あのにますトライバル

君の気持ちは君の中でだけ育てていけ。

自分自身を自分が否定した日

 あとで書くと言ったので書きました。何だかいろんなことを考えてしまう記事だなと思ったのです。今回は久しぶりにエモい感じになります。

 

mamichansan.hatenablog.com

 

 上記の記事は「たまたま素晴らしい記事に出会って、そして自分自身を全否定されたような感じになった」ということらしいです。そういう感覚は人間生きていると、たまにあると思うんです。最初にそういう話をします。

 

【自分をちっぽけだと思うとき】

 はてなというサービスも知らず、こんなブログをやるとは思っていなかった随分と前のこと。何だか人生全部に行き詰って、何をやってもうまく行かないしそんな状態で食べるご飯もおいしくないしこんなに頑張っているのに頑張れば頑張った分だけ仕事が増える。頑張れば頑張るほど自分を追い詰めるスパイラルに入っていて、全てを投げ出したいって本気で思っていた。今から思えばかなりパワハラ的な扱いを受けていたのですが、渦中にいると「全部自分が悪い」って思ってしまう。これ本当。

 

 そんなボロボロの精神状態のとき、とっても大好きな人がいた。その人がこの文章を書いている人にとってどういう関係なのかは、想像に任せることにする。とにかくカッコイイものを作る人で、その時は「こういうの天性って言うんだろうな」って本気で思うくらい、惚れ込んでいた。その人の存在がある意味生きる支えになっていて、「こういう人になりたい」というのが体の底の方で疼いていた。だけど、どんなに足掻いてもそんな人にはなれない。何重にもなった厚いガラスで世界が隔てられていて、そんなところにはたどり着けないだろうし、その人の視界にこんな自分が入ってしまったら困ると思うくらいには思いつめていた。

 

 ある日、その人のブログを見た。もう決して向こうには届かないと知っている人の生活を報告してもらえる、そういうブログは好きだった。ふと好奇心で、自分がその人を「素晴らしい」と思う前はどんな生活をしているのか気になってつい「過去記事」を時間をかけて読んでしまった。そこに書かれていたのはその人にとってはただの日常の延長。だけど、明らかにもがいた跡があった。こんなはずではない、こんなところでおわってたまるか。沈むならとことん沈みきってやると言う青臭くてどす黒い情念が渦巻いていた。その情念は時と共に丸くなって、次第にその人自身の中で何かが落ち着いていくのを感じた。

 

 それを読んでいて、気が付いたら涙が頬をつたっていたという経験をした。自分が素晴らしいと思っていた人だって、ただの人間だって気が付いてしまったというような、神はいなかったと知ってしまったときのような、とにかく築き上げてきた幻想が一瞬にして灰になって消えてしまった。今までの幻想だらけの自分は死んだ。これからの自分は一体何だろう。何でもないただの人間だ。同じ人間だから、あの人と同じところにはいけないけれどガラスの向こうで見てくれる人くらいは作れるんじゃないか。そして、こんな風に涙を流してくれるだろうか。

 

 それから大分時間が過ぎて、気が付いたらこんなところでこんなものを書いている。ただ憑りつかれるように書いて書いて書きまくって、何も出なくなっても脳みそを搾り取られて言葉に縛られて、そんな風にして死んでいくんだと思っている。そういうバカな人間が出来上がってしまった。何とも厄介な話だ。

 

【こいつには絶対敵わないと思うとき】

 それからも「自分自身を否定されるような存在に出会う」という感覚には何度か遭遇してきた。それは自己否定とも他者崇拝とも違う、何とも言えない不思議な感覚だ。主に出会ったのは、短編小説の集い「のべらっくす」をやっているときだ。

 

 最初に出会ったのは、第0回のとき。「やってみね?」くらいの軽い感覚で記事書いたら「いいねーいいねー」くらいの単発企画にする予定だったのにこんなにダラダラ続いているのは、参加者が思ったより多かったというのもあるけれど、多分一番最初に作品を書いてくれたのがこの人だったから、というのがある。一番最初にこんなの持ってこられたら、魂持っていかれる。

 

久しぶりに書きたくて戻ってきました - Almost Always

 

 id:ronpokuさんは一度ブログを閉じられてしまったけれど、最近また新しく始められたので個人的にものすごくうれしかったのだけれど、運営という立場で「キャッホー!」とか書けないのでなんか普通になってしまっているけれど、また帰ってきてくれたのが本当にうれしい。何が好きとかわかんないんですけど、何だか好きなんです。感想は頑張って論理的に書いたのですが、一言でいえば「魂持っていかれた」なんです。

 

4445.0MHz - OK 余裕

 

