あのにますトライバル

君の気持ちは君の中でだけ育てていけ。

あなたはどこかで幸せですか~短歌の目二期・2月の巻~

 思い出の中で短歌。

 

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tankanome.hateblo.jp

 

1.洗

この部屋の残存粒子に体温や塵芥までも洗い流すな

 

2.入

日の入りを見つめる私を見つめてるあなたはどこかで幸せですか

 

3.鬼

「来年のことを囃すと鬼が来る」「鬼でもいいから会いたいんだよ」

 

4.チョコ

広告や売り場の色合いにぎやかでラブチョコなんか大嫌いだよ

 

5.きさらぎ

行って逃げ去るのが春だと申すなら私の夜中はきららぎのまま

 

テーマ詠「夢」

色付きの夢は悪いと言うけれど今朝の夢には匂いもあった

 

少しだけ遠くにいるの会えるのは眠った後と起きる直前

 

泣きすぎて涙がとうとう枯れたから夢の中では思い切り泣く

 

幸せが中途半端に途切れては泣くに泣けない午前5時半

 

抜け殻に空気を入れてあの人は夢の世界に戻ってしまった

 

 

※うたよみん最近やってます。

霧夢の短歌|うたよみん

リトルハーツ -sideY-

 夕焼け空がオレンジから濃い青に変わると、公園の電灯がバチバチ音を立てながらひっそりと灯る。そんな時間まで団地の公園でボールを追いかけている人影がふたつあった。
「ミキオ、はえーよ」
「ヤッスンが遅いんだよ」
 少し伸びたスポーツ刈りの二人はボールを奪い合い、そして共にボールを追いかける。暗くなってボールが見えなくなるまで、ボールにつられて広場を行ったり来たりを繰り返した。
「じゃあ、また明日な」
「うん」
 また明日、と康則は声をかけたが明日からはいつも通りの明日が来ないことをわかっているつもりだった。それでも、明日になればまたいつも通りランドセルを背負って学校へ行けるような気もしていた。この胸騒ぎは杞憂に終わる、という淡い期待と大きな不安ばかりが星空の下に残された。

 

 * * *

 

『いやだぁ、やっぱりこんなの嫌だぁ』
 康則は幼馴染の美樹の声が頭から離れないでいた。美樹と別れて団地の階段を駆け上がるたびに、美樹の泣きそうな声がどこかから聞こえてくる気がした。明日から康則と美樹は中学生になる。それまで一緒にサッカーをしてきた美樹が、明日からスカートをはいて学校へ行かなければならない。

 

 それは少し肌寒さが残る初春の日曜日だった。両親の仲が良かった康則と美樹は家族と共に注文していた制服の引き取りに洋品店にやってきていた。「男の子は大きくなるから少し丈が余っていたほうがいいのよ」など勝手に少し大きめのサイズに仕上がってきた学ランに袖を通して、康則はくすぐったいような照れくさい気分になった。父も母もとても喜んでくれて「おばあちゃんに写メ送らなくちゃ」と早速ケータイを取り出していた。ところが隣の試着室ではいつまでも美樹が出てこようとしない。「ぴったりだから脱ぐ!」と何やらごねている美樹に康則はちょっかいを出したくなり、本当に何の気もなく試着室のカーテンをめくってしまった。

 

 試着室にいたのは、確かにいつも一緒にサッカーをしているスポーツ刈りの美樹だった。だけど、いつもの男の子みたいな格好の美樹ではなくそこにいたのはセーラー服にスカートを身に着けた美樹だった。美樹の顔が引きつっているのを見て、康則はカーテンを慌てて元に戻した。その後「女の子の着替えているところを覗くなんて!」とたっぷり両親に叱られた。それまで康則は美樹を「女の子」なんて考えたことはなかった。幼いころからずっとサッカーをしてきた「友達」だった。

 

「第一、オンナ扱いすると怒るもん、アイツ」
 康則は階段の途中で、誰にともなく呟いた。康則の知っている美樹はサッカーが大好きで、オンナモノのグッズが大嫌いで、クラスの女子とは遊ばないで男子に交じって遊ぶ方が好きな変わった女の子だった。「美樹」という名前も好きではないらしく友達には「ミキオ」と呼ばせているくらいだ。わざと髪を短くして、男らしい恰好を好む美樹といると康則は安心した。それが、試着室の一件から妙に康則の心をざわざわさせていた。あの引きつった美樹の顔と、カーテン越しに聞こえてきた「嫌だ」という声が片時も康則の頭から離れない。それまで美樹には何でも話せた気がするけれど、あの瞬間から美樹はそれまでの美樹でなくなったような気がした。

 

(女の子、なんだよな……)

 

 あの試着室で見てしまった美樹のスカート姿を思い出して、康則は頭を振った。半ズボンから覗く素足とスカートから覗く素足は同じはずなのに、スカートを履いていたほうが何だか特別という感じがした。「嫌だ」という美樹にきっぱり「スカートなんて似合わない」と言えればいいのかもしれないけれど、心のどこかで美樹にスカートを履いてほしいと思ってしまったことを康則は後悔していた。

 

(でもミキオはミキオだ)

 

 康則は家のドアをくぐると、真っ直ぐ風呂場に向かった。泥だらけになって帰ってくる康則に合わせて風呂が用意されている。洗濯かごに衣服を放り込んで、さっさと湯船につかる。明日から始まる中学生活に期待しないわけでもないが、やはり頭からセーラー服の美樹が離れない。

 

(明日、ミキオになんて言おう)

 

 一緒に学校に行く約束はした。まずはいつも通り「おはよう」と言おう。それから制服について何か言った方がいいのだろうか。それとも何も言わないで学校の話をするべきなのだろうか。いっそ黙っていたほうがいいのだろうか。それともオトコらしくエスコートでもするべきなのか。

 

(何でアイツに気を遣ってるんだろう)

 

