さよならドルバッキー

この世の裏を知ったドルバッキーは世を儚んだ。

誰も悪くない

 ただ思ったこと。

 

 世の中、思うようにならないことなんてゴマンとある。それが自分のワガママで諦めなきゃならないことだったり、システム的に不条理でもどうしようもないことだってある。誰かの悪意に押しつぶされたり、不幸な事故って言うこともある。

 

 それのひとつひとつに怒りの炎をぶつけるのって、すっごく簡単なんだよ。自分は悪くない、相手が悪い、だから相手を粉々にすれば解決っていう考え方。実際、そういうほうがいい時だってたくさんある。

 

 だけど、毎回相手を粉々にすればいいかっていうとそうでもない。結局問題は何にも解決しないままなんていうことがよくある。世論を変えるのに、ネットの炎上って言う手段はあんまりよくないんじゃないかって最近強く思う。

 

 強い言葉で得た支持なんて飽きれば一瞬で廃れるわけで、半月経った後に「青春基地」や「コピライ」の問題を覚えている人がどれだけいるかって話なんですよ。コピライは陥落したけれど、結局「パクツイ」の何が悪いのかわからないで変な広告のbotやスパムをバラまく変な連中が多いのは何にも変わってない。今回もそうだ。一瞬だけ盛り上がって、年度が変わるころにはどうせみーんな忘れている。

 

 この空しさはコピライが消えたあたりからずっとある。コピライの被害にあっていた人たちは定期的に「あのアカウントはひどい、フォローやRTをしないで」ってずーっと訴えてきた。でも、あの青春基地の件で一気に燃えて消滅した。その時に「パクられた人がかわいそうだ、パクられた人の気持ちに寄り添おう」なんていうコメントはほとんどなくて、「こいつが悪い奴だから石を投げてもいいんだ」みたいな野次馬コメントがTwitterでは溢れていた。それでコピライは消えた。被害に会った人たちの声をくみ取った人ではなく、大勢の無垢な悪意によって。

 

 つまりさ、誰もが望むパーフェクトな解決策なんてそれこそないし、解決したとしてもイヤな後味が残ることだってたくさんある。そういう時、目に見える簡単な解決策に飛びつくのは野暮だって個人的に思っている。もっともっと問題は複雑で、解決しようと思っても簡単に解決できないから今まで解決できていないわけで。

 

 自分もコピライの一連の結末は大変不本意だと思っているし「はいはい消せばいいんでしょう」で解決しようとしたところに強い不信感を持っている。でも、現状で彼らが自分たちの仕出かしたことを言語化できると思えないしそれ以上にそれをネットで公表できるかって言ったら、まずしないと思うので多分この問題は「一応解決」って言うことなんだと思う。だからみんな忘れていく。それと一緒で、飽きたら忘れていく。結局、傷ついた人の気持ちなんてどうでもいいんだよ。ベッキーも不倫議員も「こいつ悪いことをしたから悪いっていいんだ!」っていう感情だけで動いていて、「傷ついた人のために」考えている人なんてどのくらいいるんだろう? 「私は違う!」っていう人ももちろんいるはず。でも、そうじゃない人の方が多い。それが世間って言うものだと思う。

 

 結局行動レベルとか政治レベルで怒りを表明できる人はすくなくて、それ以外の「私の目の前にかわいそうな人を置くな」っていう理由で怒っている人の方が多い気がする。ニュースで事故死した大学生の話を延々とやっているのも嫌だし、かわいそうな人の話をして「こんなにかわいそうなんですよ!」ってやるのも見たくない。薄情と言われても、自分は彼らを救えない。救えないのに、自分のために同情だけするなんておこがましいと思っている。これは個人の心情です。

 

 見てわかる通り、かなり絶望している。だって、誰も悪くない。ただそれぞれの思惑がすれ違っただけで大きな感情を呼び起こして、ヘイトを叫ばせるだけ叫ばせて、結局何も解決しない。「たまには民衆の感情をガス抜きさせなければ」って支配者に思われているレベルじゃん。こんなんで何が変わるって言うんだ。誰も悪くない。強いて誰が悪いって言うならば、こんなインフラを考えた野郎どもかもしれない。インターネットは、まだ人類に早すぎたんじゃないかな。

 

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