あのにますトライバル

君の気持ちは君の中でだけ育てていけ。

2月21日の話

〇雪は降らないそうです。よかったですね。

 

〇何だかんだ言いながらオリンピック見ている。今回は素直に「よかったね」と言うような結果が多くていいなぁと思っている。そのせいか報道も「残念だったね!悔しかったね!」と煽るようなものは観測範囲では少ないような気がしている。プレッシャーはよくないね。あとカーリングとかパシュートとかの解説が面白い。スポーツ力学みたいな解説ばかりだと朝のテレビもまぁまぁ面白い。相撲と北朝鮮の話題はもういいよ……。

 

〇映画ブログのスター欄やっぱり閉じる! 毎日更新されるとダーって★連打されるの、監視されてるみたいでやだ気持ち悪い! しかも全部読んでないのに★つけてると思う! 変なスパムと変わらないよ!

 

〇何か言わなきゃいけないなぁと思いつつ、まだ20日くらいしか生きていない人への対応に追われていていろいろ言えなかったので今のうちに思ってることを書いておきます。

 

p-shirokuma.hatenadiary.com

 

 シロクマさんから言及頂いたことはとても嬉しいことでした。めでたいことですので光栄であります。ただ、何となく何かを明言しておいた方がいいのかな、という感じなのでここで誰にともなくお返事とさせていただきます。

 

 気が付いている方もいると思いますが、このブログの書き手の性別は明言しない方向でやっています。その理由はいくつかありますが、総合すると「性別のポジショントークをしたくない」というところがあります。例えば男性と明記すると話題によっては「男にはどうせわからない」「どうせキモオタのくせに」という反応が返りがちだし、女性と明記すると「女のくせに生意気だ」「これだからヒステリックおばさんは」という反応が返って来やすい。更に男性と明記すれば育毛剤のPRがコメント欄に貼られ、女性と明記すれば変な奴から「仲良くしましょうゲへへ」という下心しか見えないコメントが届きやすくなる。この辺が非常に面倒くさいのでどっちでもいいような書き方をわざとしています。何かを発信しようとして、それで自分のポジショントークにしかならなかったら嫌だな、とは常に思っています。

 

 昔どこかで言ったような気がするのですが、目標とするのは「さよならドルバッキーの人の意見」というより「もしかしたら読者の心の中にあってもおかしくない話」で、読んだ人の心にダイレクトに響くように書いています。これは私が「ブログで自己主張したい」というより「物語を表現したい」ほうが強いからかなーと思っています。最初は意図的にやっていたわけじゃないのですが、気が付いたらそんな感じなのでなんとなく続けている感じです。単なるリスク回避となんとなく、というところです。

 

 そういうわけでシロクマさんが「父親」と思っているのであれば父親でもいいかなと思うのです。もちろん「母親」と思う人は母親でもいいです。どっちなんだよはっきりしろ、と思う方もいると思いますがブログの外では「あっこれは」という発言をするのでそれを探してもらいたいかなと思います。

 

〇ただシロクマさんに記事にしていただいたのですが、親としての自分をこのブログで綴る気が全くない事だけははっきりしているので書いておきます。何故かと言えば「親になったぞわーいわーい」という気持ちはあるのですが元から親業をしている人からすれば「そんなの当たり前だろう」という感じだろうし、親業ではない方は「親が偉いと思うなよ」という気持ちになるだろうからです。つまりこのブログは筆者の自意識をそれほどコンテンツとして重要視していないので親としての自意識は扱えないというところです。はてなブログが始まったころは「育児ブロガーすごい憧れる」と思っていたけど、時代が下ると考え方って変わるもんだなと思いました。

 

〇艦これのイベント始まったけど、今回は果たしてイベントに参加することは出来るのかどうかというところです。ちょうど今回から「丁提督」なるものもプラスされたので後段作戦まで無事に辿りつけたら喜んで丁で挑みたいと思っています。流石にE1は乙で挑みたいけど、ギミックが面倒なのかな。攻略情報をよく読む暇もないので週末までにE2に行ければ行きたいです。

 

〇そんなわけで来客なども多く、特に週末はいろいろ忙殺される。満足に増田も掘れていない。増田が読みたい。おわり。

 

2月11日の話

建国記念の日である。起源は二千六百年~(ここしか知らない)。

 

〇オリンピックが始まって、テレビが一面スケートだのスキーだのになってしまい、競技を見るのは楽しいけど「メダルが~!」っていう報道が基本的に好きじゃないので競技だけ淡々とやってほしいなぁとは思っています。個人的にスピードスケートのショートトラックとか見てて好きです。あとスノーボードとかエアリアルとか、そういうのも「すげー」って出来るので楽しいです。体操選手もそうだけど、空中で浮いてくるくる回れるのってすごいよね。

 

〇冬アニメはとりあえずポプテやばいなぁとか思いながら見てます。全部は追えてないけど、ポプテのネタはともかくAパートとBパートの声優の仕掛けがとにかく面白くて見てます。リメイクとか再解釈とか「この人の演じた〇〇」みたいなのが好きなのでそんな感覚で見ています。あと2話の羊毛アニメの金のかかり方とか挿入歌の気合の入れ方とか細かいところだけはしっかりやってくる系のアニメだと思っているのでクソアニメだろうと安心して見てられるなぁとは思っています。クソアニメを気合を入れて作ったらいいクソアニメになるのは当たり前だし、どんなに原作がよくても細部を雑にしたら本物のクソアニメになるよねー。

 

〇そんなわけで3話までしか見てないけど封神演義……封神演義! あの3話は許さない。本当に許さない。何故あそこをアバンに出した。解せぬ。あのシーンは仙界大戦の裏テーマなんだぞ。あそこから本格的に仙界大戦がはじまるんだぞ。おそらくアバンは仙界大戦のハイライトを出してるんだろうけど、あそこは最初から出しちゃダメな奴だろ。「人間VS妖怪」の戦いがあちこちで勃発している中でそこだけ違う感じなのがいいんじゃないの。ついでに言うともうこの辺全体的に大好きな父子ものだから余計怒りが込み上げてくる。参る丑の刻。何気ないハイライトの使用がファンを盛大に傷つけた。4話から怖くて見れないよぉ……天化はギターを持ってないですか? 殷の太子は出張って来ないですか? 趙公明はちゃんと出ますか?(馬元戦も好きだとか思ったらこれも父子系だなぁ……)出ない? うーん……いっそハンバーグはなしにして仙界大戦からスタートしてもよかったんだよ……?

 

〇ブクマサボってる間にのぶみーるが黒こげになるまで炎上してて、そうなるだろうなあとは思った。うちの母ちゃんに「あたしおかあさんだから」の歌詞を見せたら「ハッ」ってギャグマンガ日和の太子みたいな顔になってたから、やっぱりそういうことなんだろう。

 

〇あと私事ですが人の親になりました。しばらく親業で忙しいのですが増田ブクマは気晴らしでやっていきたいと思います。頑張っていきましょう。おわり。

 

説話についてあれこれ雑感(長い)

 ちょっと面白い記事を見たので書く。なお自分が書きたいから書くので「言及ありがとうございます」とかお礼スターとかお礼ブクマとか機械的なものは要りません。せめて人間らしく。

 

www.yanmei.club

 

 この記事では「中国人の妻が言うには、日本の昔話には教訓がない(中国の昔話には必ず教訓がある)」ということを主張し、それに対して筆者は「日本の昔話は教育ではなくストーリーを楽しむのが目的なのでは」という感想を述べています。

 

 とりあえず自分が何のオタクなのか考えたときに「説話オタク」だろうなと思うくらいのオタクだなぁと思うのでこの記事を読んで思いついたことをつらつらと書いていきます。説話などに興味がない人は退屈だし、逆に説話についての知識がある人なら大したこと書いてないなと思うと思います。ちなみに専門家じゃないです。ただのオタクの一視点だということで読んでもらえると幸いです。というか、もっと詳しい人にもっと詳しく教えてほしい。

 

 以下大体の内容です。長いので興味のある人だけ読んでください。

 