 康則は頭のてっぺんまで湯船につかる。セーラー服姿の美樹を頭から追い出そうとするが、なかなか離れてくれない。この前まで一緒にグラウンドを走っていた美樹の姿が思い出せない。一緒にお互いの家に何回も泊まり合ったし、海にもスキーにも一緒に行った。そう言えば美樹もスクール水着には何にも言わなかったような気がする。水着だって男と女とで違うのに、どうして制服はあんなに恥ずかしがるのだろう。康則は不思議に思ったが、それを誰かに尋ねるのは恥ずかしい気がした。

「ぷはっ」

 湯船から顔を出して、大きく息を吸う。息を吸えば吸うほど、美樹のことばかりが頭をぐるぐるとまわっていく。今日は中学に入る前の最後の日だからと、美樹を誘って二人で思い切りサッカーをしてきた。美樹とは同じ小学生のクラブチームで練習をしてきたが、中学に入ったらどうなるのだろう。中学に女子サッカー部はないし、サッカー部は男子しか入れないと聞いている。美樹は違う部活に入るのだろうか。そのことを聞こうと思って、今日は美樹に会いに行ったはずだった。しかし、気が付けば二人でずっとボールを追いかけていた。これからのことを話すと胸が苦しくなりそうで、別れるまで目の前のボールしか見ることが出来なかった。

 

(明日からのことなんて、考えたくもない)

 

 風呂の外から「いつまで入っているの」という声がした。康則は慌てて風呂から飛び出た。身体を拭いていると鏡の向こうの自分が美樹よりも細いことに気が付いた。明日美樹を「デブ」とからかってやろうかと一瞬思ったが、すぐにセーラー服の泣きそうな美樹が脳裏によみがえってきた。どうしてそんな意地悪なことを思いついたのか、康則は自分で自分を殴りつけたくなった。その代わりに壁に一度頭をぶつけて、鏡を見ないようにして着替えを済ませた。それから食べた夕食の味はよくわからなかった。「明日から中学で緊張している」と両親は話すが、康則はそれどころではなかった。どうすればよいのかわからないまま時間は流れていき、結局布団に入っても何もよい考えは思い浮かばなかった。

 

 そして、そのまま中学へ初めて登校する朝を迎えてしまった。

 

 * * *


 その日の朝はよく晴れていた。康則は真新しい制服に身を包み、一人で駅に向かっていた。学校までは二駅の距離だが、登校時間の混雑は慣れるまで時間がかかりそうだ。何とか人ごみをかきわけて電車を降り、学校へ真っ直ぐに向かう道へやってきた。
「おはよう」
 急に声をかけられて振り向くと、そこには同じ学校の制服を着たショートカットの少女がいた。

 美樹だった。

 

「びっくりしたよ、同じ学校だって聞いてたから」
「まあ、そういうこともあるでしょ」
 康則はなるべく平静を装い、声が震えているのが美樹に伝わらないことを願った。この辺りの女子サッカー部がある高校はこの辺りだけだというだけで、康則は志望校を決めた。他にもっともらしい理由を並べて志望動機は作成したが、本当はここになら美樹がやってくると思っていたから康則はこの高校に入ることを決めた。そしてその予想は当たり、久しぶりに自然と美樹とゆっくり話をしている。

 

 結局中学に入ってから康則と美樹はクラスが離れ離れになったこともあり、小学校のときのように一緒にいることができなくなってしまった。更に美樹の家が団地から引っ越したことや女子サッカーをするために離れた場所にあるクラブチームに通うようになったことなどから遊ぶことはもちろん会話をする機会も少なくなり、一緒にいても次第に気まずい雰囲気ばかりが続くようになっていた。そのまま中学の3年間が終わり、高校初日の朝を今迎えている。

 

「ヤッスンは高校でもバスケやるの?」
「やらない」
 康則は中学に入ってサッカー部に入ったものの、夏休み前にクラブチームの友人たちと一緒に辞めていた。そして学校では必ず部活動に所属しなくてはいけなかったため、それぞれ別のスポーツ部に入部していた。美樹は外部のクラブチームでは部活動として認められず、籍だけ花道部に置かせてもらっていた。康則はなんとなくバスケットボール部に入って、中学生活を何となくすごしてしまった。

 

 サッカー部を辞めたのには様々な理由があったが、康則にとって美樹と一緒にやらないサッカーに面白さが全く感じられなかったというのが一番の大きな理由だった。美樹のいないところでは面白みのない顧問の怒声に耐えたいとも思えなかった。何故サッカーを好きだったのかと問われれば、それは美樹が一緒にいたからだと康則は気が付いた。しかし、あのセーラー服の美樹を見てからもう二度と以前のように美樹とサッカーをすることはないのだろうと思っていた。それなら、サッカーまで好きでいる理由はない。サッカー部を辞めるときに顧問から「お前は薄情だ」と罵られたが、サッカーに対する情熱が消え失せていた康則には至極もっともな説教のように感じられた。

 

「みんながみんな、ずっと何かを好きでいられるわけじゃないしさ」
「そうかなー」
 美樹は少し癖のある短い髪の毛を押さえた。向かい風が吹いてきて、学校の周りに植えられている桜の花びらをもぎ取っていく。
「オレはサッカーひと筋だし、ヤッスンもそうだと思ってたんだけどなー」
「そーゆうもんだろ」
「そっかー」
 中学に入学する前の「オンナのコスプレ」のような子どもの姿はそこにはなく、美樹はスカートを履きこなしているボーイッシュな出で立ちの少女に成長していた。この前まで美樹のほうが背が高かったのに、康則は美樹よりも上の目線に立っていることに気が付いた。

 

「でもなぁ、やっぱりヤッスンと練習したいわ、久しぶりに」
「俺が女子サッカー部に入れってか?」
「うん、まあ、それもアリか」
「ないだろ、ないない」
 美樹はスカートを履いて笑っていた。つられて康則も一緒に笑う。二人で笑い合ったのは本当に久しぶりだった。それだけで、もう本当に春が来たような嬉しさがこみあげてくる。


