あのにますトライバル

君の気持ちは君の中でだけ育てていけ。

もし「山月記」の李徴が腐女子絵師だったら

 腐女子の李徴タンは博学であり、平成の世の中、若くして大手企業に入社したが、ついで営業部署に補せられたが、性格は非常に頑固で自意識過剰、社畜のままでいるのに我慢がならなかった。いくばくもなく自己都合により退社をした後は、ネットとpixivに籠り、人と交わりを絶って、ひたすら絵師を目指した。社畜となって長く膝を愚鈍な上司とモンスタークレーマーの前に屈するよりは、絵師としての名を後世に残そうとしたのである。しかし、本アカはおろか腐アカも大して人気も出ず、貯金を切り崩して続けている生活は日をおって苦しくなる。李徴タンはようやく焦りはじめた。この頃から、容姿には一切気を配らなくなり、頬はこけおち目には深い隈が刻まれギョロギョロと落ち着きがなく、かつて新入社員代表として社員の前で誓いを述べた頃の美少女の面影はは、どこに求めようもない。数年の後、貧窮に堪えず、親の泣き落としもあり、遂に節を屈してハロワへ行き、派遣事務の仕事をすることになった。一方、これは自分のイラストの才能に半ば絶望したためでもある。かつての同輩は既に結婚したり子供がいたり、仕事でも遥かにキャリアを積んでいて、彼女が昔、鈍物として目にもかけなかったくだらない連中の命令をきいてセクハラに耐えなければならぬことが、誇り高い李徴タンの自尊心をどれほど傷つけたかは、想像に難たくない。彼女は楽しまず、一度どっぷりハマってしまった腐女子家業も抑え難たくなった。一年の後、社員旅行で熱海のホテルに宿った時、遂に発狂した。ある夜半、急に顔色を変えて寝床から起き上がると、何か訳の分らぬことを叫びつつそのまま下に飛び降りて、闇の中へ駆け出した。彼女は二度と戻って来なかった。警察が付近の山野を捜索しても、何の手掛りもない。その後李徴タンがどうなったかを知る者は、誰もなかった。

 

 翌年、ヲタ旦那とくっついた元腐女子の袁サンという者、幼い子供と家族旅行に出かけ、元箱根のホテルに宿った。次の朝まだ暗いうちに出発しようとしたところ、フロントが言うことに、これから先の道に不気味な化け物が出るので、旅行者は白昼でなければ、通れない。今はまだ朝が早いから、もう少し待たれたほうがよろしいでしょうと。袁サンは、しかし、こんな時代に化け物なんて出るわけないじゃないと、フロントの言葉を聞かずに、出発した。残月の光をたよりに林中の草地を通って行った時、なんと一匹の大きな腐神『ホモォ』が叢の中から躍り出た。ホモォは、あわや袁サンに躍りかかるかと見えたが、さっと姿を翻して、もしゃもしゃと元の叢に隠れた。叢の中から人間の声で「あぶないところだった」と繰返し呟くのが聞えた。その声に袁サンは聞き覚えがあった。びっくりしたけれども、彼女は咄嗟に思いあたって、叫んだ。「その声は、我が友、李徴子ではないか?」袁サンは李徴タンと同級生であり、友人の少なかった李徴タンにとっては、最も親しい友であった。温和な袁サンの性格が、頑固な李徴タンの性格と衝突しなかったためであろう。叢の中からは、しばらく返事が無かった。しのび泣きかと思われる微かな声が時々洩れるばかりである。ややあって、甲高い声が早口に答えた。「如何にも自分は腐女子の李徴である」と。

 

 袁サンは恐怖を忘れ、子供を旦那に預けて叢に近づき、懐かしげに再会を祝った。そして、何故叢から出て来ないのかと問うた。李徴タンの声が答えて言う。自分は今や異類の身となっている。どうして、おめおめと友人の前にあさましい姿をさらせようか。かつ又、自分が姿を現せば、必ず君に「うわぁ…キモっ」と思わせるに決まっているからだ。しかし、今、図らずも親友に逢うことができて、恥ずかしさも忘れる程に懐かしい。どうか、ほんのちょっとでいいから、我が醜悪な今の外形をキモイと思わず、かつて君の友李徴であったこの自分と話を交してくれないだろうか。

 

 後で考えれば不思議だったが、その時、袁サンは、この超自然の怪異を、旦那がキモがるのも構わず実に素直に受け入れて、少しも怪しもうとしなかった。彼女は旦那にお願いしてこの場にとどまり、自分は叢の傍らに立って、見えざる声と対談した。最近の人気ジャンル、ヲタ友の消息、袁サンの結婚と出産、それに対する李徴タンの祝辞。青春時代に親しかった者同志の、あの隔てのない語調で、それらが語られた後、袁サンは、李徴タンがどうして今の身となるに至ったかを尋ねた。草中の声は次のように語った。

 

