さよならドルバッキー

この世の裏を知ったドルバッキーは世を儚んだ。

被害者の情報を報道すること

 普段から割とムカついているので端的に。

 

 

 そこに飛び込んできた話題のツイート。「匿名発表だと、被害者の人となりや人生を関係者に取材して事件の重さを伝えようという記者の試みが難しくなる」とのことです。

 

渡辺志帆 Shiho Watanabeさんのツイート: "神奈川県警「現場が障害者の入所する施設で、氏名の非公表を求める遺族からの強い要望があった」→匿名発表だと、被害者の人となりや人生を関係

このページ開いたらそのタイミングでウィルスソフトの広告「プライバシーを守りましょう!」って出てきて吹いた。

2016/07/27 23:27

 

渡辺志帆 Shiho Watanabeさんのツイート: "補足です)記者は、報道被害を生まないよう十分気をつけつつ、社会で起きた事件を正確に記録し人々に伝えようと努めています。被害者・遺族の意

“議論が深まればと思います。”この件で一体何の議論をしていたんだ……?

2016/07/28 12:07

 

 今回の事件に関して匿名か実名かが大事なのではない。大事なのは「被害者の情報」をどこまで報道するかということだ。

 

 例えばツイートした通り、実名報道が必要な場合もある。災害や事故などの安否確認のための報道だ。何らかのトラブルで行方が確認できなかったり、列車事故や飛行機事故など多くの方が亡くなるような事件に関しては実名で「だれだれさんが亡くなりました」と知らせるのは当然のことだと思う。外国で事件が起こったときに「日本人の被害は確認されていません」と報道するのは現地の状況を知ろうと大使館などに連絡が殺到するのを防ぐためであると言う理屈と同じだ。

 

 今回の問題は「被害者の実名や背景を報道しないと物事の重さが伝わらない」ということらしいのだが、この文章を書いている人は昨今の「被害者報道」が心底嫌になっているのでこの記者の言い分は理解しかねる。例えばスキーバスの事故で大学生が多数亡くなる事故があった。それは気の毒だし、再発防止を訴える必要はある。

 

 だけど、「劣悪な労働条件のスキーバス運行の問題」を重く受け止めるのに被害者の通夜の様子などを事細かに報道する必要があるのだろうか。個人のSNSの写真を全国ネットのニュースで流して「かわいそうですね」と語り合うことで、労働条件は改善するのだろうか。これは非常によくないと思う。

 

 何故なら、「被害者かわいそう」「いのちはたいせつ」という共感ベースで事件が消費され、改善も反省も何事もなく芸能人のスキャンダルやゴシップと同じ扱いになってしまう可能性があるからだ。

 

 今年の春に広島の中学生が学校の手違いで高校の推薦を受けられなかった問題で、明らかに学校側の怠慢によるミスで厳しく追及をしなくてはいけない場面でも生徒が自殺をしてしまったと言う結末ばかりがクローズアップされて「いのちは大切、自殺をしないようにしましょう」という話になってしまっては問題の本質がそれてしまう。大事なのは学校の体制に問題がなかったのかであって、生徒個人を責めてはいけない。個人的には生徒が自殺していなくても全国レベルの不祥事だと思っているので、変なヒューマニズムのようなもので誤魔化されることが大変腹立たしい。

 

nogreenplace.hateblo.jp

 

 報道で大事なのは事実を事実のままに受け止めて、わかりやすい悲劇だけを切り取らないことだと思う。時に実名やその周辺にあるエピソードは事実をそのまま受け止めるのに邪魔になることがある。まるでSEOに浸食されたグーグル検索のように「被害者は良い人だった」「被害者はこんなに立派な人であった」「被害者の友達は口をそろえて良い人だったと言う」などの情報が引っかかる。特にスキーバスの事故の時はそう言った報道に嫌気がさしてテレビもネットでも意図的に情報を見ないようにしていた。「悲惨な事故で死んだら見世物になる」というように見えるからだ。

 

 見世物になるということに、我々は鈍感になっているのかもしれない。社会的な問題と見世物は、また別の話だ。社会的な問題は広く議論されなくてはいけない。しかし、見世物はただそれが哀れで面白おかしくて「自分と違う世界の奴だ」と思うから安心してみていられる。悲劇を書きたてることは事件の重さを理解させることと反対の作用を生む恐れもある。見世物そのものが悪いのではない。社会的な問題と見世物を混同してしまうことがよくないのだ。悪名高い24時間テレビもこの辺の区分が曖昧になっているから反発を食らっているのだと思っている。

 

 ただ、遺族も「死んでしまった人のことを覚えておいてほしい」という気持ちがあってそのような報道を望むかもしれない。特に理不尽に殺されてしまったりすると犯人を憎んだり精神が参っていたりして、必要以上に故人の情報を流すかもしれない。そんなとき、報道サイドが煽って何か情報をひねり出させるのではなくそっと諌めたり寄り添って慰めるような機関であることが真の意味で「民のため」なのではないだろうか。ゲスな情報を知りたいと思う視聴者側も、いつ「報道される側」になるのかわからないのだから。

 

 今回の相模原の事件そのものについての言及はあまりしたくない。起きてしまったことはどうにもならないし、万人が納得するような完全な動機の解明なんて出来るわけがない。あーだこーだと推論を述べたり自分の政治的思想に絡めて事件の概要を展開するのは非常に滑稽だと思う。それだけです。