「いいねえ、ヤッスンは」
「それってどういう意味だよ」
「なんだろ、一緒にいると安心する」
 一瞬、康則の心臓がドキリと音を立てる。美樹は笑顔のまま続けた。
「なんか家に帰ってきたみたいな感じで」
「俺はお前の実家か」
「また今度遊びに行くわ。おばさんによろしくね」
 他愛のないやりとりを続けながら、康則は以前からなんとなく思って来たことを再確認していた。一体どうすればこのサッカーバカにサッカー以上のものを与えることができるのか。また夕暮れの公園で一緒にサッカーボールを追いかければよいのだろうか。それとも、美樹のサッカー人生を応援し続ければ良いのだろうか。それとも……。

 

「そう言えば、ミキオって呼んでいいのか」
「やめてよ、黒歴史ー」
 真っ赤になる美樹を見て、康則はどこか安心した気持ちになった。先ほど美樹が言っていた「安心する」の意味が何となくわかったような気になり、ますます桜の花びらを身体に浴びている美樹から目が離せなくなった。
「じゃあ、何て呼ぶ?」
「……ミキさんで」
「うわ、普通」
「いーじゃねえかよぉミキオよりマシじゃん」
 間もなく学校に到着する。康則は美樹を何と呼ぶかについて、もう少し考えることにしようと決意した。

 

≪了≫

 

novelcluster.hatenablog.jp

長時間労働に対する思考メモ

長時間労働パート】

長時間労働の規制は何故行われるのか。

電通事件みたいにムチャしやがる管理体制が問題になったから。

 

・一律で規制するのは何故か。

→みんなでいっせーのでやらないと言うこと聞く気配がないから。

 

・一律規制は多様な働き方でなくなるのでは。

→まずは最低ラインに皆を立たせないと好き勝手すぎて制御できない段階なのでは。ある程度の共通見解がまとまって初めて多様性というのが生きてくる。

 

発達障害パート】

ADHD傾向の人には長時間労働を許すべきか。

→一回いっせーので規制して、それでもダメならという形ならどうか。やってみないと正直わからない。意外と順応するかもしれないし、やっぱりダメかもしれない。

 

・行動のムラ傾向をどこまで許容するべきか。

→それはマネジメントする人の腕次第としか。特性(得意なことという意味じゃないよ)にあった業種は必ずあるし、それは本人も努力して探さないと難しい。これはADHDに限らずどんな人でも一緒。向き不向きという選択肢をもっといろんな人が受け止められるようにしたほうがいい。

 

・そもそもどうやってADHDだから許せとなるのか。

発達障害という言葉は認知されてきたけれど、それがどのような特性があるのか理解している人はほとんどいないだろうし、ただのズボラを「私ってADHDだから片づけ苦手で~」みたいに言い訳にしているファッションADHDもいるっちゃいる。これはうつ病の認知と一緒で過渡期だから仕方ないのだろうが、やはり専門機関で診断を貰うことが最低条件になってもらいたい。かと言っても専門機関も全然充実していないし、「ADHDまではいかないけどグレーゾーン」というのが存在するのも悩ましい。

 

・今回の騒動はハードとソフトのすれ違い。

長時間労働がひどいから法規制しましょうというのは大まかな入れ物の問題の話で、ADHDだから様々な労働環境を認めてくれよ、というのは個々のケースの問題。これをごっちゃにするからよくない。同じレイヤーで話せば互いに「そうじゃない人もいる」の大合唱になるに決まっている。

 

・じゃあどうすればよいのか。

→大前提として世間での発達障害の認知度と万全な対策が普及することが一番。「こういうことは困るので避けてほしい」「こうすれば出来るのでこうしてほしい」みたいな柔軟な対応さえあれば何とかなる人はかなり多いと思うのだけれど……長時間労働の是正より大変だぞこれ。

 

・どうしよう。

→どうすれば発達障害の認知度が高まるのか考えたけど、テレビドラマにしても変にいじられて「感動!」とかになりそうだし当事者が訴えても「何か言ってらあ」くらいにしかならないし、多分現状だと特効薬はない。「有名人は発達障害!」というのも偏ったイメージだし、おおよその発達障害は大体キラキラしてないぞ……そうか、全体でキラキラを過度に求めるのが全ての間違いの始まりなのではないか。みんなでサンドスターでフレンズ化するしかない。けものはいてものけものはいない。ほんとのあいがここにある。

 

「正しくない」親とかいろいろ思うこと

 最近親子関係のお話が話題になりやすいので思ったことを少しだけ。

 

【加害者を罰するだけでは解決しない】

 まずこの文章を書く人の立場を明確にしておくと、いじめも機能不全家庭の問題も、罰するのではなく加害者側の適切なケアをすることで再発防止を図ることがよいと考えている。ただ庇うのではなく、「なぜいじめをしたのか」「どうしてイライラしてしまうのか」「どうすれば八つ当たりをせずに済むか」など自己肯定感を育むような感情に誘導し、「私は悪いことをしたからもうしないようにしよう」と自覚させるように促すのが最高の解決じゃないのかと。

 

 罰することの何が良くないかと言うと、自覚があって悪いことをしている人ならば罰を与えればいいかもしれないけれど、こういった加害者は自覚がない場合が多い。特に機能不全家庭では「何が良くて何が悪いか」という価値観が逆転していることが多い。だからこそ「良かれ」と思ってやったことが裏目に出て、問題が更にこじれていく。子供も余所で「良かれ」と思ってやったことが世間では歓迎されないことで驚き、そこから人間関係の軋轢、ひいてはいじめに発展することもしばしばだ。

 

 そういうわけでいじめの問題を解決したかったら加害者側の家庭環境に注目しようよということはずっと言ってきているけど、どうしても「加害者に制裁を」という方向ばかりが過熱しがちなのが残念なところだ。

 

いじめがあればすぐ警察へ通報すれば解決という風潮

基本的にいじめ不登校など子供のトラブルは家庭のトラブルに直結してるので、即警察は確かに危険。できれば学問主体の学校より福祉側の児童相談所あたりが仕事するところだけど対応できるキャパがないのが残念。

