あのにますトライバル

君の気持ちは君の中でだけ育てていけ。

愛すべき役立たず ~短編小説の集い~

 それは「影」だった。誰でもないし、何でもない。お腹もすかなければ、退屈もしない。だけど誰からも顧みられないし、愛されることもない。かつて蔑まれていたような気もするし、名前で呼ばれて痛めつけられていた記憶も微かにある。それも永遠に続くと思われる孤独に塗りつぶされていく。

(どうして僕は存在するのだろう)

 そんな疑問も意味のないほど、「影」はひとりぼっちだった。その問いに応えてくれるものもなければ、意味がないのにと唾を吐きかけるものもいない。それでも、「影」は思考せずにはいられなかった。

 

 「影」がずっと見つめているものがあった。毎晩一軒ずつ、灯りが部屋に満ちる時間に「影」は家の中に忍び込む。多くの家では夕食の支度をしている。子供のいる家、子供が大きくなってしまった家、子供がいなくなってしまった家、最初から子供がいない家。様々な家があった。「影」はその家の子供が赤ん坊のころからおじいさんになるまでずっと見守っていた。子供が生まれると「影」も喜び、誰かが死ぬと「影」も悲しんだ。誰かが困っていても、「影」にはどうすることもできなかった。それが「影」にとって、一番悲しいことだった。

 

 ある晴れた日、「影」の見守っている家の前にたくさんの段ボールが積み上げられていた。その家の子供が小学校に行くことになったので、赤ん坊の頃の荷物を整理しているのだ。「影」はその荷物のそばまで近寄ると、赤ん坊だったその子が大切にしていた羊のぬいぐるみが置いてあった。
(これを捨ててしまうのか、かわいそうに)
「なんだと、俺たちをなんだと思ってやがる」
 羊のぬいぐるみが話しかけてきた。誰かを話をするのは久しぶりで、「影」はうれしくなった。
(僕の声が聞こえるのかい?)
「ああ、ずっと坊ちゃんを見ていた不吉な影だろう? さっさとあっちに行け」
(でも捨てられてしまう君を見捨ててはいけないよ)
「いいんだよ、俺は俺の役目を全うしたんだ。小学校に俺たちを連れていくわけにはいかないんだよ」
(でも……)
「どうせお前にはどうすることもできないんだ、目障りなんだからあっちへ行け」
 羊のぬいぐるみに追い立てられて、「影」は荷物のそばから逃げ出した。それから物陰に隠れて荷物の様子を見守っていたが、やがてやってきた一台の車が荷物を積んでどこかへ行ってしまった。それからその荷物が戻ってくることはなかった。
(なんて残酷なことだ)
 いつもそうだった。いらなくなったものは次々に捨てられる。玩具はもちろん、長年使っていた椅子や机、流行おくれの服など最近の人たちはすぐに捨てていく。
(まだ役に立つのに)
 その昔、お払い箱になった電気スタンドがゴミ捨て場で「まだ捨てられたくない」と泣いていたのを「影」は知っている。でも、「影」にはどうすることもできなかった。どうにか「役に立つ」ことを証明できないものかと「影」は考えていた。

 

 それから「影」は自分に気づいてくれる人を探してきたが、誰からも必要とされない「影」に気付くものはなかった。ようやく、「影」は誰からも必要とされていない人間を見つけた。それは物乞いの男で、古びたギターを片手に彼はあちこち放浪を続けていた。そして行く先々で彼は誰からも疎まれ、蔑まれていた。「影」はそんな男なら自分の声が聞こえるのではないかと思い、しばらく後をつけていた。

 

 ある冷たい風の吹く夕暮れ時だった。空き缶を前に男は通りに一日座り込んでいたが、今日も缶の中に何かが入ることはなかった。やがて人通りは途絶え、一番星が輝くころに男はやっと腰を上げた。「影」も男と一緒に落胆し、愚痴をもらした。
(こんなに頑張っているのに、かわいそうだ)
「そこにいるのは死神かな」
 不意に男が「影」の声を聴きつけたのか、応答するようなことを言った。
(僕の声が聞こえるのかい?)
「ああ、腹ぺこでとうとうお迎えが来たかな」
 男は「影」の声を死の間際の幻聴か何かだと思っているようだ。
(そうさ、これから腹が減ることも痛みを感じることもない)
「そうか、遂に俺も潮時だぁ」
 男は力なく路上にしゃがみ込んだ。
(そう、でも僕は死神じゃない。死なない『何か』だよ)
「ははは、死なないものなんてあるものか」
(僕は死なない。死なないから苦痛を感じない)
「そんなものになりたいねえ」
(それなら僕になりなよ、僕は君になるから)
「俺なんかになりたいのか」
(当たり前だよ。君はとても魅力的だ)
 なんとか「影」は男と入れ替わりたいと思っていた。「影」がこの運命から解放されるためには、「影」になりたがっている人と交換するしかない。遠い昔、「影」が「影」になったときに教わったことだった。
「いいぜ、俺なんかでよければ」
 男は二つ返事で引き受けた。「影」は心が震えるような気持ちになった。そしてそれが歓喜という感情であることを思い出した。次第に「影」の中に温かな血が巡り、それと同時に吐き気を伴う空腹が襲ってきた。

 

 すっかり「影」と男は入れ替わっていた。

 

(なるほど、俺はこうしてみると随分と醜いな)
 久しぶりの身体を手に入れてひっくり返った「そいつ」を見て、影になった男は言った。
「そうだね、君の身体は随分とひどく傷んでいる」
 痛みとは裏腹に、「そいつ」の心には想像以上の愉快な感情が蘇っていた。
「確かに痛みは感じないけれど、その代わり誰にも相手にされない」
(別に俺はそれで構わない)
 影になっても、男は慌てていなかった。
「いつまで強がっていられるかな……代わりの誰かを見つけるまでずっとそのままでいるんだ」
(別にどうってことない、ありがとな)
 影の気配が「そいつ」の前からすうっと消えて行った。
「馬鹿だなぁ」
 心から「そいつ」は男を馬鹿にした。永遠に孤独でいることの辛さが実感できないほど、男の生活は過酷だったのだろうか。「そいつ」はひとまず痛む腹を抱えて食べ物を探しに歩き出した。

 