〇中国の昔話が教訓オンリーというわけでもなく、世界的にみても昔話は必ずしも教訓があるとは限らないし、どちらかと言えばないことも多い。

〇昔話には当時の人々の世界の見方を伝える働きがある。

〇科学の発展した現代でもこういった話は生まれている。

 

中国の昔話は本当に必ず教訓があるのか

 ブコメでも指摘されていましたが、おそらく筆者の妻が「昔話はこうあるべきもの」と思いこんでいるだけのような気がします。必ずしも中国で作られた物語が教育を重視してストーリーを軽視しているかと言うと、そうでもないです。例えば『西遊記』や『金瓶梅』などの長編小説は明らかに物語を楽しむためにあるようなものです。『聊斎志異』など怪奇譚を集めたものも存在しますね。

 

 中国の昔話に教訓あるものが多いと感じるのは、ひとつはブコメで指摘されている通り、絵空事よりも実学を重んじる共産主義の考え方があると思います。単純に言えばきれいな絵を描くより畑に芋を作ったほうが偉いという考え方です。

 

 もうひとつは、中国の昔話の形として「思想を伝える」という役割があったことが大きいと考えられます。その昔中国では思想家たちが自身の思想を各国の王に伝えるために様々な例え話をしていました。「昔、王様が家来に命令をしたところ家来は命令を断りました。怒った王様が理由を尋ねると、これこれしかじかの理由で出来ませんと家来は言いました。感心した王様は命令を取り消しました」という感じの話が教訓めいた昔話として定着しやすかったのだと思います。

 

説話の普遍性

 ここから筆者が「昔話」と呼ぶものは大きく括ると「説話」と呼ばれるものなので、以下こういった話を「説話」と書いていきます。

 

 まず中国の説話で有名なものを挙げると、「七夕伝説」が挙げられます。

七夕物語 中国の昔話 <福娘童話集 きょうの世界昔話>

 日本では「織姫彦星」として有名な話ですね。「仕事をしないでイチャイチャしてると引き離されますよ」という教訓が入っている気がしないでもないですが、「七月七日に会える」ということでそれほどひどい罰がくだったというわけでもありません。また七夕伝説にはいろんなバリエーションがあって、日本ではこんな形で伝わっているところもあります。

犬飼い七夕 <福娘童話集 きょうの日本昔話>

 リンク先では天上についたところで終わっていますが、ほかに婿としてふさわしいか天帝から難題を言い渡されるバージョンなどもあります。

 

 また「浦島太郎は意味不明」ということですが、中国にも竜宮城に近い存在があります。

桃源郷 中国の昔話 <福娘童話集 きょうの世界昔話>

 中国の元々の桃源郷は「政府の圧政から逃れた者の隔離里」という意味がありましたが、俗世から離れた理想郷と言う意味では日本でいう竜宮城とあまり変わらないと考えます。こういう異世界へ迷い込む内容の説話は世界中にあって、名前のついているところだとティル・ナ・ノーグニライカナイなどがあります。名前がなくても「天上」や「海の向こう」または「黄泉の国」など「異界に行って帰ってくる」という内容のものはたくさんあります。日本昔話には他にも「おむすびころりん」なんかは正直者が報われるという内容のほかに「地下の異世界に召喚されて現世に舞い戻った者」という側面も持っています。例に出されていた舌切り雀なんかもこれに当てはまりますね。「竹藪の雀のお宿」も異世界に当てはまります。

 

 何故異世界が語られるかと言うと大きな要因として「死んだらどうなるの」などという問いに答えるためというものがあると考えられます。現代のように科学の発展していなかった時代でも素朴で普遍的な問いは存在しました。そこで「死んだら天国に行くんだよ、天国と言うところはね……」など物語を作って昔の人は世界を見ていたわけです。よく「迷信なんて古臭い考えは捨てるべき」なんて言うのですが、自分は「迷信こそ信じる必要はないが存在は大いに認めるべき」と考えています。あの宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』にはバージョン違いが存在して、そこに終盤登場するブルカニロ博士がこんなことを言っています。

 

「ああわたくしもそれをもとめている。おまえはおまえの切符をしっかりもっておいで。そして一しんに勉強しなけぁいけない。おまえは化学をならったろう、水は酸素と水素からできているということを知っている。いまはたれだってそれを疑やしない。実験してみるとほんとうにそうなんだから。けれども昔はそれを水銀と塩でできていると言ったり、水銀と硫黄でできていると言ったりいろいろ議論したのだ。みんながめいめいじぶんの神さまがほんとうの神さまだというだろう、けれどもお互いほかの神さまを信ずる人たちのしたことでも涙がこぼれるだろう。それからぼくたちの心がいいとかわるいとか議論するだろう。そして勝負がつかないだろう。けれども、もしおまえがほんとうに勉強して実験でちゃんとほんとうの考えと、うその考えとを分けてしまえば、その実験の方法さえきまれば、もう信仰も化学と同じようになる。けれども、ね、ちょっとこの本をごらん、いいかい、これは地理と歴史の辞典だよ。この本のこの頁はね、紀元前二千二百年の地理と歴史が書いてある。よくごらん、紀元前二千二百年のことでないよ、紀元前千二百年のころにみんなが考えていた地理と歴史というものが書いてある。
 だからこの頁一つが一冊の地歴の本にあたるんだ。いいかい、そしてこの中に書いてあることは紀元前二千二百年ころにはたいてい本当だ。さがすと証拠もぞくぞく出ている。けれどもそれが少しどうかなとこう考えだしてごらん、そら、それは次の頁だよ。
 紀元前一千年。だいぶ、地理も歴史も変わってるだろう。このときにはこうなのだ。変な顔をしてはいけない。ぼくたちはぼくたちのからだだって考えだって、天の川だって汽車だって歴史だって、ただそう感じているのなんだから、そらごらん、ぼくといっしょにすこしこころもちをしずかにしてごらん。いいか」

宮沢賢治 銀河鉄道の夜

 

 説話というものもその時代の人がどう世界を見ていたかを表す重要なものだと考えています。そして今でも受け継がれている話には人類の普遍的な思いや問いが存在しているのでしょう。浦島太郎の話には「海の中には何があるのだろう」という根源的な問いが隠されています。

 

 また、浦島太郎のもらった玉手箱は「タブー(禁止)」と呼ばれる要素のものであると考えられます。説話にはしばしば「絶対に~してはいけません」という禁止事項が出てきて、そしてそれを破ることで(たまに守り抜くことで)物語が展開します。日本昔話でいうと代表例は先ほどの記事でも取り上げられていた『鶴の恩返し』で、このパターンの話は世界中に存在します。

 

 ちなみに記事の中で「何故ツルは帰ってしまったのか」という話があったのですが、この辺は「異類婚姻譚」と呼ばれるジャンルの話になります。日本の昔話では動物が人間に化けるなどして直接求婚に来るのに対して、それ以外の国では魔法で動物に姿を変えられた人間が求婚するケースが多いらしく、自然由来か人間社会由来かで大きく変わるものと考えられます。

 

日本の昔話はストーリー重視なのか

 説話にはその時代の世界の見方を示す役割があるという話をしてきましたが、実際に昔話でその土地のいわれを示したものや生活の知恵に根差した話で思いついたものを紹介します。

 

まんが日本昔ばなし〜データベース〜 - さだ六とシロ

 こちらは「犬吠峠」という地名の由来を表した昔話です。

 

まんが日本昔ばなし〜データベース〜 - 三合めし四合だご

  こちらは「一度に食べてよいご飯の量」の昔話です。

 

スーホーの白いウマ モンゴルの昔話 <福娘童話集 きょうの世界昔話>

  日本の国語の教科書にも載っている、モンゴルの楽器のいわれについての話です。

 

エウローペー - Wikipedia

 ギリシア神話にある、「ヨーロッパ」の地名の由来とされる話です。

 

 ここに挙げた話はリンク先へ行って読んでもらえればわかる通り、ストーリーの面白おかしさを重視しているというより悲劇的な結末だったり荒唐無稽な話だったりします。上3つに至っては何らかの命が損なわれ、ヨーロッパに至っては誘拐されました、終わりという話です。つまり、説話には国を問わずオチや意味がないものもたくさんあるということです。

 

欲張りだんなと、とんち男 中国の昔話 <福娘童話集 きょうの新作昔話>

 そしてこちらの中国の話は権力のある者に対して知恵のある者が対抗するタイプのものです。このタイプの説話に教訓などはなく、ただ相手をやり込めてスカっとするなぁというものです。日本でも一休話や吉四六話、彦一話などとんち話はたくさんありますし、外国の有名なところではディズニーランドのスプラッシュマウンテンで有名な「南部の唄」のキツネどんとウサギどんの話があります。

 

現代に説話の意味はない?