2017/02/15 16:51

 

 「我が子が殴られた!診断書とって警察だ!」と意気込んだのはいいけれど、殴った友達に話を聞くと我が子が他人に殴る以上の何らかの嫌がらせをして忠告をしても止めなかったため仕方なかったという話かもしれない。もちろん子供の喧嘩のためまずは双方の話をしっかり聞いて事実関係を明らかにすることが大切だ。その上で金銭を要求など悪質なものは警察に相談でもいいと思う。

 

 ただ、加害者がみんな根っこからの悪人で断罪されるべきなのかと言うとそうでもないと思ってる。特に子供は親の育て方で人生がガラリと変わる。弁護士の子供は弁護士の気質を、泥棒の子供は泥棒の気質を備えるようになるわけで、ただ子供を罰して終わると言うものではない。もちろん発達障害や盗癖など子供を起因としたトラブルの場合はケースバイケースになるしかないけれど、この場合根絶するべきはその根っこの家庭の気質で、表面だけ反省した態度をとられても何の意味もない。

 

 こう書くと「加害者を庇うとは何事か」という意見がありそうだけど、庇うわけではない。被害者のケアはそれとは別に行わなくてはいけないし、何らかの落とし前がなければ被害者も前に進みにくい。ただ、それで加害者が「何故よくなかったのか」を気付けなければ全く意味がないというわけだ。家でいつも叩かれている子が学校で友達を叩いたからといって、誰がその子だけを責めることが出来るんだろう。

 

 ちなみに不登校の原因はいじめよりも小学生の場合、「家庭の問題」が6割です。それに次いで「友人関係」「学業不振」です。「友人関係」にいじめが入る可能性もあるけれど、たとえば客観的にいじめとは認められない喧嘩をして気まずくなり、それからズルズルと休む子もいる。また後ろめたさから勝手に恐怖を感じて教室に入れない子もいる。この辺非常に難しいのです。

 

平成27年度「児童生徒の問題行動等生徒指導上の諸問題に関する調査」結果(速報値)について

不登校の要因の統計が面白い。不登校の主な要因はいじめではなく「家庭の問題」「学業不振」「いじめではない友人関係」。特に小学生は家庭問題が6割近い。

2017/02/13 10:54

 

【保護者のケアは誰がする】

あなたは「正しい親」をイメージできますか - シロクマの屑籠

正しい正しくないではなくいろんな意味で困った人なんだと思う。旦那と不仲だったり完璧主義すぎたりする母親を支援するカウンセリングみたいなの必要だと思ってるけど、どうやったら介入できるのか検討がつかない。

2017/02/16 13:23

 

 そういうわけで、「正しくない親」というか「困った親」を誰が面倒見るのかという課題が見えてくる。例えばすぐに子供を殴る蹴る、食事を与えない、清潔にしないなど。後半の場合家庭が貧困であることも考えてのケアが必要で、金銭的に厳しいのか親の自覚がないままそういう状態になっているのかの見極めが大事になる。

 

www.huffingtonpost.jp

 

 現状ではそういう「親のケア」も学校に求められている気がする。自治体の教育相談などもあるのだけれど、やはり気軽に声をかけやすいのが小中学校なのだろう。もう学校に地域の福祉施設入れちゃいなよ! と思わないでもない。

 

 理想を言えばこういう「困った親」はお隣さんなど地域で面倒を見たり、気軽に相談できる施設が自治体にひとつくらいあればいいのではないかと思ってる。ただ現状で「お腹を空かせているというのでおやつをあげたら毎食集るようになってきた」などトラブルの元になりやすいのでこの辺の介入は個人では非常に難しい。「こども食堂」などの取り組みもあるけれど、まだまだメジャーではないし絶対的に数が少ないし、何より個人の資質に頼った運営で公的なものではない。つまり「誰でも」には程遠い状態なのだ。それに「誰でも来ていい子ども食堂に着ていく服がない」という家庭はゴマンとあるだろう。

 

www.catlani.com

 

 そんなことを考える一方で別のベクトルで「困った親」が登場するのが上記の記事です。これを踏まえて最後まで読むと非常に辛くなります。「倫太郎君よかったね」にはならない。逆に倫太郎君は「家の価値観ではない価値観」に中途半端にぶつかって辛くなったかもしれない。だからこそ、その辺の空気を感じていた著者は「現在壊れていないか」と倫太郎君の心配をしている。これは「よかったよかった」という感動の話ではない。

 

 倫太郎君の家庭での様子はわからない。英会話スクールでは他人を舐めた行動をとり続けた彼が最終回になって急に真人間になったところでドラマであれば「講師、親の愛が通じた」となるんだろうけど、残念ながらこれはおそらく実話なのだ。わかるのは倫太郎君が奇行をとらなくなったということだけだ。彼の仮面が剥がれたのかどうかは読者からはわからない。奇行が止んだのは成長したからという可能性もある。彼が最終回で根本的に変わったかどうかはこの話からはよくわからない。

 

 もちろん他人の家庭に口を出すことはできないが、倫太郎君がこのままでは母子関係によってあまりよくない方向に行くだろうということは賢明な人ならば察することが出来る。しかし、それを彼の母親に告げることはできない。何故なら倫太郎君のお母さんは倫太郎君のためを思って英会話スクールに通わせていると言うのは間違いのない事であるから。その愛情を否定することはできない。

 

 しかし愛情にもいろいろあって、倫太郎君はあまり良質の愛情に触れているとは思えない。特に「鉛筆を落としてもいいか」など他人を試すようなことを言うのは非常にまずい。そして描写通りの奇行を繰り返していることに全く気が付かない保護者たちが怖い。

 

「今日は英会話でゲームしたんだって? 楽しかった?」

「うん! バトルカードも交換したんだよ!」

「バトルカード?」

 