 実際、「そいつ」はよく嫌われていた。不潔な身なりで物乞いを続けていたのだから誰からも好かれないのはわかっていた。そこで「そいつ」は何か皆の役に立つことをすればよいのではないかと思い立った。何とかして身なりを多少整え、「そいつ」は唯一の持ち物のギターを片手にいろいろな話をした。たまに拍手をしてお金をくれる人がいると嬉しくて、「そいつ」はたくさん歌を歌った。歌えば歌うほど、とまではいかなかったが多少のお金はもらえた。それで何かを買って食べるのが、「そいつ」は何よりも楽しみだった。

 

 それから「そいつ」はまだ使えるものをゴミ捨て場から拾うことで生活をなんとかしようとした。少しくらい壊れていたり汚れていたとしても、直せば十分使えるものだって多い。形が古くなったからという理由で捨てられているものはそのままでも十分使用できる。歌を歌って心を和ませ、まだ使えるものたちを蘇らせるなんてすてきなことじゃないか、と「そいつ」はとても愉快だった。明らかに嫌そうな顔をされたり追い立てられたこともあったが、誰かに相手をしてもらうことが「そいつ」はこの上なく嬉しかった。蹴とばされてニヤニヤする「そいつ」を見て、人々はますます気味の悪いものを見る目で「そいつ」を見た。

 

 しかし、愉快な気持ちは突然どこかへ行ってしまう。その日も楽しく歌を歌っていた「そいつ」は、やってきた男たちにいきなり殴られた。
「こいつです、最近この辺に居ついたルンペンは」
「ゴミ漁りなんかして、誰の許可で商売なんかしてやがる」
「下手くそな歌歌ってるんじゃねえ、耳障りなんだよ」
 あっという間にボロボロになった「そいつ」を男たちは引っ張っていった。
「僕はただ、誰かの役に立ちたいんです」
 息を切らしながら「そいつ」が何とか言うと、男たちは顔を見合わせて大声で笑った。
「誰かの役に立ちたいだって!」
「なんの役にも立ちやしねえよ」
「ゴミの山に埋もれて言うことがこれかよ」
 うなだれた「そいつ」は改めて自分の座っていた場所を見た。汚いけれどまだ使える袋にひびが入っているけれどまだ使える小物入れ、穴が空いているけれどしっかりしている傘に雑巾に出来そうなぼろきれ。どれもこれも「まだ使える」大切なものだった。

 

 男たちは「役に立ちたいならいくらでも役に立ててやらあ」と「そいつ」に仕事を与えた。「そいつ」を閉じ込めて、朝から晩まで休みなく働かせた。仕事の内容は日によって違ったが、大体は山の中へ連れて行かれて大きな穴をいくつも掘らされた。作業が終わると最低限の食事が与えられ、また部屋に閉じ込められる。それが何の役に立つか何度も尋ねたが、「お前には関係ない」と殴られるだけだった。逃げる気力のなくなった「そいつ」は、ただ出てくる粗末な食事だけを頼りにするようになった。

 

 どのくらいの月日が経ったのか、「そいつ」はわからなかった。とっくの昔に時間の感覚は消え失せ、ただ存在するだけの「そいつ」にはどうでもよいことだった。ただ「そいつ」の見た目はひどくくたびれ、深い皺が顔に刻まれ実際の身体年齢より老けて見えた。常に殴られているためいつもどこかに痣があって、少しの物音にもびくびくして過ごしていた。

 

(よう、俺の声が聞こえるか?)
 すっかり何かを考える気力をなくした「そいつ」の耳に、聞き覚えのある声が届いた。いつか身体を交換した、新しく影になった男だ。
「聞こえる、よ」
 その日も「そいつ」は作業でくたくたになっていた。しかも何かヘマをしたと難癖をつけられて、その日の食事を抜かれてぼんやりとしていたところだ。
(あんたバカだな。頭空っぽのカボチャのほうがずっとマシだ)
「余計なお世話だ」
(お前さんが掘っている穴、何のためのものか知ってるか?)
 痛む頭と腹を抱えて「そいつ」はうずくまった。
「知らないよ、教えてくれないから」
(ありゃ人殺しの証拠隠滅のための穴さ。死体とか凶器を埋めるためのものだ)
 それを聞いても「そいつ」の心は動かなかった。
(それよりも、俺の声が聞こえるということはその生活が嫌になったんだろうな)
 影の言うとおりだった。「そいつ」は元の影に戻りたいと思っていた。
「その通りだ。君にこの身体を返すよ。僕は人間でいる資格がないようだ」
 誰からも顧みられない透明人間のような存在は、まともな感覚を持っていれば耐え難いものだということを「そいつ」はよく知っていた。
(いいや、俺はこのままでいい)
「何だって!?」
 思わぬ返答に「そいつ」は大声を上げた。
(確かにひとりぼっちは寂しいが、だからと言ってお前さんの境遇と交換しようなんて思わないな。それに身体のない生活のほうが俺の性に合っていたみたいだ。このまま俺は世界の終わりまで見届けてやるのさ。誰かの役に立つのなんてゴメンだ、俺は俺の好きなように存在していたいからな)
 影が話している間、「そいつ」は肩をぶるぶると震わせていた。
「そんな馬鹿な話があるか! 誰からも相手にされないことの怖さを知らないんだ!」
(何言ってるんだ? 人間であってもお前は誰からも相手にされていないさ。ただの都合のいい道具に成り下がって、お前は頭の中身が空っぽの人形さ)
「そんなことがあるか! 僕だって、役に立ってるんだ今は使えない奴かもしれないけど頑張っていつか誰かの役に立つようにそのために頑張っているんだ! 僕が役に立たないって!? そんなわけがない! 人間は誰だって役割があって僕だって例外じゃない! あんたと僕は違うんだ!」
 喚いている「そいつ」の元に何人か男たちがやってきた。

 

 男たちは目覚まし時計のように何度も「そいつ」を殴って静かにさせた。
「何ごちゃごちゃ一人で騒いでんだうるせえぞ!」
「遂に本格的に狂っちまったか」
「もうこいつ、使えねえな」
 すっかり動けなくなった「そいつ」を運び出し、男たちは昼間「そいつ」の堀った穴へ叩き落とした。「そいつ」は何か言おうとしたが、歯が何本か折れていて血が口の中へ溜まっていて喋ることができなかった。それから上からどんどん土がかけられていった。やがて「そいつ」の姿は見えなくなり、穴もきれいに塞がれた。男たちが道具を片づけているところまで、影はじっと見ていた。
(あばよ、役立たず)
 その声は誰に聞こえることもなく、暗くなった山の中へ影と共に消えて行った。

