あのにますトライバル

君の気持ちは君の中でだけ育てていけ。

9月8日の話

〇九月になってしまった。

 

〇ちょっと乗り遅れてるけど、ジャズビンタ事件については言及しないのが一番だと思っている。体罰はしてはいけないのが原則だけど、人間誰だって間違って手が出てしまう時だってあるかもしれない。一度きりのことだったら当人同士で和解しているのであればそれでいいと思っていたけどリハーサルの時から殴っていたみたいな話を聞いて「触れちゃあなんねえ奴だ」と思った。事件を自分の主張の根拠にしてはいけない。体罰はダメ。ネットリンチももっとダメ。

 

〇ベビハラがどうのこうのというのは相手にしてはいけない。相手にした時点でおしまい。ただ私見を述べるならば、聴覚過敏などで赤ん坊の泣き声が苦手な人もいるのが事実。だからと言って赤ん坊を連れてくるなというのも極論であり、俺の気に入らない奴は公共交通機関を使うなというのはアホの極みだ。そんな阿保みたいな話を延々としているほうがアホらしい。

 

〇「なぜ鶴は美女に仮装して恩返しをしたのか 」という増田が流行っていたけど、一言でいえば異類婚姻譚だからだし、老夫婦に異類の子供が授かる話の異形でもある。後者は例えば桃太郎や一寸法師力太郎、西洋では親指姫や親指トムなどがあげられる。ついでに言うと「見るなのタブー」繋がりでいうとうぐいす女房あたりも似たようなもんだと思う。この辺いろいろ言いたいことはあるけど全然まとまらないのでまた今度。

 

〇物語の類型に興味を持ったきっかけは昔流行っていた「学校の怪談」で、そこで民俗学としての都市伝説を常光徹が話していたことが大きい。そして大学で「味噌買い橋の話は日本にも西洋にもある、シルクロードを通って来たのでは」ということを聞いてますます好きになった。民話の伝播と都市伝説の流布に共通点があるような気がしてある程度追いかけた。今でもこの辺の話は大好きです。

 

〇ネット炎上の発生を見るのが好きなのも、この辺が好きなことが絡んでいるなあと今思った。炎上は民俗学で説明できる(適当)。

 

〇右も左も不倫報道でつまらない。というか、スキャンダル取られる方が迂闊だと思っているので芸能人や政治家の報道では「そのくらいの奴なんだな」と思っている。逆にスキャンダルをしっかり揉み消すことのできる人はそれはそれで政治力に長けていると思う。そんなことは報道されないけど、個人的に偉い人はみんなガソリン代くらいちょろまかしたり不倫したりしているイメージ。清廉潔白な人も逆になんかイヤだなとは思う。突発的事案に弱そう。

 

〇温かいものが飲みやすい季節になってきた。紅茶が飲みたいネー。

 

そうだ僕には足がなかった~短歌の目二期・8月の巻~

 夏が終わるけど短歌。

 

f:id:zeromoon0:20141211131153j:plain

 

tankanome.hateblo.jp

1. 流

「さよならさ」だからバイバイ流れ星 明日の朝には電車も見えない

 

2. 囃

 お囃子がスピーカーから聞こえてる近所の小さな児童公園

 

3. フラット

 凪いでいる海を見つめる感情が昨日に比べてこんなにフラット

 

4. 西瓜

 縁側の下に落ちてる夕焼けを探して見つけた西瓜の芽ひとつ

 

5. こめかみ

 湿らせたタオルを掴んでこめかみに当てて聞いてた準々決勝

 

テーマ「怪談短歌」

 宵闇が迫る時間のブランコが勝手に揺れたらおいらの時間

 

 廃屋に散らばる破片を踏みしめてそうだ僕には足がなかった

 

 病院と呼ばれた施設にべたべたと「助けて助けて助けて助けて」

 

 浴槽の蓋の裏は丁寧に洗うもんだと婆ちゃんが言う

 

 交番の陰から覗く手や足や長い髪を見てはいけない

 