 そんな会話を家でしないのだろうか。会話らしい会話があれば教室の異常状態を察することのできる人が一人くらいいそうなのだけれど、それがないということは「家庭での会話がない」「子どもが家族に嘘をついている」という状態になっているのだろう。うーん、しんどい。

 

 おそらく、こういった保護者は子どもとの距離感がないかあるいは人間関係を築くのを放棄している可能性がある。言い方が悪いけれど教育をソシャゲの経験値を積む感覚で習い事をさせているくらいのご家庭もある。もちろん子供が「やってみたい!」と言って生き生きとやっているのはいいとして、子供の意志に関係なくアレコレとお稽古事をさせている保護者がいたら周囲の人は親御さんの様子を気にしてあげて欲しい。子どもが能面のような顔でお稽古や塾に通っていたらもっと危ない。

 

 この時支援が必要なのは能面子供より、おそらく保護者の自意識なのだろう。「誰さんとこの子供に負けたくない」「(自分の)親の期待に応えなきゃ」で自縄自縛に陥っていたり、家庭内の雰囲気が悪いことから逃避するために「習い事に通わせる忙しいママ」を演出したりと子どもをダシにした発散行為をしている場合、誰かが止めないと子供がつぶれるか理想通りに行かないためにママが発狂するかまで追い詰められる事態になる。漫画に登場するサラちゃんもかなり心配だ。パパに人格否定されていないだろうか。

 

 過剰なお稽古事の数はひとつのSOSだと思う。子どもと向き合いたいけど怖い、子供から逃げたいから余所に預ける、子育てに失敗しても自分の責任にならないから外注してしまう……そんな保護者をケアをする仕組みがあれば子供もこんなに辛い思いをしないで済むんじゃないかと思うのですが、「大人の面倒なんて自分で見ろ」っていう感じだし生活保護だって不正受給がどうのから話が進まないし、自分でケツが拭けそうだけど拭けてるフリだけしている感じの人をどうすればいいのか、全く見当がつかない。

 

 

 かなりバーッと書いたけど、言いたいことは「子どもの問題は大体親にも同じことが言えるので子どものケアをするにも親のケアも大前提だけどそんな余裕ないよね!どうしよう!」ということです。子どものケアと同時進行でかつて子供だった今の保護者を抱きしめなきゃいけない。包容力ある人、見返りは全くないけど仕事ならたーっぷりあるから今からでも教育福祉産業で働かない? 人材が多い方がいいし経験も大事だから今なら良質な経験がいっぱいできるだろうし、本当に人手と予算が増えればすっごく嬉しいなあ……こんな世の中で何がアクティブ・ラーニングだ畜生が。

 

ジャパリパークという理想郷と再生の物語

 すっかり脳みそを「すごーい」に乗っ取られてはや数日。「流行ってんなー1話だけ見てみるかー」と見てみたら1話だけで頭がさばんなちほー。まずい、これはまずい。

 

 というか、『けものフレンズ』という作品は闇があるとか奥が深いとか優しい世界とか人間という種族を描いているとか、そういうのも非常に魅力的な要素だと思う。それよりも第1話で感動したのが「ちゃんとサバンナ地方の描写入ってる!」ってところで、後の話でも舞台設定をしっかり表現しているところがこのアニメの魅力のもう一つだと思った。

 

 アニメだろうが小説だろうが「これはいい!」と思う条件のひとつに「製作者側が明確に意図をしてひとつのこだわりやメッセージを入れている」というものを持っていて、このアニメではフレンズの特性を描くためにきちんとそこの風土を描ききっている。それだけでこのアニメは成功したと思ってる。サーバルちゃんとかばんちゃんのコンビを描くためのシナリオや土台が丁寧に作られている。そう、脚本と演出が丁寧なのがウリだ。「移動→難題→知恵を出して解決→また移動」というシナリオを繰り返して、物語全体には「図書館に行ってかばんちゃんの正体を調べる」というミッションが課せられている。ゆえにある程度話を見逃しても理解はできる。途中参戦が可能なのもこのアニメの良いところのひとつだ。

 

 で、もうひとつ面白いなと思ったのが「視聴者はかばんちゃんの正体を知っている」ということだ。子供向けのアニメでいかにもバレバレな悪役の変装を正義の主人公再度が見破れなくて「だめだよー、わるものだよー!」などとテレビやヒーローショーなどで語りかけた経験のある人も多いと思う。その心理を『けものフレンズ』の視聴者は共有している。アニメの中でかばんちゃんは「謎のフレンズ」であるけれど、アニメの外に飛び出せば彼女の正体は一目瞭然である。

 

 つまりタキシード仮面様なのだ。「タキシード仮面=地場守」という図式は視聴者にだけ明かされていた。それから視聴者は「タキシード仮面の正体は誰だろう」から「うさぎちゃんが正体を知ったらどうなるだろう」にドキドキをシフトチェンジさせる。純粋な謎ではなく、「作中の謎」になることで視聴者に余裕が出る。そうなると一層続きが気になる。刑事コロンボ水戸黄門のメソッドであり、視聴者を引き付ける要因になる。

 

 そんな作品の魅力とは他に非常に気になるのが、この「ジャパリパーク」とは一体何なんだと言うことだ。バスが使えるとはいえ、いくらなんでも獣が移動できるくらいの距離にサバンナだの高山だの砂漠だのジャングルだの森林地帯だのを詰め込めるのは並大抵の技術ではない。そして「ジャパリ」というくらいなのだからここはおそらく日本なのだろう。日本のサファリパークでも現代の技術でこれだけ多様な環境を再現できるところはないだろう。そもそも「フレンズ化」という現象が現代日本ではないけれど。

 

 その辺から考えると、かばんちゃんが自分の正体を知るよりも「かばんちゃんが図書館へ着く」というほうが大事なのかもしれない。ここから考えると、おそらくその「図書館」はジャパリパークの成り立ちを知るうえで大事な施設だ。ジャパリバスというものが存在したことから、ここには人間がいて動物を見て楽しむ施設だったのだろう。「図書館」とはフレンズたちの暫定の名称で、フレンズ化や不思議なジャパリパークの秘密がわかる研究施設か何かなのではないだろうか。

