。
(まだ役に立つのに)
 その昔、お払い箱になった電気スタンドがゴミ捨て場で「まだ捨てられたくない」と泣いていたのを「影」は知っている。でも、「影」にはどうすることもできなかった。どうにか「役に立つ」ことを証明できないものかと「影」は考えていた。

 

 それから「影」は自分に気づいてくれる人を探してきたが、誰からも必要とされない「影」に気付くものはなかった。ようやく、「影」は誰からも必要とされていない人間を見つけた。それは物乞いの男で、古びたギターを片手に彼はあちこち放浪を続けていた。そして行く先々で彼は誰からも疎まれ、蔑まれていた。「影」はそんな男なら自分の声が聞こえるのではないかと思い、しばらく後をつけていた。

 

 ある冷たい風の吹く夕暮れ時だった。空き缶を前に男は通りに一日座り込んでいたが、今日も缶の中に何かが入ることはなかった。やがて人通りは途絶え、一番星が輝くころに男はやっと腰を上げた。「影」も男と一緒に落胆し、愚痴をもらした。
(こんなに頑張っているのに、かわいそうだ)
「そこにいるのは死神かな」
 不意に男が「影」の声を聴きつけたのか、応答するようなことを言った。
(僕の声が聞こえるのかい?)
「ああ、腹ぺこでとうとうお迎えが来たかな」
 男は「影」の声を死の間際の幻聴か何かだと思っているようだ。
(そうさ、これから腹が減ることも痛みを感じることもない)
「そうか、遂に俺も潮時だぁ」
 男は力なく路上にしゃがみ込んだ。
(そう、でも僕は死神じゃない。死なない『何か』だよ)
「ははは、死なないものなんてあるものか」
(僕は死なない。死なないから苦痛を感じない)
「そんなものになりたいねえ」
(それなら僕になりなよ、僕は君になるから)
「俺なんかになりたいのか」
(当たり前だよ。君はとても魅力的だ)
 なんとか「影」は男と入れ替わりたいと思っていた。「影」がこの運命から解放されるためには、「影」になりたがっている人と交換するしかない。遠い昔、「影」が「影」になったときに教わったことだった。
「いいぜ、俺なんかでよければ」
 男は二つ返事で引き受けた。「影」は心が震えるような気持ちになった。そしてそれが歓喜という感情であることを思い出した。次第に「影」の中に温かな血が巡り、それと同時に吐き気を伴う空腹が襲ってきた。

 

 すっかり「影」と男は入れ替わっていた。

 

(なるほど、俺はこうしてみると随分と醜いな)
 久しぶりの身体を手に入れてひっくり返った「そいつ」を見て、影になった男は言った。
「そうだね、君の身体は随分とひどく傷んでいる」
 痛みとは裏腹に、「そいつ」の心には想像以上の愉快な感情が蘇っていた。
「確かに痛みは感じないけれど、その代わり誰にも相手にされない」
(別に俺はそれで構わない)
 影になっても、男は慌てていなかった。
「いつまで強がっていられるかな……代わりの誰かを見つけるまでずっとそのままでいるんだ」
(別にどうってことない、ありがとな)
 影の気配が「そいつ」の前からすうっと消えて行った。
「馬鹿だなぁ」
 心から「そいつ」は男を馬鹿にした。永遠に孤独でいることの辛さが実感できないほど、男の生活は過酷だったのだろうか。「そいつ」はひとまず痛む腹を抱えて食べ物を探しに歩き出した。

 

 実際、「そいつ」はよく嫌われていた。不潔な身なりで物乞いを続けていたのだから誰からも好かれないのはわかっていた。そこで「そいつ」は何か皆の役に立つことをすればよいのではないかと思い立った。何とかして身なりを多少整え、「そいつ」は唯一の持ち物のギターを片手にいろいろな話をした。たまに拍手をしてお金をくれる人がいると嬉しくて、「そいつ」はたくさん歌を歌った。歌えば歌うほど、とまではいかなかったが多少のお金はもらえた。それで何かを買って食べるのが、「そいつ」は何よりも楽しみだった。

 

 それから「そいつ」はまだ使えるものをゴミ捨て場から拾うことで生活をなんとかしようとした。少しくらい壊れていたり汚れていたとしても、直せば十分使えるものだって多い。形が古くなったからという理由で捨てられているものはそのままでも十分使用できる。歌を歌って心を和ませ、まだ使えるものたちを蘇らせるなんてすてきなことじゃないか、と「そいつ」はとても愉快だった。明らかに嫌そうな顔をされたり追い立てられたこともあったが、誰かに相手をしてもらうことが「そいつ」はこの上なく嬉しかった。蹴とばされてニヤニヤする「そいつ」を見て、人々はますます気味の悪いものを見る目で「そいつ」を見た。

 

 しかし、愉快な気持ちは突然どこかへ行ってしまう。その日も楽しく歌を歌っていた「そいつ」は、やってきた男たちにいきなり殴られた。
「こいつです、最近この辺に居ついたルンペンは」
「ゴミ漁りなんかして、誰の許可で商売なんかしてやがる」
「下手くそな歌歌ってるんじゃねえ、耳障りなんだよ」
 あっという間にボロボロになった「そいつ」を男たちは引っ張っていった。
「僕はただ、誰かの役に立ちたいんです」
 息を切らしながら「そいつ」が何とか言うと、男たちは顔を見合わせて大声で笑った。
「誰かの役に立ちたいだって!」
「なんの役にも立ちやしねえよ」
「ゴミの山に埋もれて言うことがこれかよ」
 うなだれた「そいつ」は改めて自分の座っていた場所を見た。汚いけれどまだ使える袋にひびが入っているけれどまだ使える小物入れ、穴が空いているけれどしっかりしている傘に雑巾に出来そうなぼろきれ。どれもこれも「まだ使える」大切なものだった。