 じゃあ科学の発展した現代でこういった世界を説明するホラ話などはいらなくなったかというと、今この瞬間も「説話」と呼べるようなものが生まれています。例えばこういったものです。

 

 飛行機のエコノミークラスである白人女性が騒いでいた。

「ちょっと、私の隣に黒人の男が座ってるの! 失礼しちゃうわ!」

 そこへ乗務員が飛んできて頭を下げた。

「これは大変失礼致しました。こんなお客がお隣では不愉快でしょう、幸いファーストクラスの席がひとつ空いておりますのでご案内致します」

 席についている人は皆ファーストクラスへ案内される黒人男性をにこやかに見送った。

 

 この話もブラックジョークとしてよく語られるものですが、構造としては人種差別を根底に弱者が強者へ逆襲をするというものに近いです。つまり吉四六話などと似たような性質があります。

 

 もう少し砕けた話だと「口裂け女」なども現代の説話と言えるでしょう。

口裂け女 - Wikipedia

 詳しくはリンク先を見てもらうとして、噂のいわれには「夜道を歩くのは危険であると親が子供に教えるために生み出された」という有力な説があり、「夜道」という普遍的な恐怖の対象を具現化した存在と考えてもいいと思います。実際「子供が放課後道を歩いていると現れる現代妖怪」は人面犬やひきこさんなどバリエーションが豊富で、そこには夜道の暗さ以外に現代特有の得体のしれない他者への恐怖もあったと思います。この辺面白そうなので、またそのうち別記事で考えようと思います。

 

 つまり、「物語には作者がいて展開をコントロールしている」とブログの筆者は考えているようでしたが、作者が明確な物語を皆が楽しむと言う考え方は近代的なもので、それ以前は物語は自然発生的に誕生してあちこちで派生や進化を遂げるものであったという視点を紹介したいということです。現代の例を出すとわかりやすいのが口裂け女で、地域によって様々な語り口が存在します。

 

 また、「昔々あるところにおじいさんとおばあさんが住んでいました」の紋切型のように現代のTwitter上では「~とマックで女子高生が話していた」という形で本当か嘘かわからないような話をするタイプの話があり、これもストーリーの明確な作者の不在と考えて良いかと思います。最近ではこのようなタイプの話を「嘘松」と断じてしまう動きもあり、「嘘松」の概念によって噂や都市伝説、広く観れば説話というものがどうなるかはちょっと興味があるところです。

 

 

nogreenplace.hateblo.jp

 

最後に

 だらだらと書いてきましたが、何が言いたいかと言うと「こういう物語をつなげるのすげー楽しい」ということです。いつもこんな感じでアレコレ考えているのでこういう形でバーッと書き出すの楽しいです。「現代妖怪が生まれた背景には見知らぬ他人への恐怖があるのでは」という視点は今回書いていて気が付きました。そんな感じでまたこの辺に関しては考えていきたいなぁと思っています。次回がいつになるかわからないけどね! それでは長くなったので終わりです。

 

1月29日の話

〇雪が降ったね。寒いね。まだ解けないね。寒いね。

 

〇映画ブログをガンガン更新していくのでガンガン書いているところです。半年もほっぽらかしてしまったのでしばらく連続更新が続くと思います。あと映画ブログのほうもB!ボタンとスターを再開させてみました。様子を見て「うわぁ」となるようだったら個別のブコメ非表示とか再度の撤廃も検討しようと思います。「怖そうな映画ですね……私は怖いの苦手なので見ることはできませーん汗」みたいなコメントはガンガン消していく所存でございます。

 

〇最近気が向いたときに増田のベタ読みしかやってない。ヘンなタグを増やしているけどなんかすごく楽しいので寂しい人生を送っている気がする。

 

〇気になった増田と言えば、偉そうなはてブid一覧を作っていたら日が暮れる件 で適当にそれっぽいブコメつけたらその気もないのに人気になったの真顔で見ている。そもそもブクマもブコメも何か「言及する」という行為で、ヘンに遠慮をしていたら何も言及なんかできない。ある程度の図々しさがないとネットで生きていくことはできない。あとヘンな丁寧語ブコメと謙虚を勘違いしているのあるけど、丁寧語だろうが罵倒だろうが「何かしら言及した」時点で謙虚ではない。つまり能動的に行動しなければならないネットでは受け身の体勢以外、謙虚であるということは当てはまらないわけで……。

 

〇ちょうど話題のこの記事について少し。

小学校から配られたプリント『入学前にお子様に身に付けさせてほしいこと』の難易度が高かった「大人でもコンプリートは無理」 - Togetter

 いや、「返事やあいさつをする」とか「身の回りの整理整頓をする」とかそれ人間として基本的なことじゃん……そもそも挨拶など基本的なことの何をもってコンプリートとするのかわからない。野球部の絶叫みたいなあいさつと軽く会釈するのどっちが偉いみたいな話なの? うーむ。

 

 このまとめから察するに、根本的にツイ主がこのプリントが配られる理由を勘違いしているような気がする。育児や教育は「できるようになったらおしまい」ではない。正しい行いが出来る日もあれば出来ない日もある。それを少しずつ繰り返していって習慣化するのが躾けというものだ。そもそも「学校の準備を最初から全部小一に任せる」って発想がなんかもう……「最初はおうちの方も手伝って、最終的に一人で出来るようにさせましょう」とプリントでは明文化しておいたほうがいいのではないだろうか。

 

 多分多くの人が勘違いしていると思うんだけど、「多様性」っていうのは「ワガママ」という意味じゃあない。自分と他人の違いを認めて、お互い気持ちよく生きていくための考え方だと思う。このプリントに書いてあることが出来ないことが「多様性」であるならば、悪口を言って人を不快にさせたり整理整頓を怠って他人の物を失くしたり、人の話をろくに聞かないで何か失敗をしたりというのも「多様性」になってしまう。実際それらを苦手をする人もいるだろうが、肉体レベルでできないのか単に躾をしてなくてできないのかは大きな違いだと思う。前者であれば考慮の必要があるけれど、まずは後者であることを考えたほうがいい。「うちの子は言っても聞かないんですよ」というのは簡単。あとはどう言い聞かせるか。個人的に「言っても聞かない」という家庭では基本的な信頼関係が崩壊しているので、もう躾以前のところなのかもしれない。「多様性」と言えば聞こえはいいけど、なんか責任転嫁してない? とは思う。もちろんみんながみんなダメなわけではなく、支援が必要な人が適切な支援を受けられるといいなぁとは思う。だからこそ、ちゃんと躾してないだけを「多様性」という言葉で誤魔化してもらいたくないなあと思うのです。

 

 あとこのプリントの反応で「誰とでも仲良くできるわけではない」というところに反発があるみたいだけど、原則誰とでも仲良くするのはとても大事なことだと思う。ただ無理に合わない人とは無理に仲良くなる必要はないし、その辺は誰だって承知しているだろう。たまにこの辺がお花畑になってる教員いるけど、それはそいつの問題。ここで「誰とでも仲良く」と書かれている意図は、要は「気に入らない奴がいるからといっていじめをしてはいけない」ということなんだろうと思う。

 