 今から一年程前、社員旅行で熱海のホテル泊った夜のこと、一睡してから、ふと眼を覚ますと、戸外で誰かが私の名を呼んでいる。声に応じて外へ出て見ると、声は闇の中からしきりに自分を招く。覚えず、自分は声を追うて走り出した。無我夢中で駈けて行く中に、いつしか道は山林に入り、しかも、知らぬ間に自分は左右の手で地をつかんで走っていた。何か身体中に力が充ち満ちたような感じで、軽々と岩石を跳び越えて行った。気が付くと、手や足がやたらと青白くなっていた。少し明るくなってから、谷川に臨んで姿を映して見ると、既にホモォとなっていた。自分は初め眼を信じなかった。次に、これは夢に違いないと考えた。どうしても夢でないと悟らねばならなかった時、私は茫然とした。そうして恐れた。しかし、何故こんな事になったのだろう。解せぬ。全く何事も私たちには判からない。自分はすぐに死のうと思った。しかし、その時、眼の前を一匹の小ホモォが駈け過ぎるのを見た途端に、自分の中の「人間」はたちまち姿を消した。再び自分の中の「人間」が目を覚ました時、自分の口は小ホモォの血にまみれ、あたりには引き裂かれた地雷CPの同人誌が散らばっていた。これが肉食ホモォとしての最初の経験であった。それ以来今までにどんな所行をし続けて来たか、それは到底語るに忍びない。ただ、一日の中に必ず数時間は、人間の心が帰って来る。そういう時には、人の言葉も話せるし、複雑な思考もできるし、スタバのメニューを諳んじることも出来る。その人間の心で、肉食ホモォとしての残虐な行いのあとを見て、オレの運命をふりかえる時が、最も情なく、恐しく、憤ろしい。しかし、その、人間にかえる数時間も、日が経つに従って次第に短くなって行く。今までは、どうしてホモォなどになったかと怪しんでいたのに、この間ひょいと気が付いて見たら、オレはどうして以前、人間だったのかと考えていた。これは恐しいことだ。もう少し経てばオレの中の人間の心は、肉食ホモォとしての習慣の中にすっかり埋もれて消えてしまうだろう。そうすれば、しまいにオレは自分の過去を忘れ果て、一匹のホモォとして狂い廻り、今日のように君と出会っても友人と認めることなく、君を切り裂いても何の悔いも感じないだろう。オレの中の人間の心がすっかり消えてしまえば、恐らく、その方が、オレはしあわせになれるだろう。だのに、オレの中の人間は、その事を、この上なく恐しく感じているのだ。ああ、全く、どんなに、恐しく、哀しく、切なく思っているだろう! オレが人間だった記憶のなくなることを。この気持は誰にも分らない。誰にも分らない。オレと同じ身の上に成った者でなければ。ところで、そうだ。私がすっかり人間でなくなってしまう前に、一つ頼んで置きたいことがある。

 

 袁サン一家は、息をのんで、叢中の声の語る不思議に聞き入っていた。声は続けて言う。

 

 他でもない。自分は元来絵師として名を残すつもりでいた。しかも、道半ばで、この運命に立ち至った。かつて作るところのホモ絵はじめ恥ずかしい絵の所在もおそらくは実家のHDDに入っているはずだ。パスワードをかけているが何かのはずみで公開されてしまっては末代までの恥だ。自宅のPC内のデータおよびpixivはじめ萌え語りSNSのアカウントを私のために消去していただきたいのだ。作の巧拙はともかく、産を破り心を狂わせてまで自分が生涯それに執着したところのものだが、何かの間違いで親が見て絶望することがあっては、死んでも死に切れないのだ。

 

 袁サンはメモ帳アプリを立ち上げ、叢中の声の言うとおり各パスワードを記録した。李徴タンの声は叢の中から朗々と響いた。アカウント消去は袁サンのスマホで行った。李徴タンの絵は繊細でいて独創的なタッチ、精密なデッサンとこだわりの構図、一見して作者の才の非凡を思わせるものばかりである。しかし、袁サンは感嘆しながらも漠然と次のように感じていた。なるほど、作者の素質が第一流に属するものであることは疑いない。しかし、このままでは、第一流の作品となるのには、どこか(非常に微妙な点において)欠けるところがあるのではないか、と。

 

 全てのアカウントを消去した李徴タンの声は、突然調子を変え、自らを嘲るように言った。

 

 はずかしいことだが、今でも、こんなあさましい身と成り果てた今でも、オレは、オレの描いた設定資料集がジュンク堂に平積みされている様を、夢に見ることがあるのだ。笑ってくれ。人気絵師に成りそこなってホモォになった哀れな女を。袁サンは昔の友人李徴タンの自嘲癖を思い出しながら、哀しく聞いていた。そうだ。お笑い草ついでに、今の思いを即興でスケブに起こしてあげよう。このホモォの中に、まだ、かつての李徴が生きているしるしに。

 

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 時に、残月、光冷ややかに、白露は地に滋く、樹間を渡る冷風は既に暁の近きを告げていた。袁サン一家は最早、事の奇異を忘れ、粛然として、この絵師の薄倖を嘆じた。李徴タンの声は再び続ける。