 

 男たちは「役に立ちたいならいくらでも役に立ててやらあ」と「そいつ」に仕事を与えた。「そいつ」を閉じ込めて、朝から晩まで休みなく働かせた。仕事の内容は日によって違ったが、大体は山の中へ連れて行かれて大きな穴をいくつも掘らされた。作業が終わると最低限の食事が与えられ、また部屋に閉じ込められる。それが何の役に立つか何度も尋ねたが、「お前には関係ない」と殴られるだけだった。逃げる気力のなくなった「そいつ」は、ただ出てくる粗末な食事だけを頼りにするようになった。

 

 どのくらいの月日が経ったのか、「そいつ」はわからなかった。とっくの昔に時間の感覚は消え失せ、ただ存在するだけの「そいつ」にはどうでもよいことだった。ただ「そいつ」の見た目はひどくくたびれ、深い皺が顔に刻まれ実際の身体年齢より老けて見えた。常に殴られているためいつもどこかに痣があって、少しの物音にもびくびくして過ごしていた。

 

(よう、俺の声が聞こえるか?)
 すっかり何かを考える気力をなくした「そいつ」の耳に、聞き覚えのある声が届いた。いつか身体を交換した、新しく影になった男だ。
「聞こえる、よ」
 その日も「そいつ」は作業でくたくたになっていた。しかも何かヘマをしたと難癖をつけられて、その日の食事を抜かれてぼんやりとしていたところだ。
(あんたバカだな。頭空っぽのカボチャのほうがずっとマシだ)
「余計なお世話だ」
(お前さんが掘っている穴、何のためのものか知ってるか?)
 痛む頭と腹を抱えて「そいつ」はうずくまった。
「知らないよ、教えてくれないから」
(ありゃ人殺しの証拠隠滅のための穴さ。死体とか凶器を埋めるためのものだ)
 それを聞いても「そいつ」の心は動かなかった。
(それよりも、俺の声が聞こえるということはその生活が嫌になったんだろうな)
 影の言うとおりだった。「そいつ」は元の影に戻りたいと思っていた。
「その通りだ。君にこの身体を返すよ。僕は人間でいる資格がないようだ」
 誰からも顧みられない透明人間のような存在は、まともな感覚を持っていれば耐え難いものだということを「そいつ」はよく知っていた。
(いいや、俺はこのままでいい)
「何だって!?」
 思わぬ返答に「そいつ」は大声を上げた。
(確かにひとりぼっちは寂しいが、だからと言ってお前さんの境遇と交換しようなんて思わないな。それに身体のない生活のほうが俺の性に合っていたみたいだ。このまま俺は世界の終わりまで見届けてやるのさ。誰かの役に立つのなんてゴメンだ、俺は俺の好きなように存在していたいからな)
 影が話している間、「そいつ」は肩をぶるぶると震わせていた。
「そんな馬鹿な話があるか! 誰からも相手にされないことの怖さを知らないんだ!」
(何言ってるんだ? 人間であってもお前は誰からも相手にされていないさ。ただの都合のいい道具に成り下がって、お前は頭の中身が空っぽの人形さ)
「そんなことがあるか! 僕だって、役に立ってるんだ今は使えない奴かもしれないけど頑張っていつか誰かの役に立つようにそのために頑張っているんだ! 僕が役に立たないって!? そんなわけがない! 人間は誰だって役割があって僕だって例外じゃない! あんたと僕は違うんだ!」
 喚いている「そいつ」の元に何人か男たちがやってきた。

 

 男たちは目覚まし時計のように何度も「そいつ」を殴って静かにさせた。
「何ごちゃごちゃ一人で騒いでんだうるせえぞ!」
「遂に本格的に狂っちまったか」
「もうこいつ、使えねえな」
 すっかり動けなくなった「そいつ」を運び出し、男たちは昼間「そいつ」の堀った穴へ叩き落とした。「そいつ」は何か言おうとしたが、歯が何本か折れていて血が口の中へ溜まっていて喋ることができなかった。それから上からどんどん土がかけられていった。やがて「そいつ」の姿は見えなくなり、穴もきれいに塞がれた。男たちが道具を片づけているところまで、影はじっと見ていた。
(あばよ、役立たず)
 その声は誰に聞こえることもなく、暗くなった山の中へ影と共に消えて行った。

 

≪了:4997字≫

 

novelcluster.hatenablog.jp

 

 お待たせしました今月の短編小説です。「実用的な」ということで中身のあるなしについての話です。実はこの話、以前書いた話の完全な続編になっています。元の話を書いたのは2012年ですが、最近「ハロウィン・ホラー短編集」としてリメイクしたものです。この話を読まなくても今回の話はOKですが、前日譚として読むと楽しいと思います。全く愉快な話ではありませんが。

 

「役立たずの影」~ハロウィン・ホラー短編集~|霧夢むぅ|note

 

 こちらの作品はnoteで公開しています。詳しくは以下をご覧ください。

 

note.mu

 

 ちなみに今年もハロウィン作品を書きました。購入は以下の記事からお願いします。

 

note.mu

 

 「今年は和製ハロウィンがいいな」と思いながら構想を考えていたとき、百円ショップで買ってこれるようなハロウィンのモチーフをベタベタと門柱に飾っているお宅を見つけた結果、こんな話が出来上がりました。新興住宅のご近所トラブルやその他もろもろのお話です。例年のお化けが出てくるホラーとは違ったテイストになっていますが、いろんな意味でホラーに仕上がりました。こちらはマガジン購入をしなくてもバラ売りで購入が可能です。ボリュームも普段の倍くらいあるのでよろしければお願いします。何らかの反応があると非常にやる気が出ます。よろしくお願いします。