 もう一人「魂持っていかれた」系の人は、id:ao-ruiさんです。最初は「何だコレ?」と思わせつつ、それでも「勢い」というか「熱量」で無理矢理ないところから有を作り出す感覚と言うのか。強烈な印象が眩しくて、内に秘めているものを知りたいと思うけれども怖い。そんな感覚を味わいました。

 

 多分この人たちには、一生「勝てない」。これらの何に勝ち負けがあるのかわからないけれど、この感覚は多分「敗北」という言葉が一番近いと思う。そう相手に思わせた時点で、そっちの「勝ち」は揺るがない。

 

 【元の記事の筆者へ】

 で、こんな自己否定の果てのくたびれてエモい感情を長々と書きたくなった元の記事の筆者も、多分そんな感じを伝えたかったんだと思うのです。自分の理解を超えるような素晴らしいものに出会うと人間は、自己否定に陥るようにできているみたいです。だからその素晴らしいブログを書いた人を閉じ込めたいと思うくらいのめり込んでしまう気持ちはよくわかる。よーくわかる。

 

 ただ、あざなわのとこのおじちゃんが言っていることは間違っていない。

 

もともとブログなんて素人の露悪趣味でしかないのに、文才の差を感じて辞めたくなったのだとすれば、それは内心で「自分には文才があるんだ」と思ってたってことですかね。

文章力勝負したいならどっかで「文章力教室」でも受けてからやり直すのも一興。
文章力が欲しいってんなら、まず役立ちそうな本でも一冊読んでみて、自分のポエムっぽい書き方は果たしてどーなの?ってところから問い直すべきでしょうが、とまれ文章がうまいとかヘタとかそんなことより中身が面白いかどうかじゃないのかね。

何のためにブログを書くのかなんて考えもせず、息を吐くようにブログを書く - あざなえるなわのごとし 

 

 結局幻想が崩されるっていうのはその幻想が確固たるものとして存在していたからで、つまり「才能を見つけて辞めたくなった」というのは「私は文才があると思っていた」という無意識のダダモレに他ならない。文章力向上の前に、多分自意識と会話する必要があると思う。

 

 で、ここから元記事でちょっとイヤだなと思ったことなんですが「文才」って言う言葉をここで使ってほしくないなぁということです。確かにオカマとノンケさんの記事はカッコイイです。だけど、それを本人にも見えてしまう場所で「才能」ひとつで処理するのはすごく失礼だと思うんですよ。

 

 人を褒めるときに「才能」って言葉を使うのは難しいと思っています。本人は悪気なく言っているつもりでも、状況次第ではイヤミにしかとられない場合もあります。今回も正直「私にはない才能」を連発して前に出し過ぎたことで「実は才能があったと思い込んでいた私」が外側に出てきて辛い。それに「才能」っていうのは、その人と自分とを遮断する働きがある。「あなたは才能があっていいですね」って努力している人に言うの、割と辛い。

 

 同じ意味で「文才」も使わないほうがいい。「文才ありますね」っていう褒め言葉、本人は本気で使っているかもしれないけれど「あなたの優しいところが好き」くらいの非常にふわっとした中身のないどうでもいい褒め言葉に聞こえるときが多いのです。つまりその褒め言葉、大体において本気にしちゃダメです。お世辞や社交辞令に等しい。

 

 そして非常に個人的な話だけれど、そのくらい前のめりになるほど好きになったものは多分自分はお勧めしない。その気持ちを誰かと分かち合おうなんて思わない。その気持ちは自分だけのものだし、それを「面白いですよ」と紹介することはあっても「好きだ」という気持ちを共有はできない。

 

 恋愛関係に置き換えるとわかりやすいんですが、「彼ってこういうところがスバラシイの」という他者を意識したノロケなら話を聞いてやりたいですが「私って何でこんなに彼が好きなんだろう☆」という自分語りなノロケはかなり辛い。そして自分語りになった結果、不用意な発言で彼を傷つけるかもしれない。自分のことしか見えていないから、失言もたまにある。それを防ぐには、想いを閉じ込めるのがイチバンだ。

 

 恋に焦がれて鳴く蝉よりも鳴かぬ蛍が身を焦がす、とは昔から申しますがネットの世界ではみんな鳴く蝉になりたがる。そして大事な気持ちも大声でわめきたてる。それで大事なことが何なのかよくわからなくなってしまう。すぐに思ったことをばーっと言うのではなく、他者の視点を意識しながら自分にとって何が大事なのかを見極める。それこそが「文章力向上」の一番の方法じゃないですかね。

 

 というか、もっともっとネットには「才能」がゴロゴロ転がっているので、はてなの狭い世界でスター交換くらいで満足しないで余所に行って才能に溺れてくればいい。そうやって世界を広げると、多分今まで見えなかったものが見えるようになる。それがネットの面白いところだよ、と言うことで長くなりましたがおわり。