 それに不安なのは「このプリントの項目を守らせるなんて大人でも無理」とか反応があるけど、「靴をそろえる」とか「身だしなみをきちんとする」とか「悪口を言わない」も難しいのであればそれは何かを考えたほうが良い気がする。特に「自分のものと他人のものを区別する」は徹底しないとダメだろう……「できませーん」とか言ってる場合じゃない。単なる手癖の悪い奴じゃないか。今は発達障害とかそういうのもあるっていうけど、特性に甘えて開き直って他人に迷惑をかける前提になるっていうのはやっぱり行儀が悪いと思うよ、うん。

 

〇ウーロン茶飲みたいな。ホットで。

 

学校図書館増田にモヤっている人へ

 思った以上に燃えてしまった増田に「けしからん!」な反応がたくさんあるのでちょっと書く。要旨は「この増田の書き方が非常に悪いために余計なヘイトを生んでいる」というところなのでこの増田を読んで悲しくて悲しくて辛くなってしまった人は読まないほうがいいと思います。多分もっと悲しくなるから。あと思った以上に長くなったのでお時間と心の余裕のあるときにお願いします。

 

anond.hatelabo.jp

 

増田が燃えた原因

 まずなぜこの増田が燃えてしまったのかというと、増田の書き方が非常に悪いために誤解を生んでしまったというのが8割くらいだと思うのです。多分この増田は思ったことをつらつら書いてしまってそのまま投げてしまったのでこんな反応になってしまっているんだと思います。

 

 まず誤解とは何なのかというと、おそらくこの増田を読んで多くの人は「増田をはじめ学校図書館を運営している奴は子供に読ませる本をコントロールしている!思想弾圧だ!許せん!」と読み取ったことと思います。多分このルールは全て増田由来だと思った人もいるんじゃないでしょうか。それにはてなの世界では教育系の話をすると高確率で学校に対する恨み言を述べる場になる傾向があります。最近ではTSUTAYA図書館や図書館カフェなど、図書館に関する話題もネットでは炎上しやすい傾向にあります。何故でしょうね。

 

 まず序文として学校司書と司書教諭の違いについて説明しています。ここは説明なので「まぁそうだよな」というところです。ただ、この説明パートの最後に気になる文があります。

 

ツイート元の方の言う学校の司書がどれに該当するかによって話が少し変わってきそうです

 

 これだけ読むと「ははぁ、立場によって決められる決まりとかそういうのがあるのかな」と読者は身構えます。しかし、その後に続く話はローカルルールの提示で、最後まで学校司書と司書教諭の違いが話に出ることはありません。説明した意味がないし、これ以下のことを訴えたいなら正直違いとかどうでもいいと思う。

 

発端のツイートのように、「この本は借りてはいけない」

または「この本は購入しない」「この本は戸棚の中や倉庫に隠す」というのはウチの学校や他の学校でもあります

フェイクのためどれが自校でどれが他校の話かは伏せさせてもらいます

また、それらのルールについては司書の意思の他に「司書教諭の命で仕方なく実行している」「学校の方針」「前々々々任の司書が決めたルールで、変える機会がなくずっと続いている」などさまざまなケースがあります

 

 その後非難轟々のローカルルールの例示になるのですが、この文が読みにくいために「例示は増田の学校ですべて行われていること」と誤読した人も結構多い気がします。ただよく読んでみると、増田がこの文で言いたいことはこんなところだと思います。

 

訂正例

発端のまとめ記事のように、実際に学校図書館では「本を貸さない、購入しない」「なるべく隠す」ということはあります。その決まりは学校に寄って違っていて、司書教諭が独断で決めるものもあれば学校の方針、更には昔決めたことを意味もなくただ続けているだけというものもあり、内容は「個人的にはちょっと……」と思うくらいのものもあれば「理不尽だな」と思うものもあります。以下、いろんな学校の人から聞いたことのあるルールを思いつく限り書いてみます。

 

 あくまでも「増田の知っているヘンなローカルルールの例示」であって、ここに紹介するものは増田もヘンだと思っているという一文が欲しかったですね。増田が例のtogetterを「おかしい」と思うなら、以下のルールも同様にヘンだと思っていないとつじつまが合わないので。それにこれらのヘンなルールが一校に集中しているわけではなく、様々な学校でひとつずつあったりなかったりというような感じであることも元の文章で強調できているとよかったかもしれません。

 

 あとブコメでも指摘されていましたが、「フェイク」の使い方がヘンですね。「フェイク」とは「特定されないようにニセの情報を入れること」ですので、自校他校をぼかすだけではフェイクとは到底呼べません。それともその後の例示に何かニセの情報が紛れているのでしょうか。それなら不幸な子供は少なくなるのかな。

 

・図鑑、百科事典は貸し出し禁止。これらの本は授業で使う機会が定期的にあり、いざという時図書館にないと困るから。また、飛び出す絵本など貸し出ししたら即ボロボロに破壊されそうな本も貸し出し禁止。禁帯出マークの赤いシールを貼って見分けられるようにしている。

 

 これは妥当ですね。どこの図書館でもそうだと思います。

 

・本は3冊借りることができるが、かいけつゾロリのみ例外で1冊までしか借りられない。子どもたちには「ゾロリはとても人気だから、1人が1冊までなのよ」と説明しているが本当は「字が大きくて漫画じみて幼稚な内容のゾロリはあまり借りて欲しくないから」。ゾロリを一斉に廃棄処分にして0冊にした学校も

・強制ではないが、高学年はあまりゾロリは借りないようにすること。6年生にもなってゾロリばかり読んでいるなんて恥ずかしいから。低学年向けの絵本や○○のひみつシリーズもなるべく借りてほしくない

 

 これ、けしからんと怒るのは簡単だけど何でこんなルールが出来たのか背景を考えると結構辛いものがあります。このあと増田が例示するように「低学年向けの本を高学年が先にごっそり借りてしまう」のは確かに問題だし、「ゾロリでも本の窓口になればいいのに!」というのもわからないわけではないのですが、多分ここで想定している「ゾロリをごっそり借りる子」のイメージの乖離が双方にあると思います。この辺は長くなるので余談で話します。

 

 ただ、「6年生にもなってゾロリばかり読んでいるなんて恥ずかしいから。」は明らかにヘイトを煽る書き方で非常に適切ではない。もっとマイルドな別の表現があっただろうに。ここにガソリン注いでいると思われてもおかしくないだろうし、この一言でこれだけ炎上している気がしないでもない。ただこの増田からすると「私は恥ずかしいと思ったから恥ずかしいと書いた。それで傷ついた人がいたとしてもそれはその人の責任だし私もそう言われて傷ついた」とか言いそうだなぁとか何かを思い出すなど。

 

あさのあつこのNo.6は教科書に紹介されているのだが、だんだんBL描写が激しくなっていくので購入するのは1巻のみ。公共図書館から取り寄せたいという時だけ対応する(自校の図書館にない本を公共図書館にリクエストして配達してもらうというシステムがある)

 

 ちょっと笑った。確かに『No.6』はそういうケのある作品だと思うし、この文章書いてる人もディストピア読みたいって思って『No.6』読み始めたら何だかそういう感じになっていって「ちゃうねん俺が読みたいのとちゃうねん」って思ったからこの辺は個人の感覚が強いと思う。ただ「読みたい」と言って取り寄せてもらえるのであれば別に構わないと思うんだけどなぁ。 

 

公共図書館から取り寄せてほしいとリクエストがあった本でも、漫画のノベライズ版、オカルト本などこれはちょっと……というものは「こういうのは駄目よ」「近場の公共図書館になくて……(嘘)」などと言って諦めてもらう

 

 嘘はよくないけれど、漫画のノベライズは学校図書館としては結構微妙なところだと思う。この辺は図書館ラノベ論争でよくある話なんだけど、個人的には「娯楽」は自分で買って楽しむものだと思うので学校図書館で無理に取り扱わなくてもいいと思う。それに何でもかんでも取り扱い始めると続刊が続々出てキリがないっていうのもラノベを取り扱わない理由にあった気がする。そういった事情含めて厳選したシリーズだけ購入しているなんてところは結構多い気がするけど。

 

