あのにますトライバル

君の気持ちは君の中でだけ育てていけ。

大学生は大人か子供か

 ……ついに青春基地が陥落したとの報を受け、これまで邪悪と戦い続けてきたネットの正義集団は喜んだ。かくして無知という大罪から多くの高校生を救った、この話はこれでおしまい、はい、どっとおはらい。

 

 って感じで世の中チャンチャンで終わる訳でもなく、今回のことでひとつ心に張り付いた疑念が「大学生は子供なのか」という認識。件の件に置いては「高校生は未熟だから仕方ない」というのは全会一致で「大学生だから仕方ない」は半々くらいかな、というのがあった。どうにもその辺が引っかかる。一体この件は、誰が責任をとればいいのだろうか。

 

 単純に考えればサイトの責任者か例の記事の編集者が名前を出して炎上に至った経緯と謝罪をひとことふたこと載せれば、それで波は引いたはずだ。私共が至らなかった、勘弁してくださいの白旗を上げてしまえば基本的に誰も手出しが出来ない。これは編集力とか発信力とか以前の大人の人間関係の基本項目で、過ちを認めて謝った人間を執拗に責め続ければ責めたほうが悪者になるだけの話である。思えば二度の謝罪文で、謝罪はあっても「何が悪かったのか」「どういう振る舞いをするべきだったのか」という点は見えにくかった。この件でどうのこうの言うのはきっと他の人がやってくれるからこの辺にしておく。

 

 問題なのは、そういう問題が起きたときに「未熟だから仕方がない」と切り捨てるような許しを与えていいのかということ。今回の件で高校生が擁護されたのは、高校生が未熟だからというよりも責任者と言っていい編集者が存在したからで、いくら高校生が「パクツイ垢の取材がしたいよお!」と言っても編集の時点で企画検討なりなんなりをやっていればかなりの確率で防げた事故だった。それでもこうやって炎上した。それだけのことなんだと思う。

 

 やるべきことをきちんとやるのは面倒くさい、けれど代表を名乗って何かプロジェクトを立ち上げてみんなでワーッとやりたい! というのは情報を発信する者にとって非常に許しがたい怠慢を感じるわけです。みんながいいって言うから嘘の情報を本当のようにばらまこうとか、世間的に評判の悪い人のことを知ってか知らずか善人扱いするとか、謝罪の逃げっぷり以前に「お前は本当に情報を発信して何がしたいの?」っていう感じなんです。そういうのは身内でやったほうがいい。だから学校新聞とかあって、「内輪ネタはつまらない」とか「噂を噂のまま掲載してはいけない」とかそういうのを学ぶんだと思っていた。最近は違うのかな。

 

 で、そういうのを「大学生は未熟だから」で切り捨てていたら「大学生を名乗っている者は基本的に未熟だから話半分で聞いたほうがよい」という風潮に繋がると思う。少し前に沸いたメディクリを名乗る大学生ブロガーとか、女子高生社長とか、どうして解散するんですかとか、そういうのが全部「胡散臭く」見える。「どうして解散するんですか」の絡繰りと一緒で、要は「若い人が頑張っていますよ」という看板が欲しいんだと思う。

 

 羊頭狗肉の言葉通り、やたらと立派な看板の店では出される料理がお粗末であることが少なくないのは洋の東西問わず時間も超えてある程度普遍的なものであると思う。特に「若い世代が発信しますよ!」という看板を掲げているのは基本的に信用していない。裏返せば「世間知らずが厚顔無恥に発信しますよ!」ということにもつながる。だからこそ若い世代の発言は大人がしっかり見守って、過ちは正さなければならない。それが人生の先輩としての務めでもあるし、そうやって成長した若い世代は次世代に受け継いでいくわけだ。

 

 ただ、これは理想論であって現実のネット社会では簡単に炎上につながるわけでなかなかうまく回らない。だからこそなお一層「若い世代が発信!」というコンテンツには注意しなくてはならない。確かに若い世代の意見は貴重だ。パワーがあって、希望に満ち溢れている。そして同様に無知で、すぐに感化されやすい。そうやって悪い大人が「若さ」を食い物にする構図はよくある話だ。

 

 どうにも「学生」を前面に押し出すメディアにはこういう匂いを感じないではいられない。つまりメディア側も自分たちが「子供」であることを盾にして活動しているわけで、それを一人前と認めるのは難しい。話半分で聞かないと、どこかで変な情報を掴まされるかもしれない。

 

 そんなことを考えなければいけないくらい、大学生という世代は守ってあげなければいけない子供になってしまったのだろうか。成人年齢の引き上げも夢物語ではないかもしれないなぁ。