8月31日の話

過保護のカホコの8話を見た。単純にリフレイン構造がうまいと思った。しかし問題が大きくなるにつれて黒木瞳のカホコを支配しようとしていた構造が見えなくなってきて気になる。あの支配は単純に「性格」で済まされるレベルではないので、何かコンプレックスがあってああなっているのだと勝手に思っているけど、そうなのだろうか。次週以降でその謎が解き明かされることを願っている。

 

特定の条件下で話が出来ない、というような増田が大人気だ。ただこれは「特定の条件下」ではなく単に「例え話が理解できない」の類だと思っている。「泥棒に入られないように施錠はきちんとしよう」と言うと「うちに泥棒が来るって言うのか!?」となるアレで、正直対処ができないと思っている。ただ、「例え話が理解できない」人は往々にして「人の話を(最後まで)聞かない」という特性も絡めて持っている。先ほどの例で言えば「泥棒に入られ」くらいまでしか聞いていない。それで残りの部分を聞いた気になって勝手にストーリーが組みあがる。「話は最後までちゃんと聞け」と口を酸っぱくして言い聞かせられていたり、「自分はこういう癖があるから気をつけよう」と思っている人なら大体大丈夫なんだけど、無自覚にこういうことをしている人はタチが悪い。

 

〇人の話を聞くことが出来なくて、どうやって生きているのだろうと不思議に思う人も多い。そういう人は学生時代は基本的に「先生の指示」ではなく「友人の真似」をしていたと考えられる。「わかった人は手を上げなさい」という指示ではなく、「隣の子が手をあげたからあげておこう」みたいな思考の人は結構いて、それがそのまま大きくなって子供を育てる番になって訳の分からないトンデモに引っかかっているのではないかと言うのが最近の自説。ちなみに自分の場合全て経験則なので「私は違う!」という人がいてもおかしくありません。言葉で行動を理解しているのではなく、見よう見まねで何事もこなそうとする人、周りにいないですかね。そういう人は例え話が通じない傾向がある、というのがまとめの内容です。じゃあどうやってそういう人と付き合って行けばいいのか、というのは考え中です。そういう人は「自分が行き易くする」ということを望みませんし、他人に負担をかけることについて無頓着であることが多いです。困りましたね、困りました。

 

〇夏休み明け前後が子供の自殺が多い、なんて注意喚起が広まっているけど正直自殺を防いで、それからその子とどう向き合うかのほうが大事だと思ってるので注意喚起に留まる現状はあまり賛成できない。大々的になればなるほどオールオアナッシングな考えが横行するので、こういう繊細な問題については慎重になってほしいと考えている。昨年も言ったけど、「学校が辛い子は図書館へ」は正しい。だけど、それを拡大解釈して「うちの子を図書館へ通わせればOK」みたいに捉える人が絶対に出てくる。そういう人に対して図書館は何もできない。子供に対してだけでなく、保護者に対しての啓蒙も同時に必要なんだっていうことをわかってもらいたい。でも、そういう保護者は上記に当てはまる性質もあったりするので、辛いね。

 

〇先日夜道を歩いていると、杖をついたおばあちゃんがよろよろと車道の真ん中を歩いていました。結構遅めの時間だったので「まさか、徘徊……?」と思ったけれど用事で出歩いている可能性も十分にあり、歩道は段差が高くわざと車道を歩いているような感じもしたので声はかけなかったけれど、何かあったときのために一応時間は控えるようにしている。あと公園で「もう家に帰りたくない!」と泣きわめくような女の子の声とかしたときもさりげなく時間をチェックしてる。ミサイルもそうだけど、意外と世の中物騒だと思う。

 

〇艦これの夏イベで資材がバカバカ減っていく。せっかく貯めたのに……。

 

8月30日の話

〇8月が終わる。夏の終わり。

 

