さよならドルバッキー

この世の裏を知ったドルバッキーは世を儚んだ。

ネットにしか存在しない人はもうbotだよなぁ

 ただのとりとめのない雑感です。

 

 よく聞こえてくる「ネガコメ」という概念が本気で好きじゃなくていろいろ書いているのですが、「ネガコメ」の向こう側には「架空のネットの悪意」があるんじゃないかなぁと思っただけです。

 

 mixiからなのかFacebookからなのかよくわからないけれど、ネットに実名を載せる文化が根付いてから「匿名」という言葉の意味が大きくなって顕名で活動している人も「実名ではない」という点で「匿名」とくくられるようになってしまった。そいつを「匿名」っていうんだったら、ペンネームで活動している作家もみんな匿名じゃないかと思うんだけど、それはまた別の話。

 

 まぁそんなわけでもないけれど「実名で頑張っているのにネットの匿名の人からネガコメをもらった!」という書き方には非常に違和感と言うか「おまえそれ違うで」と突っ込みたくなるわけ。なんとなく「実名だからエライ、実名じゃないから卑怯」みたいな線引きがある人がたまにいるけれど、実名だからって優れた記事が駆けるわけでもないし名前を出さないからといって論理的な考えがみんな出来ないかって言ったら違う。

 

 ネガコメっていうけれど、何がネガコメになるかわからない。個人的にすっごく嫌だったコメントを挙げろって言われたら「炎上しやすいシリーズ」っていうネタ記事の時に「おじいさんとおばあさんがネットを使いこなしているのがスゴイと思った」っていう記事の内容を全く読解できていないと思われるものを挙げたい。記事がつまんないって言われるより「読解が出来ないものを書いてしまった」というのが割とショックだった。多分書いた人は褒めたつもりなのかもしれない。でもその「褒め」のベクトルが明後日の方向に向いているときもある。それだって十分「ネガコメ」になることもある。

 

 我々はネットを介して交流はしているけれど、基本的に画面の向こうには人がいる。「はてな村民がー」とか「ネット民は~」とか言うのだって、十分悪意の垂れ流しに違いない。狭いコミュニティで承認欲求を煮詰められるとそこに無自覚になる。だからネットは怖い。何が悪意になるかわからないのに、自分はまるで悪意なんてありませんみたいな顔をして悪意を振りまく。「悪気はなかったんです」っていう人が一番タチ悪いみたいな感じかな。悪気はないから反省しない。反省しないから過ちを繰り返す。意外と「悪意」っていうのは消し去っちゃいけない感情なんじゃないかと思う。

 

 

 そんで、コメントをくれる人は人間だって言う前提で話をしてきたけど、本当の意味で「ネットの人」っていうのはbotじゃないのかなぁと思ったりしたわけ。botって人気記事を自動的にRTしたりなんか自動で喋ったりする。こいつだけは現実世界の人間じゃない。「ネットの人は野蛮」という論理で記事を書いている人がいたら「botが意志をもって喋ってる!」ってことなのかなぁと思うことにする、というか本気でそう思っているのかもしれない。この世界に存在しているのは己だけで残りのコメントはみんなbotみたいな、そんな世界を生きているのかもしれない。

 

 

 悪意って言うのは送信するだけでなくて、受信する側も働かないと発生しない。何が悪意になるのか、本気でわからない。個人的にこのブログにも「参考になる!」みたいなコメントがダーッとつけられていたらちょっとビビる*1し、何かの陰謀かと思う。それもひとつの悪意の可能性がある。そんなつもりはなくても無意識で発生している悪意。それってネットだけでなくて現実の世界でも普通に起こっている話だよね。ただそれだけのことなんだけど、なかなか難しいもんだよね。

 

 そんなわけでこのブログは正義感を持って書いていると言うより、どっちかというと誰の心にも眠っている意地悪な感情を「あーそれは意地悪だね」って言う感じで書いてます。基本的に自分の文章を書くスタンスはみんなそこにあって、嫉妬とか意地悪とか負の感情だって絡めていかないと辛くなるよねっていうのがある。キレイゴトっていうのが多分許せないんだと思う。なんか嘘をついている感じがするから。嘘つきのポジコメをたくさんもらうより、ホントのことを言うネガコメのほうがたくさん役に立つ。そんな感じです。

 

 なんか面倒だからもう夢日記でもつけようかな。ひたすら役に立たないものの中で最高に役に立たないものが夢日記だと思うし、それでも面白いものが書けたら多分それが本当にくだらないものなのかなぁと思う。くだらないは大事。夕飯を食べよう。おわり。

 

*1:フリじゃないのでマジでやめてね。