さよならドルバッキー

この世の裏を知ったドルバッキーは世を儚んだ。

砂糖つぼの話からの雑感

 昔、実家にアリが発生したことがある。駆除が大変だったのを覚えている。それからしばらくして最近のこと。世間話で虫の害についての話題になったとき、この話をした。そこで「砂糖つぼにたかられて~」「それはイヤだね」というようなことを言った。

 

 で、さっき砂糖を入れるケースを洗っていて「これは砂糖つぼというよりケースだよな」ということを思った。つぼ、というとどうしても陶器の重いものを想像してしまう。こんなに軽いプラスチックのものを「つぼ」と表現するのは違う気がする。

 

 だけど、だからと言って「これからは砂糖ケースです」というのもまた違う。砂糖ケースになると、夏休みの自由研究で砂糖の研究をしているような感じだ。砂糖をすぐ取り出せるように台所に置いておく入れ物はやはり「砂糖つぼ」がいい。「砂糖入れ」というのも考えたけど、それだと喫茶店に置いてあるグラニュー糖が入ったおしゃれな容器になる気がする。やっぱり台所は「砂糖つぼ」がいい。

 

 そんな風に「もう今では使っていないものでも記号や名称として残っている」ものが他にもある。例えばフロッピーディスクのマーク。これは「保存」を表すわけなんだけど、現在フロッピーディスクを現役で使っているところはほとんどない。2000年以降に生まれた子供たちにとって「何このペラいの?」というところだろう。小学生にビデオテープについて尋ねると「おばあちゃんちで見たことある」というような答えが返ってくる。そんな子でも「巻き戻し」の意味はわからず言葉だけ使っている。一体何を巻き取っているのか、多分よく考えていない。カセットテープを炎天下の車の中に置いておいて、びろんびろんにした経験のある人なら「巻き取る」の意味を心底理解しているだろう。

 

 似たようなところで最近「針を落とす」の意味が分からない、というものがある。プリンセスプリンセスの『Diamonds』に「針がおりる瞬間の胸の鼓動焼きつけろ」という歌詞があって、「針ってなあに?」というわけだ。もちろんこれはレコードの針のことである。他にも『Diamonds』には「ブラウン管じゃわからない景色が見たい」「初めて電話するときにはいつも震える」など、現代では見かけないものや光景が歌われている。初めて電話するときの気持ちに年代は関係ないだろうけど、それが固定電話なのかスマートフォンなのかでは見ている景色が随分と変わってくる。

 

 世代だから仕方がないというのもあるかもしれないけれど、この辺の問題は「他者に共感する」というのも関わってくると思う。例えば最新のスマホアプリでしか遊んだことがない子供たちがメンコ遊びを知って「それの何が楽しいのか」と問うのであれば、それは知識のあるなし以前の問題になってくる。そうは言っても「それがなかった時代」のことを想像することは大人でも難しい。まして経験が少なくて、「今現在」しか世界がないと思う時期の子供ならなおさらだ。最近は「昔は友達同士でCDの貸し借りをしていた」「自動改札機のない頃は駅員さんにスタンプを貰っていた」あたりも想像できない子もいる。彼らは「なんでわざわざCDなんて買っていたのか」と真剣に疑問に思うのだ。わからないものは仕方ない。

 

 そんなわけでジェネレーションギャップというのはここ10年くらいで以前よりも急速に進んだわけです。テレビでも「90年代の暮らし特集」なんてやらないですからね。知りようがないんですよ。まぁ知らなくても死にはしないだろうけど。それよりも最近のファッションが80年代風に戻ってきているのは気のせいだろうか。気のせいなんだろうな。

 

 そんなことを「砂糖つぼ」からつらつらと考えました。結論が何かあるわけじゃないけど、時代って感覚を掴むのは難しいよねってことです。そういえば「砂糖つぼ」はあるけれど、「塩つぼ」とか「塩入れ」とはあまり言わない気がする。「塩ケース」になると「塩キャラメル」になんとなく似ている。塩は単に「おしお」とだけ言うかもしれない。「醤油さし」「こしょうびん」はアリ。「みそ」も「みそ入れ」とはあまり言わない。何だろうこの差は。特に意義のないことを考えて終わり。