・保健体育系の本は、性器などの写真がモロに載っていてそれを見て騒ぐ子がいるので普段は戸棚の中に隠していて、勉強で必要になった時だけ出す。何回注意してもやめない、もし一人が注意を受け入れて騒ぐのをやめても別の子が騒いでまたその子を何回も注意して……と大変疲れるので隠した方が早いし楽

 

 これは致し方ない部分だと思う。「子供の学習の機会が~」という人にはちんこちんこまんこまんこ騒ぐ小学生の群れを誰でも一発で黙らせる秘策があれば是非教えてほしい。あとこういう話が苦手な子に「ホレ」と見せつけて嫌がらせする奴とか絶対いると思うので大人の監視下で閲覧可というのは話としてわかる。

 

・「表紙がキラキラしててかっこいい!」「表紙にドラゴンが載っててかっけー!」などの理由で、漢字どころかカタカナもまともに読めないような小さい子が、挿絵もルビもない重厚なファンタジー小説を借りようとすることがあるが「借りても全然読めないでしょ」と説得して貸し出しをやめさせる

 

 これは完全に増田の書き方が悪い。「貸出をやめさせる」じゃなくて「違う本へ誘導する」でしょう。このルールに対して怒ってる意見が結構あるけれど、「その子の発達段階にあった本を選ぶ」というのも立派な学校司書の仕事だと思う。明らかに読めない本を持って帰らせるより、簡単でも全部読める本を渡す方が読書教育としてあるべき姿だろう。昔実際にあったことだけど、「表紙がかわいいから」という理由で「星の王子様」をそれこそカタカナも読めないレベルの子が読もうとしていたことがあって、「読めるの……?」と尋ねたら「意味が分からないから何度もわかるまで最初のページを読んでる」と返ってきた時は「これは難しい本だから違う本に挑戦してもいいんだよ」と言ってあげたなぁ。つまりケースバイケースです。あとこれを大人がやると「洋書をインテリアとして出品したら売れた」という事例になるなぁと思った。

 

思い出せないだけでもっとあるかもしれませんがこんな感じです

低学年向けに購入した新しい本を高学年が いの一番にごっそり借りていくと、うーん……とは思いますが口には出さないですね

あと、1年生から6年生まで各学年向けの本を並べたコーナーを作っていますが自分の学年じゃない本を借りてもOKです

 

 この辺から完全に増田は当初何を書きたかったのかを忘れてただ思いつくことを思いつくままに書いている感じがします。そして、この文章に足りないのは「私の学校では」という文の主体です。ここでビシッと「変なルールがある学校もあるけれど、ウチの学校はそんなことしないよ!」と書いておけばまだこんなに燃えなかったかなぁとか思います。これだけだとただの増田のぼんやりした感想になってしまう。

  

今回、ツイート主の親戚の子が年齢を理由に貸し出しを禁止された本は

赤毛のアン」「西遊記」など児童書としてはド定番の作品ばかりで

学研が出版している「10歳までに読みたい世界名作名探偵シャーロック・ホームズ」は11歳になったら借りちゃ駄目だけど

講談社が出してる青い鳥文庫の「新装版名探偵ホームズ」はOK!みたいな感じになってるんでしょうか

 

 正直これだけなら「知らねーよ増田の方が専門なんだろ俺たちだって知らねーよ」と読まれてもおかしくないでしょう。おそらく増田は反語(借りちゃダメなのだろうか、いや借りてもよいに決まっている)の意味で疑問の形をとっているのでしょうが、全体的にふわふわしている文体から「ああこの増田もよくわかっていないのかな」と読み手に不安を与えてしまっているので単純な疑問として捉えられてしまうのだと思う。

 

訂正例

今回、ツイート主の親戚の子が年齢を理由に貸し出しを禁止された本は学研が出版している「10歳までに読みたい世界名作」シリーズで、「赤毛のアン」「西遊記」など児童書としてはド定番の作品ばかりです。「10歳までに読みたい世界名作」シリーズの「名探偵シャーロック・ホームズ」を11歳以上は読んではいけなくて、同じような内容の講談社が出してる青い鳥文庫の「新装版名探偵ホームズ」は年齢に関係なく読んでよいのでしょうか。

 

 文をリライトしていて思ったけど、この増田の文をよく読むと主述がとれてないところがかなり多い……多分釣りじゃなくて天然だ。思ったことを思ったままに書いているぞ。これをわざと書けるんだったらすげぇ天才だ。

 

大なり小なりどこもローカルルールがあると思うので「誰でもどんな本を好きなだけ借りられるようにするべき!反対するなら教育委員会に言いつけるぞ!!」という流れになるのはちょっと困りますがさすがに今回は理不尽すぎるので炎上もやむなし

とか書いてる間に追記を読みましたがそんなギチギチにルールのある図書館なのに他の先生が把握してないって色んな意味で問題ですね

私の周りだと司書の立場が弱すぎて先生たちにNOと言えなくて……という悩みは山ほど出てくるんですが司書が独裁国家築いてるパターンとは

 

 ローカルルールがあるのは致し方ないところもあるし、この前の図書館カフェみたいに学校の特色によって様々な考え方があってもいいと思います。それに「何でも自由にさせろ!」というのは学校図書館の場合結構難しいところがあるので……詳しくは余談で。

 

 ただ、ここで増田は「togetterの事例はおかしい!」って明言しているんだよね。それなら例のヘンなルールを紹介する前に「私はおかしいと思います」って一言いれないと誰もここまで真剣に読んでくれないよ。まずは自分のスタンスを明かす。それから例示。これ文章を書くときの鉄則。

 

 あと「パターンとは」って何なんだろう。おそらく後に「珍しい」というような意味の言葉が省略されていると思うのですが、これだけだと何が何だかわからないですね。

 

関係ないですがオオカミ王ロボ小学生の時から大好きなので元ツイの子が無事に借りられることを願っています。ロボはイケメン

 

 全く関係ないし多分書いているうちに当初書きたかったことを忘れているんだろうなと思った。個人的には学校司書と司書教諭の違いで例の件がどうなるのかしっかり書いてほしかったな。

 

まとめ

 増田のシンプルな主張としては「togetterの件はおかしいし、学校図書館って変なところもあるんだよねー」なので全然おかしなところはないのですが、余計な情報と増田のヘンな書き方のせいで余計なヘイトを生み出してしまった哀れな増田です。まぁそういうほうが増田らしいと言えば増田らしいのですが。それにしてもこの増田の計算されつくした天然と思われる煽り……何かに似てるんだよなぁ。何だろう。

 

 最初のtogetterについては理不尽すぎて意味が分からないので真相究明の報告は欲しいところです。邪推するならば例の図書館の係りの先生が何らかの何らかを何らかであるくらいが現実的かなぁとは思うのですが、何らかな話なのでそのまま闇に葬ったほうがいい案件かもしれない。

 

余談

ゾロリ迫害の件ですが、あり得る話としては読書教育に無頓着な教員が「必ず一人一冊借りて読んで感想を書くこと」なんてルールを作った結果、「俺はゾロリでいいや」となって結果読む気はないけど読みやすいゾロリばかり借りられてしまったなんていうことも十分想定できます。

 

〇この件で怒っている人はおそらく読書が大好きな人がほとんどでしょう。しかし、学校図書館は読書に興味のない子や読書と聞くだけで眩暈を起こすほど読書が嫌いな子、あるいは識字障害の子など様々な理由で本に苦手意識がある子にも読書教育をしなければなりません。高学年になってたまたまゾロリを手に取って「面白かった!次も次も!」となる子はごく稀で、大体はそのまま読書をしないまま読書嫌いとして過ごしていくことになります。「きっかけとしてゾロリを」というのは正しいのですが、その正しさすら無力に思えることが多いのが読書教育だと思います。

 

〇この感覚を体育で例えるなら「ラジオ体操から体育全般の楽しさを知ってもらいたい」くらいの感覚だと思います。確かにラジオ体操なら大体誰でも出来るし、球技みたいにバカにされることも少ないと思うのですが毎回体育の時間にラジオ体操やってればいいかというとやはり教員としては発展したものにも取り組んでほしいという想いはあると思う、みたいなところでしょうか。そもそもラジオ体操すら嫌がる子もいるし、出来ない子だっている。そんな子たちでも好き勝手させておけば勝手に体育が出来るようになるかというと、そうでもないよねっていうことで。

