さよならドルバッキー

この世の裏を知ったドルバッキーは世を儚んだ。

優しい雨が降っていた ~短編小説の集い宣伝~

 その町にやってきたのは妻と別れるための家を探すためだった。何がよくなかったのかよくわからないが、急に妻は私の顔を見るのも嫌だと言い始めたのだ。「仕事一筋で家庭を顧みない男の末路」なんてワイドショーの中の世界がこんなにも身近にあるとは思わなかった。妻と話し合いも出来そうにないのでとりあえず別居に向けて部屋を探す私に、不動産屋はあれこれ物件案内を見せてくれた。その中で私はとにかく借り賃の安い部屋を見つけて、日曜の午後だというのにこうして訪ねてきているわけだ。

 

 その町はかつて「新興住宅地」として大体的に入居者がいた団地を中心に作られていた。この国の景気がどんどん良くなっていった時代に、産めよ増やせよと増殖した一般家庭を文化的な生活に馴染ませるために生まれたのがこの「団地」だった。当時は憧れの新住居と言うことで応募が殺到し、入居するのに抽選会が行われていたほどだった。しかし、その賑わっていた光景は過去になってしまって、私の目の前にはただのコンクリートの塊がそびえたっているだけだった。

 

「日当たり、立地はこんなものか」
「はい、あとここは駅まで遠いのも少し値段に響いてまして」
「なるほど、生活用品を買える店は?」
「昔はたくさんあったんですけどね。一番近くても、今は歩いて30分ほどかかりますね」
 不動産屋はその後に「古くて値段だけの物件ですから」と呟いた。駅も自転車を使って20分ほどかかり、そこから更に私の職場の最寄駅まで1時間半ほどかかる。昔は駅と団地を往復するバスがたくさんあったらしいが、最近では朝夕の数本のみになっているらしい。駅までの道のりを確認するため、部屋の下見を終えた私は不動産屋と別れた。まだ若い不動産屋の男はそそくさと車に乗り込み、都会へ戻っていった。

 

 実際、私はこの部屋を候補から消す予定は全くなかった。生活には多少大変かもしれないが、私のような男が朽ち果てていくにはちょうどいい場所だと思った。古いアパートで静かな生活が出来ればそれでいい。妻と別れても、ただ会社と家を往復している生活には変わらないのだろう。

 

 歩き始めて幾ばくもしないうちに、重く垂れこめた雲からぽつぽつと雨粒が落ちてきた。私はかつて公園だった団地の中庭を通っていた。四角い石で囲まれたスペースは雑草だらけであったが、かつては砂場として機能していたのだろう。申し訳程度の小さな滑り台は錆だらけになって、色あせた果物のオブジェのようなものが転がっている。ふと、頭に誰も住んでいない廃墟の街並みを思い浮かべてしまった。
(いや、この町はまだ死んでいない)
 不吉な思いを祓うように空を見上げたが、コンクリートの塊と、それにそっくりな色の雲がどこまでも続いているだけだった。雨粒はコンクリートを濡らし、大きな黒い染みを地面に落としていく。傘を持っていたが、まだわざわざ広げるほどの降り方ではないので私はそのまま団地の真ん中を突っ切った。人がいないのは、きっと雨が降っているせいだ。

 

