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さよならドルバッキー

この世の裏を知ったドルバッキーは世を儚んだ。

コンソメスープの海  ~短編小説の集い宣伝~

短編小説

 世界がコンソメスープの海に沈んでから、数世紀が経った。温暖化によって海水温は上昇し、たくさんの鳥が海に落ち、その亡骸を煮込んだスープが世界中に溢れた。それから多くの生き物が死滅し、新しい生物は生まれ、世界はひとつの鍋となって煮こまれ続けることになった。

 

 海中展望レストラン「ナト」は今日も盛況だった。幻想的な照明に照らされて店内は彩に包まれ、赤いサテンのテーブルクロスがアクセントとして映えている。外食は富裕層の証として連日客足が途絶えることがない。特に昼間は親子連れなどが装甲クジラを見にやってきて、夜は恋人たちが赤く光る温水魚の大群を見ながら愛を語り合う。
「あなた、信じられる? 昔のクジラはすべすべしていたんですって」
 テーブルクロスと同じ赤いサテンのドレスを着た女性が傍らの男性に語りかける。
「装甲クジラも人類が改造したんだ。この前昔の海の教養番組をやっていたな」
 タキシードを着た男性がガラスの向こうの装甲クジラを見て相槌を打つ。窓辺の家族から歓声が上がった。テーブルの上には灯りをともした菓子がいくつか置いてあった。子供の誕生祭を行っているらしい。
「昔の海の様子を知れば知るほど興味深いわ」
 そう言うとサテンのドレスの女性、この店の2代目オーナーのキミエは扉のそばにある椅子に腰かけた。テーブルクロスは赤いサテンが好きなキミエの趣味に合わせて導入されたものだ。先代オーナーのキミエの父は反対したが、最先端の流行に敏感な若者に評判が良く、今ではこの店のなくてはならないワンポイントとなっている。
「昔は海は真っ青で、海の砂は真っ白だったらしい」
 男性は教養番組で観た知識をキミエに語った。今では自然界に存在する青はたまに出る青空と品種改良された末のいくつかの花しかない。コンソメスープになった海が雨となって大地に吸収され、湖や川もコンソメスープの香りがするようになったのは100年前だと聞いている。それ以来、どこもかしこもコンソメスープの香りからは逃れられない。キミエは一度でいいから「潮の香り」というものを嗅いでみたいと思っていた。
「更に砂浜に椅子を並べて日光浴などをしていたそうだ」
「やだ、わざわざ海で日光浴なんて」
 男性の言葉にキミエは笑った。窓の外をクロアカメダイの群れが横切った。
「それにしても、このレストランはいつ来ても面白いね」
「私は小さいころからここにいるから、家のような感じよ」
「それなら、僕ももうすぐここを家と思ってもいいのかい?」
「ええ、お父様の許しが出れば」
 男性はキミエの肩に手をかけ、頭上に広がる海中スープの楽園を眺めていた。もうすぐ先代オーナーがこの店を訪れる。そして男性はキミエとの結婚を告げ、一緒にこのレストランの経営をしていく旨を伝える。一応話は通っているが、明確な返事はもらっていない。先ほどからキミエは椅子から立ち上がったり座ったりを繰り返し、どこか落ち着かない様子を見せていた。それをキミエ以上に緊張しているだろう男性は感じ、何とかキミエの気持ちをここではないどこかへ連れて行こうとしていた。
「新婚旅行は、北極の装甲イルカを見に行くツアーに参加しよう」
「海は嫌だわ、できれば山の高原地帯でおいしい水を飲みたいわ」
「天然の淡水か。君らしい素晴らしい提案だ」
 二人は顔を見合わせてクスクスと笑い合った。窓の外にはまた装甲クジラがやってきて、お客にダイナミックな泳ぎを見せつけていた。この装甲クジラはレストランで飼育しているもので、定期的にエサを食べにこの辺りにやってくる。この装甲クジラと一緒に食べる食事と言うコンセプトがこのレストランの一番の見せ場だ。

 

