さよならドルバッキー

この世の裏を知ったドルバッキーは世を儚んだ。

「何かいる」 ~なつやすみの宿題・納涼合宿~

「ただいまー」
 私は玄関の鍵を開けて家に入る。誰もいないとわかっていても、つい誰にともなく帰宅の挨拶をしてしまう。靴を脱いでいると、まだ玄関より先の暗い部屋の様子がおかしいことに気が付いた。


(何か、いる?)

 

 私は電気をつけると、おそるおそる家の中へ上り込んだ。何が違うと聞かれても言葉にするのは難しいが、とにかく「何か」が違う。昨日の夜や今朝家を出るときと違う、物々しい空気が家中に立ち込めている。

 

 私はそっと台所を覗きこんだ。包丁など凶器のある場所に変なものがいたのではたまらない。もちろん人影などあるわけもなく、ほっとして私は冷たい水を飲もうと流しへ近づいた。グラスを手に冷蔵庫を開けようとして、私は違和感の正体に気が付いた。

 

 冷蔵庫の下に、小さく動く2本のアンテナのようなものがある。

 

 それの全体像は見えなかったが、私の想像力でも冷蔵庫の下に何が隠れているかわかる。しかし、何かのゴミの見間違いかもしれないと思い、私は2本のアンテナをじっと見つめた。そしてそれは微かに自ら動いていた。間違いない。奴だ。
 私は足を忍ばせて玄関まで戻ると常備してある殺虫剤を持って再び冷蔵庫の前に戻ってきた。相変わらず触角は冷蔵庫の下から丸見えで、おそらく奴はこちらが気が付いたことに気付いていない。奴の気が変わる前に私は殺虫剤を冷蔵庫の下に吹き付けた。触角はびくんと跳ねて冷蔵庫の下に完全に潜りこんだ。私は構わず殺虫剤をまき続ける。しばらく経ってから冷蔵庫の下に新聞紙を丸めた棒を突っ込んで探ると、奴の亡骸が出てきた。なるべく大きめサイズのそれを見ないように新聞紙でくるんで、私はゴミ箱に捨てた。
「馬鹿め」
 どうやら玄関をくぐった瞬間に感じた違和感の正体は、こいつらしい。頭ならぬ体隠して触角隠さずというところか。もう少し触角に敏感になっていればこいつも長生きできただろうに、なんて間抜けだったのだろう。しかし、一体どこから入り込んだのだろうか。害虫対策をもっとしておいたほうがいいかもしれない。

 

 私は台所での死闘を終え、服を脱ぎ始めた。夕食は外で済ませてきたので、今日は風呂に入って録画しておいたドラマを見て寝るだけだ。さっさと汗を流して、さっぱりとしてリラックスタイムを満喫しよう。ところが、風呂場に来るとまた先ほどの違和感が頭をもたげてきた。


(やっぱり、何かいる?)


 そんなはずはない。違和感の正体だって先ほど丸めてゴミ箱に捨てたではないか。すっかり服を脱いでしまったのでシャワーを浴びないわけにもいかず、私は「何か」の正体に怯えながら風呂のドアを閉めた。
(気のせい、気のせい)
 シャワーで軽く汗を流し、シャンプーを手に乗せて泡立てているときに限って変なことを思い出してしまう。それは昨年友達とふざけて見たホラー映画だった。肝試しをして家に帰ってきた若い女性がシャワーを浴びていると、鏡に何かが映っている。慌てて目を凝らすと鏡には何も映っていない。安心した女性が蛇口をひねると血のシャワーが降り注ぐ。女性が絶叫して、場面は暗転する。それだけのシーンだった。
(何で今思い出しちゃったかな)
 髪を洗っている間は顔を下に向けているし、背中で何が起きていても不思議ではない。温かいシャワーを浴びているはずなのに、何故か冷たい水をかけられているような感覚が背中を走る。顔を上げて、人の顔があったらどうしよう。血のシャワーが降ってきたらどうしよう。急にナイフを持った男が浴槽から現れたらどうしよう。


 気を紛らすために、私は歌を口ずさむことにした。とにかくこの変な思考のループから抜けないと、怖くて怖くて仕方がない。とにかく楽しい歌がいい、何を歌えばいいだろうか。
「おかーをこーえーいこーよーくちーぶえーふきつーつー」
 私の中の「楽しい歌」のレパートリーから選ばれたのはとても楽しそうな歌だった。歌っているうちに気分も軽くなってきて、変なお化けの妄想はどこかに行ってしまった。
「ランララララあひるさん、ガアガア!」
 あひるさんになりきって体も洗い、無事に風呂場を出ることが出来た。
(ところで、この歌のタイトルは何だっけ?)
 髪を乾かしながら私はどうしても消えない疑念を抱いてしまった。
(なんだっけ、さんぽ? それは歩こうの奴だし……)
 どうしても出てこない。手入れを終えると私はスマートホンですぐに「おかをこえいこうよ」という歌詞を検索した。
「そうだ、ピクニックだ」
 身も心もすっきりしたところで、今日は眠ることにした。録画したドラマはまた明日まとめてみればいい。
「寝よう、おやすみ」
 また誰にともなくつぶやいて、布団にもぐって電気を消す。


(やっぱり何かいるのかな?)


 やはり何かを感じる。気のせい、なのだろうか。
「気のせいに決まっている、というか疲れてるだけ」
 無理矢理結論をつけて、私は眠りに落ちた。


 翌日も変わらず家を出て出勤する。昼休みに私は昨日の武勇伝を話した。
「昨日家に帰ったらさあ、何か変な感じがして」
「変なって、どんな?」
 いつも一緒にお昼を食べている同僚が尋ねる。
「なんか、イヤーな感じ。お化けかもしれないって思った」
「何ちょっと怖い話はやめてよ」
 向かいにいたお局様が嫌そうな顔をする。
「怖いって言うか、なんていうか……それで台所を覗いたんです」
「うんうん」
「そしたらなんと、冷蔵庫の下にゴキブリがいたんです!」
「ホント?」
「そう、それで慌ててゴキジェット持ってきてぶっかけて、もうびっくり」
「よく気付いたねー、普通わからなくない?」
「でも、触角が冷蔵庫の下からはみ出てて」
「うわー、キモ!」
「でも無事に退治できてよかったねー」
「まあね、でもキモイし普通にびっくりするよねー」
 するとあまり口を挟まない新卒の大人しい男の子がぼそりと呟いた。
「でもゴキジェットを玄関に置いておくのは効率が悪いと思います。僕ならあらかじめ台所にも置いておきます。台所の遭遇率が一番高いから」
「そうだよねー、今度から私もそうするわ」
 やっぱりお化けなんていないし、私の家にも何もいない。私はもう一本殺虫剤を買って帰ろうと思っていた。

 

≪了≫

 

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 多少演出はしてありますが、冷蔵庫の下のGの話は実際にあった話です。第六感を信じたくなった出来事でした。