 

〇何が言いたいかと言うと「ある程度の集団を教育するためには最低ラインはどこかで設けなければならないし、個別で対応が必要な案件もあるが現状だと後回しにされがち」ってところでしょうか。全部個別対応できればそりゃー楽なんだけど、できないからいろいろ面倒くさいことになっているんだしわざわざヘイトを煽るようなことをするもんでもないと思う。それだけ。

 

〇個人的に「アンパンマンやディズニーには詳しいけれど幼児期にアンパンマンとディズニーにしか触れていないために物語の引き出しが狭い子」が最近観測されているので「好きなものを読ませろ」は大正論だけど「好きなものだけ読んでいればそれでいいのか」は立ち止まって考えてもらいたいなぁとは思っている。

 

〇個人的に山田悠介の初期作品は学校図書館に置いてほしくないと思ってる。話の内容以前に文章の整合が真面目にとれていないので面白がる分にはいいんだけど、教育には本当によくないと考えている。この辺は個人の感覚が強いので致し方ないところがありますね。ちなみに意外と子供って「怖い」「グロい」ものが大好きなんですよ。だから際限なく与えるのはどうなんだろうという視点は大事です。だから「うんこ漢字ドリル」みたいに「怖い絵計算ドリル」を作ったらまぁまぁ売れる気はする。本物のグロ画像は刺激が強いから、恐怖を煽る絵で楽しく勉強、みたいな。企画段階で反対されそう。

 

≪追記≫

学校図書館増田にモヤっている人へ - さよならドルバッキー

初期、と限定してるあたり、最近だと山田悠介氏の本は「文章の出来は大丈夫」ってことなのかな? 気になったのでブクマ。

2018/01/24 22:03

 

 「初期」としたのは最初のアレ自費出版だったせいか本当に話にならないくらい日本語も内容も全てが崩壊していたのですが、それからの作品は「最初のアレ」以降きちんと編集などを通すことになってから最低限の誤字脱字や主述の崩壊などはとりあえず少なくなったので文章「だけ」に関しては「まぁ、まぁいいかな」と言ったところです。最新作も試し読みをしてみましたが冒頭だけなら読めなくはない文章でした。本音を言えば全体的に今はやりのエルサゲート動画みたいな感じなので正直公立図書館に置くならまだしも、教育現場に置いておきたくないなあとは思います。「そんなのでも読書のきっかけになるのであれば……」という人はたぶん真剣にアレを読んでアレにはまる子のことを見てないんだろうなぁ、という感じです。エルサゲートだよエルサゲート。そんな感じです。

 

「創作実話」にまつわる簡易まとめ

 前の記事でまた今度というようなことを書いたので簡潔に書いていきます。

 

〇「長文スクショの代替」に関して、そもそもの「長文スクショ」がごく最近生まれた文化で「Twitter上で140字以上のことを伝えたいときにスマホのメモ帳に文章を書いてスクリーンショットで画像にする」行為はバズを生みやすい一方「過度な美談やいわゆる嘘松の温床」というイメージがあって忌避されやすい手段と認知されている変な文化だ。実際に長文スクショというものを見てみると確かに「お年寄りに席を譲らなかった奴を懲らしめた」「意地悪な上司をギャフンと言わせた」というような武勇伝めいた話が多い。または「飛行機で黒人が隣に座って気持ち悪いと騒ぐおばちゃんに対して、黒人をファーストクラスに移動させる策をとった」的な良い話ネットロアもあって、この辺のことを語ると「facebookのイイネ拡散」とか「ゲーセンであった女の子」とか、遡ると「一杯のかけそば」にまで話が広がるので一回止めにする。

増田関連の雑感 - さよならドルバッキー

 

 きっかけはこの記事を書いてからそこそこ伸びたこちらの増田。

 

anond.hatelabo.jp

 

 この文章を書く人はこの言葉を現状では肯定も否定もしません。ただ「嘘松」という言葉が生まれた背景を考え、広まった理由を考えたいだけです。以下「嘘松」に至るまでの「創作実話」の形などを思いつく限り列挙してみます。何か思いつくものがあれば追加も検討します。

 

ネット有史以前

「この話は本当にあった話です」

 怪談の枕詞。実話であろうがなかろうが「本当にあった」という言葉をつけるだけで怖さが倍増する。類義として「この話は友達のいとこから聞いたんだけど」など実在すると思われる第三者の視点を使うというものがある。

 

一杯のかけそば

 大晦日に母子で一杯のかけそばを分け合う美談が実話と言う触れ込みで話題になったが、創作ではないかという指摘でブームが去った。

一杯のかけそば - Wikipedia

 

ネット黎明期・2ちゃん文化

釣り

 匿名掲示板などであることないや大変大げさなことを書き込み、その反応を楽しむもの。エサを垂らして魚が食いつく様子に似ていることから「釣り」と呼ばれる。また、強い言葉を使って読む者の不快感を引き出す行為を「煽り」と呼ぶ。

 

「うそはうそであると見抜ける人でないと(掲示板を使うのは)難しい」

 2ちゃんねるの管理人だったひろゆき氏の有名な言葉。「ネットの情報は真贋の判定を自分自身で行わなければならない」ということを端的に表現している。

 

ネットロア

 オカルト板で生まれた「信じようと、信じまいと―」など、いわゆる「都市伝説」と呼ばれるもの。都市伝説に関しては「オルレアンの噂」などネット有史から噂話として処理されるものが多くあるが、ネットの普及により爆発的に広まった。怪談や妖怪のほかに「ハンバーガーはミミズや猫の肉である」「品種改良により生まれた8本足の鶏でフライドチキンは作られている」といった食品に纏わる話や「〇〇死亡説」「子供番組で失言をした子供が次のシーンでくまのぬいぐるみになっていた」など信憑性のない噂まで多岐にわたる。

 

チェーンメール

 携帯電話にメール機能が備わった頃に爆発的に広まった迷惑メール。「このメールを受け取ったものは〇人に送信しなければならない」という文句がついており、その内容は「送らないと呪われる」と言った恐怖を煽るものや「幸せをおすそわけ」などクスっと笑える小話などバリエーションは豊富。中でも「RH-の血液が足りません」や「ペットショップの閉鎖で犬がたくさん処分される」など良心に訴えるものや「某番組の企画で〇人に回す実験です」「〇人に転送すると絵文字がもらえます」といったイベント参加型などはデマの発信源になり、様々な弊害をもたらした。

 

電車男

 ネット発の純愛ストーリーとして各種メディア化した物語。「実話」が元だという触れ込みであるが、ネットでのやりとりしか根拠がなく辻褄の合わない部分などを指摘されて「創作では」という声は尽きない。

電車男

電車男

 

 

ケータイ小説

Deep Love

 いわゆるケータイ小説の走り。ネットで連載中に寄せられた読者の実体験を元に途中から執筆されているため、無理矢理でスピーディな展開がこの後のケータイ小説に影響を与える。今となっては「読者の実体験」も本当のものであったのかどうか定かではない。 

Deep Love―アユの物語 完全版

Deep Love―アユの物語 完全版

 

 

天使がくれたもの

 「これは本当にあった話です」が効果的に作用したケータイ小説の元祖。当時の女子たちは物語の展開より「本当に存在した」というところに感動していた。中には「長い字ばかりの本を初めて全部読めて感動した」というものもあった。作者と読者の間の隔たりが溶けてきたのもこの頃だと思われる。

天使がくれたもの

天使がくれたもの

 

 

恋空

 ケータイ小説の代名詞になるくらい有名な作品。最初は「ノンフィクション」だったが途中から「実話を元にしたフィクション」に変更された。ちなみにこの文章を書いている人は当時いろいろあってガラケーで無編集状態の恋空に挑戦したが、途中どころかずっと頭が痛くなったのを覚えている。なお書籍版は頭の痛いところはわりときれいになっている。この時期に『リアル鬼ごっこ』が流行したことを考えると、一度何かがメルトスルーを起こしていた可能性が高い。 

