あのにますトライバル

君の気持ちは君の中でだけ育てていけ。

自殺の話はやめろ

※以下の記事には自殺や抑うつ状態について不謹慎な内容が含まれています。閲覧にはご注意ください。

 

 

 

 タイトル一本釣りのアオリ技かと思ったら、想像以上に辛い記事だったので書いておく。ただの炎上狙いにしてはぶっちゃけ不謹慎すぎるしかなりタチが悪い部類で、流石にあの記事を読んで真面目に怒る人もいるだろうし、今回の炎上のさせ方があまりにも不快だったので。アクセス数増やしたくない方は魚拓からどうぞ。

 

自殺するヤツはアホ - 四条通り週末.com  (魚拓)

 

松本人志の発言について

 確かに「自殺は一番悪い」ということを発言している。しかしこれは「いじめや家庭の問題など子供をとりまく環境」に限定した文脈の中で有効な話で、しかもこの場合の「アホ」は罵倒の意味ではなく「いけないこと」という意味で使用されています。この発言そのものが適切かそうでないかは賛否あると思いますが、「子供の自殺」という意味では「絶対いけないこと」と教えるためにある言説として理解できると思います。

 

松本人志「一番悪いのは自殺すること」 相模原中2自殺で持論

 

 でも、学生のいじめ虐待自殺って日本ではまだ少数ケースで、多くは中高年の男性、しかも理由は健康問題や経済問題がダントツだ。多い少ないで話をするべきではないんだろうけど、「自殺」と大きくくくるのであればそこまで考慮していかないといけない。当たり前だけれど、自殺はいじめだけが原因で起こる訳ではない。自殺の記事を書くのに統計も見ないとか、それこそアホだ。

 

日本の自殺 - Wikipedia

 

 あと、そういうわけで松本人志の話も「自殺するやつはアホ」というところだけ抜き出しても意味がないです。ソースくらい貼ろうよ。

 

僕も自分の親より先に死ぬのだけはダメだと思いますし、自分の娘にも思います。子供を持ってみないと、わからないかもしれないですけどね。

自分自身の死を持って誰かに後悔させてやろう、見返してやろうという考えは、非常に単調で愚かだと思います。その人だけの立場があるのだから、という発言は最もですが、どんな人間でも悪いことしたら怒られるという風潮からすれば、やはり愚かとしか言いようがないでしょう。

 

 百歩譲って好意的に考えておそらく筆者は「子供の自殺」をテーマに書きたかったんだろうけど、「自殺」と幅広いテーマを選択することで全世代に向けて「愚か」というメッセージを載せた。そうか、50を過ぎてリストラされて身寄りもなく再就職先も決まらずに家賃も払えず路上生活を送ることになっても、抗がん剤も効かずに苦しみに耐える末期がん患者が安らかな死を願うことも「愚か」なのか……。

 

僕は、結構言っていますが、自分の子供がいじめられて学校を辞めたいと言えば、とりあえずハワイに行きますね。一週間でも。

辞めたければ辞めればいいし、なんなら辞めるかどうかなんて考えすらもちっぽけなんだよ、と教えてあげたい。

 

 自殺の原因を考慮しないこういう書き方もとてもちっぽけですね。目の前に今にも死にそうなオッサンが現れても「ハワイに行きなよ」って言うの? 森鴎外の『高瀬舟』を読んでも、目の前で苦しんでいる人に安らぎを与えることが「愚か」だって言いきれるの? アホなの? そもそもハワイに行ったくらいで解決する悩みなら、人は死なない。

 

 この辺真面目に考えると、「子供がいじめられたのでハワイに行く」なんて非常にアホの極みです。目の前の大きな苦しみに必死で耐えようとしているところに「そんなもんはちっぽけな悩みだぞ、ほら父さんとハワイに行くぞ」なんて言われても絶対楽しめる状態ではない。いじめの被害にあったら、まずはしっかり休息を取らせることと「何があっても守ってやる」という姿勢を見せ続けることです。一週間ハワイに行って帰ってきて「さぁちっぽけな悩みなんて解決しただろう」なんて言われた日には抑うつ状態待ったなしです。

 

 ここを読んで過去に「育児や家庭のことでイラっとしたらちょっと高いアイスを食べて気分を変える」というような記事を読んで「そうか、妻がイライラしたらアイスを買って帰ればいいんだ!」という反応をして「そこじゃない」という炎上をしていたケースを思い出しました。言うまでもなく、「いじめられたらどうするか」というところで根本的な子供と向き合うところではなく、その対処方法だけを表面的になぞっても何にもなりません。

