あのにますトライバル

君の気持ちは君の中でだけ育てていけ。

祭囃子が聞こえていた ~短編小説の集い宣伝~

 遠くからヒグラシの鳴く声に交じって祭囃子が聞こえてきた。畳の上で横になっていた早苗はその音に引き寄せられるように民宿から飛び出し、スマートフォン片手に人々が一斉に向かっている方向に歩き出していた。そういえば商店街に盆踊りの告知をするポスターが貼ってあったかな、など思い出しながら早苗は東京では味わえない、この不思議な町の雰囲気に浸っていた。

 

 せっかく大学が夏休みになったのだからと、早苗が一人旅を始めたのは2週間前のことだった。観光地を巡るという旅ではなく、ただ電車に乗って知らない土地へ行ってその場で宿を決め、その場のものを食べると言うだけの質素な旅だ。旅の様子はFacebookで随時報告し、そこで滞在している土地についての情報をもらうなど友人たちも早苗の行き当たりばったりの旅を楽しんでいた。麦わら帽子に白いTシャツ、ジーパンにサンダル姿のさっぱりとした早苗はどこへ行っても「若い娘さんがまぁ」という感じで歓迎されていた。この町へ来たときも民宿の女将はにこにこ笑いながら「最近はあなたたちみたいな若い人が多いのよ」と話していた。何でも地域のアピールをするためにわざわざ都会からやってくる若者がいるのだという。ただ立ち寄っただけの早苗にはこの町をよその人がアピールしてあげる理由は全くわからなかったが、その「若い人」が自分と同じ目的でこの町にやってきているとは思えなかった。

 

 祭りは神社の境内で行われていた。境内の広くなっているところにやぐらが立っていて、スピーカーからお囃子が聞こえていた。子供たちはこの日のために浴衣や甚平を羽織り、慣れない下駄で走り回っていた。やぐらまで続いている出店の列の角には綿飴屋がキャラクターの入った袋をぶらさげていて、その奥に焼き鳥屋、お好み焼き屋、射的屋にくじ屋と商店街の有志で作られた休憩スペースがあった。休憩スペースでは既に地元の顔役と思われる中年男性たちがクーラーボックスから缶ビールを取り出して各々の祭りをスタートさせていた。更にヨーヨーすくいとフランクフルトを売る店があり、早苗はこの町の祭りに参加できることを心から楽しんでいた。

 

『今日はちょうど盆踊りでした。一緒に踊ってきます』
 境内を一回りしてから祭りの様子を何枚か撮影し、早苗は素早くFacebookで公開した。夕暮れに近い時間帯で写真の精度はあまりよくなかったが、そのぼんやりとしたにぎわいがまた夏祭りの独特な雰囲気を漂わせていた。早苗はもう一枚、自分を入れて祭りの様子を撮影した。明るさを調節するためにライトをつけて撮影したのだが、早苗の顔だけはっきりと映っていて後ろの景色がだいぶぼやけてしまった。早苗はやぐらの下の明るい場所で撮影しようと、境内の奥に向かって歩き始めた。

 

 数歩進んだところで、早苗は奇妙なことに気が付いた。子供が多いと思っていたが、お面をつけている子が多いのだ。最近流行のキャラクターのお面から、古めかしいキツネの面をつけている子までいる。そして彼らは物欲しそうに出店の焼いてあるトウモロコシを眺めたり、金魚すくいを見ているが誰も買い物はしていない。それどころか、親の姿が見当たらない。
(このお祭りは子供ばかり集まるのかな……?)
 それから辺りを見渡して、早苗は肝を冷やした。お面をつけているのは子供だけではなく、大人も皆顔を隠していた。ある者は手拭いで眼前を多い、ある者は目深な帽子にサングラスという夏祭りには相応しくない恰好をしている。早苗はその光景に圧倒されてかばんに忍ばせていたサングラスを慌てて付けた。暗くなっていく境内がますます闇に沈んだ。

 

「お姉さん、この辺の人じゃないね?」
 早苗はキャラクターのお面をつけた少女に話しかけられた。一昔前の少女漫画の主人公のお面らしいということはわかったが、早苗にはそのキャラクターが何なのかわからなかった。
「うん、遠くから来たのよ」
「そんなのわかってるよ。だって見たことないもの」
「そうか、アハハ」
 早苗は人と話をするのが得意だと思っていたが、十に満たない子供に話しかけられて返す言葉がなかった。
「ねえ、お父さんかお母さんはどこにいるの?」
「わかんない。もう家の方に行ったのか、帰ったのかも」
 少女は不思議な言い回しをした。
「それよりも踊ろうよ。私金魚見るの飽きちゃった」
 少女は早苗の腕をとると、やぐらに向かって走り出した。少女に連れられて、早苗はやぐらの周りで踊っている一団に加わることになった。
「私、踊りなんか踊れないよ」
「冗談ばっかり」
 実際、早苗は盆踊りに参加したことがなかった。早苗の育った首都圏の「盆踊り」は名ばかりで、夜店とよさこいが披露される場所になっていた。本格的なお囃子とやぐらの周りを回る盆踊りをテレビ以外で観たのが初めての早苗も、見よう見まねで踊りに参加した。始めはぎこちなく手を上げ足を動かしていたが、それほど難しいものではなく周りの参加者も上手に踊ると言うよりは好き勝手に動いているだけということがわかった。気が付くと少女は傍らから消え、お囃子と人の熱気に早苗はただかき回されていた。