恋空〈上〉―切ナイ恋物語

恋空〈上〉―切ナイ恋物語

 

 

まとめサイト

震災デマ

 東日本大震災時に広まったデマ。「製油所が爆発して黒い雨が降る」「原発からキノコ雲が見えた」「物資の支援をお願いします」などのチェーンメールが飛び回った。当時スマホが本格的に出回り始め、mixiに続いてTwitterfacebookなど新手のSNSが流行の兆しを見せていたころでそういった媒体もデマの拡散に使われるようになった。しかし同時にデマであるということもすぐに広まるようになったりと「デマとの付き合い方」について新しい道が見えてきた時期でもある。ちなみにこの文章を書いている人は某所に実際に行った避難所のことをぼそっと書いたらなんか知らんけどウケてめっちゃ拡散されて焦った記憶がある。

 

ゲーセンで出会った不思議な女の子の話

 2ちゃんで話題になったスレ。哲学ニュースnwkでまとめられ何故かはてブで3000user超えの伝説的スレッドになってしまった。「泣ける」と評判であるがその内容はケータイ小説の文脈と電車男の文脈のmixで、著者も「フィクション」を明らかにしている。これに絶賛の声が上がっていた当時この文章を書いている人は「ゲーセンで一生泣いていろ」と吐き捨てたとかそうでないとか。

ゲーセンで出会った不思議な子の話 (ファミ通BOOKS)
 

 

SNS

創作実話

 この言葉が出てくるのは結構最近の話。主に「ちょっといい話」を書いて反応を貰うという構図のものが目立ち、「お年寄りに席を譲った」とか「ヤンキーに復讐した」みたいないわゆる「スカッとする」ものが多い。一時期mixiやfecebookなどで拡散、イイネ稼ぎで使われた。

 

釣り(現代版)

 かつて「釣り」という言葉があったが、時代が下るにつれて「反応をみて面白がる」の他に「自サイトのPVを上げて広告費を稼ぐ」といった目的で釣りを行う者が出始めた。主に真面目な人をバカにしたり倫理的におかしなことを言ったりすることでヘイトを稼ぐことで閲覧数を上げるので「ムカつくことを書く=釣り」という図式で理解している層が微妙に存在している。

 

嘘松

 上記のような創作実話について「創作をするな(嘘をつくな)」という意味で使われ始めた言葉。由来としては諸説あるようだが、「おそ松さんファンが好んで創作実話をするところから」というのが一般的。その使われ方は否定的なものが多く、「はい嘘松」と書くと「嘘をつくな」の他に「お前の話(お前の存在)はつまらない」と人格否定が混じったニュアンスになってしまう。そのためこの言葉を忌避する傾向もあるが、語呂の良さゆえか当のおそ松女子と思われる人たちも「これからする話は嘘松なんだけど~」などと積極的に使用する例も見られる。主に「夢女子」と呼ばれるジャンルの方々と親和性の高い言葉だと思われる。

 

嘘松」と「創作実話」のニュアンスの違い

 当の増田をはじめ、「創作乙や創作実話じゃダメなの?(プンスカ)」という意見が多数あったが、上記の流れを考えると「嘘松」と「創作実話」という言葉は使われ方がかなり違う。個人的には「創作実話」という言葉は現在の「フィクションを現実に起きたことのように吹聴する」行為と別と捉えている。

 

 そもそも「創作(フィクション)」と「嘘」という言葉を同列にできないと思っている。小説家に対して「お前は嘘つきだ」という言葉を当てはめることやホラ吹きに対して「お前は創造力豊かだ」という言葉を当てはめることができないところから察してほしい。どちらも「虚構」という面では同じ性質だが、そのニュアンスは正か負かで大きく違う。

 

 元から「創作実話」という言葉にもよくないニュアンスはあったが、やはり「嘘」という言葉をダイレクトに盛り込んだことで「嘘松」のほうに完全に侮蔑の意味がついてしまったのがこの言葉の不幸なところで、この言葉を良くなく思う人が多いのも無理はない。個人的にこの言葉を連発する人は「女さん*1」「インスタ蠅*2」くらいの意味で使っていると思っている。

 

何故ここまで「創作実話」は忌避されるのか

 「創作だっていいじゃん、本人たちが楽しんでいるんだから」という意見も多く見られる。確かに最初から「これは創作です」「妄想用アカウントです」と銘打ってあるものに対してまで「嘘松」と罵るようなことは少ない。「嘘松」が使われる背景をいくつか考えてみる。

 

空想と現実の区別がついていないのではという不安説

 個人的にはこの説を推したい。現実世界でもあることないこと言う人は存在だけで不快に思われることが多い。ネットだからこそこういった発言を許容しがちであるが、現実世界で面と向かってこんな話をされても困ってしまうどころか発言者の心配をしてしまうと思われる。ネットとリアルの垣根がゆるくなった結果、こういったところに歪が生じているのだと思う。

 

嘘をつく理由が創作行為ではなく承認欲求由来と思われている説

 一般的な理由としてはこの辺が妥当と思われる。いわゆる「イイネ稼ぎ」のためにあることないこと言いまくっているのはやはり行儀が悪いと見なされても仕方のないことだと思う。

 

PV稼ぎの「釣り」によるヘイトの蓄積説

 イイネ稼ぎに飽きたらず、あることないこと言いふらして自サイトに誘導して広告費を稼ぐといった行為もまとめサイトをはじめよく行われている。単なる個人の問題からビジネスに発展するとどうしても胡散臭いものを警戒してしまう。

 

単に作り話のクオリティが低い説

 話し手としては「こうだったらいいな」という願望を話しているのかもしれない。しかし、よく考えて発信していないので「私はこうだった」としか読み取れない発信をしている可能性もある。誰でも気軽にSNSに投稿できるようになった反面、このような悲劇が起こっていることも念頭に置いておきたい。

 

まとめ

 こうやって考えてみると、個人的には「嘘松」に代わる言葉は「創作実話」ではなく「釣り」だと思うのですが、そうするとまた別のニュアンスが入ってきてしまうのでやはり違うな、とも思います。ただ「嘘松」には確かに行為そのものの呼び名に加えて人格否定の意味も入ってくるのでバンバン使用するのは難しいところであります。

 

 以上、「創作実話」という言葉や概念に纏わることについて思いつく限り列挙してみました。今後情勢が変わる可能性も十分あると考えられるので、「これが絶対正しい!」という保証は一切いたしませんし、この記事をネット文化の研究という名目で卒業論文などに使うのはやめたほうがいいでしょう。もしそういうのをやりたいのであれば、このくらい自分で具体例も含めて調べないとダメです。まずは小町、増田ウォッチから始めましょう。おわり。

 

 

*1:あえてマイルドな表現

*2:インスタ映えから来ている何でもインスタ映えを気にする人の蔑称

嘘松についての覚書

〇この記事は年明けから増田やtogetterなどを見ていて「2018年初頭において嘘松とは何だろうか」と思ったことをつらつら書いていくだけの記事です。そういうのに興味ない人はお帰りください。「嘘松ってなあに」という方はこの記事では親切に説明するつもりはないので自分で調べてください。グーグルでもヤフーでも検索すれば大体のことはわかると思います。

 

〇そもそも嘘松という言葉の発生源がかなり曖昧。一般的に「そのようなツイートをするアカウントのアイコンが大体おそ松さんだった」というのが通説になってるけど、「おそ松似のイケメンがいたみたいなツイートがバズって、それが非現実的な内容だったから」「このようなツイートが流行していた時たまたまおそ松さんが放映されていたから」みたいな説もあって、この辺よくわからない。現状「嘘松=釣り」と考えていいと思っています。

 

