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さよならドルバッキー

この世の裏を知ったドルバッキーは世を儚んだ。

ファッション化するミニマリストとその反発の背景

 話題沸騰の増田を久しぶりに検証してみたよ! 各自何かしら思うところはあるだろうけど、昨今の「ミニマリスト叩き」と並行してポイントを挙げていきます。真偽の程はどれだけ状況証拠だけ考えても誰にもわからないので、この増田が何を伝えたかったのかやどうして今こういう文章にブクマが集まったのかの考察です。

 

 最初に言っておきますが、シンプルライフやミニマリズムそのものの否定ではありません。

 

anond.hatelabo.jp

 

オフ会は本当にあったのか?

 オフ会の存在そのものが創作疑惑のある増田ですが、実際に札幌で大規模なオフ会が開かれたのは事実です。ただ、これは「ブログの勉強会」であって、「ミニマリストの集会」ではなさそうです。でも「ミニマリスト集合」って看板がかかっている。それから増田にあるように二次会ランチも行われている。

 

www.meguminimal.com

 

 もし増田がこの記事の中の誰かなのであれば、相当な裏切り者だ。せっかく一生懸命話を聞いている人をこんなに茶化した増田で嘲笑っているわけだ。じっくり読むと数名「まだブログを作ってないんですがー」「読者目線のブログで(キリッ」という発言をしている人物がいるらしいので、もし増田が本当に潜入していたのであれば、その中の誰かなのだろうかという感じだ。

 

一番多いのは学生、次に主婦、そして数名生活保護(よくカミングアウトできるよなあ)。

 

 一番物議を醸しだしていたこいつを確認したけれど、オフ会の参加者で一番多いのが学生ということはなさそうだ。一応ブログのプロフィールなどにはきちんと職種を書いている人がそれなりにいたので、「一番多いのが学生」というのは言い過ぎかもしれない。そもそもブログのプロフィールで「学生である」ことを全面的に公開している人はいなかったかな。主婦は確かに多かったかも。

 

 それから「本当に穴の開いたニットを着ていた女性はいたのか?」というところなのだけれど、たくさん公開されている写真からは流石に「穴の開いたニットを着た女性」は見受けられない。ただ、白いシャツを着ている女性は数人いるので襟元の茶色い人はいたのかもしれない。

 

 そこから考えるとひとつの可能性として、「このオフ会レポを元に釣りの要素を絡めた創作」の線が濃厚である。時期や二次会ランチ、女性が大半などこのオフ会を想起させるワードをちりばめているが実際の参加者の実態が違い過ぎる。ブログ上で公開されている情報だけでもきちんと働いている人がそれなりにいるということは伝えておきたい。ただ、ここでない違うミニマリストの会合に実際に行った可能性も捨てきれないのであくまでも「可能性」である。ひとつ言えるのは、増田の全くの作り話と言うわけではなさそうだというところである。

 

何故「ミニマリスト叩き」になっているの?

 それで、増田でも結論づけられているように新興宗教やマルチ商法まがいと言われている理由としては一番はシンプルに「web上の発言がいやらしい」と言うところにあると思う。普通に「物が少ない生活って快適ですよね」って言うだけなら多分誰も気にしない。しかし、「自称ミニマリスト」系の記事の文体は「物が少ないって幸せ! 今までモノがあふれていた部屋で暮らしていた私かわいそうだった! 自分へのご褒美!」みたいな感じで過度に過去の自分を貶めていたり例の炎上したブログのように「働いている人は働かなきゃ疲れないのに(笑)」という感じで「他の人と違う私カッコイイ!」があふれている。

 

 何故過度につながりを求めたり、他人と比較をしようとするかというとやっぱり「自称」には「ライフスタイルの消費」という目的でミニマリストを名乗っているところがあるからだと思う。本気でミニマリストということでシンプルな暮らしを追求する分には悪いところはないと思う。ただ、その時に必要なのは「ミニマリストとは何か」を常に追求しなければならないところだ。特に文章メインで発信していくタイプのブログのようなメディアでは「私は何者か」を常に探究していないとあっという間に他の雑多な情報に流されてしまう。そこで「私はミニマリストとしてキャラクターを確立していくぞ!」という信念がないままに「なんとなく流行っているからミニマリストになろう」という人が大勢集まっているのはやはり見苦しい。「最小主義」という概念をファッション化して消費すると言うこんがらがった状況が生まれている。

 

 そこで大事なのが「全体的にミニマリストとは何か」をしっかり決めることだと思うのです。「こういう人がミニマリストです」「私はミニマリストとしてこれこれを実践しています」という明確な設定もないままに「名乗った瞬間誰でもミニマリスト」というのでは話が乱暴すぎます。ここが「ミニマリスト」の大きな問題点だと思うのです。

 

 「定義とかで規定されて窮屈になりたくない」というのはそうなのかもしれません。だけど、ネット上で相手に情報を伝えるにはある程度の決まりがないと伝わりません。定義を曖昧にしたまま「ミニマリスト」の情報を与えると結局web上に残るのは「ミニマリストを名乗るだけのボクの意見」になりがちで、単なる「ボクの意見」のときもあります。しかし名乗っているのは「ミニマリスト」なので「ボクの意見=ミニマリストの意見」になってしまいます。早い話、個人の主観全てがひとつの主義主張に含まれてしまい、ますます外部から見れば実体のわからないものになっていくわけです。

 