 

≪了:4997字≫

 

novelcluster.hatenablog.jp

 

 お待たせしました今月の短編小説です。「実用的な」ということで中身のあるなしについての話です。実はこの話、以前書いた話の完全な続編になっています。元の話を書いたのは2012年ですが、最近「ハロウィン・ホラー短編集」としてリメイクしたものです。この話を読まなくても今回の話はOKですが、前日譚として読むと楽しいと思います。全く愉快な話ではありませんが。

 

「役立たずの影」~ハロウィン・ホラー短編集~|霧夢むぅ|note

 

 こちらの作品はnoteで公開しています。詳しくは以下をご覧ください。

 

note.mu

 

 ちなみに今年もハロウィン作品を書きました。購入は以下の記事からお願いします。

 

note.mu

 

 「今年は和製ハロウィンがいいな」と思いながら構想を考えていたとき、百円ショップで買ってこれるようなハロウィンのモチーフをベタベタと門柱に飾っているお宅を見つけた結果、こんな話が出来上がりました。新興住宅のご近所トラブルやその他もろもろのお話です。例年のお化けが出てくるホラーとは違ったテイストになっていますが、いろんな意味でホラーに仕上がりました。こちらはマガジン購入をしなくてもバラ売りで購入が可能です。ボリュームも普段の倍くらいあるのでよろしければお願いします。何らかの反応があると非常にやる気が出ます。よろしくお願いします。

 

 

みちか問題から始まる雑感

 みちか問題について考えていたら全く別のことを考えていたので、この記事は「あの絵は猥褻ジャッジ」ではありません。

 

 結局のところ「何がエロで何がエロじゃない」って言われたら「個人の主観以外ジャッジできないよね」っていうところでしかないし、そうでないとケモナーもドラゴンカーセックス*1も存在しない世界になってしまう。十人十色だし、人の数だけエロもある。「おっぱいはいいよね」という人もいれば「男女問わず鎖骨はロマン!」という人もいるし、「ハイソックスを履いた跡のギザギザしたところがいい!」という人もいる。だから例えば清涼飲料水のCMあたりで靴下を女の子が下しただけで「俺にとってはエロいけしからん」のクレームが来る可能性もある。いや、靴下を脱ぐ行為はけしからんかもしれない。

 

 だから「これはエロいからダメなんです!」という論点だと「俺はエロいと思わない」で終わってしまう。皆が幸せになる問題提起をするなら「私はこれが苦手です」をマイルドに言うことなんじゃないかと思う。正直、みちか問題は問題提起の仕方ひとつで衝突は大いに避けられた可能性がある気がしてならない。全体的なノリとして「みちか、スカート微調整したってよ」「やっぱりエロすぎたかw」みたいな結末もあったと思うので、どうしてここまでこじれてるかが気になるわけで。

 

 ひとつは、「何かを表明する」がネット上ではものすごく難しいことであるという点があると思う。「私はこれが嫌い」と言えば「嫌いだなんてけしからん!」という意見が大体つく。逆に「私はこれが好き」と言っても「こんなものが好きなんて程度が低い」と言われてしまう。結局沈黙だけがストレスのない世界になり、誰も何も言わなくなる。何かを言い続ける人は己が正義だと信じて疑わない人だけになって、泥沼の戦争状態になっていく。

 

 もうひとつが、他人の好きなものを許容するということが意外と難しいことなんじゃないかということで、「けしからん、こんなものを好きな奴はけしからん」と言う人は「自分の中の好きなもの」に巡り合っていないだけという人も結構いるんじゃないかと思う。これはいじめ問題と同じで、オタクが叩かれるのは「好きなものがあるから」という軽い嫉妬のようなものもあるんじゃないかなぁと思う。好きなものがある人はそれだけで充実している。だから「何かを好き」という感覚を共有できないという意味で「気持ち悪い」「生理的に無理」ワードで理解したつもりになる。「理解できない」ということを理解したつもりになっている、みたいな。うーんよくわからないので誰か代わりにまとめてほしい。

 

 あと今回の問題で「公共とは何か」って思った。自分の嫌いな絵柄がポスターにされていても受け入れられるか不快であることを表明してもよいのか、っていう問題。これはネットの普及で誰でもたくさんの人に愚痴をこぼせるようになったから見えてきた問題で、今までも「あのポスター嫌よね」と思うことはあったと思う。でも「私もあのポスター嫌い」「なんだみんな嫌いなのに飾ってあるのはおかしいわね」みたいになってしまう。公共の場で過激な表現はどこまで許されるのか、そして公共とはどこまでが公共なのかという問題について多くの人が考えなければいけないと思う。

 

 例えばちょっと前に「コントロールベア」というキャラクターが人気になったことがあった。自分で自分の首を持っているブラックな出で立ちが人気になって、様々なグッズが作られてサンリオともコラボしていた。個人的にはこういうブラックなキャラクターは大好きだし、コントロールベアのUFOキャッチャーで捕ったトートバックをくたくたになるまで使っていた。だけど、やっぱり何も知らない人が見たらギョッとするだろうし、これを小学生の女の子が「かわいー」って集めてたらちょっと心配になる。「確かにかわいいけど、やめろ!」と思う。小学生はすみっこぐらしでいいんだよ。

 

コントロールベア/ブラウン(S)

コントロールベア/ブラウン(S)

 

 

 同様にグルーミーハッピーツリーフレンズも個人的には好きだけど、グルーミーあたりはグッズでも流血をモロに出してくるし、あまりメジャーな場所に大腕を振って出てきてほしくないと思っている。ポップな雰囲気が好きなのでこういうキャラクターはグロ要素がなくても大好きなんだけど、ポップとグロを組み合わせているのでやっぱり一般向けでないよなぁと思う。ハピツリに関しては、どうなんだろうなぁ……結構女子高生あたりがハピツリのラバーストラップつけてたりするんだけど、みんなアレを見てるのかなぁ。日本始まったな。

 