〇そして嘘松という概念と仲良しが「白ハゲ漫画」「長文スクショ」だと思うのです。「白ハゲ漫画」も同時期に現れた概念で、要は「わりと何でもないことをドヤァと漫画に描いて啓蒙する行為」だと解釈しています。「長文スクショ」もこの辺と親和性があって、根本的に「私ってすごいでしょ」というのが隠れているのが見ている人をイラっとさせているんだろうと思っています。

 

〇とは言えSNSなんて大体の人は「私ってすごいでしょ」と言う場なので、そんなに目くじらを立てて怒る必要はないと思っている。イラっとはするけど、だから何という感じではある。それがマルチ商法みたいなのに繋がっていると怖いと思うけど。

 

〇話が変わって、どうも最近「嘘松にマジレス」案件が増えたなあと思うのです。一昔前で言えば初動ブクマで「釣り」判定されているような記事がするっとホッテントリになって喧々諤々やってるなあという印象なのです。ここ最近だけでもこれだけ「あれこれ釣りじゃね?みんなわかっててマジレスしてるよね?」という気持ちになってます。

 

togetter.com

 

 これに関しては公式を当たっても「もともと女性向けのコンセプトだから」という以上の話は見つかりませんでした。ただ古い話だと2006年の2ちゃんに「ナンパする奴が多いから女子オンリーになった」という記述があったくらいでしょうか。それも信憑性が一切ありませんが。

 

6 :名無しさん ~君の性差~:2006/04/25(火) 15:21:32 id:fIk7L5LT
店内で女性客をナンパするバカ男が多くて女性客が迷惑するから
男オンリーは禁止にしたらしいよ。

【入店拒否は】タカノフルーツパーラー【性差別】

 

togetter.com

 

 これも古来より伝わる「妖怪いっぱい持ってるんだから少しわけてくれたっていいじゃないケチ」の文脈で話が終わるし、長文スクショだし……。ただ、投稿者のツイートを遡るとどうやら盗まれかけたのは間違いなさそうだ。多分長文スクショと注意喚起めいた説教がこの話を限りなく「嘘松」くさく仕立てあげている。 

 

anond.hatelabo.jp

 

 これはわかる人なら「牛丼屋」「親子連れに注意する」という組み合わせだけで鉄板の創作実話ネタだとわかるだろう。タイトルも釣る気まんまんのルアーがハリボテ案件だ。そもそも「子供が騒ぐ」っていうあたりに具体的言及がなくて、不快なレベルでぎゃんぎゃん声を断続的に出していたのか、微笑ましくきゃっきゃとしばらく笑っていたのかの程度が全く不明な状態で「うるさい子供」と断定することはできない。また、騒いでいたとき親は別のところにいたということは、子供を席に残して会計をしていたのかもしれない。「依然として」の時間の感覚もわからない。数十分放置しているなら問題かもしれないが、牛丼屋でのテイクアウトの待ち時間なんて数分くらいだろう。たまたまその部分だけを切り取られて「静かにさせろ」と言われたら、まぁ「バーカ」くらい言われても仕方ないと思うけどな。子供は電池で動くおもちゃじゃないから、静かにさせろと言ってもすぐに静かにはならないし、静かにさせようとして諦めた現場を増田は見ていなかった可能性もある。その後店を出てからもしつこく付きまとうあたりはもう「バーカ」でいいと思うし、完全に増田のほうが不審者だろう。

 

 この増田の釣りメソッドとして「俺悪くないよな論法」が使われていると感じる。主に小町や増田など長文系の釣り堀で威力を発揮する論法で、具体的には「彼女にフラれた」という題目なら「彼女にフラれた。毎日LINEをしたのに既読無視されてもそんなことをしたら他の男に嫌われちゃうよと優しくLINE送りまくっただけなのに二度と連絡しないでくれと言われた。だから俺は嫌いにならないよと言っただけなのに、心の狭い女だったんだろうか」みたいな感じのもので、「筆者の主観では相手が悪いことになっているが、客観的に見ると筆者側に非がある文章」は「文章のアラを指摘したい層」や「なんでもいいから説教したい層」に非常にウケがいい。

 

 詳しく分析すると、この「俺悪くないよな論法」が一番強く出ているのはここである。

 

自分は「ここは公共の場だから静かにさせなさいよ」と母親に注意した。

すると母親は「何言ってるんだバーカ」と暴言を吐いた。子供が公共の場で騒ぐのは当然と考えているようだ。

隣で喫食していた男性(母親とは無関係)も母親に同調するような発言をした。

 

 あくまでもこれは筆者の主観であり、本当に「ここは公共の場だから静かにさせなさいよ」と言ったのかどうかはわからない。「あっあの子供が騒いで迷惑だから静かにさせるべきかなぁとか思うんですけど!」とか「ちっうるせーよガキを静かにさせろ」とか言ったのを「ここは公共の場だから静かにさせなさいよ」と脳内で意訳している可能性もある。同様に「あなたには関係ないでしょう」というような母親の言葉も「何言ってるんだバーカ」と意訳して書いている可能性もある。トドメが無関係の男性がどのような同調意見を言ったのか書いていないところが怪しい。「さっきまでは静かでしたよ」とか「僕はそんなに気にならないですよ」なのか、とにかく筆者にとって都合の悪いワードがあったので具体的な台詞を出せなかったと見るのが妥当だろう。

 

 つまりこういうメソッドを素直に受け取って「キイィ許せない!」という気持ちを引き出すことが増田の最大の目的であって、こんな感じで必要以上に誰かを責める書き込みを見たら「まずは筆者を疑う」ということも念頭に置いたほうが穏やかなネットライフが過ごせると思う。そもそも「躾けのなってない親子」も「牛丼屋でエバる増田」も存在していない可能性が高い。見えないものに本気で怒ってもしゃーないからな。

 

b.hatena.ne.jp

 

 予想通り記事が消えてしまったのではてブのコメントで。おそらくこれは釣りではないと思う。訴えとしてはある程度筋が通ったものだと思うのだが、上記の「俺悪くないよな論法」が使われているために非常に釣りくさくなってしまった可哀想な増田。その後投下された長い長い追記でやたらと知能指数の話をしている辺りで完全に馬脚を現した感じはする。訴えたいことは訴えたいことに絞る方がいい。「勝手に性の対象にして勝手に絶望して勝手に害を与えるのはやめろ」という主張はわかるが、そのために「私は知能指数が高い」というようなことを繰り返し言う必要はない。その辺において隙だらけなんだろうなという気はしたけど。でも女性の方が仕事が出来ると勝手に発狂して勝手に嫌がらせする情けない男もいるのは現実よね。

 

anond.hatelabo.jp

 

 主張はいいんだけど、例に出されている中学生が存在するのかどうか怪しいのでぶっちゃけ怪文書扱い。「保育園落ちた」レベルなんだけど真に受けて「中学生可哀想!」という声が上がるあたり、何とも言えない何かを感じずにはいられない。

 

 

〇全体的なまとめとしては、ネットの嘘松耐性が下がったと言うよりネット人口の増大によってネット1周目の人が嘘松に引っかかっていると考えるのが妥当だと思う。たぶん「裏2ちゃんでfusianaさん」レベルでも引っかかる人は未だにいると思うし、そういう行為が大々的に可視化されやすくなったんだろうなとは思う。そこで「騙されないように気をつけよう」と気が付くのか「俺を騙しおってけしからん!」といつまでも足踏みをし続けるのか、それは利用者次第だなぁ。

 

〇なぜ創作実話を暴くことに必死なのかというコメントを昔もらったことがあるけど、やっぱり変な健康食品とかニセ科学とか新興宗教に繋がりやすいから指摘しておきたいって思うんだと思う。各個人が「この意見は本当なのか」という視点を持てばそういう被害を減らせると思うんだけど、「個人の自由なんだから好きにやればいいのに変な茶々をいれるな」という意見もあって、難しいなとは思う。だけどこの発言、主にプロブロガーと呼ばれる界隈の人たちからよく出る意見なんだよね……こういったある種のマインドコントルールみたいな奴に対して果たして「個人の自由」ってどこまで許容できるものなんでしょうね。「疑う=悪」みたいなのはネットじゃ通用しないと思うんだなぁ、人間だもの。おわり。