〇ミサイル発射でみんな慌ててるけど、自分は東京のど真ん中でパリやバルセロナみたいにある日突然テロが起きてもおかしくないと思っているので「そうなったときはそうなったとき」と考えている。外国の脅威、もあるけど暴力革命がどうとかオウムみたいなのが出てきてもおかしくないと思ってる。みんな今更慌ててるのすごいなとか思ってる。

 

〇話し合いで解決できないから戦争をしているのであって、「戦争を防ぐためには話し合い」というのはそろそろ現実的ではないと思う。それでも戦争はコストも人命もかかりすぎるし、もっと手っ取り早い争いの解決手段ができればいいのに、と思っている。

 

〇マウスの接触が悪くなったので新しいマウスを買ってきた。無線が便利そうだけど、やっぱり有線が安心なので有線マウス。久しぶりにマウス売り場に行ってきたけどゴツいマウスが増えた印象。小さいマウスが好み。

 

〇夏休みが終わったら世間は一気にハロウィンになる。この季節は好きだけど、ミーハーなハロウィンムードは非常に歓迎できないので複雑でもある。

 

例の件雑感

〇正直最初記事を見たときにそっちサイドの記事とはわかっていても久しぶりに「気持ち悪!」と心の底から思ってたところ元夫的な増田が飛び込んできて「これも何かの縁」と微妙に追いかけている。

 

〇日記にも書いたけど、何が怖いかと言えば、あのツッコミどころだらけの記事をありがたがっている連中がいるというところだ。お追従もお追従、人生の先輩だの前向き離婚は今どきでいいとか、そんな寒々しいワードが最初の頃は闊歩していた。ブコメ欄を閉じたのは前に痛い目を見たからだと思う。あのブログはどこかのねこきっくとかいうところと一緒で「はてな村の悪口を書くとアクセスが増えるぞ」的なことをやったことがあるので気になってた。ちなみにねこきっくの人は久しぶりに見に行ったら相変わらずブログで「他人の批判は聞くな!」みたいな大学生ブロガーみたいなことを言っていて大丈夫かなとか不安になりました。

 

〇多分別に何も考えていない人のブログであれば、あの内容を公開しても誰も見に来ないので燃えることもなかったと思うし、淡々と「離婚しました」と事実だけを書いた報告であれば燃える要素もなかったと思う。それこそ「今時離婚なんて珍しくないね」って流されたと思う。ちなみにあの書き方はわざとじゃないと思う。前回別件で燃えたときと同じようなことをして燃えているので天然なんだと思う。つまり反省しないから多分また同じことを繰り返す。そんなところだと思う。

 

〇あの記事が燃えた理由を「離婚と言うセンセーショナルな問題だから」と捉えている人がいるけど、離婚そのものが問題ではない。誠実であると歌いながら何かを隠しているようなあの文章そのものが原因である。要はつじつまが合わない部分がたくさんあるというだけで、読み物として非常にお粗末なものになっている。そのつじつまの合わなさにみんな違和感を覚えたということをまず念頭に置いておいてもらいたい。

 

〇元夫の増田は本人とも成りすましとも断定できない。しかし、あそこにはつじつまを合わせるには十分な言葉があった。あの言葉があればつじつまの合わない問題が一気に解決する。それだけの話だ。そして「ああ、やっぱりそういうことか」となりたいだけ。それが事実かどうかはわからない。ただ、ブログという文章勝負の世界で「そういう誤解」を与えるような文章を書いてしまったことは大きな過失だ。防犯グッズを見に着けまくった結果、逆に目立って怪しい人物だと職質されるようなものだ。

 

〇彗星のごとく現れたTwitterの元夫アカウントはこの記事を書いている現在でアカウントごと削除されている。今週いっぱいくらいで消すって書いてた気がするんだけど。ついでに言うと元の人っぽいアカウントは一緒にあったけど、それもRT解除されている。わずか半日程度のこと。何があったんだろう。きっと何かがあったんだろうな。

 

