さよならドルバッキー

この世の裏を知ったドルバッキーは世を儚んだ。

「思い出し怒り」するコメントの話

 ネットをしているとよく「自他の境界」の話になる。「この人は私と似た考えだから何を言ってもわかってくれるよね!」「私はあなたではないから、あなたの気持ちは全部わからないの、ごめんね」「ひどい、裏切りだ!」って奴。今日も今日とて自他の境界は曖昧で、TwitterでブロックされたとかFacebookでイイネが付かないとか地獄のような自意識があちこちでうようよしている。

 

 そんな自他境界の問題で、一番厄介なのは「思い出し怒り」だと思う。こうやって何かを発信している人なら何度か遭遇したことはあるのではないだろうか。「こんなことがあってさー、ハハ」というくらいの記事に「こんなことがあったとは何ですか私はそんなことでこんなに苦労をしたのですよ記事を読んで涙が出たのに笑い飛ばせるあなたってすごいですね尊敬します私なんて文章書けないから本当にすごいですよね急に長文すみませんでしたスルーして結構です生きていてごめんなさい」みたいなコメントがたまにつく現象。正直、ひとこと「カス」とかそういうコメントより憂鬱な気分になる。

 

 このテーマは以前から何度も話題にしてきたけど、何度か考えているうちに「思い出し怒り」そのものがこういうコメントを生み出しているんじゃないかって思ったのが割とさっきのことで、これもひとつの思いつきです。

 

 よく言う「自他の境界が曖昧」っていうのがわかりにくいという方はネットをする環境を思い浮かべてほしいです。周囲に他人がいてワイワイしながらネットに書き込んでいると言う人はそれほどいないのではないでしょうか。大体ひとりで文章を読んで、ひとりで返信をする。周りに人がいないから、変なことも平気で言えるし、「ネットで会話している」と言っても姿も声もない「文字」だけの相手のことをどれだけ「相手」を思っているのかわからない。常に他人と会話をするテンションで話をしたくなるけど、たまに自分の話を聞いてほしくなる。そんな感じなんだと思う。

 

 そんなわけで、何か記事を読んで「思い出し怒り」スイッチが入ることもあると思う。「まったくもう、あの時のアレは一体何だったんだ」って瞬間的に怒り心頭状態になるかもしれない。それで、その怒りの矛先を読んだ記事に向ける。「ちょっと、あなたの記事読んで私の個人的な理由で不快な気分になったわ!」って。

 

 そういう場合、記事を書いた人が「不快にさせてごめんなさい」と言っていいものなのか少し悩んだ。確かにその記事を読んで嫌な気分になったことは事実なのだけれど、結局「思い出し怒り」の根本的な怒りの原因は解決していない。それどころか、後で冷静になって「関係ない人に愚痴を言ってしまった」と罪悪感が襲って来たり、すっかり忘れてまた関係ない人に怒りをぶつけてしまう可能性がある。

 

 だから「怒りの感情をなくせ=相手を赦せ」というわけではない。怒りの感情があることはもっともだし、それを無理矢理押し殺して「怒りを超越しなさい」とかいうのも怪しい宗教みたいで嫌だ。怒りを超越するには、たくさん怒るしかない。怒って怒って、そうするとある日スッと胸に落ちるものがある。それが「赦し」なのだと思う。

 

 だけど、それはネットに向けて、また文章でするものではないんじゃないかっていうのがひとつある。ネットで文章を書くと言うことは自己の内面に向き合いつつ客観的に相手に自分の意見を伝えると言うことで、主観を大事にする怒りの発露には向かない。個人的な日記に書きだしてみるとか、面と向かった話相手に口頭で怒りの感情を伝えるとか、そういう方法のほうがリスクが少なく、解決につながりやすい。

 

 思い出し怒りの話に戻ると、ある記事を読んで自分のトラウマが掘り起こされたり、嫌な出来事を思い出すことはたくさんある。自分だってそういうことはある。だけど、その「怒り」を伝えるのはその記事を書いた本人なのか考え直してほしいっていうことだ。「この人は私の嫌いな考えの人と考えが似ているから怒ってもいいだろう」とか、「この人の考えは私と似ているから私の怒りを共有してくれるはずだ」とか、そういう他者性のない怒りは受け取る方にはかなりストレスになる。下手をすれば互いが互いを攻撃するかもしれない。だからコメントをする人はなるべくそういうコメントはしてほしくないし、受け取った側は出来るだけスルーしてあげて欲しい。詳しく読むと不要な怒りをため込んでしまうから、なるべく読まないほうがいいのかもしれない。

 

 正直言って、わざわざ怒りを共有してくれる人なんていません。「私は辛い思いをした」という免罪符で自分の都合のいいサンドバッグをあちこちに作っている人は逆に新たな怒りを生み出していると思う。怒りの感情は制御が難しいし、個人で抑えるのが難しい感情でもある。それは社会的な怒りかもしれないし、構造上の怒りかもしれない。大事なのは「怒り」を受け止める体制なんだと思うけれど、なかなかそこまで社会がメンタルヘルスのお世話をしてくれない。

 

 で、「結局ひとりひとりが気を付けるしかない」という結論のこの記事を「まぁ自分は関係ないかな」とか思っている人が一番厄介で怒りの感情に無自覚で他人を無自覚に傷つけているんだけど、そういう人には何を言ってもムダというのがこの世界の不条理なんだと思う。だから人は争うし、だから人は血を流す。そして新たな怒りが生まれる。やっぱり解脱するしかない。