さよならドルバッキー

この世の裏を知ったドルバッキーは世を儚んだ。

取り急ぎ「光源氏誘拐犯」について

 千葉の女子生徒監禁事件で早速「現代の光源氏だ」とか言い始める人たちが出てくると思ったので言いたいことは書いておきます。これを書いたからってどうともならないことはわかっています。完全に自己満足です。つーか前に書きました。

 

nogreenplace.hateblo.jp

ポイント1 別に誰でもいいわけではない

 どうしても「自分好みの女性に」という点がクローズアップされてしまうのだけれど、別に光源氏は「誰でもいい」わけではなく彼女を連れ去った。その理由は上記の記事にも書いてあるし、連れ去った理由も「後見人のなくなった紫上が父親を頼ることになったから」というもの。ちょっと視点を変えれば「知らない親戚の家に引き取られることになった少女を助けてくれたあしながおじさん」というものにもなりうるのです。

 

 

ポイント2 当時の貴族女性は軟禁が当たり前

 『源氏物語』は1000年前の時代が舞台です。だから我々には理解不能なこともたくさんあります。例えば、当時の高貴な女性はまず自分の足で立ちあがって歩くことはほぼありませんでした。そもそも何mもある長い髪や何枚も重ねた着物を着ているので、まず身動きを取る事すら困難です。室内を移動するのにも「膝行」と言って膝を立ててずりずりと歩いて行くのです。

 

 また、女性は男性の昇進には欠かせないものでした。身分の高い男性と結婚させて、子供が生まれればその子供の後見人になることで親は身分を上に持っていくことが出来たのです。婚姻の形も妻問婚と言って、現代の婚姻とはかなり異なるものである。身分の高い女性は親の権力が大きければ生まれた家から一生離れないし、それ以外の生活を知らなかった。

 

妻問婚 - Wikipedia

 

 だから「光源氏が紫上を拉致して監禁した」というのは現代の価値観でこの物語を見ていることになって、当時の背景を押さえれば「紫上を強引に連れてきた」というところは間違っていないけれど、「監禁した」というのは言い過ぎであり『源氏物語』の本質からズレるところだと思うのです。

 

 実際、2000年以降に生まれた子供たちが公衆電話の使い方を知らなかったり初代ゲームボーイを見て「こんなのの何が楽しいの?」と問いかけるような時代になっているわけです。まして1000年前の常識なんて今の世の中に通用するわけがありません。現代の常識で当時の常識を見ると非常識に見えるところでもありますが、逆に1000年後の世界の人に「2000年代の人々はアホなことしていたな」と思われても何だか違うと思わないですかね。1000年後の未来を見るつもりで1000年前の話を見たほうがいいといつも思っています。「かぐや姫ジェンダーロールがどうのこうの」というのは本当にナンセンスだと思うので、この辺何とかならないですかねぇ。おわり。

 

参考サイトなど

ハガクレ★カフェ 女性史

 

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