 

 この辺から邪推すると、ジャパリパークとは種の保存を行う上での閉鎖された環境なのではないかということだ。一種族につき一人、という不思議なフレンズの構図もジャパリパークが遺伝子の保存を目的にしたことなら何となく納得できる。そこで効率的に生き抜くために「互いを尊重する」などの要素を加えて少しのことでも死なないようになっているのだろう。

 

 だからかばんちゃんという「ヒトのフレンズ」が図書館にたどり着くことで、かばんちゃんの乙女回路が眠っていた人間の遺伝子を呼び覚まして復活するとか、かばんちゃんが保有する汚染されていないネット端末遺伝子によって構造化したジャパリパークが本来のあり方を取り戻すとか、そういう最終回もあるのかなぁなどと思うのです。地球の本来の姿とかばんちゃんとどちらを取るかという段になって、サーバルちゃんが「かばんちゃんが決めることだよ」と泣きながら言う最終回とかいいね。それかもう全部夢オチでかばんちゃんが朝起きると普通に人間の世界で、オープンしたばかりのジャパリパークに連れて行ってもらってサーバルキャットを見て何故か涙が出てくるとか、そういう終わり方も嫌いじゃない。

 

 でも最終回として「図書館にたどり着かない」というものありだと思う。図書館が破壊されている、あるいは道中で最終回を迎えて結局かばんちゃんが何のフレンズかわからないけれど「かばんちゃんはかばんちゃんだよ」というサーバルちゃんで終わってほしいという気もする。

 

 よく考えれば「カバン」という道具自体人間の「握って持つ」というアビリティから生まれたものだよなぁと思い、このアイディアを思いついた人はなかなかすごいなぁと思っている。言語情報が少ないのでこれだけわーわー言うことが出来る。すごいなぁけものフレンズ。すごーい! たのしー!

 

 

おい増田ちょっとツラ貸せや

 なんで消したんやワレ。増田業界なめとんと違うか?あ?

 

この文章を書いた者です。
たくさんの方に読んでいただいて、あれはもう私の手を離れた言葉になりました。
こういった経験は初めてなので、不思議な気持ちです。
ここでは教壇を離れて、少し気楽に書こうと思います。
以下の文章のほとんどは、私の弁明です。
もう目にしたくない方は「最後に」だけお読みいただけたら幸いです。
まず、私は「聖職者」と自負していませんし、「聖職者」であることを他者に求めたことはありません。
女性が仕事を一度辞め、復帰することの困難さを思ったら「つらかったら辞めたほうがいい」とは簡単に言えません。
ましてや子どもを持ったらなおのこと、女性に仕事をさせない仕組みをこの国は持っています。
私の文章の「あるべき大人像を見せる」あたりの表現が、「聖職者であれ」との誤解を生むのかもしれません。
私の見せたい「あるべき大人像」とは、遅刻をしないとかハンカチで手を拭くとかから始まり、健康的に働き、自立している女性という「大人像」です。
私も失敗をしますし、よく間違えます。
そして失敗をしたら都度謝り、次は間違えないようにしようと気を付けます。
そういった姿が「聖職者」と言われたら、じゃあ「普通」の先生って、どういう人ですか。
では、羅列した教員としてのコツが「聖職者」的でしょうか。
あれらのほとんどは出版されている他の先生方の書籍から学んだものです。
試してきた中で効果的だったもの、取り組みやすいものを書きました。
中学高校に勤める教員にとっては一般的な手法も含まれます。
実際私たちが働く中で大事にしている事柄は無数にあります。
実践しているごく一部を例として示したら、生徒を前にしたことがない人から、聖職者だ、そんなの皆に求めるべきでないと言われてしまった。
私たちの仕事を何だと思っているのか。私たちは教員免許を持つ教師です。教育に特化したスキルを持っていて当然です。
あの大学の先生の言葉により「できる人ができない人に向かって聖職者であれと要求する」という構図が出来上がってしまった。
非常にショックでした。
結果的に「できる人」に見えますが、私は長い間「できるようになりたいと努力している人」でした。
教員を目指していなかったので、知識も学力も足らず、人一倍できない教員でした。
教員としての適正がほんとうになかった私と同じように努力しろということではなく、努力したら変わっていくよ、ということも言ってはだめなんでしょうか。
繰り返しになりますが、私たちは教員免許を持つ者です。
資格に相応しい自己研鑽は不可欠です。
学問の世界よりも、目の前の生徒たちが変化していくスピードは速いです。
変わらないものと、変えていくもの、常に2つを抱えています。
できなくてもいいから、教員として向上するための試行錯誤はしなければ、そう思っています。
こう書いたあとに「これは個人の感想です。他者に努力を強いるものではありません」と、これからは但し書きをいれることにします。
最後に。
皆さんが、あの「私」を賞賛してくださるのですが、それは同時に「私」を孤独にする言葉です。
多くの場合、賞賛のあとに続くのは「私/僕はできない」という言葉です。
そうして何もしません。
称えてくださった方たちを傷つけるような物言いをして、ごめんなさい。
私が再度こちらに来たのは、皆さんにお願いしたいことがあったからです。
教員の仕事量に目を向けて、様々な改善策を提案してくだり、労いの言葉をかけてくださるのはとてもありがたいです。
そのまなざしとお気持ちは、つらいと言える教員ではなく、物言えぬ子どもたちに向けていただきたくお願いに参りました。
高校生は、まだ大人になりきれていない子たちです。
彼らは「最近の高校生」と呼ばれ、時に「自己責任」と追いつめられられ、それなのに子どもだからと何も自分たちでは選択できない日々を過ごしています。
どうか「自己責任」という語を高校生に投げつけないでください。
皆さんが思っている以上に子どもたちは周囲にいる人の影響を強く受けています。「自己責任」的に見えても、そうでないことが多いです。
罪を許せ、見逃せということではありません。
失敗をし、間違いを犯した子どもが、自分を変えようとしたときに変われることを信じてあげてください。
同じ失敗を繰り返すこともあります。
それでも、初めて立つ赤ん坊を目の前にするように、きっとできるとの温かいまなざしを切に切にお願い申し上げます。
お読みくださって、ありがとうございました。


