あのにますトライバル

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個人的短歌の推敲を2例

 芸術の秋と言うことで、短編小説とか短歌とかバリバリやっていこうと思っている最近ですこんにちは。だけどあんまりのんびりする時間がないので言うほどできないかもしれないです。

 

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 さて、最近「推敲しよう」という話題をあちこちでするのですが「推敲」の具体的な方法がわからないという人もいると思うので「今更人には聞けない推敲の話」をしようと思います。「推敲しろと言われても具体的なやり方がわからない」という人のために自分が短歌を推敲する過程を少し丁寧に書いていきます。

 

【推敲の故事より考える】

 推敲は以下の故事より生まれた言葉です。

 

 唐の時代、賈島という詩人が都へ行く途中、「僧は推す月下の門」という一句を思いつきました。しかし、その後すぐに「僧は敲く月下の門」という言い換えを思いつき、どちらが良いか戸を押したり叩いたりする仕草をして考えているうちに、役人の行列に突っ込んでしまいました。その役人は漢詩の大家、韓愈でした。賈島は正直に列に入ってしまった訳を言うと、韓愈は「それは敲くの方が風情があってよいだろう」と助言し、賈島を許しました。そののち、文章をよりよくなるよう練り直すことを「推敲」というようになりました。(文責:このブログの書き手)

 

 この故事のように、「推敲」はもともと「文章の内容を吟味しなおす」という意味があります。誤字脱字の確認が「推敲」ではないのです。

 

 ここで韓愈は何故「敲く」のほうがいい、と言ったのかについても解説が必要かと思うので感覚的な範囲で書いてお来ます。「推す」だけだと視覚的な効果しかありませんが、「敲く」だと「コンコン」という音が響き聴覚的刺激があるだけでなく、更に微かな音が響くことであたりが静寂であるということを言外で表現できます。そういう諸々があって「敲く」のほうがいいと言うことになっているのだと思います。

 

【短歌の推敲例1】

 そんな風に推敲は「中身を吟味する」ということが大切です。参考に手前味噌ですが自分の推敲例を置いておきます。推敲と言うより、ほぼ作品を仕上げるプロセスですが何かの参考になってくれたら幸いです。

 

「ありがとう」(これでいいのよ最後ね)と落ち着くための水なし一錠*1

 

 直近で今月の短歌の目の提出歌でとりあえずやってみます。この形になるまでいくつか段階がありました。

 

「ありがとう」さようならが言えなくて思わず飲み込む言葉の一錠

 

 最初に思いついた情景はこんなものでした。ただ、これでは非常に説明的でありきたりなものになってしまいます。そこで説明をしていて重複している「言葉」「さようならが言えない」を別の言葉に置き換えます。

 

「ありがとう」最後だけど言えなくて落ち着くために飲み込む一錠

 

 とりあえず少し良くなりましたが、「飲み込む」と「一錠」で重複した視覚表現があるので提案通り「水なし一錠」に揃え、「最後」の部分を台詞に変えました。

 

「ありがとう」これでいいのよ最後よと落ち着くために水なし一錠

 

 最後に「これでいいのよ最後よ」の部分を視覚的に強調するために丸括弧でくくり、カプセルで包み込んでいるイメージを与えました。更に助詞を少し整理して完成です。

 

【短歌の推敲例2】

真空管 触ったらダメ触ったら爆発するのよ あの人みたいに*2

 

 これは「題詠短歌2015」に提出したものですが、推敲の過程がわりとはっきりしているのでもうひとつ例にしようと思いました。最初に詠んだ時はこのような形でした。

 

真空管 触ってはダメ触ったら工場みたいに爆発しちゃうよ

 

 イメージとして「真空管」は何か機械っぽいのでいじってたら爆発する、というもので「機械=工場」という安易な発想でとりあえず31文字の形式に合わせて詠みました。そしてどうにもしっくり来ない部分を分析しました。そしてこのような問題点を見つけました。

 

  • 「工場→爆発」という発想は安易ではないか。
  • 「~みたいに」という直喩をひねることができないか
  • 最近の中国の工場爆発を揶揄しているように見える。

 

 そこで「爆発」というワードだけを残して、「工場」を消すことにしました。そこで「爆発」から遠い言葉を選んでみようと言うことになりました。イメージとして誰かが真空管に触って、それで何故か「真空管が爆発する」という光景を過去に目にして「真空管は危険」と認識している架空の詠み手の心理に行き当たりました。

 

 そこでまた真空管に触ろうとしている人物を見かけて思わず「触っちゃダメ!」と強い調子で言っているところがこの場面なのだろうということになり、過去の衝撃的な光景をそのまま思い出しているところにしようとなりました。

 

真空管 触ってはダメ触ったら爆発しちゃうの あの時みたいに

 

 これだと「真空管が爆発する」という状況が限定的になってしまうので「あの人」に変えると「真空管が爆発する」という状況に加えて「あの人も爆発してしまった」という喪失感が出るかなと思って「あの人」を採用。更に助詞を調整して、「~たら~たら」とリズムが出るようにして完成です。

 

【最後に】

 これはあくまでも「例」です。こういう文芸に唯一の正解はありません。「この歌はこうすればもっと映える」ということもあるし、「推敲前のほうがいい」ということもあるかもしれません。

 

 でも一番大切なのは「少しでも見栄えを良くしよう」と努力することなのだと思います。素朴な生の感情の発露もそれはそれでいいのですが、文芸として作品を仕上げるなら最低限「これは余所から見たらどう見えるかな」ということを考えたほうがいいと思うのです。「ただそこにいるだけで価値のある人」っていうのは、血のつながりのある人くらいだと思うので、誰かと関わるときは少しでもプラスになるようなことをするべきだと思うのです。おわり。

 

 ちなみに短編小説の推敲に関しては、個人的にこのようなプロセスを全部書く前にプロット段階で行っているのであまり形に残っていないので例として挙げるのが難しいです。たまに作品解説記事を書いているので、そちらを参考にしてみてください。