 球体にせり出したガラスの窓の向こうには、スープの海が広がっている。そこにエサを求めてやってくる装甲クジラはまず、レストランの上部でエサをもらう。頭上で装甲クジラの回遊を見たあとは、ぐるっと窓伝いに泳ぎ、端から端までやってくると装甲クジラは大きくターンをする。この大きな動きがとても子供に人気がある。そして上下に潜ったり浮いたりした後は、またレストランから離れていく。


「このショーは何度見ても素晴らしいね」
「装甲クジラは賢いのよ。少しずつ物を教えて、ここまで動けるようになったの」
 キミエはこの装甲クジラ、ジョアンナがやってきた日のことを思い出していた。あれはまだキミエが10に満たない子供の時のことだった。「子供の装甲クジラを開発してもらった」という連絡に父は喜んですぐジョアンナを迎えに行った。そしてすぐにジョアンナをレストラン近辺で飼育し、お客の見栄えがいいように泳ぐことを仕込んだのだ。


「物を覚えない魚は嫌いかい?」
「装甲クジラは魚ではないわ、私たちのお友達よ」
「そうか」
 そのとき、入口に壮年の男性がやってきた。キミエの父が到着したのだ。
「お父さん、この人が」
「話は聞いている、実際に会うのは初めてだがな」
「はじめまして、お話はたくさん伺っております」
 キミエたちは奥のテーブルに案内され、そこで向かい合って座った。
「単刀直入に言おう、キミエとの結婚は構わない」
 そこでキミエはほっと胸を撫で下ろした。
「だけど、このレストランの経営を任せてほしいと言うのは信用ならない」
「そうおっしゃられると思って、お土産を持ってきました」
 男性は傍らのスタッフに何かを耳打ちした。そしてキミエの父に向かい直ると、堂々とこう述べた。
「ご存じのとおり、私の仕事は海洋生物の開発です。内装や料理についてはキミエさんの経営術には敵いません。でも、私にはこの水槽の外に目玉になる生物を新たに生み出すことができます」
 その時、レストランの上部に装甲クジラではない大きな魚がやってきた。
「最近は古代魚を再現することに成功しまして、このサイズまで大きくなりました」
 それは装甲クジラとは違った、鎧を纏った大きな魚だった。大きな目がレストランの中まで見通し、悠々と横切って行った。急に現れた知らない魚に、お客たちの目は釘付けになっていた。
「この技術の有効活用をこのレストランで出来ればと思います」
「素晴らしい、気に入った。海洋部門を君に任せよう」
 キミエの父はにっこりと笑った。

 

「一時はどうなるかと思ったわ」
 キミエの父が退席したのちも、2人はレストランで食事をしていた。既に時刻は夕方を回り、店内はディナー用の照明に切り替わっていた。
「僕に任せておけば、大丈夫さ」
 先ほどの堂々とした表情と打って変わって、男性はキミエにいたずらっぽくウィンクをしてみせた。
「やっぱり、アナタでよかったわ」
 キミエはシャンパンを傾け、男性をじっと見つめた。
「僕よりも見つめてほしいものがあるんだ」
 男性はまた近くのスタッフに耳打ちをすると、途端に照明が暗くなった。
「さっきの古代魚は君のお父さんに、これは僕から君にプレゼントだ」
 上から降りてきたのは、色とりどりに光る海月だった。コンソメスープの海で生きられるよう改良がくわえられた夜の光る生き物たちが次から次へとキミエの頭上に降り注いできた。
「素敵、こんなの初めてだわ」
「僕はね、この近くにある遺跡の名前にふさわしい海にしたいんだ」
「そう、話には聞いたことがあるわ、でもこんなに素敵なんて」
「見てみたいんだ、海一杯に広がる青い光を」
 2人はいつまでもいつまでもコンソメスープの海から降り注ぐ光を見つめていた。そしてますます「ナト」を栄えさせようと、新たに手を握り合った。

 

 「ナト」の近くにある遺跡は、かつて人間がわざわざ海上と海底に道路を開いて作ったものだった。今では立ち入りを制限されているが、遠方からその遺跡を目当てにやってくる観光客も多い。遺跡の名前は「海ほたる」、かつて青い海に青い光があったことの証として、今でも大切に保存されている。まだ人類がコンソメスープの海に沈む前の、大事な大事な遺跡だった。

≪了≫

 

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 どニッチな終末系としてお納めくだされば幸いです。

 

 

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