ここからは完全な夜中の余談です。
こんなに時間をかけて増田を書いておいて「書いてあることがあなたの心に残ったら嬉しいです」とか、それっぽいブログの締め的なことは全然思ってないです。
教員が見返りや賞賛、感謝を欲しがったら終わりと私は思っています。
他の先生に嫌がられそうだけど、ここは声高に主張したい。
教員が感謝されるのは、すごく簡単なんですよね。
ちょっと生徒に親身になったり、手をかけたりしたら、すぐにありがとうと言ってくれます。
感謝されたがりの先生はすごく多いです。
自分が気持ちよくなりたい先生は適切な判断ができません。
でも、生徒や保護者に感謝はされてるし、特に考察せず、本人としては達成感に満ち溢れています。
そろそろお前はどうなんだ?と言いたいですよね。
ほんとうにすばらしい先生は、はてななんか見ずに日夜寝る間を惜しんで教材研究されてますよ。
私の程度は推して知るべしです。

http://anond.hatelabo.jp/20170211024056(現在削除済み)

 

 増田の言ってることはなーんも間違ってない! せやのになんで消したんや。夜中のテンションで恥ずかしくなったからか? そんなもん電車ん中でウンコ漏らすほうが数百万倍恥ずかしいわ。

 

 一度書いて消したのをこうやってもう一回晒すのはどうかと思ったよ。だけどな、増田の言ってること、こっちのほうが教育困難校の実態より全国区で国会に届けなあかんことと違うか?

 

皆さんが、あの「私」を賞賛してくださるのですが、それは同時に「私」を孤独にする言葉です。
多くの場合、賞賛のあとに続くのは「私/僕はできない」という言葉です。
そうして何もしません。
称えてくださった方たちを傷つけるような物言いをして、ごめんなさい。

 

 だいたいネットやってる奴なんてただの内弁慶で世間のこともなーんも知らんガキの方が多いんや。ネットの反応にいちいち期待したらあかんゆーことは百もしょーちの話や。有象無象のアホンダラの言うことなんかいちいち聞いてたらあかんで。

 

 でもな、増田の言うことはもっとみんな知らないといけないことなんや。教育や介護の業界で頑張ってる人に無意識でこの言葉かける人多いで。でも、それは言っちゃあかんことなんだってもっと周知せなあかん。そのためにも増田は記事を消したらあかんかったんや。反省したら昇給な。

 

 なんで頑張ってる人が「私はこう頑張ってます」ってゆーただけでみんな「僕にはできない」「出来る人だけが頑張ればいい」「私には関係ない」みたいなコメントするんや? なんで「応援します」のひとことで終われないんか? 後ろ暗いことがあるからやろ? 出来ない自分が恨めしくて苦くて、それで自己弁護しとるんやろ? 頑張ってキラキラしている人の足引っ張るようなこと言って、何が楽しい? アホか。

 

 本来は増田みたいに頑張ってる人がノウハウを若い子に伝えていかなアカンところやろ。なんでそれすらも「出来ない人に押しつけ~」になるんかわからん。お前が出来なくても教職関係者はやらなあかんのやボケ。誰のおかげでかけ算九九が言えるようになったんや。

 

 教育困難校の問題はアホにはわからんしアホンダラにはもっとわからん。それやけど保育園落ちた並に国会に出して制度改革やってもらわなあかん問題やってもっと騒がないと本気で日本終わる。やれ考え方教育だのセンター試験の見直しだのアクティブラーニングだの横文字つかっておけばいいみたいな教育改革よりも福祉に直結した教育改革も進めないと日本終わるで。まじで。子どもの貧困とか余裕あるタイトルだからピンと来ないんや。「(教育を受けられないための)アホガキの増産」やで。今の教育現場は出来ない奴を積極的に切り捨てる方向へ向かってる。でもその出来ない奴は環境に恵まれないだけで、勉強する環境が整えばかなりマトモな方向に育っていくんや。それをやるのが義務教育じゃあないのか? あ?

 

 あとベテラン教員が退職して教員の人数が減って、若い教員を教える現場の先生がめっちゃ少ないのも問題やな。だから「教科とかよくわかんないけど部活動やりたいれす」みたいなアホでも採用してきちんとしたフォローがされてなくて授業の質が保てないんや。それで学級崩壊起こしても行政はなーんも責任とってくれんしな。アホか。アホなのか。

 

 もう一度言うと、増田はなーんも悪いことは言ってないし真っ当なことを言ってる。消しちゃったのは悪い子だからその辺の角度に頭ぶつけて反省な。

 

 

 

 

 で、これを読んだ人は教員や介護、その他ボランティアやってる頑張ってる人に「僕には真似できない」とかもう言わないでほしい。もうそれ「僕は切断処理をします」っていう呪いだからね。素直に応援の言葉を口にしてあげてほしい。お願いだから、これ以上頑張ってる人の足を引っ張るようなことを言って頑張ってる人のやる気をくじくようなことを建前でも言うのは辞めてほしい。関西弁は喋れません。おわり。

 

書いてみた 「長年付き合った彼氏と破たんしているのを認められない友人Aが、別の友人Bが前彼と別れてすぐに結婚したのを快く思っていません。AによるBへの悪態をできるだけ想像してもらえますか?」

 タイトルが長い。シチュエーションが面白かったので書いてみた。以下完全にオリジナルで相談内容のAさんBさんとは一切関係がありません。

 

topisyu.hatenablog.com

 

【前提】

Aさん……長年付き合っていた彼氏がいるが、うまくいっていない。

Bさん……前に付き合っていた彼氏と別れた後、縁あってすぐに結婚することに。

 