NO CONTROL GRIZZLISM ノー コントロール グリズリズム

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HAPPY TREE FRIENDS DVD BOOK ~みんな大流血★編~ (宝島社DVD BOOKシリーズ)

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参考資料:HTF (はっぴーつりーふれんず)とは【ピクシブ百科事典】

 

 でも「これがいいよね!」とわかってくれるひとだけで楽しめたら最高だし、それが一番幸せなのではないかと思っている。自分はグロもある程度なら平気だしギャグとして描かれるグロは好きだ。だけどいくらポップにしたところでグロはグロだし、街中に客引きとして「欠損ガール」とかやって来られても嫌な気分になる。そういうのはアングラな掲示板とかそういう場所で見るから良いのであって、駅前でカジュアルにグロを振りまいてもよくないと思う。カジュアルなグロってなんだ。多分自分が最近のハロウィンの風潮が好きじゃないのもそういうところなんだろうなと思ってる。ホラーやグロがポップというより中途半端なカジュアルになって受け入れられてる気がする。いや、違うんだよ何かが足りないでしょみたいに思っても「世間で流行ってますよー」みたいな顔して浸透していく感じがなんかイヤだ。

 

 萌え絵に関しても似たようなことを思ってる。萌え絵そのものがよくないとは思わないけれど、「萌え絵を使っておけばいいだろう」みたいな適当な広報には何だか違和感ある。観光地でたまにある「絵だけは萌え狙いで説明文は気合入ってない」みたいな、アレ。中学とか高校の文化祭のパンフレットの表紙が漫画のキャラクター(比較的絵がうまいということで無理矢理採用された系)みたいな、そんなざわざわを感じる。「これが何年も残るんだぞ、本人の今後のことを考えたら全力でやめてさしあげろ!」という、アレです。萌え絵自体を否定するわけではなく、絵だけが非常に浮いていて場所にマッチしていないのがイヤなんだと思う。

 

 エロに関してもグロに関しても、やっぱり「場」というものがあるのかなと思う。今回のみちかもグルーミーのぬいぐるみがUFOキャッチャーになってるくらいの公開度合いだっただろうし、それでも嫌な人は嫌だろうなと思う。

 

 結局一番の原因って「情報過多」じゃあないのかなあと思う。必要な情報を取捨選択する前にどんどん新しい情報が入ってきて処理しきれなくて「この情報と自分は関係ない」って思う暇がなくて全て「自分事」として考えるのがこの手の騒動でよく見られるパターンかなと思う。「自分の見える範囲=社会」だと思っているからそうではない社会全部まで否定する。なんつーか、この辺の切り分けが出来ないといつまで経っても不幸なままなんだけど誰も切り分ける気ないよなって思う。切り分けるのすごく疲れるから。それならネットなんかやらないほうが幸せなんだろうな。人類にネットは早すぎたんだよ。

 

*1:良い子は自分で検索しよう。

わたしとはてな匿名ダイアリー

 最近増田漁りしている身としてマジ質問しているid:akihiko810さんにマジレスしてみる。なお本文中の「増田」とは「はてな匿名ダイアリー」を指し、「はてな匿名ダイアリー」そのものや「書き込んだ人」という広い意味があります。

 

ブックマーカーとして認められること

ブクマーにマジ質問。増田ウォッチしてる人って、ゴミ溜めの中から原石みつけるような徒労やってるんでしょ?他にすることないの?虚しくないの? まぁおかげで増田大喜利できるからそれなりに感謝してるけど

2016/10/09 02:44

b.hatena.ne.jp

 

ゴミ溜めの中から原石みつけるような徒労ですか?

 おそらく考え方の違いなのですが「ゴミ溜めを漁るのが大変」と「原石を見つけて嬉しい」のどちらに重きを置くかというところなので、それは人それぞれとしかいいようがありません。「子供はかわいい」と子育てしている人に「子供なんて苦労ばかりで徒労じゃないの」と聞いているようなものです。炎上しますね。

 

 もちろん「くだらねえ」と思う記事の方が多いのですが、1getした記事が伸びたときのしてやったりという気持ちはなかなかいいもので、そのために増田を見ているのは「徒労」とは思いません。

 

 他にすることないの?虚しくないの?

 増田を見ていて「虚しい」と思ったことはないですね。良くても悪くても増田に書き込まれる内容はダイレクトな人間の気持ちですので非常に楽しいです。またどんな人が書いても同じフォーマットであるため、画像や改行で誤魔化すことがないので純粋に文章や言葉の響きを楽しむことが出来ます。

 

 あと基本的に増田漁りをしているときは時間が空いた時かイライラしている時のストレス解消です。「他にすることないの?」というのは暗に「そんなことに価値はない」と決めつけているようで非常に失礼な言い回しなので日常生活で使用されることは慎んだ方がよろしいかと思います。「深夜アニメのレビューを一生懸命書いてるけど、ほかにすることないの?」と聞いたら大炎上ですね。

 

それなりに感謝している

 うーん、感謝されるためにブクマしているわけじゃないのでよくわからないですごめんなさい。

 

 マジレスは以上です。以下は増田ウォッチ環境などについてメモしておきます。

 

増田ウォッチを始めた理由など

 今年ではてな匿名ダイアリーは10周年だそうだけど、自分の増田の原体験は「頑張れとか復興とかって、多分、今言うことじゃない。」だ。

 

anond.hatelabo.jp

 

 それで「ああ増田ってすごいなぁ」と思って、それからちょいちょい覗いたりホッテントリしたのブクマったりをポチポチやっていて、気が付いたらハマっていたわけです。増田漁業組合が釣果の報告をしていた頃は楽しかったですね。

 

 本格的に増田漁りを始めたのは「コンパクトな増田」を導入してからです。スパムさんを気にすることがないので非常に便利です。

 

コンパクトな増田 - Chrome ウェブストア

 

  そもそもなんで増田漁りをするようになったかというと、別に大喜利をするためでも承認欲求でもなくて、単に自分にピンとくる言葉を見つけたいからなんです。「これは伸びる」と思う時もありますが、大体は「クスっときた」「ぞわぞわする」という基準でブクマをつけます。特に「ぞわぞわする」ものには専用タグをつけて、後で見返してぞわぞわを思い出します。

 

