読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

さよならドルバッキー

この世の裏を知ったドルバッキーは世を儚んだ。

面白い文章を書くという雑感

 先日から「面白いブログって何だろう」みたいな話が出ていて「混ぜて混ぜて~」と思いつつなかなかまとまらなかったところ、何だかまとまったような気がするのでガーっと書いてみます。内容は特にありません。

 

 

 こうやって何かしらをずーっと書き続けているけれど、何にもならない文章をだらだら書いているだけなので何にもならない。仕事で役に立つわけでもないし、撒いておけばご飯が地面から生えてくるわけでもない。この性質はずっと続いているので、多分書かないと生きていけない性質なんだと思う。昔「マグロって泳いでないと死んじゃうじゃないですか、私も喋るのを止めたら死ぬんですよ」と言っていた人がいたけれど、多分そう。何かしら書きまくることくらいしかできない。書かなくても生きていけるなら、多分こんな文を書いていない。

 

 この性質って言うのは呪いだと思っているし、「書いて有名になる」なんて徳にもならないし業を積み上げているだけだと思っている。だからこそ、書かなくても生きていける人に「ブログは楽しいよ~」なんて簡単に勧められない。多分「書く」に憑りつかれたら、書かなくてもよかった時代に戻るのは難しい。これは麻薬のようなもので、一度始めたら止まらない。ただ麻薬のように健康に害があるわけではないし、いい習慣にすればプラスになるところもあるので一概にダメと言えないのも悩ましいところだ。

 

 で、「面白い文章」ってなんだろねって言うことなんだけど、書く側のセンスだけじゃなくて読む側のセンスも関わってくると思っている。「これ面白い!」って絶賛されている文章を読んでみてもどこが面白いのかよくわからないことがある。だけど、面白いっていう人が面白いんだから面白いんだと思っている。それよりも自分は「面白い」と思う基準が人と少しズレている自覚がある。万人が面白いと思うものを「面白い」と思えないというより、「こんなつまらないものを」と言うのを面白がれると言うのか、そんな感じ。だからあまり自分の好きなものについて話はしないようにしている。「え、こいつこんなのが好きなの? センスなくね?」って思われてもめんどい。超めんどい。

 

 そんなわけで「面白い」っていうのは「読み手と受け手の需要と供給がぴったり合った奇跡」なんだと思っている。とにかく万人に向けて面白いものを書く必要はないと思うし、万人向けになったらそれはそれで「面白い」ではなく「万人向け」というジャンルに変わるんだと思う。よく「頭のいいジョークを書くなんて生意気」「低俗なバラエティで笑えない」というのような意見もあるけれど、それは「面白い」の感度が違うんだと思う。残念だけど自分はラッスンゴレライが好きだ。ラッスンゴレライと自分のアンテナがあっていたんだと思う。だけど「ダメよ~ダメダメ」を手放しで面白いとは思えなかった。エレキテル連合のコント自体は嫌いじゃないけど、あれが万人受けしたみたいなのがなんかイヤだった。「面白い」って難しいね。

 

 今のカクヨムの読者不在問題でもそうなんだけど、誰もが簡単にネットにアクセスできるようになって、簡単に情報を発信することが出来るようになったからものすごくくらだない情報も流れてくる。こんなブログの文章に一喜一憂する暇があるなら青空文庫の数編でも読んだ方がいいと思うんだけど、実際はそうでもなくて「くだらない情報」であることに価値があったりする。「役に立たないことはやらなくていいのでは」と教育改革などでよく言われるけれど、役に立たないことこそどんどんやるべきなんだと思う。それが感性を磨くって言うことだと思うし、「何が面白いか」を自分で考えることのできる人間になると思う。「これはつまらなかった」と思う経験こそが、面白さを発見する大事な他山の石なんだと思う。こう書いていてこの文章を自画自賛する流れに見えなくもないので断っておくと、こんなクズみたいな人間にはなってはいけないと思う。だから参考にしないで、参考になりませんでしたと言ってほしい。

 

 こんな風にいろいろ書いていても届く人には届くし、届かない人には届かない。それを「拡散!」「お役立ち!」と煽って広めて何の意味があるのか。たくさんの人に読んでもらって、一体何になると言うのか。書いた人は書いた瞬間に書いたもののことを結構忘れていると思う。いつまでも書いた内容を引きずるのであれば、それは「何かを書いている」のではなく「気持ちを文字にしている」だけなんだと思う。そこは結構違う。文章を書くのに気持ちは必要だけど、気持ちだけでは文章は書けない。気持ちで何とかなっているのは、文章の書き手としてではなくその人のむき出しのメンタルに向けられた視線なんだと思っている。つまりピエロだ。自分もピエロになるなら、どんなにつまらないと言われても自分のピエロを貫きたい。ころころと毎日演目を変えているピエロは、一芸に秀でない。そういうことなんだと思う。

 

 結局セレンディピティの感度を上げるって言うのが人生大事なんだと思っている。とっても結論がない文章なんだけど、これを読んで「なんだ損したよホントに何も書いてないじゃねえか」ってイラっとした人はきっと何かを書くことに向いていないし、他人の創作物を見て何事かを意見するのは難しいと思う。「面白い」の前にはたくさんの「つまらない」が横たわっていて、「面白い」をみようと思ったら「つまらない」を踏み分けなければならない。「面白い」と「つまらない」の基準を上げるって結構大変で、受け身だとうまく行かない。だけどその作業を怠って「他人が面白いと言うものだけを摂取して生きる」という生き方が主流になりつつあると思う。そしてつまらないことを発信するのは禁止になっていく。多分自分が褒め合う文化を苦手とするのはその辺の「全てを承認する」ということが「面白いことをする」ということに対して不誠実なんだなぁと思うからだと思う。そういうのは別のところでやってほしい。

 

 まとまった気がする、と言っていたのにちっともまとまっていない。でも何か書いて載せようと思ったのはこの記事を読んだおかげ。そういうわけで、書くっていうのは大事なんだと思う。

 

hagex.hatenadiary.jp

 

 自分は来世修羅道に堕ちるらしいです。成仏するのにあと数回は輪廻転生しないとダメっぽいです。来世から本気出す。

 

広告を非表示にする