 

 早苗は、人と人の垣根がひとつの大きな渦のようにうねっていることを感じていた。ただ同じ音楽を聞いて同じように手を動かしているだけなのだが、まるで周囲の人間の思考を覗いているような奇妙な感覚だ。隣でのんびり踊っている男性は借金で首が回らなくなり、無理をして首を伸ばした。後ろのせっかちな少年はせっかちすぎて信号を守らなかった。そして早苗は、本当のところは自分が何者かを知りたくてこの町にやってきた。今まで自分を規定してくれる存在なんてなかった。何か大きなものに縛られてて、それで必死でその鎖を解こうとしてこんな離れた町までやってきたのではないだろうか。踊っているうちに早苗の思考はクリアになったりノイズがかかったり、お囃子のリズムに合わせて心がふらふらと揺れ動いた。


(私って何なんだろう)
(どうせ生きていても仕方ない)
(だって私は空っぽだもの)
(こうやって旅をすれば許されると思っていた)
(何に許されるの? 私は悪いことをしたのかな)
(帰りたい、あの頃に帰りたい)
(どこに帰るの? あの頃なんて覚えていないよ)

 

 気が付くと早苗は踊りながら泣いていた。参加者の列からはみ出すこともできずに、涙が頬を滑り落ちていく。踊っているだけなのに、どうしてこんなに惨めな気持ちにならなければならないのだろう。ただ踊っているだけなのに、ただ旅をしているだけなのに。しゃくりあげたいのをこらえて、早苗は踊りに没頭した。何度も手と足を上げたり下げたりしているうちに、不思議と気持ちが和らいできた。

 

 落ち着いてやぐらの周りを見渡すと、出店や社が見えなくなっていた。ただ闇の中にやぐらがあって、その周りを顔を隠した集団が踊りめぐっているだけだ。不思議と恐怖は感じなかった。ただ、この輪が未来永劫続くような気がして、この輪の中にずっといたいとさえ早苗は感じていた。この輪の外に出てしまうと、また先ほどの惨めな気持ちが蘇ってくるような気がした。このままこの集団の中で顔を隠して、踊りを続けよう。旅なんてやめてもいいのではないだろうか。そう思ってしまったのは何故だろう。それはきっと祭囃子のせいだ。

 

「私はあなたみたいな素敵なお姉さんになりたかったな」

 

 不意に先ほどの少女の声が聞こえた気がした。早苗がはっと周りを見渡すと、先ほどまでの顔を隠していた集団はいなくなり、やぐらも古めかしいお囃子ではなく流行りのアニメの主題歌を流していた。その周りで子供たちが好き勝手に騒ぎ、大人たちが酒を飲んでいた。出店も社もしっかり存在していた。早苗は夢でも見ていたのかと頬に手をやると、濡れた跡があった。手と足を動かしていた感覚もまだしっかりと覚えている。あの祭囃子が耳の奥でまだ鳴り響いていた。既に辺りは真っ暗になっていたのにサングラスをかけて呆然と立ち尽くしている早苗は、不審がって話しかけられるまでずっとやぐらの明かりを見つめていた。

 

 不思議な心持ちで民宿に戻ると、早苗はこのことをFacebookで報告しようとした。しかし入力フォームを開いて、この体験をうまく伝えることができないことに気が付いた。まず、普通にあった出来事を話しても誰も信じてくれないだろう。早苗に声をかけた顔役らしい男性も「盆踊りだからご先祖様に誘われたのかもしれないな」など適当なことを言って頭を冷やすよう早苗によく冷えたラムネを渡してくれた。あの盆踊りは本当にあった出来事なのか、それとも最初から全て早苗の妄想だったのか、それが全くわからない。それに涙を流すくらい惨めな気持ちになったことは、Facebookで公開したくない。

 

 早苗は他のことを日記に書こうと写真の整理をしていて、不可解な写真を見つけた。それは早苗の顔と祭りの様子がわかるようライトをつけて撮影した写真だった。撮影後にぼやけながらも映っていた背景が消え、どんなに編集で調整しても早苗の顔が闇の中にぼんやりと浮かんでいるだけだった。早苗はそれを見て、確かにあの盆踊りに参加したことは事実だったのだろうと思うことにした。その集団が何者で何故早苗がそこで踊ることが出来たのか、それは考えても永久に答えの出るものではないということも同時に悟ったのであった。

 

≪了≫

 

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 そういうわけでお祭りです盆踊りです。今回はない頭をひねって七転八倒しながらなんとか形にしたものなのでギミックを仕込む暇があんまりなかったです。きっとストレートな読みで大丈夫だと思います。ひとつ消化不良なのですが「一昔前の少女漫画の主人公のお面」はマリリンパなお面です。リアルティアラン世代ですがあんまり熱心に見ていなかったのでそんなアニメだなんて知らなかったよミンキー。それよりも月に代わってお仕置きよがすごかったからね。

 

 そんなわけでみんな同じアホなら踊らにゃ損損ということで踊ってください。おわり。