 そういうわけであまりメジャーにならなかったけど個人的にぞわぞわする増田をいくつか挙げておきます。こういう文章が好きなんです。でもこういうのは最近個人のブログでは見られなくなってきまして、個人が全面に出るとどうしても「キャラ」を見てしまいます。こういうのがポンポンと匿名で出てくる増田は素敵です。

 

anond.hatelabo.jp

 

anond.hatelabo.jp

 

anond.hatelabo.jp

 

 個人的に「らくだに」がめちゃくちゃ好きなんですが、共感が得られないと思うので別に共感しなくてもいいです。一応「TwitterでURLを拡散させる楽な方法」みたいな理由ではてブを使い始めたので「これは人に見せたいな」と思うものを中心に昔はブクマしていましたが、最近は個人的な趣味でどんどんぞわぞわするものをストックしておく場所に変わってきました。だからといって何でもないのですが、ただの自己満足です。逆に1userどまりのブクマが増えるのも「こいつの価値がわかる奴は他にいないのだ」とよくわからん優越感があったりします。

 

 大喜利も楽しいですが、最近はそんなとんがった記事がたくさん読めるのが増田のよいところだと思っています。デトックスや昇給、京都のゴミ大学は他にストックしている人がいると思うので積極的にブクマしていません。あと書き込みはほぼやってません。増田でやるならこっちでやりたい人です。

 

 最後にもし増田ウォッチャーとして「わたしと増田の付き合い方」というポエムを他にも書いてもらえる人がいるなら、以下のお題をつけてもらえるとすっごくありがたいです。埋もれてるオススメ増田とかそういうのあったら教えてほしいし、「増田のこういう面が好きだぞ!」って熱く語ってほしい。

 

お題「わたしとはてな匿名ダイアリー」

 

 あとはスパムがなんとかなればよくなるんだ。ハイクも何とかなったから、増田もなんとかならないのかなぁ。ねぇ。

 

 

BUGと短歌の振り返り

 とりあえずの振り返り記事です。

 

nogreenplace.hateblo.jp

 

〇まず今回も最初数行を何となく書いて、それから想起できることをたらたらと書いていった。カマキリの死体については、実際にあった話だ。犯人はうちの犬だったのだが、腹から下は本当にどこに行ったのかわからない。食べてしまったのだろうか。それにしてもカマキリは確実に一部が欠落しているのがわかるありふれた昆虫で一番ぎょっとする部類に入るだろう。大きさもそこそこあって、形も割とインパクトがある。

 

〇カマキリの死体→自分の父の葬儀→死とは何かということで今回の死ぬに死ねない世界を想起。BUGも無理矢理当て字のように作成。「全地球のバックアップ」って非常に厳しい。ここに意味はないから別にかまわないけれど、無理矢理感が否めない。

 

〇実際にこういう話は5億年ボタンのようで、また「空間移動や若返りなどで身体と精神の連続性はあるのか」という話にもなってくる。前にアンパンマンの顔は頻繁に交換されているが、記憶はどう継承されているのかという漫画が話題になったことがあったが、今回の話はそれらとは逆の視点で書かれている。つまり「オリジナル」の存在に邪魔な「旧オリジナル」を抹消するのではなく、「旧オリジナル」がいつまでも生き続ける話です。しかも「旧オリジナル」は更新されるたびに増殖するが減ることはないので、永久にひとりぼっちがシステムの中に何十億と溢れていく感じですね。このゾワゾワする感じがたまらない。

 

〇なんていうか、「書きたいことをそのまま書いてもいいんだ」みたいな感じでやっと書けるようになってきた気がします。今までは優等生なお話を書かなくちゃ、みたいな感じでとにかく「見栄え」に気を使った話を書いてきたのですが、そろそろ自分の書きたい話を書いてもいいかなぁと思い始めて書いています。「気を使った話」と「そうでない話」を比べると「気を使った話」は書いたことすら覚えていないことがあった。あまりにも失敗作だと思い過ぎて覚えていたものもあったけれど、そのくらいの思い入れしかないんだなぁと改めて感じた。さて「失敗作すぎて覚えている話」や「そうでない話」はどれでしょう? 答えはそのうち。

 

 

 ついでに短歌のほうも書いておきます。完全におまけのうえ短歌の内容について何も書いていないのでメインコンテンツではありません。

 

nogreenplace.hateblo.jp

 

〇今回の題詠をなんとなく詠んでいるうちに「流」という漢字がいくつかあることに気が付き、じゃあ全部統一するかと無理矢理「流」を組み込んだ次第です。

 

〇短歌を詠むのは好きだけれど、想いをこめて短歌を詠むのは苦手かもしれない。正直何のために短歌を詠んでいるのかさっぱりわからない。歌を詠むのに目的はいらないけれど、歌を詠んでも自分の中に蓄積されていくものが見当たらない。後から後からすくいあげた砂のようにボロボロと言葉が無意識の海に沈んでいく。おそらく文芸と言うのはみなそのような性質があるのだろう。何かを残したいから言葉にするのではない。言葉として心の中から消してしまいたいから言葉にするのだ。そんなことを考えた。

 

「やさしい」の意味の変容

 以下のブコメページを見て気が付いたことをお仕事のためにメモメモ。

 

はてなブックマーク - 起業家志望の石田さんと話してみた時のメモ|けんすう|note

 

 このブコメで「けんすう氏は本当に優しいのか」という論点がいくつか挙げられている。簡単に検討事項を整理してみた。

 

  • 元大学生石田氏が大学中退&起業というピサの斜塔みたいに高いハードルを設定
  • けんすう氏が「起業するには大変だけど頑張れ」という感じのエントリを書く
  • 石田氏、けんすう氏にもっと話を聞きたいとランチを要請
  • けんすう氏、ランチの場で主に現実を説く&対談エントリ公開

 

 こんなところでしょうか。この一連の出来事に関するけんすう氏の対応に異なるふたつの意見が寄せられている。ひとつは「世間知らずの若者にガツンと言ってやった!流石だ偉い!」という賛美の声。もうひとつは「これでは石田氏が吊し上げのようでかわいそうだ!けんすう氏はけしからん!」という批判の声。で、この意見の対立をややこしくしているのが「やさしい」という言葉なのではないかと言うのが今回のテーマです。

 

