あのにますトライバル

君の気持ちは君の中でだけ育てていけ。

「インターネット」は誰も幸せにしない

 何故ならインターネットはツールであり、ツールが人を幸せにするわけではないから。いい人が使えばいいツールになり、悪い人が使えば悪いツールになる。インターネットに罪はない。使う人に問題がある。それは何だって同じ。以下、何ループ目かわからない話題なので「またかよ」と思う人は帰ってください。

 

 よく「ブログを頑張ればお金が儲かる」とか「ネットでの交流は幅が広がって楽しい」とか、そういう「インターネットだからすごい!」という宣伝がある一方で「子供の犯罪の温床」「ネット社会の闇」という決まり文句もある。これはどちらも正しいことを言っているが、同時にメリットやデメリットだけを盲目的に信じることが悲劇の始まりにもなっている。

 

 よく「その発言は実際に相手を前にして言えますか、言えないでしょう? ネットでは匿名で発言出来ちゃうからそんなひどいことが言えるんだよ」というリテラシー講座があるのですが、これも現在の状況を考えると万能ではないと思う。ネットリンチって、行き過ぎた正義の暴走というところがある。「こいつには何を言ってもいいんだ」と思われたら最後、「正義」の名のもとにいろんな攻撃がやってくる。そしてそれを諌める方にも攻撃が及ぶから、身を守るために誰も何もいわなくなる。「一対一」ではなく「個と集団」である安心感から発言する。それはネットの構造と言うよりいじめの構造で、現実の対人関係なら物理的に接触を断てばいいのであるが、ネットの場合簡単にそういうわけにもいかない。たぶん面と向かっていても石を投げる奴はいる。実際に住所を突きとめて嫌がらせをしている連中は「ネットだから」やっているのではない。完全に「ターゲット」として嫌がらせをしている。

 

 で、そういう「ネットいじめ」を行っている人はどういう人なのかと言うと多くの人は「陰湿でネチネチしていて暗い部屋に引きこもって美少女萌え~とか言っているぶっさいくなキモイオタク」というステレオタイプをもっているかもしれない。でも現実は「なんでもない人」も簡単に中傷をしているのが現実だ。ネットでの中傷事件として忘れてはいけないスマイリーキクチ誹謗中傷事件でも、摘発された執拗な中傷犯は年齢も性別もバラバラで、社会的に地位のある者や家庭を持っている者なども含まれていたそうだ。

 

取り調べをした刑事は中傷犯たちについて「どこにでもいる、おとなしそうな感じだった」、キクチは警察から見せられた中傷犯たちの顔写真について「怪しい目つきの2人を除き、どこにでもいる普通の人」という印象を持った。

スマイリーキクチ中傷被害事件 - Wikipedia

 

 そしてネットで執拗に個人を攻撃していた動機に関して、「キクチとネットの評判は無関係」という内容証明を突き付けられた際の供述が怖い。

 

すると、中傷犯たちは「ネットに騙された」「本に騙された」と責任をなすりつけ、「仕事、人間関係など私生活で辛いことがありムシャクシャしていた」「離婚して辛かった。キクチはただ中傷されただけで、自分のほうが辛い」「他の人は何度もやっているのに、なぜ一度しかやっていない自分が捕まるのか」と被害者意識をあらわにした。「言論の自由」を主張した中傷犯は刑事から「表現の自由なら自分の名前が書かれてもよいのか」と問われると「キクチは芸能人だから書かれてもよいが、自分は一般人で将来もあるから嫌だ」という無責任な発言をした。 

スマイリーキクチ中傷被害事件 - Wikipedia

 

 このメンタリティを見て「ひどい」と思う人も多いと思う。だけど、これは人間だったら誰だって持っている弱い部分なのだと思う。「この者たちと私は違う人種」ではなく、「私もいつかこのようになるかもしれない」と思うことが大事なんだと思う。「そんなに気を張ってインターネットなんかしたくない、もっと気軽に」という声もあるだろうけど、ここまで発達した情報のやり取りをできる場所は現実世界のコミュニケーション以上に気を使わないと間違いなく事故が起こる。車は確かに便利だけど、乗り方を間違えれば大事故につながる。だからみんな気を付けて運転しているわけ。ネットも同じで、確かに便利だけど使い方を間違えれば大事故が発生する。もちろん交通事故と同じでどうしようもない不運の連続の事故もあるけれど、何度も何度も自覚なく事故を起こすような人も確かにいる。車であれば運転免許を取り上げればいいけれど、ネットではそうもいかない。

 

 ネットの事故に巻き込まれないためには、やはり「メリットがあればデメリットがある」ということを常日頃から意識することが大事なんだと思う。「これは絶対いい!」とか「絶対損はない!」という情報は本当に損がないのか。もしかしたら「絶対(騙す俺たちは)損はない!」ということかもしれない。また、「こいつは絶対悪人だ!」「悪い奴だから何を言ってもいい!」というのも立ち止って「それほどまでに悪人なのか」を考える必要がある。どちらもネット特有の「煽動」から身を守るための大事なメンタリティである。

 

 特に内容はない記事なんだけど、敢えて強調するのであれば単にネットとはツールであって、そこでのやりとりは完全に人間のすることなんだっていうことをもう一回思い出してほしいってところかな。「ネット民」という言葉がたまに出るけれど、「インターネットを使って交流している人間」という意味ではこの記事を読んでいる人みんなネット民だ。そんな言葉を使って「あいつは俺たちと違う(劣った)人種なんだ」という記事を書けばそれこそ「煽動」であり、ネットいじめにつながりかねない。咎めるべきは言動であって、性質ではない。そこの違いが見えないから無責任な煽りが生まれる。

 

 もうインターネットに良心を期待しないほうがいい。インターネットに「良心」があるのではなく、それを発信している人の問題なのである。インターネットはユートピアなんかじゃなかった。現実の世界と同じく、相手に気を使って話をしなくてはいけない世界なのである。思ったことを思ったままに言えば、反発はやってくる。それを理解しないでインターネットを使いこなすのは難しい。

 

 「インターネット」は誰も幸せにしない。人間を幸せに出来るのは、やっぱり人間だけなんだと思う。