供養企画第二弾です。企画概要は「過去に公開した短編小説(主に即興)で『こいつは……』というのを晒して『あーああー』というだけ」という無益なものです。無駄な時間を過ごしたくない人はお帰りください。
今回も即興トレーニングより持ってきました。多分書いたのは前回のバリカンと同じくらいの時期です。病んでました。
【さかなつり】
「魚釣りに行こうよ」
うたた寝をしていたら、少年が二人バケツを持ってやってきた。
「でも私たち、竿を持っていないわ」
「竿を探すところからが魚釣りだよ」
私は少年二人に手を引かれて、淡い緑色の地面を歩き始めた。この二人とはとても仲が良かった気がするが、名前が出てこない。
「でも私、仕事があるから家に帰らないと」
「仕事はオトナがするものだよ。君は女の子じゃないか」
本当の私は40手前の冴えない男のはずだ。断じて女の子などではない。
「あらそうだったかしら。女の子だったかもしれないわね」
自然と口から出る言葉は女の子のものだった。服装を見ると白いブラウスに紺色のスカートをはいていた。
「私、女の子だった」
「そうだよ。さあ魚釣りに行こう」
私たちは黄色い建物の壁を歩いて、細い雨どいをたくさん集めたけれども、すぐに溶けてしまって竿にはならなかった。次に水色の草を集めて棒のようにねじってみたけれども、柔らかすぎて竿にはならなかった。
「ねえ、竿なんて見つからないじゃないの」
「おかしいな、いつもならそろそろ竿が見つかるんだけど」
少年たちはどこまでも晴れ上がった空の下で立ちすくんでいた。
「そうだ、竿がないなら僕が竿に成ればいいんだ」
「仕方ないね、また竿になってよ」
みるみる少年の一人が釣竿になった。私たちは彼とバケツを持って川へ向かった。ガラス瓶が沈んでいても見えそうもないほど透明な川の中には、魚が泳いでいる気配は全くなかった。
「魚なんていないじゃないの」
「そうだ、さっきの水色の草を魚にしよう」
私はふにゃふにゃになった水色の草を川に放した。見る間に草が魚に変わり、生き生きと泳ぎ始めた。
「ほら、たくさん釣るからね」
少年は餌を付けずに釣り針を川に投げた。きらきらした水色の魚が、釣り針に群がり始めた。
「そうら、釣り上げた。バケツを持ってきて」
私はバケツを少年のそばにおいた。すぐにバケツは水色の魚で溢れかえった。そうやって数か月が過ぎたころ、川の水も緑色になった。魚は茶色くとけて泥になってしまった。
「あーあ、釣りすぎちゃった。」
少年は泥の中から金色のきれいな魚を私に手渡すと、バケツと竿を抱えた。
「これやるよ。また遊ぼうな」
少年が背をむけて、私が魚を戻そうとしたときに目が覚めた。「そうだ、仕事をしなければいけなかった」
私は女の子ではなく、小説家だった。
魚の礼をしなければいけない。
即興小説と言っていますが、実際これは自分がたまに見る夢を元に書いています。同じような夢をよく見るのですが、その中に「知らない二人組の男の子と遊ぶ」というものがあります。彼らが誰なのかはおそらく永遠にわからないのでしょうが、よくビルの壁面を歩いたり、美術館の中でかくれんぼをしたり、透明なお菓子を一緒に食べたりします。夢の中にいるときは「あ、あの子たちだ」という認識くらいしかなく、しかも夢の中で自分の立場は大金持ちの令嬢だったり彼らの弟だったり、様々です。夢の中で自我が一定に保てないというか、絵巻物みたいにくるくると景色が展開していくような感覚ですね。
そして夢の中では『さかなつり』のように不条理なことがたくさん起こります。よく全裸になって街中で服を探すと言う夢を見るのですが、その時は皆裸の人がいるのが当たり前、という形になっています。周囲も服を着ていたり着ていなかったり、それは様々です。たまに書き割りの人垣や小学校の集合写真のような集団にも会います。それが何を意味するのかはよくわからないのです。
もちろん上記のは小説ですので、あくまでも「夢を元ネタに」しているくらいです。こんな夢をそのまんま見ているわけではありません。『夢十夜』とかやろうと思ってもなかなか辛いのでできません。漱石はすごいです。そんだけです。
感想「ユメ十夜」 - 傍線部Aより愛を込めて ~映画の傍線部解釈~