本当に「やさしい」のか。

 もちろん「やさしい」には「親切である」という意味と「簡単である」という意味がある。けんすう氏の対応の場合、そのまま前者の意味で捉えるのが一般的であり、正しい。つまり「世間知らず君に関わらなくてもいいのに、時間を作ってまで厳しい意見をあげたのは賞賛に値する」ということだ。

 

 ところがそのようにけんすう氏を褒めると、相対的に石田氏の株が下がると言うか、石田氏叩きになってしまう。「けんすう氏はやさしいなぁ」という意見が出れば出るほど「石田はダメだなぁ」になってしまう。これを見てけんすう氏はわざと石田氏が叩かれるようにエントリを書いたのだからけしからん」と思う人がいてもいい。そのような人から見ればけんすう氏は全く親切ではない。むしろ石田叩きに加担した悪者である。

 

 さて、それではけんすう氏は本当に親切な人ではないのであろうか。もちろんエントリを公開することで、批判意見のように石田氏をコンテンツ化していることは否めない。けんすう氏が正しければ正しいほど石田氏が滑稽に見えるわけで、そこで石田氏が「わかりました大学に戻ります」となればそれはそれでお話として面白くない。しかも石田氏のモアイのような今後のプランを見て突っ込みたいと思った人の代弁は大体出来ている。

 

 親切という枠には「他人のため」という枠と「自分のため」という枠がある。この場合エントリを公開しないで石田氏の話を真剣に聞いて水面下で完全指導する、というのは「他人のため」の優しさである。ところが今回は「他人のため」という名目で半ば「自分のため」にコンテンツとして公開している。そこに「けんすう氏はやさしくない」と思った人も多いだろう。

 

「やさしい」の真意

 ただ、今回の「けんすう氏はやさしい」というコメントは以上のことを全部含めたうえでの「やさしい」だと思っている。既にこういった事例は過去に何度かあって、意識高い系(笑)という分類に属してしまうような意見に対して経験者などの真剣なマジレスが着くことを「やさしい」と呼ぶときがある。今回特に顕著に「やさしい」が使われており、従来の「親切である」という意味と照らし合わせると訳が分からなくなってしまう。

 

 真剣なマジレスは一見すると批判に見えて、親切に見えない。しかし、「穴だらけのプランにマジレスをして穴を埋める」ということが現実を生きていくうえで大事なことである。マジレスをする人は(確かに自分のコンテンツにしようとしているが)それなりに時間をかけて絵に描いた竜宮城に行きかねない相手を説得しようとしていることが多い。幼児が高いところから落ちそうになっているのを見たら、例え幼児を多少ひっぱたくことになっても助けに行くものではないかと孟子は説いた*1。そのような心から「やさしい」は成り立っている。

 

 ここまで複雑な意味が付与してしまうと、今後「やさしい」の意味が別の方に変容していく可能性もある。最近ヒットした高知の方に対して「増田」を使用している例も見たので、ネットの新語が以前に比べて生まれにくくなっているこのご時世に意味の大胆な変容と言うものが生まれていくのかもしれない。

 

 余談ではあるが、こういう事例の際一番「やさしくない」ことは、ただ相手の行動を全て賞賛してその気にさせてから金をむしり取ったり他の人を巻き込ませるよう仕向けることだと思うのです。気が付いたこと、おわり。

 

おまけ

 今回見つけた「やさしい」の他に「ほっこり」という言葉に独自の意味を重ねようという記事もありました。「やさしい」に結構似ている言葉で、悪い言葉を言いかえた「するめ→あたりめ」の言い換えのようで個人的に好きです。

 

topisyu.hatenablog.com

 

*1:ひっぱたくとは言っていません

情報を受けることの雑感

 最近いろいろあった燃える事件を遠目で見ていて、ちょっと思ったことを少し。

 

 今までいろいろ人並みに生きてきたつもりなんだけど、本当に世の中には口の悪い人がいる。その人自身は口が悪いと思っていなくて、その言葉遣いが誰かを傷つけると思っていなくて、どうしてそれを言うことで自分が責められなければならないのか理解できない人がかなりいる。「あなたの発言で傷ついた」「ごめん、次からは気を付けるよ」がうまく行っていれば、こんな世の中にはなっていない。

 

 もちろんそういう人を許してはいけないのだけれど、注意するにも限界があるし、上記のとおり「何故俺が責められなければならないのか」が理解できないので注意をしても不毛なやりとりが生まれるだけだ。また、都合のいいことばかり聞いて都合の悪いことは全部スルーした結果よくないことが起こっても、何が悪かったのか理解できない人もいる。ここはコミュニケーションでどうにかしていかなければならないところなんだろうけど、かなり心理的負担がかかるし逆に「悪くない人」が体調を崩してしまうおそれがある。

 

 実際にやりとりをして神経を摩耗させるのは仕方がないが、たとえば電車の中で聞こえてきた品のない会話にも心を痛めていたらそれこそきりがない。「(個人名)は意地悪だ」「そうだな、(個人の属性)はダメだな」という会話を聞いて、たままたその(個人の属性)と同じところに属していたからと言って気に病む必要は全くない。それを「誰かが傷つくかもしれないから会話そのものをやめましょう」と会話をする方にだけ負担をかけているのが最近の炎上の遠因になっている気がする。

 

もちろん何も想定していない脇ががら空きの発言をしてしまうことがあるかもしれない。でも、その時に「何が悪かったのか」をしっかり理解して改めていけばよいのではないだろうかとも思う。ただこれは本当に理想で、「ホント〇〇さんの髪形は素敵ね」という言葉に「髪形以外は大してかわいくない」という意味が含まれていることが理解できない人もいる。これは主に発達障害をもつ人に多いかもしれない。ただ、発達障害のせいにして最低限の努力を怠っている人や発達障害を騙っている人も多いので、柔軟な対応が難しいところだ。

 

 この辺が現代のコミュニケーションの限界ではないかと思う。発信元にばかり責任を求めがちだが、受け手一人一人も自覚をして必要な情報をスルーしてもよい情報と必ずスルーしなければならない情報を見分けていかなければならないのだろう。聖人君子なんていないし、どんな立派な発言にも何らかの穴がある。完璧を求めればそれだけ怒りは増すので、「どうせこいつの言ってることなんか大したことないや、でもたまにいいこと言うぞ」くらいの感覚が炎上対策になるんじゃないかなぁと思っているけれど多分あと1世紀は解決しないだろうなぁ。