 

 何度も書くけれど、その昔「毎日辛くて、ご飯を食べても味がしないしよく眠れません」という相談を受けた人が「私は辛いことがあったらいつまでもくよくよしないで思いっきり泣いてスッキリして全部忘れちゃうよ! だからそんなことで悩まないで思いっきり泣こう! そうしたらスッキリするよ!」って隣でアドバイスしてたの本当に怖かった。相談をした人は間違いなく抑うつ状態だし、何も出来ることがなくても愚痴を聞くとか「相談をした」という実績をあげるだけで少し和らぐことができる。ちなみにこのケースのその後がどうなったのかは、皆さんのご想像のとおりです。立場もあったのでその相談に介入できなかったけど、あの時もっと口を出すことが出来ていれば……と今でも思います。

 

僕は大学に6年行って、すごく楽しかったので、その立場から話します。

高校は楽しかったですし、中学も楽しかったです。もちろん、小学校も楽しかったんですがけど、大学は全然レベルが違う楽しさでした。

 

 すげぇな。わざと書いてるんだろうけど、「これから自殺したい」と思っている人に「楽しかったので人生捨てたもんじゃないよ、ソース:僕の主観」という最高に人をイラつかせる文章。なかなか書けるもんじゃないよ。その才能を他のところで発揮してくれ。「いじめられた? そんなことはちっぽけだ、高校は楽しいぞ!」なんて軽々しく言えるわけがない。

 

 ちなみに自分の自殺に関する話はこの前書いたのでこっちを見てください。「死にたい人の死にたいという気持ちを安易に否定するのやめろ」ということで、「辛いなぁ、死にたいなぁ」という言葉に対して「辛いの? 大変だね」という言葉と「そのくらいで自殺するなよアホが」と言われるの、どっちがいいと思うってことです。前者がパーフェクトかと言われればそうでもないですが、少なくとも後者よりマシです。

 

nogreenplace.hateblo.jp

 

自殺の話を気軽にするのをやめろ

この「自殺するやつはアホ」という論調は、僕はもっともっと広く知れ渡ってほしいです。保育園落ちた日本死ねと同じように、過激で間違った表現かもしれないですが、これが浸透して、本当にみんながそう思えばそれでいいんじゃないでしょうか。

もちろん、当事者やその周りからすれば許せない発言かもしれないですが、誰かが許さない代わりに誰かを救えたら、それ以上のことはないと思うのです。

なので、もっともっとみんなには「自殺するやつはアホ」と言ってほしい。そう思います。

 

 個人的に一番許せないのはこの部分で、「過激で間違った表現が浸透する」ことがどれだけ恐ろしいことかわかって書いているとしたら、本気で嘆かわしい。「ユダヤ人を殺せ」「お国のために死んでまいります」「貴族は罪人みんな死刑」「眼鏡をかけているからインテリ死刑」。これら全て「過激な表現」です。過激な表現はいつも先鋭的になってたくさんの人を殺す。人を殺すのは軍隊じゃない、ISみたいな大義名分と過激な思想だ。

 

 もし筆者の望む「自殺するやつはアホ」の世界になったとして、自殺した人を貶める世界がやってくるのだろうか。自死遺族は「こいつの家族アホ」と言われて生きていくのだろうか。はっきり言って不特定多数にばらまく過激な表現が誰かを助けることなんてない。誰も救わない。

 

 自殺が愚かな行為なんていうのは、このご時世みんな知ってることだよ。それでも、愚かな選択をしなければやってられない時がある。「愚かな行為」だとわかっていても摂食障害や依存症などは治らない。逆に「愚かである」という事実を突きつけられると余計その脅迫から逃れるために依存に走るケースが多い。それを何も知らない人は「愚か」だと思うのかもしれない。でも「そういうもの」なんだよ。理解をする気もないのに「愚か」と決めつけるのはやめよう。

 

繰り返される過ち

 過去、こんな記事があった。そもそも自殺をテーマにするということは、本当に難しい。

 

自殺をテーマに記事を書くということの難しさと注意点の話 - ネットの海の渚にて

 

 この記事は以下の記事の炎上、そしてそれらに波及する形の言及として書かれたものだ。

 

自殺する人は弱い(魚拓)

はてなブックマーク - 自殺する人は弱い - grshbの日記

 