〇まぁ思うことはいろいろあるけど、今までこの手の人に「わかってもらおう」と話しかけても逆に「批判するネガティブな人w」みたいな反応しかもらえないことばかりなので相手にするだけ無駄なんだろうと思う。「この記事極端なんじゃないの?」と言及すると「ネガコメと私のアクセスアップに貢献ありがとう!」と煽ってきた奴とか、いきなり68点とか言ってきた奴とか、その騒動について明らかに的外れな言及をした挙句仲間内で「変なアイコンw」と笑い合っていた奴とか、その辺と仲良しさんというだけでもうお察しなのです。この辺の話は残念ながら全部フィクションではありません。どんなにお金を稼いでいても、お行儀の悪い人は好きではありません。

 

〇批判のない世界になると誰もダメなところを「ダメだ」と言ってもらえなくなる。その結果肥大した承認欲求に食いつぶされ、私生活を切り売りして人に見せてはいけない部分を晒して盛大に燃える。なんだっけ、こういう話どこかで読んだような……。

 

ブロガー山月記
 

 

8月23日の話

〇甲子園が終わった。花咲徳栄おめでとう。広陵も一回戦の中京大中京の試合を見てしまったからずっと応援していたのでここまで残ってくれたのが嬉しい。甲子園と箱根駅伝は帰省先での会話の糸口になるので積極的に観る。こういったイベントに関わったことがあるのでスタッフの気持ちになって見ている。

 

〇なんかホッテントリにあった離婚記事を「どうせお花畑な感じなんだろうな」って開いてみたら予想以上のアレだったのでモヤモヤがぬぐえない。離婚に前向きも何もない。結局は婚姻関係の失敗なのだから、そこで開き直ってポジティブになっちゃダメなところだと思う。失敗して落ち込んでいる人に「元気だしな」と言うのは普通だけど、「私は元気に離婚します!」って宣言するのはどう考えても違うと思う。それに元夫の証言と思われる文章が明らかに一人称がおかしい。「稼いだらやる気がなくなる」のは夫なのか妻なのか。またはてな村に喧嘩売った時みたいに記事を消してさようならかいつの間にか都合の悪い個所は消しているかのどっちかだと思う。うーむ。

 

〇それ以上に空恐ろしいのはこの記事を「前向きな離婚おめでとう!」とする輩のことで、自分が互助会と呼ばれるものに異を唱えている所以である。ちょっと考えればおかしいこともお友達だから、知っているからという感じで何でもイイネイイネするのは非常によくない。この症状が進むと「ブログ読者が1000人近い人から否定的な言及をもらったけど1000人も読者がいるのだからこの人の言うことが正しいのだろう」というわけわからん理屈を書き始める。この話はノンフィクションです。

 

ブコメページのUIが変わったことでまた「はてな終わった」という話になっているけれど、ブコメのUIが変わって「はてな終わった」が何だか風物詩でもある気がするのでそんなに気にしてはいない。だけどタグのサジェストがなくなったのはかなり不便。あとブログ更新でハイクにURLを飛ばすことが出来なくなったのが地味に痛い。個人的にブコメでキャッキャウフフやるだけの人たちはハイクでやればいいと思ってるんだけど、そっち方面に整備する気もなさそうだし、参ったねこりゃ。それともハイクをなかったことにしてニューハイクでも作るのだろうか。それはそれでいいかも。

 

〇食欲が出てきた。そろそろ夏も終わりか。

牛乳石鹸について再考

〇再度考えるほどのものでもないと思うけど、話がヘンな方に転がっているのでちょっと。

 

〇「男性は弱音を吐いてはいけないのか」という論点というかそこの議論に至るまでが非常にナンセンスだと思う。もともと「女性だから」「男性だから」ではなく辛い人がいたら「辛いね」で処理しなくてはいけないところを性別を理由に処理されているのが問題と言うわけで、牛乳石鹸のCMからはおそらくそのようなことも言いたかったのかもしれないけれど説明不足すぎて言いたいことがボケてしまっている。だからこの辺をあーだこーだやるのは藁人形にごっすんごっすん5寸釘レベルの場外乱闘だと思う。知らないわそんな論点。あなたとは違うんです