 

BUG -Backup of Universal Globe- ~短編小説の集い~

 玄関の前でカマキリが死んでいた。腹は食いちぎられてそこにはなく、もう動かない頭と胸だけを固くして両方のカマをしっかり閉じている。猫がいたずらでもしたのだろうか。
「ああ、気持ち悪い」
 俺は半分になったカマキリを革靴で蹴って、茂みの中へ落とした。後は土に還ろうとアリのエサになろうと見えないものは存在しない。俺は完全にカマキリを埋葬してやった。
「まったく、これから出かけると言うのに」
 時計を見ると、出発時間の5分前だ。それなのに妻はやれネックレスがどうとか背中のチャックをしてだの段取りにまだ手間取っている。
「あなたの支度が速いだけでしょ」
「お前が遅いだけだ」
 やっと妻が息子の手を引いて出てきた。余所行きの服を着ているせいで緊張している息子は俺の足にまとわりつく。
「ねえ、今日はおじいちゃまのところに行くって本当?」
「そうだ、今日はおじいちゃまとお別れをしようなあ」
 俺はそう言って息子の頭を撫でた。長い一日になりそうだ。

 

 港に着くと、先にやってきていた兄貴たち家族や葬儀場のクルーの人たちがいた。
「本日はよろしくお願いします」
 今日世話になる船長に形式の挨拶をすると、用意された船に家族を先に乗せた。俺と兄貴は船の外で次々と乗り込む親戚に挨拶をする。今日は晴れてよかったですね、とかお父さんも笑っているわね、とか。とても当たり障りのない話だ。
「父さんも古い人だったからなぁ」
「さすが平成ヒト桁世代。環境に対する意識が俺たちと違うよ」
 招待客と葬儀場のクルーの全員が乗り込むと、俺たちも船に乗って陸から離れて行った。小さな客船の中には祭壇があり、この前死んだ親父の写真と遺骨が飾ってある。これから俺たちは、親父との決別をしに行く。

 

 形式的な散骨式も済み、親戚一同の会食を船上で行ってから俺たち家族は帰途についた。
「今時海上散骨を希望なんて、信じられないわ」
「おいおい、気持ちはわかるけど親父の意向だから」
「そうだけれど、それにしてもBUGに入らないなんて」
「まあ、俺も今では強引に入れておけばよかったかなと思ってるよ」
 お嬢様育ちの妻には理解しがたいものがあったのかもしれない。俺の親父はいわゆる「自然派」で、何でも天然のものがよいという思考だった。そういうわけで親父はもう少し生きられる病気だったのに延命治療を断り、遺骨は海に流してほしいと遺言を残した。そして「BUG」に入ることを拒否しながら死んでいった。
「でも、親父の世代では反発も多いみたいだからな」
「まったく、非合理ね」
「石の墓に入りたいっていうよりマシじゃない?」
「それもそうね」
 すっかり今では廃れてしまったが、まだ親父の世代くらいだと「先祖代々の墓」に入りたいという考えも残っているみたいで、「現代の死生観はけしからん」なんて言う声もある。その時代に合わない古臭い考えこそ改めるべきだろう。
「何だか不安になってきた、俺もそろそろBUGに行っておこうかな」
「私も行きたいわ。ケンちゃんもそろそろ連れていきましょう」
「じゃあ来週、予約しておくよ」
 俺は窮屈な礼服の上着を脱いでそう答えた。

 

 技術の革新により、人類は脳の電気信号パターンを解析して個人の意識をコンピュータ内にバックアップできる機能を開発した。Backup of Universal Globe――通称BUGと名付けられたそのシステムはあっという間に普及して、開発から10年後にはわが国では人口の70%がBUGを利用しているというデータがあった。それからしばらく経ち、BUGは全国民の義務のようなものになっていた。いたるところにBUGの専門機関が林立し、自我の確立した人間なら誰でも格安で気軽にBUGに加入できるようになった。例えば急な事故で亡くなっても、BUG内の「意識」を移植した人型ロボットを稼働させることで故人の代わりになる。これで国家の要職に就く人物や会社社長が急死してもすぐに体制が崩れることがなくなったし、おふくろの味をいつまでも楽しむことができる。

 

 翌週訪れたBUG専門機関で、俺たち夫婦は新たなバックアップをすることになった。俺の息子は新たにBUGに加入できる精神状態かどうかのテストが行われ、検査の結果BUGに加入することが認められた。初めてのバックアップに緊張する息子だが、「これでずっとパパとママと一緒にいられる」という言葉を信じてポッドの中に入っていった。すぐに出てきた息子は「なんだ、すぐ終わるね」とニコニコしていた。続いて俺のバックアップの番だ。俺もポッドの中に入り、主に頭部を機械に拘束される。
「それでは全身の力を抜いて、楽にしてくださいね」
 オペレーターの声が頭に響く。俺は目を閉じてバックアップの瞬間を待った。

 

 プログラムの内部に俺の意識がバックアップされる。脳内だけで感じる不思議な浮遊感。これで俺が死んでも、俺の意識はBUG内で生き続ける。煩わしい埋葬の手間も遺産相続争いもいらない。死んだ後の意向を知りたければ、BUGにアクセスすればよい。それだけで人類は「死」を克服したと言えるのではないだろうか。

 

 ところが、いつまで経っても浮遊感が抜けない。真っ暗な状態が続き、ポッドは開かない。普段ならすぐに重力が戻ってきた感覚がやってきてポッドの出口が開くのだが、今はどのような状況になっているのかすらわからない。もしかすると、俺は何か重大な事故に巻き込まれてしまったのだろうか?
(助けてくれ、プログラムのミスだ!)
 今までこんなことはなかった。俺は声を出して叫ぼうとした。ところが、俺の喉は震えなかったし体を動かそうにも肉体が存在しなかった。不思議とパニックになることはなく、状況を理解するまでしばらく時間がかかった。そして、やっと俺は理解した。

 

 俺はBUG内の「意識」なのだ。

 