 10分ほど歩て、やっと団地の群れから脱出した。広めの幹線道路に目の前のそこそこ整備された公園を見て、じめじめと湿った心が少し軽くなった。何故か団地の中は息が詰まって心どころか体まで重くなりそうだった。こんなところに住むのはどうだろう、と考えながら道路を渡り公園に入ると、水の止まった噴水の縁に腰かけている老婆がいた。こんなに雨が降っているのに、呑気に腰かけている場合じゃないだろうと思いながら前を通り過ぎようとすると、老婆はいきなり私に掴みかかってきた。
「国之、くにゆきじゃないかい!」
 老婆は何事かをまくし立てるが、私は国之ではない。おそらく誰かと勘違いをしているのだろう。
「あの、お婆ちゃん。私は国之じゃなくてですね」
「そんなこと言ってまた騙そうと言うんだね、ゆめこさんにオレオレ詐欺に引っかからないよう言われたばっかりだよ」
 ゆめこさんって誰だろう、と思いながら私は老婆から逃れる方法を考え始めた。
「ほら、お婆ちゃん雨が降ってきたから家に帰ろうか」
「あら、本当。じゃあ帰ろうかねぇ」
 老婆はそばに置いてあった手押し車を持つと、のろのろと団地の方へ歩き始めた。
「国之、はやくおいで」
 ほっとしたのもつかの間、老婆は私の方に振り返ると大きな声をあげた。これ以上騒がれても迷惑なので、私は老婆を家まで送っていくことにした。幸い、団地は道路を渡った目の前だ。嫌なことはさっさと片付けてしまおう。

 

 ところが、その目論見は老婆と歩みをともにしてから打ち砕かれた。足の悪い老婆の歩みは遅く、私が数歩で歩いてしまう距離でも手押し車に体重を預け必死の思いで移動していた。手押し車に書いてあった住所を見ると、この公園からかなり離れた棟が老婆の部屋らしい。私は気まぐれで善意を催したことを多少後悔していた。老婆は私を「国之」だと思って延々と何事かを話している。「孫の顔がどうの」などと言っているので、「国之」はこの老婆の息子なのだろうか。本物の国之は一体どこで何をしているんだろう。やるせない憤りを表に出すことが出来ず、私は老婆の話に適当に相槌を打っていた。
「それでのりこさんが言うのよ、アンタの亭主が悪いって」
「そうなんだ」
「それよりも国之、仕事は決まったのかい?」
「うん、決まったよ」
「それはよかった。お母さん嬉しいよ。社長さんのお金を持ち出したなんて聞いたときはびっくりしたから」
「心配しなくてもいいよ」
 私は「国之」の素行と同時に老婆が詐欺にあっているのではないかという心配が沸いた。この老婆と付き合っていると不安しか生まれない。そんな私の心中を察してか、まだらに落ちていた雨粒の勢いが強くなってきた。
「雨が強くなってきたね、傘をさしますか」
 私は閉じたままになっていた傘をさした。ところが老婆は傘を持っていないのか、手押し車から手を放すことが出来ないのか、一向に傘を取り出す様子がない。そこで私は自分の傘を半分老婆の頭の上にさした。
「ありがとう、昔から国之はやさしいねぇ」
 その言葉に私はドキリとした。もしかしたら老婆は私が「国之」じゃないことをわかっているのかもしれない。生半可に「国之」になっていた私は更に気まぐれの善意を恨んだ。

 

 その後、老婆は「国之」の優しい思い出について語り出した。よしおとあきらが喧嘩をしたときに真っ先に仲裁にいった話、怪我をした知らない子を家に連れてきて、赤チンを塗ってあげた話。それから捨て猫を拾って泣きながら飼い主を探したけれど見つからず、結局猫が死んでしまった話。「あんたは覚えてないでしょうけど」と言いながら、老婆はそんな話をぽつりぽつりとしながら、ゆっくりゆっくりと歩いていた。私は老婆に傘をさしながら、「うん、うん」と相槌をしきりに打った。全く、本物の「国之」は一体どこで何をしているのだろう。

 

 やっと老婆の手押し車に書いてある住所の棟までやってきた。その建物も他の建物と変わらず、灰色のたたずまいに錆の浮いた窓の柵があるばかりだった。そのわきをゆっくりと通りかかった「デイサービス」と書かれた車から、元気そうな女性が声をかけてきた。
「藤村さん、こんな雨の日にどうしたんですか?」
「あらゆめこさん、今日は国之が帰ってきたのですよ」
「まぁそれはよかったですね。上までのぼれますか?」
 ゆめこさんは「よくあることなのよ、すみません」という顔をしてから老婆と一緒に階段を一段ずつ上り始めた。私も何か手伝えたらと思ったが、足の悪い老婆と階段を上った経験がないので何の役にも立たなかった。

