もうすぐ2が公開されるという評判なので最近『ted』観たのですが、かなり面白かった。下ネタがキツイとか小ネタがマニアックすぎるとかそういうのを抜いてもストーリーの構成がよかった。要は『さようならドラえもん』のお下劣アメリカ版ってところだろうか。
※以下作品内の結末に触れますのでネタバレが嫌な方はお帰りください。
感想「ted」 - 傍線部Aより愛を込めて 〜映画の傍線部解釈〜
大雑把な映画の概要とかは上のリンクにあるので見てください。
以前から指摘をされては来ているけど、やっぱり『ted』は日本人にとってドラえもんに相当するキャラクターだと思う。友達のいないダメな男の子ジョンのところに、ある日突然やってきた奇妙な存在。しかもそいつは自分にはできないすごいことをしてくれるし(ドラえもんはひみつ道具、テッドはセレブとの付き合い)ずっと友達でいてくれるって言う。こんな最高なことはないじゃないか! 二人は永遠に親友でいられるんだ!!
ところがこの作品の決定的に違うところは、ドラえもんはのび太が大人になったときには既にいないのに、テッドはジョンのそばにずっといたところだ。結果的に、ジョンは「だいじなくまさん」をずーっと手放せない子供のような大人になってしまった。仕事に遅刻をしてもテッドのせい、仕事をさぼったのもテッドのせい、婚約者をほったらかしにしたのもテッドのせいだと思っている。もちろん騒動の原因は全部テッドにあるのだが、全てジョンが毅然とした態度を取っていれば防げたことだった。「自分で責任を取らない」ことをテッドに指摘されて大喧嘩するシーンは男と男の話として最高です*1。
大人って何だろうって考えたときに、やっぱり「自分で責任をとる」っていうのが一番なんだと思う。その責任の取り方って何なのかって言われたら、「何が大事なものかを決める」っていうことかもしれない。ジョンはテッドか婚約者のロリーか選ぶときに、最初はロリーを選ぶと言ったが結局テッドにべったりだった。 どっちつかずのままぐずぐずした結果、両方を失いそうになる。自分にとっての最優先事項が何なのかをわきまえるのが大人だ。テッドは何だかんだ言って自分なりのルールを持って行動しているし、ロリーはいつもジョンのことを気にかけている。何かを選択することは同時に何かを失うことなんだけど、その痛みという「通過儀礼」に耐えてやっぱり「大人」になるのかもしれない。
現代は大人と子供の境目があいまいで、いつから大人になるのかわからない。それこそ昔は元服なり成人儀礼があったけれど、今や成人式だってただの晴れ着見せ合い会だし20歳でも社会人が少ないから「大人になったなぁ」って思うことのほうが少ない。せいぜい酒飲んで騒ぐことが解禁されたくらいかな。この前アラサーを記念して成人式以来中学の同窓生と顔を合わせてきたけど、もうそれぞれの道を歩いていた。起業した人や結婚した人、子供がいる人に転職を考えている人などなど、昔の話も交えつつ「これが大人なんだな」って思ってしまった。自分の生きる道を決めた人は強い。そんなことを考えてしまった。
そしてこの『ted』は『さようならドラえもん』に話の構造が似ている*2。独りで喧嘩をしたのび太を見て安心したドラえもんが未来に帰ってしまうように、テッドはロリーにジョンを任せてただのぬいぐるみに戻ってしまう。もちろん、この辺はアメリカ映画なのでしょっぱい終わり方はしない。泥臭い喧嘩をしたのび太とは対照的に非常にスマートにジョンの成長が描かれている。
敢えて言及しなくても『さようならドラえもん』は名作だと思う。一人の男の成長過程をシンプルに仕上げている。だけど、随分前に長編映画の同時上映になったときは『おばあちゃんの思い出』あたりで「どうして既に短編がある作品をわざわざリメイクするんだろう」って思った。要はあの頃からネタ切れで「泣けそうな作品」を持ってきていたんだと思う。『結婚前夜』や『ぼくの生まれた日』もいい話だけど、どうもあざとくてどちらかというと好きではなかった。ドラえもんはもっとさりげなく泣かせる作品もあるのになぁなどと思ってもそういう戦略だし仕方がない。
もちろんこのタイミングで『STAND BY ME ドラえもん』には触れないといけないと思う。今回はしずかちゃん絡みの話を集めて「のび太が大人になるところ」をダイジェストで一本の映画に仕立てているらしい。でもそのこじつけの新機能がヤバイと噂で早くも評判はよくない。とりあえずDVDになってから適当に見ようと思っているので事の真相はまだわからないけれど、なんとなくキナ臭い映画ではあると思っている。
要は本来のテーマは「子供時代の象徴であるドラえもんとの別れ=のび太の成長」なんだけど、宣伝が「別れ=悲しい=泣ける!」ということに終始しているから反感を買うんだと思う。「ほら別れるよ! 悲しいねぇ! 泣けるねぇ!」って予告からやってたんじゃ泣けるものも泣けないし、本来のテーマが生きてこない。
「すべてのこども経験者」へ捧ぐ。
※以下「ドラえもんは友達」という話にまつわるゲスい余談※
都市伝説レベルの与太話でしかないんだけど、前アニメドラの終盤ではドラえもんはのび太の友達ではなく母親として描かれていたという説がある。「子供が見るものだから丁寧な言葉づかいを」などと意識して原作では呼び捨てだったり「あんた」とか言ってるところが変わっていったのだと言う。そして一部からは「説教くさい退屈な予定調和」という評を受け、いっそ声優が変わって原点回帰したと喜ぶファンもいたそうだ。ちなみにその改変をさせたのは藤子先生ではなく、当の「ドラえもん」役だったというのだけれど……。あくまでも噂である。