 機械によってシャットダウンされた俺の「意識」は外部の意識と接触する術がなかった。ただただ真っ暗な空間にずっと浮かんでいるような、不思議な感覚だ。五感も全く反応しないし、時間の感覚もあやふやだ。ただ思考のできる「俺」という存在があるだけだ。
(俺はプログラムの中に閉じ込められている!)
 どうすればこの地獄のような状況を伝えられるのか、俺は必死に考えた。俺の肉体はどうしたのだろうか。ちゃんと生きているのだろうか。バックアップ中に死亡した例など聞いたことがない。おそらく生きているのだろう。しかし「意識」と「肉体」が切り離されたと知ったら、BUG全体に大きなスキャンダルになるだろう。とにかく救援が来ることをシステムの中で待つよりほかになかった。

 

 どのくらい時間が経ったのだろうか。急に俺の「記憶」が外部に呼び出された。
(これで様子を伝えられる!)
 ところが、俺の「意識」を外部に伝えることはできなかった。新たにやってきた俺の「記憶」と「それまでの意識」が脳から切り離されただけだった。かすかに伝わる思考パターンから俺は外部の俺がきちんと生きていて、それなりの日常を送っていることを知った。

 

(それなら、この「俺」は一体誰なんだ?)

 

 俺は真っ暗な空間でひたすら考えた。することと言えば考えることくらいしかできない。
(つまり、BUGって記憶の蓄積だけじゃないってことか?)
『意識とは記憶の集合体です。このパターンをそっくり移植すればそれは本人といっても差支えありません』
 これはBUGを開発した研究者の言葉だ。俺の記憶は全てデータベース化されていて、思い出したいことはすぐに思い出すことが出来る。肉体の制約を失った「意識」の状態では忘れると言うことがない。おそらく子供の頃に雑誌か何かでBUGについての記事を読んだ記憶なのだろう。

 

 それから「記憶」を探ることを覚えた俺はずっと「記憶」に潜っていた。子供の頃の懐かしい思い出や新たにバックアップされる「記憶」を隅々まで堪能し、来るべきその日に備えた。つまり、俺の肉体が死んだ後に俺の子供たちが俺の「意識」にアクセスするときだ。その時に俺はBUGは間違っていると伝えるつもりだった。俺に孫たちがいるなら、その子たちをBUGに入れるのはやめておけと言いたい。「意識」だけになった俺には喜びも悲しみも存在しない。ただ眠っているときの夢のようなふわふわした感覚がずっと続いているだけだ。そんな状態になってまで、意識を継続させたいとは思わない。それまで俺は逃避をするように更新される記憶を探り、過去に浸っていた。

 

 ついに俺の待ち望んだ日がやってきた。俺の「記憶」が外部入力のできる場所に呼び出された。俺の「記憶」が「意識」になって初めて外部に俺の考えを伝えることができる。カメラに映し出された外部の映像には、すっかり落ち着いた風貌になった息子とその配偶者らしい女性、それに中学生くらいを一番上に子供が何人かと、見たことのある親戚の顔があった。妻の姿はなかった。老年性症候群が進んで病院から出られないと前回の記憶で俺は知っていた。
「おじいちゃま」
 一番幼い女の子がカメラに向かって指を突き出した。これは一番下の孫だ。カメラの下のスクリーンには俺の遺影が浮かんでいるはずだ。
「そうよ、これが新しいおじいちゃまよ」
 息子の嫁が女の子を抱き上げる。息子は平然としているが、目を真っ赤にしている。やはり前回のバックアップを最後に肉体の俺が死んだのだろう。死因などはあまり知りたくない。
「父さん」
『なんだ、元気な姿じゃないか』
 俺の思考パターンはそれまでの経験から遺族に向けて最適な言葉を選び、俺の声紋パターンから導き出した合成音声で発声した。それは俺の「意識」とは関係のない行為だった。
「これから父さんに会いたくなったら、また来るからね」
『そのほうがいいな、俺も母さんがいなくて一人だと寂しい』
 これは生前の俺がよく言っていた台詞だ。やはり「記憶」に再会できても、肉体が死ぬと悲しいようだ。
「そうだね、また来るから」
『ああ、また来てくれ』
 そこで俺の「記憶」の外部接触は断たれてしまった。
(待ってくれ! 俺の伝えたいことを伝えていないぞ!)
 俺の「意識」は愕然とした。俺が完全に自由に思考できなかったばかりではなく、先ほどのやり取りがまるで俺の思考とは別に存在する「かつての俺」の再現でしかなかったからだ。俺も生前BUGで故人と会話をしたことがあったが、生きているときは何の疑問を抱かなかった。しかしそれはやはり「彼ら」ではなく、「彼らの再現」だったのだ。「再現」にバックアップ時点での「意識」はいらない。外部出力の時点でノイズとなる情報は極力省かれるのだ。

 

 それとも、彼らも俺と同じようなことを伝えようとしたのかもしれない。しかし、そうすると間違いなくBUGの管理者は俺たちの「記憶」をいじるなり消去しようとするだろう。それを恐れて、この恐れるべき事態を誰も告げなかったのかもしれない。

 

 それから何度か呼び出されたが、やがて、俺の「記憶」が外部に接続されることはなくなった。必然的に新しい記憶もなくなり過去に浸ることにも飽きて、俺の「意識」は再び真っ暗な空間に漂う時間が続くようになった。

 

 もうずっと外部との接続がない。俺の意識は闇に同化してしまいそうだが、消えることは許されない。既に恐怖を感じることはないが、俺は恐ろしいことを考えていた。この「意識」だけの俺は、バックアップ時に毎回生じているのではないだろうか。つまり、バックアップの時に毎回「意識」は切り離され、電子信号のノイズとして残っているのではないだろうか。そうすると、まるで虫の産卵のように無数の俺や、他の人間たちの「意識」がこのデータベース上に切り離されているというのだろうか。もし大量の永劫孵らない卵を何かの裏側に発見しても、外部にいた頃の俺は見なかったことにするだろう。

 

 久しぶりに外部からのデータ更新があった。それによると、BUGが稼働して300年ほどが経ち、バックアップのデータも限界にやってきたので150年以上接続のないデータを消去するという通達だった。おそらく、俺もその消去されるデータに入るのだろう。

 

 データ消去の日。俺には安堵の気持ちしかなかった。
 そして、俺は完全に「埋葬」された。

 

≪了(4965字)≫

 

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 一見あんまり虫っぽくならなかった。「私が死んでも代わりはいるもの」というアリ社会的なのをイメージしています。