 

〇あと、この作品が映像作品として優れていようが何だろうが「大まかなテーマ」がボケている時点で演出が良かろうが役者の演技がよかろうが全てが失敗していると言ってもいいと思う。この作品だけでは「親子の絆」は読み取れない。ただの「男の葛藤」でしかない。理由は前回も言った通り、肝心の子供の姿がほとんど映っていないから。これは親子の問題ではなく、男が自分自身を慰めているだけだ。個人的に「ケーキ買ってきて」「プレゼント買って」「何で遅くなったの?」を直接子供に言わせれば少しはテーマ性が出たと思うんだけど、対峙するのが子どもでなくて妻の時点で「父親」ではなく「夫」としてしか描かれていない。そして「夫」と「父親」はまた別の役割なわけで、そこで著しくテーマがぼやけてしまった。なにより牛乳石鹸のアピールにはなりにくい。そういうわけでこの視点を欠いて評価することは避けておきたい所存である。

 

〇つーかあのブログ発祥の時点でアウトだと思う。以前も書いたけど、あのブログの人はひどく恣意的な読み方をしてアクセスを稼ぐ人なので見ない触れない近寄らないを徹底しないといけないと思う。極論を言って耳目を集める人を盲目的に信じて救われた気になって苦しんでいる人の心に耳を傾けない人がいるということを忘れずに生きていきたい。

 

〇漠然とした救いの話になるんだけど、救われたい人っていうのは「救われたい」と思う時点で結構救われているんじゃないかと思う。結構世の中には客観的に「この人は救ってあげないとダメな奴だ」っていう人がいるけど、彼らは一切救いを求めていない。救いというものが何だかわからないし、例え救いがあったとしても現状維持を変えることのほうが彼らにとって脅威でしかない。信じられないかもしれないけれど、世の中には過保護のカホコみたいに毎朝お母さんに洋服を選んでもらわないと生活できないような人が結構いて、それが母親だったり配偶者だったり親や子供だったりするわけ。「旦那が言うので何とかかんとか」「でも子供(既に高校生くらい)のことを考えるとうんたらどうたら」と言って自分で意思決定ができない人にとってこういった「救い」は非常に恐ろしい物なんだと思う。

 

〇自分自身の体験だけど、とある人に優しくしたことで「神様」になったことがある。すると一挙手一投足を真似して、「神様のすることだから正しい」と何でも賞賛されるわけ。最終的に「これは相手のためにもならないし、自分の精神衛生上よくない」と距離を置くようになったわけですが、これに近いことというかもっとひどいことをやっている人は意外と多いんだなということを最近感じている。思うに、神様と支配は紙一重で神様呼ばわりしているうちに調子に乗って相手を支配していたり支配されることに生きがいを見出すようになっていないか、ということに我々はもっと敏感になってもいいんじゃないかと思う。牛乳石鹸のCMの主人公は自分自身のことではなく、在りし日の父に「救い」を求めたんじゃないか。だけど、他人から与えられる救いなんていうものは一瞬しか続かない。最終的に救われなくちゃいけないのは、自分自身の力で救われたいと行動したときだけだと思う。

 

〇神様は心の中にいるって小学生の時プロテスタントの人から聞いたことがある。基本的に日本的宗教観を持っている自分にもこの考え方はスーッと心に響いた。神様は自分の心の中にいるから、心の中にいる神様を大切にしなくてはいけない、みたいな。つまりそういう自尊心を「神様」って呼んでいるんだろうなと今では解釈している。結局、自尊心が一番大事ってことだと思う。自分自身を大切にできないで他人を守るなんてできないから。

 

性教育もそうだけど、ジェンダーについて考える前にまずは自尊心を適切に養うことができる環境を作る方が大事だと思っている。優しくされたことがないと他人に優しくすることもできなくなるから、みんな優しくできればいいのになぁ、と思う。痛みを知らない子供が嫌い。心をなくした大人が嫌い。優しい漫画が好き。バイバイ。