みちか問題について考えていたら全く別のことを考えていたので、この記事は「あの絵は猥褻ジャッジ」ではありません。
結局のところ「何がエロで何がエロじゃない」って言われたら「個人の主観以外ジャッジできないよね」っていうところでしかないし、そうでないとケモナーもドラゴンカーセックス*1も存在しない世界になってしまう。十人十色だし、人の数だけエロもある。「おっぱいはいいよね」という人もいれば「男女問わず鎖骨はロマン!」という人もいるし、「ハイソックスを履いた跡のギザギザしたところがいい!」という人もいる。だから例えば清涼飲料水のCMあたりで靴下を女の子が下しただけで「俺にとってはエロいけしからん」のクレームが来る可能性もある。いや、靴下を脱ぐ行為はけしからんかもしれない。
だから「これはエロいからダメなんです!」という論点だと「俺はエロいと思わない」で終わってしまう。皆が幸せになる問題提起をするなら「私はこれが苦手です」をマイルドに言うことなんじゃないかと思う。正直、みちか問題は問題提起の仕方ひとつで衝突は大いに避けられた可能性がある気がしてならない。全体的なノリとして「みちか、スカート微調整したってよ」「やっぱりエロすぎたかw」みたいな結末もあったと思うので、どうしてここまでこじれてるかが気になるわけで。
ひとつは、「何かを表明する」がネット上ではものすごく難しいことであるという点があると思う。「私はこれが嫌い」と言えば「嫌いだなんてけしからん!」という意見が大体つく。逆に「私はこれが好き」と言っても「こんなものが好きなんて程度が低い」と言われてしまう。結局沈黙だけがストレスのない世界になり、誰も何も言わなくなる。何かを言い続ける人は己が正義だと信じて疑わない人だけになって、泥沼の戦争状態になっていく。
もうひとつが、他人の好きなものを許容するということが意外と難しいことなんじゃないかということで、「けしからん、こんなものを好きな奴はけしからん」と言う人は「自分の中の好きなもの」に巡り合っていないだけという人も結構いるんじゃないかと思う。これはいじめ問題と同じで、オタクが叩かれるのは「好きなものがあるから」という軽い嫉妬のようなものもあるんじゃないかなぁと思う。好きなものがある人はそれだけで充実している。だから「何かを好き」という感覚を共有できないという意味で「気持ち悪い」「生理的に無理」ワードで理解したつもりになる。「理解できない」ということを理解したつもりになっている、みたいな。うーんよくわからないので誰か代わりにまとめてほしい。
あと今回の問題で「公共とは何か」って思った。自分の嫌いな絵柄がポスターにされていても受け入れられるか不快であることを表明してもよいのか、っていう問題。これはネットの普及で誰でもたくさんの人に愚痴をこぼせるようになったから見えてきた問題で、今までも「あのポスター嫌よね」と思うことはあったと思う。でも「私もあのポスター嫌い」「なんだみんな嫌いなのに飾ってあるのはおかしいわね」みたいになってしまう。公共の場で過激な表現はどこまで許されるのか、そして公共とはどこまでが公共なのかという問題について多くの人が考えなければいけないと思う。
例えばちょっと前に「コントロールベア」というキャラクターが人気になったことがあった。自分で自分の首を持っているブラックな出で立ちが人気になって、様々なグッズが作られてサンリオともコラボしていた。個人的にはこういうブラックなキャラクターは大好きだし、コントロールベアのUFOキャッチャーで捕ったトートバックをくたくたになるまで使っていた。だけど、やっぱり何も知らない人が見たらギョッとするだろうし、これを小学生の女の子が「かわいー」って集めてたらちょっと心配になる。「確かにかわいいけど、やめろ!」と思う。小学生はすみっこぐらしでいいんだよ。
同様にグルーミーやハッピーツリーフレンズも個人的には好きだけど、グルーミーあたりはグッズでも流血をモロに出してくるし、あまりメジャーな場所に大腕を振って出てきてほしくないと思っている。ポップな雰囲気が好きなのでこういうキャラクターはグロ要素がなくても大好きなんだけど、ポップとグロを組み合わせているのでやっぱり一般向けでないよなぁと思う。ハピツリに関しては、どうなんだろうなぁ……結構女子高生あたりがハピツリのラバーストラップつけてたりするんだけど、みんなアレを見てるのかなぁ。日本始まったな。
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でも「これがいいよね!」とわかってくれるひとだけで楽しめたら最高だし、それが一番幸せなのではないかと思っている。自分はグロもある程度なら平気だしギャグとして描かれるグロは好きだ。だけどいくらポップにしたところでグロはグロだし、街中に客引きとして「欠損ガール」とかやって来られても嫌な気分になる。そういうのはアングラな掲示板とかそういう場所で見るから良いのであって、駅前でカジュアルにグロを振りまいてもよくないと思う。カジュアルなグロってなんだ。多分自分が最近のハロウィンの風潮が好きじゃないのもそういうところなんだろうなと思ってる。ホラーやグロがポップというより中途半端なカジュアルになって受け入れられてる気がする。いや、違うんだよ何かが足りないでしょみたいに思っても「世間で流行ってますよー」みたいな顔して浸透していく感じがなんかイヤだ。
萌え絵に関しても似たようなことを思ってる。萌え絵そのものがよくないとは思わないけれど、「萌え絵を使っておけばいいだろう」みたいな適当な広報には何だか違和感ある。観光地でたまにある「絵だけは萌え狙いで説明文は気合入ってない」みたいな、アレ。中学とか高校の文化祭のパンフレットの表紙が漫画のキャラクター(比較的絵がうまいということで無理矢理採用された系)みたいな、そんなざわざわを感じる。「これが何年も残るんだぞ、本人の今後のことを考えたら全力でやめてさしあげろ!」という、アレです。萌え絵自体を否定するわけではなく、絵だけが非常に浮いていて場所にマッチしていないのがイヤなんだと思う。
エロに関してもグロに関しても、やっぱり「場」というものがあるのかなと思う。今回のみちかもグルーミーのぬいぐるみがUFOキャッチャーになってるくらいの公開度合いだっただろうし、それでも嫌な人は嫌だろうなと思う。
結局一番の原因って「情報過多」じゃあないのかなあと思う。必要な情報を取捨選択する前にどんどん新しい情報が入ってきて処理しきれなくて「この情報と自分は関係ない」って思う暇がなくて全て「自分事」として考えるのがこの手の騒動でよく見られるパターンかなと思う。「自分の見える範囲=社会」だと思っているからそうではない社会全部まで否定する。なんつーか、この辺の切り分けが出来ないといつまで経っても不幸なままなんだけど誰も切り分ける気ないよなって思う。切り分けるのすごく疲れるから。それならネットなんかやらないほうが幸せなんだろうな。人類にネットは早すぎたんだよ。
*1:良い子は自分で検索しよう。