 

 何故こんな運命になったか判らないと、さっきは言ったが、しかし、考えようによれば、思い当ることが全然ないでもない。人間であった時、オレは努めて人との交じわりを避けた。人々はオレをコミュ障だ、自意識過剰だといった。実は、それが殆んど羞恥心に近いものであることを、人々は知らなかった。勿論、中学時代学年トップといわれた自分に、自尊心が無かったとは云わない。しかし、それは臆病な自尊心とでもいうべきものであった。オレは絵によって名を成そうと思いながら、美大やデザイン系の専門学校に進もうとしなかったし、SNSでも批判意見に目を通したりすることをしなかった。かといって、又、オレは社畜として会社に勤めることもしなかった。共に、我が臆病な自尊心と、尊大な羞恥心とのせいである。オレの才能がないことを知ってはいたが、あえて努力することもせず、また、オレの才能がなかなかのものであると信じ、一般社会になじもうと思うことも出来なかった。オレは次第に世と離れ、人と遠ざかり、ますますオレの内なる臆病な自尊心を飼いふとらせる結果になった。人間は誰でもオタクであり、その欲求に当たるのが、各人の性情だという。オレの場合、この尊大な羞恥心が大きすぎた。ホモォだったのだ。これがオレを損い、親を苦しめ、友人を傷つけ、果ては、オレの外形を内心にふさわしいものに変えてしまったのだ。今思えば、全く、オレは、オレの持っていた僅かばかりの才能を無駄にしてしまった訳だ。オレよりも遥かに乏しい才能でありながら、それを専一に磨いたがために、堂々たる絵師となった者が幾らでもいるのだ。ホモォと成り果てた今、オレはようやくそれに気が付いた。それを思うと、オレは今も後悔を感じる。オレには最早人間としての生活は出来ない。たとえ、今、オレが頭の中で、どんな優れた絵を描いたところで、どういう手段で発表できよう。まして、オレの頭は理性のないホモォに近づいて行く。どうすればいいのだ。オレはたまらなくなる。そういう時、オレは、向こうの山のてっぺんで、かつての空に向かって嫁キャラの名前を叫ぶ。この胸を灼く悲しみを誰かに訴えたいのだ。オレは夕べも、あそこで月に向って咆えた。誰かにこの苦しみが分かって貰えないかと。しかし、小ホモォどもはオレの声を聞いて、ただ、趣味が合わないと知らんふりだ。山も樹も月も露も、一匹のホモォが地雷CPに怒り狂って、哮っているとしか考えない。天に躍り地に伏して嘆いても、誰一人オレの気持ちを分かってくれる者はない。ちょうど、人間だった頃、オレの傷つき易やすい内心を誰も理解してくれなかったように。

 

 ようやくあたりの暗さが薄らいで来た。木の間を伝って、どこからか、鳥の鳴き声が哀しげに響き始めた。

 

 最早、別れを告げねばならない。萌え狂わねばならぬ時が、(ホモォに還らねばならぬ時が)近づいたから、と、李徴タンの声が言った。だが、お別れする前にもう一つ頼みがある。それはオレの両親のことだ。もちろんオレの運命に就いては知るはずがない。君が旅行から帰ったら、オレはもう二度と帰らないと彼らに告げて貰えないだろうか。決して今日のことだけは明かさないで欲しい、と。言い終わって、叢中から慟哭の声が聞えた。袁サンもまた涙をうかべ、是非李徴タンの言うとおりにしようと述べた。李徴タンの声はたちまち又先ほどの自嘲的な調子に戻って、言った。本当は、まず、この事の方を先にお願いすべきだったのだ、オレが人間だったなら。娘が失踪して心配している両親のことよりも、オレの乏しい絵業とプライドの方を気にかけているような女だから、こんな獣に身を堕とすのだ。

 

 そうして、つけくわえて言うことに、袁サンに二度とここを通らないで欲しい、その時には自分が萌え狂って袁サンを認めずに襲いかかるかも知れないから。又、別れてから、前方百歩の所にある、あの丘に上ったら、こちらを振りかえって見て貰いたい。自分は今の姿をもう一度お目に掛けよう。名残惜しいわけではない。オレの醜悪な姿を示して、再びここを過ぎて自分に会おうとの気持を君に起させないためであると。

 

 袁サンは叢に向って、ねんごろに別れの言葉を述べた。叢の中からは、耐えがたい悲痛な声が響いた。袁サンも幾度か叢を振返りながら、涙の中に出発した。一家が丘の上についた時、彼らは、言われた通りに振り返って、先程の林間の草地を眺めた。たちまち、一匹のホモォが草の茂みから道の上に躍り出たのを彼らは見た。ホモォは、既に白く光を失った月を仰いで、二声三声何事かを喚いたかと思うと、又、元の叢に躍り入って、再びその姿を見なかった。

 

 

参考:“絵師に対して「ちょっと絵描いてよー」って言うのは…”に対する尾野(tail_y)さんのツッコミ - Togetterまとめ