 はてなブックマークの言及エントリ、関連エントリから辿っていけばわかると思うけれど、今回の記事とほぼ似たような内容で、似たような言及がされている。発端のエントリに噛みつくような形で書かれたこのエントリは炎上して、それぞれが「自殺とは」と考え、こぞって皆が皆の意見を書いた。興味のある方はリンクから辿ってみてください。今回と本当に似ているから。

 

 そしてそれを見て「議論が深まった」と思っているなら、それこそアホウだ。 議論なんてしていない。みんなで説教大会をしているだけだ。とんでもないアホな考えに対して総ツッコミがなされている状態。繰り返すが、これは「議論」ではない。

 

無邪気と言う罪

 とてもセンシティブな話題だけれど、この記事を書こうと思ったのは、筆者のこのコメントを見たからです。

 

人それぞれ意見があって、どれもその通りだと思います。
ただ、僕は「お前は何もわかってない、自殺する人間は◯◯だ」という意見だけは納得できません。別にどっちの方がわかってるわかってないの議論をするつもりはありませんが。
ただ、こういった議論が起こることは、社会全体で自殺への対応を考える上で、非常に重要なことだと思いますので、この記事を書いた意味があって良かったと思います。
不快にさせた方は申し訳ありませんが、僕自身は未だに間違った意見だとは思っていません。

死ねば楽になるという考え自体が自殺志願者の心の救いになる、という意見は考えたこともなかったです。
貴重な意見、ありがとうございます。

 

 コレ、これからもブログを書いていこうと思っているならかなりアホウなことを言っている。最近炎上の言い訳で「〇〇というのを考えたこともなかった」「いろんな人の意見があるのが当たり前。だから私の意見も間違っていない」というフレーズが散見されるけど、これはかなりアウトな考え方だ。前からよくある言説だったんだけど、今年に入ってからこのような炎上後の対応が増えて、しかも「真意は伝わりました。ネガコメ最低ですね」など容認する向きもある。上記の中3自殺記事とか、言葉の足りなかった先日のタトゥー偏見記事とか。特に今回のような記事に関しては、特に。

 

  百歩譲って「自殺についての記事を書こう」と思ったのなら、どうして「自殺」について調べないのか。体験談ならまだしも、完全に自分の理解の外にあるものについてどうして思いつきで話そうとするのか。本気で自殺を減らしたいと思っているなら、何故公的な支援について言及しないのか。

 

平成27年度自殺対策強化月間特設ページ:自殺対策 - 内閣府

 

 これがこの記事で一番言いたいことなんだけど、ブログで何を言ってもいいからと言っていい加減なこと言ってんじゃねえと。よく読めばブログ主の真意がわかる? 行間をきちんと読め? ふざけるな。単純に認識と言葉足らずを「個人の意見」にすり替えるな。まずは読者に自分の考えをしっかり伝えるよう努力してから何事も書けよ。「あれ~? 思ったことをそのまま書いたらネガコメだらけだぞ~?」って、当たり前じゃん。ネットだけでなく、日常生活でも思ったことをそのまま言ったら怒られるだろ? 

 

 確かに炎上したほうからすれば、いつも思っていることをそのまま書いているだけなんだけど、もっと多くの人が見ていると言うことを意識してほしい。そこまで神経を入れて記事を書いてほしい。特にブログで収益を考えている人には、お小遣い程度だろうと「それで金を稼いでいる」という意識を持ってもらいたい。

 

 で、これは極論なんだけど「頭が悪いからそんなに調べものしたり議論?定義?みたいな記事は書けませんw」という人はブログで稼ぐの辞めなってこと。クオリティの高低はあって仕方ないけれど、書く対象についてそんな態度をとる人の記事は読みたくない。書くな、とは言わない。しかし収益があるような役に立つ記事を書いているのかという点で、非常に疑問だ。

 

 悪意のあるネガコメよりタチが悪いのは、悪意のない不謹慎な記事だ。「それはダメだよ」と言及しても本人は何が悪いかわからない。悪意がある奴は「善悪」の区別はついているが、後者は善悪の区別がついていない。だから良かれと思って悪いことをしても、反省しない。何故なら「悪いこと」をした自覚がないから反省のしようがない。

 

 このタイプの記事はこれからも増えてくると思う。「炎上にスルー」は鉄則だけれど、「無邪気の悪意」に対してネットがどう対応していくかはこれからの課題だと思っている。つまり、バカッター問題と一緒になったなぁと思うのです。おわり。