あのにますトライバル

君の気持ちは君の中でだけ育てていけ。

メディクリに関する雑感

〇概要は「ブロガーって響きはダサいから今日から俺はメディアクリエイターになる!」という記事に対して「むしろダセェよ」という反応があり、それに対して「そんなのはおっさんの若者いじめだ、俺は満員電車に乗りたくない」と駄々をこねた擁護の結果「おっさんバカにすんなし」「いやだからメディアクリエイターといえば沢尻エリカの元旦那だし」「いやぁ若いって本当にいいことですね」という総ツッコミ待ったなしという車裂きの刑*1状態というところです。

 

モテないし才能がないからブロガー辞める。俺はメディアクリエイターだ。 - 今日はこれを証明しようと思う。

メディアクリエイター否定派のおっさんたちに聞いてほしい話 - 半径3メートルの社会

 

〇もうどこから突っ込んでいいのかよくわからないけど、とりあえず「メディアクリエイターという呼称」にはツッコミしか入れられないです。擁護が出来ないです。だっせぇ。「メディアクリエイター」って「メディア」を創造するのだろうか。それって新しい媒体を作るっていうことなのかな。それならすげえな。あと「人脈作り」をクリエイトしたい、ってことらしいんだけど、それって「クリエイト」というより「サポート」とか「マネジメント」じゃないかなあと強く思うのですがどうでしょう。もう「メディクリ」でいいよ「メディクリ」で。これならなんかかわいい。

 

〇で、元記事をよく読むとメディクリを名乗る本人の「本気で何がしたい」というのがひとつもない。べしゃりを伸ばしたいならひとりラジオでもやってyoutubeにアップして記事にすりゃいいんじゃね? 飲み会が大好きだ、ってそれはメディアでもクリエイトでもなんでもねえよ、お前が楽しいだけだろ。実際ゲーム実況界隈なんてワナビの巣になっているけれど、本気で「パーソナリティ」をやりたくてやってる人もいる。実際上手な人は上手。戦国乱世を駆け上がってくるだけの実力はあるわけで、ブログも一緒だ。べしゃりがしたいなら、ゲーム実況でも生主でも飲み会実況でもなんでもやればいいと思う。元記事を読む限り、素人イラストサークルでちょっと褒められたから「俺はちょっと絵心あるんじゃね? ピカソとか言うけどああいう落書き俺でも描けそう」みたいな感じがするんだよね。

 

〇そんなメディクリを批判する声に対して「おっさん」の一言で切り捨てた記事は本当に秀逸だと思う。ここに存在するのは「攻撃対象を『おっさん』と切り捨てる世代的な煽り」「お仲間が攻撃されている、すわ! という擁護」「かつてハイパーメディアクリエイターを名乗った高城剛という存在の欠如」「『はてな村という文脈』の断絶」「『満員電車で死んだ魚の眼のようなサラリーマン』という労働観」という美しいまでの炎上要素たっぷりのきれいな記事でした。特に一番効いたのは「世代間の煽り」と「労働観」でしょう。これはいつでもきれいに燃えるのです。昨年の夏に騒動になったことを思い出しましょう。

 

〇そもそも「名乗ることで何かになれる」というのはミニマリスト論争の時に散々言ったけど、「名乗っただけで何かになれるならば、内容の伴わない名乗りでも受け入れることが必要でそれは界隈のクオリティを下げる」っていうことになるわけで、ただのワナビが増えるだけで発展も何もあったもんじゃない焼畑にすらならない不毛な土地が広がるばかりなんだけどね。

 

〇ここからは完全に自分の思ったことなんだけど、何かを創りたいというならその「何か」を愛してほしいってことかなぁ。そして出来れば、愛すると同時に憎悪もしてほしい。この言葉の意味がわからないなら、何かを「創る」なんて向いてないからやめときなってことです。多分それがわからないから、先に自分を規定しないと何かを創れないんじゃないかなぁと思うのです。それならまずは先に「何か」を設定しないと。メディクリとかふわっとしたのじゃなくてさ、それに向かってきちんとやってみようよ。文章を書くならビジネス書だけじゃなくて幅広いジャンルの本を読んでみるといいだろうし、絵を描くなら毎日練習すればいい。トーク力ならニコ生だと宗教になってしまうから、手っ取り早く大学の弁論部にでも放送研究会にでも行ってみたらどうだろうか。リアルの人脈も作れなくて、仮想空間の人脈なんか作れないぞ。

 

〇自分は嫌儲ではないし、きちんとしたオリジナルコンテンツで勝負をして対価を得るって言うのはいいと思うのです。でも、どっかの誰かの言ったことをコピペみたいにした記事を1日に何十も投下して「稼ぎましたクリエイトしましたドヤァ」っていうのはクリエイトでもなんでもないと思う。少し前にテレビで流れてきたニュースを見て実況のように速報で記事を上げて「PVすごい!おれすごい!」みたいに言っていた人もいたんだけど、ちゃんと続けているのかね。大丈夫かね。

 

〇この騒動でまず思い出したのが「父さん、ブログ飯で食って行こうと思うんだ」事件*2。2年くらい前になるから「最近ブログ始めました!」という人は知らないだろう。もうこの辺ハイパーヨーヨーだかループ・ザ・ループだか知らないけれど、とりあえず知らないことは仕方ない。だけど、「知らない」ということを免罪符にしてはダメだ。「若いんだから」「おっさんだから」とか、そういうのも同じ。そういうのの積み重ねが「アイツには何を言っても無駄だ」となる。実際自分はもう「ブログで承認欲求や小銭稼ぐ人に筋とかクオリティとか求めるほうがおかしい」って思っている。諦念って奴だ。本気であの記事たちが涙が出るほど面白いんだろうか。それなら、プロの作品なんかみたらひっくり返ってしまうだろうな。それってものすごく幸せなことなのかもしれない。

 

〇すごくどうでもいいのだが、「クリエイターなのに『半径3メートルの社会』ってはあちゅうのパクリじゃね?」というツッコミがあったけれど、「こち亀秋本治は当初ペンネームを『山止たつひこ』としていて、これは『山上たつひこをもじって少しでも多くの人の目に止まるように』という思惑があった*3」という話を思い出しました。思い出しただけです。

 

〇「もし山月記の李徴がブログで承認欲求をこじらせたら」を書いたのが一年半前。当時の自分に「大学生がメディアクリエイター名乗ってるよ」って教えてあげたら、どんな顔するだろう。そしてあの時は意識しなかったけど、李徴のブログの文体に既視感を感じずにはいられない。クソ……。

 

nogreenplace.hateblo.jp

 

〇ちなみにこの話には「当時超エリートだった李徴がブラック企業に勤めているはずはない」という指摘がありましたが、あくまでも李徴視点でのブラックであり、世間でいうところではそれほどブラックではないだろうというのがこの話のポイントでもあります。

 

〇つまりは「メディクリ」が言いたかっただけです、すみません。