 

 2階にある部屋に老婆を届けてから、私とゆめこさんは階段を下りた。私たちには数秒の出来事のことも、老婆にかかれば大きな山であり谷であった。私一人では到底老婆を部屋に届けることなど、できそうになかっただろう。改めて私は「ゆめこさん」に礼を言った。
「いいえ、こちらこそ藤村さんをこちらまで届けてくださってありがとうございます」
 ゆめこさんは近くの福祉施設に勤めていて、今日は別の用事でこの辺を通りかかったのだそうだ。そして、私に話しかけてきた老婆は今日のようにたまに大人の男性を見ると「国之」と語りかける癖があり、それと足が悪い以外は生活に問題がないので、ここで一人暮らしを続けているのだそうだ。
「あの、それで本物の国之さんは……?」
「息子さんは海外へボランティアをしに行って、現地でお嫁さんをもらったみたいね。藤村さん、息子さんが滅多に帰ってこないから寂しいのね」
 ゆめこさんがため息をついた。「とにかく、ありがとうございました」と礼を言って、ゆめこさんは車に乗って行ってしまった。私は雨に濡れた、老婆と歩いてきた道をしばらく眺めていた。

 

 現在団地の入居者は半数以下に減っていて、その多くが独居老人らしいという不動産屋の言葉を思い出した。平日は駅へ向かうバスのほかに、近くの総合病院への直通バスが運行していてスーパーまで買い物に行けない老人のために移動販売が最近やってきているそうだ。不動産屋は「何もわざわざこんなところにしなくても」という顔で紹介していたが、その話を聞いていた時私は「そういうことを言ってもっと高い物件を勧めたいのだろう」と思っていた。ただ、実際にここまで歩いてきて、彼の言いたいことがわかってきた気がした。

 

 この町は、過去を切り崩して存在している町だ。

 

 駅まで一息に歩いてきて、私は家路についた。帰りに赤紫色の紫陽花を買った。花なんて買うのは初めてだったから、「季節のきれいな花を」と花屋で注文したら作ってくれた鉢だった。こんな花の価値もわからない男を妻は許してくれるだろうか。不動産屋に「例の物件は候補から外れた」と言う連絡は、妻の話を聞いてからにしようと思った。

 

<了>

 

novelcluster.hatenablog.jp

 

 はい、今月の宣伝枠できました。前回ロリコンファンタジーを書いたので今月はヤンデレファンタジーとか書きたいなぁと思っていたらまさかのババアファンタジーになってしまいました。バーさんはエライ。

 

 で、タイトルを見てわかる人はわかると思うのですがタイトルは完全に『火星年代記』の『優しく雨ぞ降りしきる』のオマージュです。 雨と言われていろいろ考えた結果、このタイトルくらいしか出てこなかったのです。

 

 

 まぁ中身は現代日本で随分と解釈変えてアレンジしまくったので原型とどめていない感じですが、 『優しく雨ぞ降りしきる』は最初に読んだ時に「ぐわぁっ」と衝撃を受けて、「すげえすげえ!」と思ったのです。何がスゴイって人間が一人も出てこない。それなのに、なんか情景がやばい。ガンガン心に来る。ああ語彙力がない説明すぎて説得力がない。つまり読んでほしい。

 

nogreenplace.hateblo.jp

 

 

 ちなみに『火星年代記』モノは過去にもやってます。ディックの短編集買ったからこれからゆっくり読むんだ……。あ、文章スケッチもしないと……。

 

<追記>

 りょうさんのブコメにより途中から「国之」が「国広」になっているという残念なことが発覚しました。現在は「国之」に修正済みです。りょうさんありがとうございました。