【想定される会話】

A「結婚おめでとう」

B「ありがとう、何だか先にごめんね」

A「いいのいいの気にしないで。私も後を続くから~」

B「へぇ~ぇ(含)……ところで、最近(彼氏とは)どうなの?」

A「それがね。何だか順調の途中にある乗り越えなければいけない場所っていうか……なんとなく、そんな感じ」

B「そうなんだー」

A「そうなの、私が結婚式場の下見に行こうって言っても忙しいとかまだ早いとかなんか言っちゃってさあ……今度Bちゃんの結婚式でまた勉強させてもらうね」

B「それは彼氏が煮え切らないって感じだね」

A「そうなのよーもう私たちだってイイ年じゃん?それなのに何だか落ち着かないっていうか、オマエもイイ年なんだから落ち着こうよって感じでさ(笑)」

B「そうそう」

A「そうなの、この前もさりげなく指輪売り場の前で買ってよってアピールしたのに素通りとか、マジで女心わかってない」

B「あー、最悪だね」

A「ホント最悪最悪。私以外もらってくれる人いないっしょ、絶対?」

B「(そうかなあ)そうだね」

A「それなのにさあ、なんなのいつも!? また今度とか? 今日だって急に仕事が入ったとか言って伝説のチーズケーキ食べに行く約束なくなったとか、ホント意味わかんない」

B「一回、ちゃんと話し合ったら?」

A「Bちゃんに言われなくても話し合ってるよ」

B「うん」

A「いつも言うんだよ、好きだとか愛してるとか」

B「うん」

A「だけど最近愛を感じないっていうか、私がダメになっているのかも」

B「うん」

A「彼のためにもっと頑張らなきゃって思うんだけど、どうすればいいのかな」

B「うーん、そこは二人で話し合って決めるところだと思うけど」

A「話し合いで決まったら苦労しないじゃん」

B「だけどさあ……」

A「大体ね、Bちゃん何でそんなに上から目線なの?」

B「そ、そうかなあ?」

A「そうだよさっきから話し合えとか別れろとか」

B「そこまで言ってないよ」

A「さっき言ったじゃん」

B「まあ、そうかもね」

A「ひどいよ、自分ばっかり幸せになるからって私を見下して楽しい?」

B「そんなこと(ちょっと思ってる)思ってないよ!」

A「まぁそれなら、いいけどさあ……」

B「どうしたの?」

A「だって、世の中不公平じゃん?」

B「そう?」

A「私なんかこんなに頑張って彼氏に貢いで愛を注いで結婚の条件だって多少妥協してやってるっていうのに、向こうがタラレバ男すぎてうまくいかないっていうのに、何で前の男を捨てたBちゃんのほうが幸せになるわけ?」

B「捨てた、なんて言い方ちょっとひどいよ」

A「何言ってるの捨てたでしょアレは!?」

B「どの辺が?」

A「だってBちゃんのこと好きだったじゃない!」

B「でもお姉さんのほうが好きとか言ってデートすっぽかす男だったよ!」

A「それでもBちゃんのこと幸せにするって言ってたじゃん」

B「絶対ありえない」

A「あったって! それなのに新しい男に乗り換えてすぐ結婚って……普通の人ならドン引きだよ」

B「でも今彼さんもいい人だよ」

A「どうせまたマザコンとかシスコンとか見つかって別れるんでしょ?」

B「そんなことしないって」

A「まだ籍入れてなくてよかったね、結婚式の前って相手の本性が見えるって言うじゃん? なんかひどいことないの?」

B「まぁ、ちょっとは」

A「ほぉら、じっくり長く付き合わないですぐに決断するから痛い目を見るの」

B「だけど、そんなの誰だってそうだし」

A「シスコンでも?」

B「それとこれとは話が別」

A「別じゃないよ、簡単に別れる人が結婚なんてできるの?」

B「Aちゃんには関係ないじゃん」

A「そんなことないって。その点私はちゃんと長く付き合ってるから彼氏のダメな本性も含めて愛してるけどね」

B「じゃあ別にいいじゃん」

A「だからそういう上から目線が嫌だって言ってるんじゃん」

B「そんなつもりは」

A「そんなんだとすぐ今の旦那さんと離婚するよ?」

B「まだ結婚もしてないのにするわけないでしょ!」

A「前から思ってたんだけどさ、アンタのそういうとこ結婚に向いてないよ」

B「何言ってんの」

A「一人の人と長くお付き合い出来ない人が結婚なんてしてもうまく行くわけないって。子供出来た後に離婚とか別居しても知らないよ」

B「あなたに私の何がわかるの」

A「わかるに決まってるじゃん、何年付き合ってると思ってるの?」

B「でもそんなに仲良くないよね?」

A「仲良くないの?私たち?」

B「そういう話をする人と仲良くなろうと思う人はいないと思うよ、普通」

A「そうやって普通普通ってあなたはいつも言い逃れをして」

B「え、さっきAちゃんだって言ってたじゃん」

A「言ってないし。変な嘘つくのやめて」

B「はあ……」

A「とにかく、義理で披露宴には参加させてもらうんだからご祝儀なんて期待しないでね。義理で行ってやるんだから」

B「はあ」

A「あとね、引き出物は伝説のチーズケーキとかそういうのがいいと思うよ。それにね、プチギフトに変な小細工とかされると腹立つからやめてね、あとはお色直しの退場で両親に感謝とか冷めるからやめてねそれからブーケトスは……」

B「はあ……(帰りたい)」

 

≪以下フェードアウト≫

 

【あとがき】

 Aさんに「恩着せ」という属性をつけて結婚できない部分を煮詰めていたらひどい人になってしまったけど、きっとAさんは彼氏には世話焼きのいい奥さんになるに違いない、と、思う……。あと伝説のチーズケーキ、名前のインパクトだけで出してみたけど実は食べたことがない。多分「今度食べる」と言って食べないまま終わりそう。

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