 そこで「ミニマリストって何?」と疑問を抱かれて質問されます。そこで「ミニマリストは最小主義でね、なるべくモノを持たない生活様式なんだ」などの回答があれば単なるQ&Aのやりとりでおしまいです。ところが「ミニマリスト=ボクの意見」になっているとこの質問が「お前って何よ?」という哲学的な問いになってしまうため、「それは人それぞれ」という曖昧な回答しかできなくなるわけです。そもそも「ライフスタイルの消費」がしたくてミニマリストを名乗っているのであれば、突っ込んだ思想はできるだけ持ちたくないのでしょう。以前「ミニマリストって名乗りたいから名乗ってるだけなの?」って聞いたら「議論は無駄。ミニマリストは無駄なことしない」って返答らしいものがあったのですが、「その件については考えると具合が悪い」ってことなのかなぁと今なら思います。

 

ミニマリスト」を排した現状の反発の背景の確認

 ギター持ってないけどギターを弾きたいから立派なギタリストになる、みたいな感じですかね。「ギタリストになろうとしてギターを練習する」ならわかるのです。それで日々ギターの練習の様子を動画にとってYoutubeにあげるとか、それはそれでいいと思うのです。だけど「ギターを買いました」という記事の後は練習そっちのけで「他の人のギターの動画を見ました、参考になりました」とか「ギターの種類を調べたよ!」「ギターの教本を集めました」「有名なギタリストの本を読みました」「今月のPVを発表します、先月より伸びました。ギタリストに一歩近づいた気がします」……。そんな感じのブログが雨後の竹の子のようににょきにょき生えていたら不気味じゃないですかね。「ギタリストって何なんだよ!」って思いませんかね?

 

 この人の中では「ギターを好きな人は誰でもギタリスト」です。上記の話を持ってくると、定義は人それぞれだから他の人がどうこう言う問題じゃないですよね。それでいて「ギター弾かない人って正直得意じゃないんですよね、だってギターかっこいいじゃないですか。ギターのない生活とかありえないかわいそう(笑)」って言ったら大体の人はいい顔をしないと思うのです。

 

 で、ひとりでそんなわけのわからないことを言っているなら「何か言ってらぁ」って笑って過ごせるのですが、そんな状態のカリスマ?ギタリストが何か言うと「カリスマギタリストさんの言うとおり!」って右へ倣えのコメントがざーっとつくのが今の「自称ミニマリスト」の状態だと思うのです。「カリスマギタリストさんってたくさんギターについて知ってますね、尊敬します」「カリスマさんのギター知識最高っす!」「カリスマさんに勧められたギターの教本買いました!」などなどなど……。で、「お前ギター弾いてねえだろ何がギタリストだ」っていう意見は「ネガコメハスルー!」でますます閉じた輪の中で謎の「ギタリスト」のイメージが膨れ上がっていく。ここまで何度か小競り合いはありましたが、全て「ネガコメハスルー」「議論は無駄」でまるで相手にされなかったのです。

 

 そんなある日、「ギタリスト最高だからクラシックコンサートに行ったら眠くなった、そもそも音楽を静かに聞くとかヤバイ。息が詰まる(笑)」みたいな記事に批難が殺到して、「確かに言いすぎましたごめんなさい。でも音楽はギターみたいにワイワイ騒ぎながら弾くのが正しいと思うのでギタリスト辞めません」みたいになっているのが現状です。

 

 だからね、言いたいのはミニマリスト」が叩かれているのは「ミニマリスト」の思想あんまり関係ないってことですよ。一部の行儀が悪い人がたまたま名乗っているのが「ミニマリスト」だっていうだけです。

 

元増田の言いたかったことと個人的見解

 自称ミニマリストたちが訴える「苦言を呈する人はみんな敵、己らだけが正しい」っていうのはweb上のやりとりで散々目撃されたことで、それを悪意を込めて皮肉ったのが増田の記事だったんじゃないかって言うのが個人的見解です。

 

 「別に誰にも迷惑をかけていないからいいのではないか」という意見もありますが、「自己を定義づけ出来ない人が既存の定義を名乗ることで概念と同化する」っていうのはそれこそ本気で新興宗教とかマルチ商法に繋がりやすいので個人的には危険だと思います。今回は無害なミニマリスト、で済んでいるかもしれませんがファッションとしてミニマリストを捨てたその先に変な宗教やネズミ講に引っかからないと限らないのです。凶悪犯罪を犯した宗教組織や怪しい自己啓発セミナーにハマって「誰にも迷惑かけてないから好きなもの信じていいでしょう!」って言って社会に戻って来なかった人もいるんじゃないかなぁ。

 

 特に若い人やネットを始めたばかりの人は「何故自分はミニマリストになりたいのだろう」とか「10年後もミニマリストをやっているか」をイメージしてほしいなと思うのです。それが思い浮かばないなら、まず少し自分を疑った方がいいかもしれません。何故コメント欄を閉鎖するのですか? コメント欄を閉鎖しないと困るようなことをこれから書く予定なのでしょうか? しっかりと自分の言葉で自分を説明できるようになるのが、ブログで稼ぐコツだと思いますよ。

 

 

 ここまで書いてきて「何かに似てるな」って思ったのですが、この「ミニマリストの肥大化」は「笑い男*1に似ていると気が付きました。ひとりの人物のひとつの行動をもとに、憧れの人物だったり犯罪者だったりというそれぞれの定義が概念化して肥大化し、目的や意志を感じないままにオリジナルをなぞらえた同一の行動を同時にとるというのはスタンド・アローン・コンプレックス的です。もしかしたらミニマリストを流行らそうとしたのも……おや誰か来たようだ、少し席をはz

 

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