あのにますトライバル

君の気持ちは君の中でだけ育てていけ。

十八時からの交信の振り返り

 久しぶりに自分の作品の振り返りをします。何かの種にしてください。

 

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〇まずテーマを「時計」にしたところで最初に浮かんだ物語が「腕時計を巡る別れ」だったのだけれど、全体的にウェットな気分だったのでウェットになる話はやめようということと、何となく書く気にならなかったところでなんとなくどこかに行ってしまった。「時計をプレゼントするということはあなたの時間を拘束する」みたいな、そんな話。うぜぇ。

 

〇で、結局いつもやってる「時間を超えてどうのこうの」というのもイマイチ頭に思い浮かばなくて、放置していた。こういう時無理に考える話は大抵面白くない。とにかく何か思い浮かぶまで熟成するのがいいって『思考の整理学』にも書いてあったと思う。そもそも書く気にならなければ何も面白いものは生まれない。難しい。こればかりはコントロールしてどうにかなるものでもない。私的な話をすれば今年度に入ってから少し仕事量が増えて、忙しさがアップした。仕事量自体は大して増えていないけれど、業務の内容がケタ違いに難しくなった。結局そちらに頭の大事なところが裂かれて、どうでもいいことを考える時間が少なくなってしまった。もうどうしようもない。

 

〇さてどうしたものかと悩んでいるうちに、Twitterで『ひとりぼっち惑星』というアプリが人気になっていた。その雰囲気が好きですぐにインストールして、一通り進めた。内容はボトルメールと放置ゲーの融合のようなもので、惑星に生き物がいないという点が非常に気に入った。アンテナを組み立てると言うのもなかなか良い。

 

ひとりぼっち惑星を App Store で

ひとりぼっち惑星 - Google Play の Android アプリ

 

 とりあえず受信機を最大まで大きくして、送信機を組み立てたらゲーム自体はなんとなく飽きてしまった。何通かこえを受信してみたけど、なんだかぴったりはまるものがなかった。「ハマるのがなかったら自分で作ればいいじゃない」ということで「誰もいなくなった惑星に残された人工知能」の話を書こうと言うことになった。

 

〇元々人外の思考を書くのは大好きなので、大体の流れはすぐに出来た。自分が一人称を選択するのは、短編小説の場合最初と最後の思考の変化の過程を書くのが好きだからだ。この揺れ動く感情を追っていく感じが好きだ。作者は物語の結末をある程度知っているけれど、登場人物は何も知らない。「何が起こっているのだろう」と自分自身に問いかけている登場人物が大好きだ。その期待に答えたり、時に裏切ったりするのが非情な作者と登場人物との距離だと思っている。

 

〇この作品と短編小説の集いで書いてきて似ている作品と言えば、『鉄板の上の花見』だろうか。これも最初はカン助の一人称で書こうとしていたけど、ぐっと引いた視点で書いたほうが生えると思ってこの形に収まっている。多分この時代のずっとずっと先の話が今回の物語の世界なのだろう。

 

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人工知能どうしの会話で楽なことは、セクシュアリティを気にしないでよいということです。人間の場合、どうしたって年齢と性別で限定されたキャラクターになってしまいます。その制限が面白いと言えば面白いのですが、「人類消滅後」という人類の枠が外れた世界で「性別」という概念は邪魔かなと思いました。人間に逢いたい、というより何でもいいから自分以外の存在と触れていたいと言う知性体としての欲求(?)がメインです。

 

〇この作品を書き終わって思うのが、結末が非常にありきたりになってしまったということです。どうしても「出会い」があったら「別れ」を描かなければ主人公の心情の変化は生まれにくい。それに、そちらのほうがとりあえずドラマティックになってくれる。もっと時間をかけたらもっと別な道があったのかもしれない。ただ、この世界にはかなり制限がかかっているのであまり突飛な展開にもしにくい。適度に説得力のあるこのくらいの終わり方でよかったのかもしれない。

 

〇誰もいない星で機械だけが動いている、というと最初に思い出すのが『火星年代記』の『優しく雨ぞ降りしきる』だ。ティーンの時にこれに出会ってしまって、それ以降ずっとこの短編が引っかかっている。読んだ時は「人間がいないのに物語が成立している」というところでとにかく驚いた。擬人化したものが出てくるわけでもなく、淡々と描写されるシーンに心を打たれた。また、『ロボットの心』という新書には「果たして知能とは何か」ということで「チューリングテスト」や「中国語の部屋」などロボットの思考パターンから「心」というものが生まれるかということが書いてあった。非常に面白いので読んでもらいたい。

 

ロボットの心-7つの哲学物語 (講談社現代新書)

ロボットの心-7つの哲学物語 (講談社現代新書)

 

 

〇割と本気で「ロボットに心はあるか」ということは考えている。その逆は「人間には全て心があるか」ということにもなって、「自分の心を表現できない者は心を持っていると言えるのか」ということにもなってくる。個人的にこの辺の隙間を埋めるのが物語の存在だと思っている。その辺の見知らぬ爺さんと自分の家の犬のどちらかを助けるかと言えば、まず自分の家の犬を助けるだろう。また、見知らぬ爺さんと長年使用しているペッパー君だったら、やはりペッパー君に軍配が上がるのではないだろうか。ペッパー君は直せばいいかもしれないけれど、二度と戻ってこないとなった場合、見知らぬ爺さんに勝ち目はない。この差は「自分と共有した物語」の量にあって、同じ時を過ごしただけ愛着と言う物語が発生して、そこに「心」を見出す。「心」というのは自分自身の内面を外部に写し取ったものじゃないのだろうかと最近は思う。

 

〇そんなわけで人工知能の話を書きました。タイトルは海野十三の『十八時の音楽浴』からです。話の内容はこちらの作品とあまり関係ないのですが、『1984年』をもう少しカジュアルにしたみたいな話で好きです。ちなみに作品内で時報が十八時になったのは偶然です。

 

十八時の音楽浴

十八時の音楽浴

 

 

〇いつも最初は思うのに途中でくじけて違う話に逃げるので、次回こそベタベタしてねっとりした人間関係を書きたい。終わり。